I Kinda Came to Another World, but Where’s the Way Home?
The responsibility of the brave
戦う桔音と凪、その両者を見ながら、レイラ達は手を出さずにいた。
正直な所、桔音が危険な様子は無かったし、また手を出すべき空気でもなかったからだ。咆哮とも叫びとも取れる絶叫が、広い空間に響く。
Aランク最大の迷宮の中で、人間と人間が戦うという事態は、おそらくこのメンバーでなければ確実に自殺行為だっただろう。仲違い、不和、亀裂、裏切り、敵対、様々な理由はあれど、どんな理由であれ人間と人間が戦えば疲弊し、魔獣によって喰われる……それが迷宮での鉄則なのだから。
だが、勇者となった異世界人と、勇者ではなかった異世界人との戦いは、その限りではない。凪の殺意は濃厚で、周辺の魔獣を威圧する。桔音の『不気味体質』は、周辺の魔獣を恐怖させる。Sランクの領域に至った者同士、Aランク迷宮でこの2人の放つ強大な威圧感に耐えられる魔獣は、この階層には存在しなかった。
初代勇者高柳神奈は、今代勇者芹沢凪を見て思う。
「……彼も、勇者として悩み、苦しみ、そして超えられない壁に出会ったのか」
彼女は、最初に召喚された勇者だ。だから、勇者としての苦悩や重責をしっかり理解している。
民衆は笑顔で自分に希望を抱き、自分はそれに笑顔で手を振る。なんと重いのだろうか……皆に振るこの手は、錆びついたブリキ人形の様に固く、重く、動くことを阻害する。笑顔でいることが、こんなにも辛い。あの希望に満ちた期待の眼差しが、重く圧し掛かって来る。
潰れてしまいそうなほど、『勇者』という肩書きは重い。
それこそ、ただの一男子高校生、女子高校生には背負いきれない程のプレッシャーがあった。期待に応えなければと自分自身の焦る気持ちが、更にそのプレッシャーを強く感じさせるのだ。
吐いてしまいそうなのに、その姿を誰にも見せてはいけない故に呑みこんだ。
強くならないといけないのに、何かを傷付けることに覚悟が出来なかった。
弱音を吐きたいのに、ソレを本当の意味で受け止めてくれる理解者はいない。
帰りたい。死にたくない。逃げ出したい。戦いたくない。傷付きたくない。傷つけたくない。悲しませたくない。救いたい―――そんな現実と恐怖は常に付きまとい、夢の中では自分が殺した盗賊や生物の怨念が襲い掛かって来る。
精神がどんどん擦り減って、死にそうだったのを、彼女は覚えている。
勇者は代々そうだった。皆、何処か誰も見ていない所でその弱音を圧し折っていた。吐き気を飲み込んでいた。擦り減る精神を根性で支えていた。
そして、誰にも見られない所で、弱音を吐いた。
お風呂のお湯に沈み、ぎゅっと瞑った瞳の端から涙をこぼした。気泡の音で掻き消す様に、弱音を吐いた。ベッドの枕に、嗚咽を隠した。建物の影に隠れて、逸る動悸を抑え込んだ。死にそうな心を隠す為に、自分で自分を傷付けた。
幻覚を見ることもある。幻聴を聞くこともある。周囲の人を信じられなくなることもある。勇者の重責は、とうてい1人で背負えるモノではないのだ。
彼女達は元々、英雄でもなんでもない――ただの子供なのだ。この世界に来て、少し規格外の力を得ただけの、戦いに怯える少年少女でしかないのだ。
「この世界で生きることは……勇者(わたしたち)にとって戦うことなんだよね」
彼女は凪を見て、同情の様な悲しい視線を送る。
凪はそのプレッシャーに耐え、そしてそれ故に桔音を敵に回した。行き急いだ結果、彼は勇者として大切な慎重さを見誤った。故に、崩壊した。勇者の重責と、それに耐えようと頑張っていた自分を完膚なきまでに否定され、挙句殺人者としての自分を見出され、心が瓦解した。
彼の心が崩壊したのは、別に桔音が悪いわけではない。しかしかといって、凪が悪いわけでもない。召喚したこの世界の人間でも、期待の眼差しを送る人々でも、襲い来る魔獣達でもない。
強いて言うのならば―――人の心は……現実を生きるには脆すぎた。
「頑張れ、勇者。君は今、『人』か『鬼』の境界線に立っている」
神奈は両手で祈る様に拳を作り、凪を励ますようにそう呟いた。
―――超えれば、人になる。
―――堕ちれば、鬼となる。
勇者は希望でなければならない。重い期待と、無責任な希望。ソレを一身に背負うのは辛いだろう。死にたくなるだろう。泣きたくなるだろう。吐きそうだろう。痛いだろう。厳しいだろう。苦しいだろう。逃げたくなるだろう。
でも、逃げたくない筈だ。
勇者に選ばれる人間は得てしてそうだ。この重責を受けて尚、逃げるという選択肢を投げ捨てる。立ち向かう強さを持っている。立ち続ける勇気を持っている。
神奈もそうだった。他の勇者達も、その栄光を創り上げるのに苦悩を乗り越えた。勇気を持って、過酷な運命の前に立ち続けた。
時には現実に。時には運命に。時には戦いに。時には孤独に。時には無情に。時には希望に。時には絶望に。時には期待に。時には涙に。時には苦悩に。時には責任に。時には命に。時には叫びに。時には自分自身に―――彼女達は立ち向かい続けたのだ。
「凪君……君は」
だから彼女達は……『勇者』と呼ばれた。
「勇者として、まだ乗り越えるべき壁を乗り越えることが出来る」
神奈は凪の苦しむ姿をじっと見据えて、ただひたすらに頑張れと祈った。
◇ ◇ ◇
桔音と凪の戦いは、桔音の方が優勢だった。
片や狂って我武者羅に突っ込んでくる猪で、片や冷静に技術を以って対応する狩人。現時点で自力の差はそれほどない故に、最早彼らの戦いは冷静さを欠いた方が狩られるという、一方的な戦いとなっていた。
斬り掛かっては棒で叩かれ、鍔迫り合いも僅かに蹴り飛ばされる。身体中は節々が痛み、余裕のある桔音と違って凪の動きは少しずつ鈍ってきている。
最早、この戦いで両者ともスキルを使っていないくらいの泥仕合。桔音は『死神の手(デスサイズ)』にスキルを付与した刃を付けてすらいないし、凪も『希望の光』を発動させる様子はない。この戦いで唯一使われてるスキルと言えば、桔音の『不気味体質』くらいなものだ。
「ぐぶッ……!? ぐ……ゥぅうぅ……!!」
「いい加減、狂って逃げるのは止めたらどう?」
「ぁ……ア……゛……!!」
桔音はそんな中で、先程からずっと凪に言葉を投げていた。狂って、桔音の言葉を聞き入れようとしない凪を、叩いて叩いて、届くまで言葉を投げかけている。
身体が動かない程叩きのめされた凪は、遂に限界が来た。その言葉を遮る為に斬り掛かることが出来なかったのだ。そうなると、嫌でも桔音の言葉について考えるしかなくなる。
がくりと膝が地面に付いた。足に力が入らない。動かそうとしても、全く動こうとしてくれない。剣を握る手から、力が抜けた。間近に剣が落ちたのに、どこか遠くから剣が地面にぶつかるおとが聞こえた様な気がした。
朦朧とする意識は、血濡れの視界と共に桔音を捉える。
「…………ど……して」
「何?」
初めて、凪は言葉らしい言葉を放った。
「……ど……ぅ、してだ……なんで……アン、タは……そんなに強く、在れるん……だよ……!」
桔音は、凪の言葉に目を丸くする。だが、桔音の返答より前に凪はぽろりと涙を溢して、必死に言葉を紡いだ。
「俺は……どうすれば、良かったんだ……勇者って、なんだよ……! 勇気って……なんだよ……! 何も救えないのなら……俺は、何のために……この世界にいるんだ……」
「……」
「努力はしたんだ……誰よりも……強くなる為に、吐く程……毎日毎日、殺す為の術を……学んだんだ……! 俺は……何者、なんだよぉ……も……分からない……!」
途切れ途切れ、でも涙と共に零れた言葉は全て彼の本心。桔音に全てを壊され、自分のやった罪にも、勇者としての重責にも押し潰された男の疲弊した本音。
だが、それを聞いて尚、桔音はたった1つだけ問いかける。
「……勇者(きみ)は、何のために人を助ける?」
びくっと、凪の身体が震えた。もう止めてくれと、耳を塞ぐ。ガタガタと震える身体からは、勇者という責任から逃れたいという、一種の挫折が見えた。折れてしまった枯れ木の様な、物寂しさがあった。悲哀があった。
しかし、桔音はそれを許さない。逃避を許さない。最後まで、現実と向き合わせる。
何故なら逃避(ソレ)は―――凪自身が望んでいないことだからだ。
「何のために」
「もう……止めて、くれ……!」
「君は」
「聞きたく……ない」
「人を救いたい?」
「嫌だ……!!」
桔音の再三の問いに、凪は蹲った。頭を掻き毟り、限界だとばかりに絞り出す様な声を上げた。何もかも投げ出して、普通の人間に戻りたいと思った。そんなに強いのなら、お前が勇者でもなんでもやればいいじゃないか。どうして俺が、こんなに苦しまなければならないんだ。そう、思った。
桔音の強さが羨ましかった。余裕綽々と笑みを浮かべ、不敵に現れては全てを打ち破る様に乗り越える。自分との戦いも、使徒との戦いも、自分よりずっと強い筈の敵を相手に立ち向かえるその強さが、凪には羨ましかった。もしも自分と桔音、立場が逆だったら……自分はもっと気楽でいられたのだろうか。
そう思うと、羨まし過ぎて―――眩しくも、憎たらしい。
「俺も……アンタみたいに生まれたかったよ……」
ぽつりと漏れたその言葉。桔音は苦笑する。
「僕は、僕みたいには生まれたくなかったかな」
過酷な運命、恵まれた才能、強くなれければ死ぬ世界、強くなれる恵まれたお城、死の恐怖を味わった者、生きる恐怖に怯えた者、桔音と凪、死神と勇者、虐められっ子と人気者。
正反対な両者はきっと、正反対だからこそお互いが理想に思えただろう。
この世界は残酷で、過酷で、生きていくには苦し過ぎる。
だから、凪は今になって桔音の様に生きたかったと思う。桔音は昔なら凪の様に人に愛されたかったと思う。
でも、今は桔音も、自分を大切に想ってくれる仲間に出会えた。
でも、凪の人生は、そんな風に生きられる現実にだけは恵まれない。
恵まれた者は、恵まれ続けるとは限らない。恵まれない者は、恵まれないままでい続けるとは限らない。
桔音は、そんな恵まれた環境から落ちていった凪を見て、あるいは自分が貶めた凪を見て、救いの手を差し伸べる。かつての虐められっ子は、かつての人気者に手を差し伸べた。
「レッスン2だ、勇者。君は、どんな(・・・)勇者になりたい?」
桔音は満身創痍の勇者に、薄ら笑いのまま更なる問いを投げ掛けた。
「考えろ、悩め、コレが勇者として最後の苦悩だ。でも大丈夫、難しい事じゃないよ―――だって、答えは君の中に全部在るんだから」
優しくも、辛辣な言葉。
現実は非情、問いは残酷、言葉は棘となり、勇者は苦悩の壁と向き合わされた。