「んーんーんー♪ ところで、今さっき私の話してなかった? いやーん、いくらおにーさんが私のこと大好きだからって他の人に言い触らさないでよ~恥ずかしいなぁもう♡」

両頬を軽く紅潮させながら、両手で頬を抑え、とても嬉しそうにそう言う屍音。足下には頭から地面に埋まり、血を止め処なく流す巫女と、胸から大量に出血しながら苦渋の表情を浮かべている凪。どうやらどちらも致命傷では無く、未だに死んではいないようだが、巫女は気絶し、凪は桔音との戦闘のダメージもあって満身創痍だ。動けないことに変わりは無い……このままなら出血多量で死に至るだろう。

桔音もソレを理解しているが、下手に動くことが出来ない。それほどの相手なのだ、この屍音という魔王の娘は。

彼女は倒れている勇者の傷口を踏んづけつつ、歩きだす。向かう先は桔音のいる場所だ。踏まれたことで走った激痛に、凪は呻き声を漏らすが、屍音は全く聞こえていないかのように、あたかもそこに凪がいることすら認識していないかのようにソレを無視する。

そして、桔音に近づきながらとても嬉しそうな表情で口を開いた。

「おにーさんが逃げてから、追いかけようと思ったんだけどね? おとーさんと違って私はこの大陸に来たことないからさ~……転移を使おうにも座標が分かんなくて困っちゃったよ。結局、そこらに居た魔獣とか魔族とかの骨とか皮とか、生えてた木とか使って船まで作ったんだよ? 船を漕ぐの疲れちゃった。まぁ、漕いだのも作ったのも私じゃないけどね!」

平気な顔で、同族の魔族達を殺して骨を船の一部にしたと述べる彼女。桔音を追い掛ける為だけに、彼女は魔族を簡単に殺したのだ。船の材料が足りないから、というそれだけの理由で。

流石は魔王の娘だ。自己中心的な考え方はしっかり受け継がれている。しかも、最も厄介な形でだ。魔王は良くも悪くも理性的だった。自分が中心の考え方で、自分が破壊したいから敵を破壊しても良いだろう、という考えの下だったが、その上で理性的な行動を取ることが出来ていた。時には撤退もすることがあったし、ある程度のルールを設けることを受け入れるだけの器量もあった。

しかし、この娘は違う。全てが自分の思い通りに動くことを望む思考をしている。それが当然で、常識で、当たり前の現実だと本気で思っている。悪い事など何も無い。自分がやるのだから、ソレが常識なのだという、捻子曲がった思考をしている。自己中心的思考の究極形とも言えるだろう。

桔音はそんな彼女の狂った思考と笑顔に、大きく溜め息を吐いた。

「で……屍音ちゃんは何をしに来たの?」

そして数mほどの距離を空けて歩みを止めた屍音に、桔音はそう問いかける。

「え? ソレは勿論、おにーさんに会いに来たんだよ! 本当ならおにーさんが会いに来なきゃいけなかったんだよ? そのヘンちゃんと反省してね? わざわざ私の方から会いに来てあげたんだから、おにーさんは私に殺されないと駄目なの。分かるよね?」

「ごめん、全然分かんない」

相変わらず突拍子のないことを当然の様に言う子だ、と内心で思いながら桔音はソレを否定する。

すると、屍音は桔音の言葉が気にくわなかったのか唇を尖らせて不満顔を作る。そして顎に手をやって、うーんと考えだした。その口から漏れた考えている内容が、普通に桔音にも聞こえてくる。どうやら独り言ではなく、桔音にも聞かせる様に言葉を発している様だ。

「うーん……なんで分かんないんだろう? 私が会いに来たら普通喜ぶよね……うん、此処までは合ってる……そしたら私が殺したいって言ってるんだから殺されるのが当然だよね……? 意味分かんない、おにーさん頭おかしいんじゃないのかな……? 大丈夫かな……」

「なんだろう、この僕が間違っている感じ。解せない」

憐れむ様な視線で見られ、聞こえて来た内容は、桔音にとってとても解せなかった。まるで桔音が間違っている様な空気を作られ、挙句憐れまれるとなると、それは不愉快なものだった。

屍音にとって自分というのは最早、神と同等かそれ以上の価値を持つモノらしい。その上で、自分の意志は絶対のモノだと信じて疑わずにいる。間違っているなんて少しも思っていない。

彼女にとっては、彼女がルールで、彼女が常識で、彼女が絶対なのだ。

「あのね? おにーさんは間違ってるよ。どんな常識を吹き込まれたのかは知らないけど、普通は私が殺したいって言ったら殺されないといけないんだよ? 私が会いたいって思ったら会いに来ないとダメだし、私に会えたら嬉しいなって思わないとダメなの……いいね?」

「頭おかしいんじゃないの君」

「あー……ダメだね。おにーさん、0点! 私の好感度を凄い下げちゃったよ……はぁ、もっと賢くならないと生きていけないよ?」

無自覚に桔音を乏しめる屍音。正直煽りの天才だと思った桔音である。何故此処まで自己中心的に育てるのか、逆に気になるくらいだ。最早一種の奇跡じゃないかとすら思えてくる。

とはいえ、屍音にはその自己中心を押し通せるだけの力がある。自分が世界の中心。寧ろ世界自体が自分の為にあるとすら思っているその強い我は、なによりも彼女自身の強さなのだろう。

思い通りにならないモノは欠陥品で、思い通りになるモノは優秀。ソレが彼女の採点基準で、その採点基準において、桔音は0点なのだ。彼女が生まれてから、これほどまでに思い通りにならない存在は父親である魔王を除けば初めてである。

屍音は大きな溜め息を吐きながら出来の悪い子を見る親の様に、頭を抑え、首を横に振った。その仕草が、桔音を更に煽っていることにも気が付いていない。

「まぁ良いや。とりあえずおにーさんは私に今から殺される。それだけちゃんと覚えてね」

「やだよ、何言ってんのお前」

「もう、ぐちぐちうるさいなぁ……この世間知らず!」

「こんなキレの良いブーメラン初めて見た……」

桔音の往生際の悪さに、遂に屍音は地団太を踏んだ。ぷんぷんと怒って、地面を何度か踏み付ける。それだけでビキビキと地面に亀裂が走っているのだから、笑えない。微笑ましい行動なのに、桔音は引き攣った笑みを浮かべるしかなかった。力の制御が出来ていないのだろうか、と思いつつ、ソレを日常に持ち込める分全力の凄まじさを物語っている。

すると、ツカツカと屍音は桔音の目の前にまで早足で近づいて来て、恐るべきスピードで桔音の胸ぐらを掴み、ぐいっと自分の顔の前に引き寄せる。鼻と鼻がくっつきそうなほど近づいた桔音と屍音の顔。

しまったと思った桔音だったが、しかし屍音の反応は全く別だった。

「んー……なんで言うこと聞かないかなぁ? 見た目は普通の人間なのに」

じろじろと桔音の顔を観察する様に見る屍音。その瞳にじっと見られると、桔音も余りの迫力にすっと目を逸らしてしまう。また、彼女も非常に整った顔をしている。幼いながらも、成長すれば将来有望の美女になるだろう。そんな彼女にじろじろ見られるのは、正直居心地が悪かった。

すると、目を逸らした桔音の不意を衝き、屍音は桔音の唇に噛み付いた。

キス、という訳ではないものの、口と口がくっついた事には変わりはない。動揺する桔音を余所に、屍音はその赤い舌を伸ばして桔音の口の中をぺろりと舐めた。噛みついたことで出来た傷から血を舐め取ったのだ。そうした後、口を離す。

「ッ……!?」

「んちゅ……あ、凄い美味しい。癖になる様な……うーん……でも中身もそんなに違わないと思うけどなぁ……何が違うんだろ?」

ぺろりと舌舐めずりをしながら、眉間に皺を寄せ、桔音をじっと見つめながら考え込む屍音。

未だに桔音の胸ぐらを掴んだままだ。どうやら彼女は、自分がこれほど言ってもいうことを聞かない桔音と、少し命令すれば低頭姿勢でへこへこ何でも聞いてくれる他の人間や魔族達を比べ、何が違うのかが気になったようだ。あの魔王でさえ、かなり強く言えば最終的に言うことを聞いてくれたこともある故に、桔音の頑として聞かない姿勢は、彼女にとって新鮮な態度だった。

桔音の容姿、匂い、味、触感、どれも普通の人間とあまり変わらない。気配は普通とはかなり違うのだが、それだって他の人間も1人1人違った気配を持っている。特に気にはならない。

屍音は分からないことに更に苛立ちを募らせた。目の前の桔音が、どうしても言うことを聞かないこともそうだが、その理由が全く分からなかったからだ。

「うーん……」

考え込む屍音。これはチャンスか? と思った桔音だったが―――

「飽きた! じゃ死んでね!」

「ごふっ……!!」

―――屍音は思考を放棄して桔音を殺すことにした。

云々と唸っていたものの、彼女は狂っている。まともな思考で物事を捉える筈も無かった。分からないのなら、分かる必要も無い。ただ興味が湧いたから考えてみて、飽きたから思考を放棄した。それだけのこと。

元々は桔音を殺しにきたのだ。ちょっとしたやりとりも、彼女にとってはただのお遊び。いうことを聞かないのなら殺すだけ。彼女にとって、いうことを聞かないモノは欠陥品で、ただのゴミだ。

胸ぐらを掴んでいない方の手で、桔音の腹を殴った屍音。その衝撃はおそらく、巫女を蹴った時以上の威力があっただろう。

しかし、屍音から逃げてから既にかなりの時間が経っている。その間で桔音も何もしなかったわけではない。ステータスを戻す為に海のプランクトン相手にレベル上げをし、この迷宮に入ってからも膨大な量の魔獣を瘴気に変換することで倒してきた。あの階段の蟲など、数万匹いたのだ。1匹倒す度に、とは言えないが、あの蟲達に関しては十数匹変換するごとにレベルを1に戻し、その繰り返しを高速で行っていた。

桔音のレベル上げは、つまりステータスの急激な向上を示す―――つまりだ。

「あれ?」

「あー、死ぬかと思った。でも、ギリギリ勝ったみたいだね」

殴られた桔音は、けほっと咳き込みながらもノーダメージだった。流石の屍音も目を丸くする。

桔音の耐性値が、屍音の攻撃力を僅かながらに上回ったのだ。本当にギリギリ故に、本当なら防ぎ切れてはいなかったのだが、『痛覚無効』に加えて『物理耐性』が働いた結果、防ぎ切れたのだ。

屍音に漆黒の棒を振るうと、桔音の胸ぐらを放して屍音は桔音から少しだけ距離を取る。

「あれれれれ? おっかしーなぁ? 人間のクセに壊れない……ヘンだなぁヘンだなぁ?」

首を傾げる屍音。戦闘に入ったからか、だんだんとその言動に狂気が混ざり始めていた。

「おかしいとは自分でも思うよ……でもまぁ、魔王の娘如きに殺れる、死神じゃないよ」

桔音は薄ら笑いを浮かべながら、その手に握った漆黒の棒の先端に、同じく漆黒の刃を付ける。薙刀『病神(ドロシー)』……桔音の愛用する、瘴気の刃で出来た薙刀である。

しかし、先程は拳だったから防げたものの、例の魔力剣やまだ見ぬ力を発揮されれば防げないのも事実。一撃で命を削り取られる可能性は、まだ十分過ぎるほどに高い。

なんとか逃げられないかと、後方に立っているレイラ達をちらりと見る桔音。すると神奈以外、何かに押し潰されるかの様な様子で地面にへたり込んでいた。魔法使いのシルフィなど、呼吸まで荒い。どうやら桔音は平気だったようだが、此処に登場してからずっと……屍音の狂気や威圧感は、この空間を押し潰さんばかりに君臨していたらしい。

それなら、桔音がいうことを聞かないことに疑問を抱くのも分かる。自分の『威圧に耐えられる存在』自体、まず見たことがないのだから、仕方ないことだったのだろう。

これでは、逃げるのは出来なさそうだと判断する。

「本当、敵に回したくない子だ……」

そう呟いて、桔音は『不気味体質』を発動させる。その空間に存在していた屍音の威圧を押し退け、鬩ぎ合う様に火花を散らした。

そして――

「アハハッ! ぶっころーす☆」

――にっこりと笑いながら狂気を振り撒く屍音のそんな言葉で、桔音と屍音は衝突した。