その日のクレデール王国は、何処も彼処も騒然としていた。それというのも、国中に伝達された"訃報"があったからである。その内容とは、

――クレデール王国騎士団騎士団長の殉職だ。

その一報が与えた、騎士団に対して多大な信頼を置いていたクレデール王国の国民達、王家、それらを目指す子供達への衝撃は大きい。当然騎士団のトップが死んだことによる騎士団の弱体化や機能停止を心配してしまうのだが、そこは普段の騎士団長や隊長達の教えが良かったのか、騎士達が各々自分で考えて動くことでなんとか表面上はいつも通りに振る舞うことが出来ていた。

というのも、騎士団長達は普段から自分達がいなくなった際の指示をしっかり出していた。単純明快、とてもシンプルな方針に従って動けばいい。

民を第一に行動すべし。

騎士の剣に誇りを、民の命に心臓を、国の平和に魂を賭ける。それが騎士であり、クレデール騎士団の掲げる指針だ。

だが、不安を募らせる情報はそれだけではない。騎士団長が殉職したのなら、残る副団長や隊長達はどうなったのか―――答えは簡単、全員お互いで殺し合いでもしたかのように重傷を負って治療中だ。目を覚ました者はおらず、情報は騎士団内だけに収まっているものの、今も尚生きるか死ぬかの境界線を彷徨い続けている最中である。そのことは、民の前では元気に振る舞う騎士達の内心に不安と焦燥と心配を募らせていた。

しかし疑問なのは、何故騎士団長は死んだのか。幾つも刺された後があり、片腕を斬り落とされた状態で死んでいた騎士団長は、確実に何者かによって殺されている。そして隊長達の剣には、お互いを斬り付けた様に血が大量に付着していた。

一体あの会議室で何が起こったのか、あの場所に何がいたのか、彼らは一体何と戦ったのか、何のために剣を抜いたのか―――それが全くの謎なのだ。そのことがまた、騎士達の中の不安を加速させる。

「一同―――騎士団長の殉職に……黙祷ォ……っ……!!」

騎士達は、民達の目の届かない詰所の中で――涙を流し、そして騎士団長の殉職に黙祷を捧げる。隊長達、副団長がいて、尚騎士団長の死は免れなかった。その事実は、騎士達に凄まじい脅威が現れたことを理解させる。それは化け物の様な存在なのか、それとも凶悪な思惑なのか、はたまた不意の事故だったのか分からない。しかし、どんなものであろうと人間を1人殺したその脅威を、彼らは許しはしない。

強く、そして誇り高い騎士団長が、副団長達を護れずに死んだ。

「どんなに……っ……無念だったか……ッ……!!」

黙祷を終えて顔をあげた騎士達の顔には、民には見せられない涙があった。騎士団長の想いを考えれば、騎士として何も護れずに死んだ事の無念がどれほど、胸を痛めたか。剣で貫かれた痛みよりも、きっと痛かった筈だ。

騎士達は騎士団長を想い、流した涙を拭い去る。

―――やらねばならないことが、ある。

騎士団長の為に、その無念を晴らす為に、騎士としての誇りを貫く為に、彼らにはやらねばならないことがある。

騎士団長が死を以って知らせてくれた、脅威の存在。これ以上その存在に命をくれてやるものか。その為に、自分達は騎士としてその剣を振るわなければならない。民を護り、そして騎士団長の誇りを護る。その場に居た全員が分かっている。流した涙の分、彼らの心に覚悟が生まれる。

騎士達は順々に手の空いた者から、騎士団長の剣に黙祷を捧げた。捧げ終えた者から、その顔付きが変わる。まるで騎士団長に一喝して貰った様な気すらしていた。

ビリビリと、肌を振るわせるあの大声を覚えている。

最前線で剣を振るい、最も多くの命を救った背中を覚えている。

誰よりも気高き誇りを、民の為に貫き生きた男を覚えている。

彼は此処で戦い、此処で生き抜き、此処で死んだ――だが、その魂は受け継がれる。

必ず、必ず、必ず、必ず――!!

「その誇りは、これからも我々が貫きます……!!」

騎士達は信じている。騎士団長の誇りが気高いものであったことを。隊長達がこの程度のことで死ぬ筈がないと。だから戦うのだ――民はまだ、生きている。1人でも多くの命を救え、脅威など魂の限りを尽くして斬り払え、この国を護る剣にして盾が騎士だ。

民に見せる涙は無い。常に気高く、屈強であれ。クレデール王国の騎士は、憧れによって夢となり、努力によって現実となり、誇りを以って剣となるのだ。

彼らは今日も――熱い信念で自分を奮い立たせ、民の前に立つ。

◇ ◇ ◇

今日はとても、授業に身が入らなかった。

魂が抜けた様に身体が動かず、休み時間もずっと茫然と教室の風景を眺めていた気がする。授業で先生が何を言っているのかも理解出来ず、全く別の世界に来てしまった様な気さえした。

何故身体が動かないんだろう。何故授業に身が入らないのだろう。何故何もやる気が起きないのだろう。声を出すことすら億劫で、ペンを持つことすら面倒で、何処に向かえば良いのかすら分からない。

馬鹿になってしまったのだろうか。頭が悪くなってしまったのだろうか。それとも何かの病気にでも罹ってしまったのだろうか。

今朝からずっとこんな調子だ。どうしてしまったのだろう。どうしていつも通りに振る舞えないのだろう。まるで永遠に抜け出せない迷路にでも迷い込んでしまった様な感覚。

―――死んだ?

こうなるといつもはどうやって生活していたのか全く分からなくなる。どうやっていつものように振る舞っていたのか分からなくなる。どうやってたっけ、どんな感じだったっけ、どうしていたっけ。ぐるぐると頭の中をぐちゃぐちゃした物が回っていき、そして雑音の様な不快感を与えてくる。

どうしようもなく、なんだかあの場所へ行きたくなった。

こういう時は、きっと疲れているに違いない。ならば、少し休めば気が晴れると思った。あの場所に行きたくなった。いや、あの場所に限らない。あの場所が一番、可能性が高かったから行きたくなった。あの場所なら、多分いるはずだから。

空虚な内心で、押し潰される様に重い身体を動かす。よろよろと揺れた身体を、なんとか両足で支えて歩く。熱で身体が魘されていた時の様に、ふらふらと身体がふらつく。気分は別に悪くないし、体調だってすこぶる良いはずなのに、どうしてだろう。

じわじわと、何かに迫られている様な感覚があった。

とても怖い何かに追いかけられている様な感覚。身体は鈍重に動いているけれど、内心では多分その何かから必死に逃げている。恐ろしい。きっとその正体を知っているのだけど、知らないふりをして逃げている。

―――殺された? 

こうなったのはいつからだろう。朝起きた時にはまだ元気だった筈だ。いつも通りベッドで目覚めて、いつも通り同居人と軽く会話して、いつも通り身支度を整えて、いつも通り登校した筈だ。じゃあ多分授業が始まる前の先生の挨拶の辺りからだと思う。

先生が確か、そう――何かを知らせていた。周囲が騒然としていたのを覚えている。ただ、その内容を覚えていない。いや、覚えているはずなのに、思い出せない。思い出そうとすると、思考が空回りする様な感覚を覚える。

ふらふらと足取りは重い。けど、教室から出て廊下を歩く。周囲の生徒達が、何故か同情する様な目で見てくる。鬱陶しい、こっちを見るな、同情される謂われはない。体調が悪い様に見えたのだろうが、そんなことはないし歩くのに支障はない。放っておいてほしい。

ああいけない、なんだか今日は周囲に対して苛立ちを覚えてしまう。いつもなら受け流して無視していられるのに、今日は周囲の視線に一々敏感になっているみたいだ。

早く休もう。そう思って足に力を込めたけれど、歩く速度は変わらず鈍重なままだった。

じんわりと、胸の中で広がる屈辱感を覚えた。なんでか凄く悔しくなって、だんだんと俯いていく。どうして、こんなにも悔しいのだろう。どうして、こんなにも苦しいのだろう。どうして、こんなにも胸が痛いのだろう。辛い。進む足が少しだけ、早足になってくれた。

廊下を抜けて、校舎を飛び出す。ふらつく身体で急ぎ足になった結果、躓いて転んだ。膝を擦りむいたのかちょっと痛い。でも、心の方が痛くて、全然気にならなかった。立ち上がり、また早足に寮に向かう。人気が少なくて、今はちょっと気が楽だった。

階段を上がって、なんだか呼吸するのが辛い中自分の部屋の前に辿り着く。ポケットから鍵を出して、震える手を抑えながら開けた。そして、ノックもしないままに中へと飛び込む。

すると―――

「あれ? 今日は早いねぇ……おかえりーフランちゃん」

いつも通りに迎えてくれる、愚か者が、いた。

すると、心の箍が外れた様に涙が零れた。いつも通り過ぎて、いつも通りの調子で、何も知らない様な顔をして、素のままの私を受け入れる様な声で迎え入れてくれたから、私は気を張る必要がないと思ってしまったのだ。

だから、目を逸らしていたことに向き合うことが許された。気丈に振る舞う為の意地と自尊心が剥がされた。追い掛けて来ていた恐ろしい何かから、一時開放された気がした。

「えぇっ!? なに? 僕何かした!?」

へなへなと座りこんで泣きだした私を見て、置き物だった彼は慌てて駆け寄ってきた。特に悪い事をしたわけじゃない。いつも通り、そこに居て私を迎えただけだ。

でも、やり切れない想いから、私はいつも通り彼を悪者にして――彼の胸を叩いた。駄々っ子の様に、ぽすんぽすんと叩く。

彼はそれを何も言わずに受け止め続けた。私が落ちつくまで、口を閉ざし、何をするでもなくその胸を貸してくれた。

今はそれがちょっとだけ、頼もしいと思えた。

◇ ◇ ◇

唐突に帰ってきたフランが泣きだしたことに、桔音は少々慌てた。駆け寄って心配したものの、声をかける前に彼女が自分を叩いてきたので、何も言えなかった。何度も何度もポカポカと胸を叩いてくるので、させるがままにしてとりあえず落ち着くのを待つ。防御力高めなので、何度叩かれようと特に痛みは感じない。

ただ、部屋に帰って来た途端に何時も気丈で凛としていた少女が泣きだすというのは、中々罪悪感を感じるものだった。自分が何かしてしまったのだろうかと思い、少々思考を巡らせる。

――そういえば、今日は周囲がざわついていたなぁ

そんなことに気が付く。なんとなくそう思っていただけで、その原因までは気が付いていなかったのだが、もしかしたらそのことが原因なのではないだろうか。何故あの時先生の話を良く聞いておかなかったのか、そんな感じに思ってしまう事は多々あるだろうが――こんな世界に来てまでそう思うとは思わなかった。

とりあえず、レイラが何か言っていた気がして必死に思い出す。

「……なんだっけなー……えー……」

泣き続けるフランの肩に片手を置いて、もう片方の手は自分のこめかみ。うーんと唸りながら思い出す。

『騎士団長が殺されたって、一体誰がやったんだろうね♪』

すると、なんとかそれを思い出した。成程、この国の騎士団長が死んだのか――と、そんなことを考えている場合ではない。桔音はもう少し思い出し、確か騎士団長の名前はベイス・エリュシア――

そこまで考えて、『あ』と内心で気が付く。エリュシア、つまりフランと同じ家名だ。ということは、もしかしなくてもフランとその騎士団長は親子関係であるのではないだろうか。先日フランの就寝スタイルにきっちり教育を施したまともな父親さんだ。聞けばフランはその父親にかなりの尊敬と信頼、親愛を置いていたようだった。

その父親が死んだというのだから、彼女のショックは測り知れないものだろう。おそらく、桔音がドランを失った時よりもずっとショックだった筈だ。それなのに、きっちり学校で授業を受けて来て、自分の足で此処まで帰ってきた。それだけでも、彼女がとても強い少女であることが分かる。

「うっ……ぅぅう……!!」

『どうするの? きつねちゃん?』

泣きやむ気配の無いフランの攻撃を受け止めながら、ノエルの問い掛けに思考する。どうするかな、と思いながら、騎士団長が殺されるという事態は結構重いよねぇと考える。そして、もしかしたら何か得るものがあるかもしれないと結論を出した。

そして、

「(とりあえず、明日は休みだから騎士団詰所に行ってみようかな。フランちゃんも連れていこう、都合良いし)」

『泣いてる子を前に酷いなぁ……きつねちゃん最低』

桔音はとりあえず、この一件に関わってみることにしたのだった。