とは言ったものの、桔音達はとても順調に進んでいた。

しかしそうは言っても、進む先に出現する筈だった魔獣達は、Bランク以上という話に違わぬ実力と野性の勘、そしてそんな環境下で生き延びるだけの生命力があった。それは確かだ。

それでも桔音達がなんの障害も無く、たった1回の戦闘も無く迷宮内を進んでいけているのは、その全ての魔獣達が、桔音と対面する前に瘴気によって死んでいくからだ。Bランク以上、確かにソレは脅威的なのだろう。

だが、それでも桔音の実力はSランク。魔王をも打倒出来る実力を持ち、そして彼らを襲ったのは世界最悪、最凶の猟奇瘴気(ウイルス)――『赤い夜』。

どれほど戦いを生き抜こうが、どれほど実力が高かろうが、触れただけで感染し、触れただけでその身体を瘴気へと変えてしまうその力には、敵う筈がなかった。

故に桔音達は悠々と進む。瘴気の空間把握によって迷宮を庭の様に歩き、瘴気変換能力によって迷宮内を蹂躙する。その姿はまさしく死神。周囲に死を振りまきながら進む桔音は、人間よりも災害の様だった。

とはいえ、流石に戦闘も無く進む事が出来ている状況に巫女は疑問を抱く。迷宮に入ってから既に数十分……一度の戦闘も無いというのは、巫女の眼からも流石に異常に映った。

「……どういうことですか? ここまで一切戦闘がないなんて……おかしいです」

「話す義理は無いよ。ただ、戦闘は何度も起こってるさ。君が気が付いていないだけで、僕達はもう数十匹の魔獣を倒しているよ」

「……それはどういう……」

「ほら、到着。見てごらん、下に降りる階段だよ」

「!」

すると、桔音達は下の層へと降りる階段に辿り着いた。巫女はその階段を見て、更に不思議に思う。此処まで一度も道に迷ったという感覚は無かった。桔音達は真っ直ぐにこの階段に辿り着いたのだ。まるで此処までの道を知っていたかのように。

実際は瘴気で迷宮内の構造を把握出来ていたのだが、ソレを知らない巫女にそんなことが分かる筈も無い。ただただ、桔音という存在に奇妙な謎を感じ取ることになった。

階段を下りる。

カツンカツンと音を立てて、桔音達は薄暗い下層へと歩を進めた。巫女を除いて、リーシェ程ではないが桔音達のパーティは全員夜目が利く。桔音もレイラと同じ左眼を持っているし、レイラは元々夜行性の魔族だし、ルルも獣人故に犬としての夜目を持っているし、フィニアも妖精なのだからそれなりに視界を確保出来ているし、ノエルはそもそも見えなくとも構わない霊体だ。

「ひっ……」

「うぇー……」

だから灯りが要らないと言えば要らなかったのだが――ルルとレイラの反応が気になった。

「……すいません、灯りって使わないんですか……?」

そこで、巫女は暗い道では視界が確保出来る訳ではなかったので、灯りを所望したのだった。

「えー暗い方が良いと思うけどなぁ……仕方ないなぁ……フィニアちゃん、灯りお願いしてもいい?」

「ん? おっけー、『灯火(ライト)』!」

仕方なく桔音はフィニアに頼んで灯りの魔法を使って貰う。ぽふんと音を立てて出て来た魔力の灯りが、道を照らす。巫女は確保出来た道を見て、ピシリと石の様に固まった。

何故ならそこには、天井と壁を埋め尽くす大量のゴキブリの様な蟲が蠢いていたからだ。見事に階段には侵入して来ず、光で照らされた瞬間から、ギチギチと耳障りな音を発するようになる。おそらく暗い場所では動くことなく、攻撃してこない様な蟲達だったのだろうが、巫女が灯りを所望した故に蟲達の行動を活発にさせる結果となってしまった。

桔音が瘴気化していなかったのは、あまりにも大量にいたから壁や天井だと思ってしまったからだ。この蟲達が少しでも動いていれば、桔音も瘴気化をしていただろう。

だから桔音も暗いこの道に入った瞬間、蟲達を見てうえーと気持ち悪いを見た様な表情を浮かべた。しかしまぁ、そういう蟲を使ったトラップだと考えると中々意地が悪いと言えるだろう。何せ、灯りを付ければ襲い掛かって来るのだから。

「ギチギチギチギチギチギチギチギチィィィィ……!!」

「きゃああああああああああああああ!?!?」

一斉に襲い掛かってきた数万匹のゴキブリ(?)。正直、普通の人であればその気持ち悪さに鳥肌が立ち、普通の乙女であれば気絶したことだろう。それほどまでに衝撃的で生理的嫌悪感が爆発する攻撃だった。

巫女は叫び声を上げ、ルルは桔音の涙目で抱き付き、レイラも流石に引き攣った笑みを浮かべ、リーシェは桔音の方を見て、神奈は剣に手を掛けて、フィニアも魔力を練っていた。

「はぁ……やっぱ視認した時に消しとくべきだったね」

しかし、その数万匹のゴキブリ達は次の瞬間―――漆黒の瘴気が通り過ぎると同時に全て消え去っていた。桔音が全て瘴気に変換したのだ。灯りに照らされた道は、黒々と蠢いていた蟲達が消え、白い壁や天井に変わっていた。

桔音は溜め息を吐き、瘴気に変わったゴキブリ達の分増えた瘴気をふっと消した。

「ほら、進むよ」

「ひぃぃ……ってあれ? さっきの黒いアレ達は……?」

「全部やっつけたよー、良いから早く来なさい。君の大事な勇者サマが死んじゃうよ?」

「ぐ……はい」

巫女は頭を抱えて涙目だったのだが、桔音の言葉でぐ、と言葉を詰まらせ、大人しく付いてくる。なんだか桔音が平然としていると、叫び声を上げた自分が少しだけ恥ずかしくなった巫女だった。

「それに、さっきのゴキブリだって、結界張れば良かったんじゃないの? 君、魔王の攻撃も数発防げる結界張れるんだろ? 巫女らしからぬ卑怯臭い使い方をしてたけどな」

「ぐぬぬ…………」

「ほらほら、助けてくれた僕に対して言うことはー?」

「………………ありがとうございます」

桔音のウザい顔と言葉に、しかし何も言えない巫女は相当悔しそうな表情でお礼を言った。どう取り繕っても、助けてくれたことには変わりないのだから。

桔音は巫女の礼に対して、鼻で笑いながら歩を進めることを再開した。正直な所、巫女としてはあのゴキブリ達を見た後でこの先に進む事は、あまり気の進む所では無かった。まぁ、それは個人的なことであって勇者がこの先にいる以上彼女は進むのだが。

「さてさてー……凪君が入って行ったのはどれくらい前だっけ?」

「そうですね……2時間程前かと」

「ふーん……なら上の魔獣達の数からして、そう進んではいないかな……階段を見つけるのも結構時間掛かるだろうし、次の層辺りにいるかもね……死んでなければだけど」

桔音は階段を下りきった所でそう言い、瘴気を展開する。広がった瘴気は、すぐに地下第2階層を埋め尽くしていき―――その中に居る全ての生物の気配を把握していった。

そして、その中に一際激しく動く存在を見つける。

「ああ、いたいた……凪君まだ生きてるぜ」

それは人型であり、広い空間で巨大な影と戦っていることからおそらくは勇者だと認識する。剣を振り回し、何度も衝突していた。衝突を繰り返してどうなっているのかは分からないけれど、おそらく勇者の方が優勢であることが分かる。

「本当ですか!? 何処に……!?」

「さ、行くよー……ああ面倒くさ、何と戦ってるんだか……広い空間だし、あのシルエットはワイバーンかなにか……?」

巫女が過剰に反応して慌ただしく周りを見渡すが、桔音は欠伸をしながら気だるそうに歩を進め始めた。

え、とばかりに表情を固まらせる巫女を余所に、桔音の後ろをレイラ達が付いて行く。巫女は先程から桔音達に振り回されっ放しだ。まぁ桔音達の迷宮攻略速度や手段を理解出来ない以上、巫女はまだまだ人間の範疇にいるということだろう。逆に言えば、桔音達は最早人間を完全に止めた行動をしているということになるのだけれど。

「…………もういや」

巫女は一切戦闘をしていないというのに、ドッと疲れるこのパーティの非常識さにぽつりと呟き、なんとなく感じる孤独感と置いてかれている感じをとても寂しく思いつつ、桔音達の後ろをゆっくり付いて行った。

しかしまぁ、同時にそんな規格外な桔音達が今は味方であるのだから、頼もしいという他ないだろう。ある意味敵対関係でもある巫女は、桔音の実力が以前よりも急上昇していることを確かめながら、凪の下へもうすぐ辿りつけると思い、気を引き締めた。

「ねぇ、そういえば私今の状況が良く分かっていないんだけど……なんで勇者を助けに行くの? 勇者なんて別に放っておいても良いんじゃないの? そこに初代勇者もいるみたいだし、1人いれば良いじゃん、勇者なんて。そもそも魔王は貴方が倒したんでしょ? なら勇者もいらないんじゃないの?」

すると、レイラが桔音の隣にやってきてそう聞いた。彼女は記憶がない故に、現在の状況を正しく把握していない。勇者を助けに行くということはなんとなく分かってはいるものの、ソレが必要なことなのかと思っているし、魔王が死んだというのなら勇者を無理に生かしておく必要もなくなったも同然だ。

なのに、桔音がわざわざ助けに行くというのは納得いかないのだろう。

ちなみに、魔王を倒したという言葉に関して、巫女は聞こえていなかった様だ。最後尾でなにやら息まいている。

「まぁ助けに行く必要はないけど、その初代勇者をこれから会う勇者に押し付けようと思ってるから、死んでもらっちゃ困るんだよねー」

「……なんというか、さっきから思ってたけど……貴方結構最低な性格してるね」

「正々堂々と卑怯な手を使ってるんだよ」

レイラが桔音の言葉に目をじとーっと細めると、桔音は何処吹く風だった。しかしまぁ、それが桔音のやり方なのだから仕方ない。面倒は少ない方が良いという思考は、そう間違ってはいない。

とはいえ、ソレで取った行動が更に面倒を呼んでいるあたり、運命力の酷さが分かる。

「はぁ……ヘンなの」

「君も自由の身の癖に素直に付いてくるんだから大概でしょ」

「…………知らないよ」

桔音に言われて、ぷいっとそっぽを向いたレイラは、少しだけ不満気に唇を尖らせていた。自分でも何故付いて来ているのかは分からないのだろう。

しかし、彼女は自分でも分からない感情に戸惑っている訳ではない。寧ろ、自分が桔音の傍に居ることが何かの答えであると、なんとなく理解しているのだ。だが、その答えがなんの答えなのかが分からずにいる。出した答えがどんな問題や壁を乗り越えて証明されたものなのか、それが分からないのだ。

「まぁ、いずれその問題もちゃんと解決してあげるから、とりあえず傍に居てちょうだい」

「……ふん、期待はしないでおくよ」

レイラはぽつりとそう言って、それ以上は何も言わなかった。

「さて……この先だね」

苦笑した桔音は、勇者の戦う広い空間まで後少しという所までやってきて、足を止めそう言った。もう此処まで来ると、剣戟の音や戦闘の息使い、そして誰かの声が聞こえてきている。

巫女が何かに気が付いた様な表情で、桔音の隣まで前にでてくる。

「あそこに凪君がいるよ。ささっと救いに行こうか、報酬は弾んでね」

そう言った桔音は、隣にいた巫女の後頭部をぱしんと叩いて、くるりと漆黒の棒を回した。