ある日の教室、授業も折り返しの昼休み。

各々食事を終え、余った時間を友人との談笑に勉強に、はたまた趣味にと使って過ごしている光景の中で、レイラは自分の席で頬杖を突きながら退屈そうにしていた。

普段であれば桔音やしおりと一緒にいる時間ではあるが、今日は桔音が教師から何やら仕事を押し付けられており、しおりも委員会か何かの用事で席を外している。

レイラは一人取り残された状態で、退屈な時間が過ぎるのを待っていた。

クラスメイトはそんなレイラに話しかけようかどうかそわそわしている。桔音に対して目に見える愛情表現をするレイラだが、その整った見た目と自由気ままな立ち居振る舞いは人を惹きつけていた。まぁ、それでも話しかける勇気のある者はいない。

すると、そこへ近づく人影が現れた。

「レイラちゃん♪ 退屈そうだねぇ、ふひひっ♪」

「っ……ノエル、急にくっつかないでよ」

「相変わらず、きつねちゃんの前じゃないと口調に軽快さがなくなるね~」

現れたのはノエルだった。

背後から抱き着きながら現れた彼女に、レイラは鬱陶しそうにため息をつく。ノエルはそんなレイラの対応にクスクスと笑いながら、その身体を離して彼女の前に回る。

レイラは元々Bランクの冒険者でありSランクの魔族でもあったので、その辺の気配察知スキルは高いのだが、ことノエルに関してはそれが上手く機能しない。元々が幽霊であったからか、彼女の気配は酷く稀薄なのだ。今のようにコッソリ近づかれたら、察知するのは中々難しい。

そんな彼女の言葉にレイラはそっぽを向いたが、ノエルは気を悪くした様子もなくレイラの前の席に座る。別の誰かの席だが、空いているので問題はないだろう。

「別に意図して変えてるつもりはないけど……」

「くふふふっ♪ 分かってるよ、レイラちゃんは良くも悪くも素直だからね。寧ろきつねちゃんの前で見せる口調が特別なんだよ」

「そんなに変わってる?」

「わかりやすいよ、とっても♪」

桔音の前では口調が変わると言われても、レイラはそんな自覚はない。

桔音と出会う前まではいつでも口調が軽快になっていたようにも思うが、桔音と出会って恋をしてからは桔音と一緒にいる時が一番気分が良く、口調に目に見えて変化が出るようになった気もする。

レイラ自身に口調の変化の自覚はないが、確かに気分の良し悪しはわかりやすくなった自覚はあったので、ノエルの言葉に若干唇を尖らせた。

するとノエルは楽しそうに笑いながら、一冊の雑誌を机に置く。

「? 何これ、雑誌?」

「退屈そうにしてたから、良かったら読んでみたら?」

「……"恋人との理想の身長差"、"今年のモテカワコーデ"、"デート中の好きなシチュエーションランキング"……目がチカチカする」

「向こうの世界と違って、年頃の女子は異性にモテるための術を学ぶんだってさ。向こうにもファッションやお化粧の文化は色々あったけど、こっちの世界はその辺の技術や種類が段違いに豊富なんだよ」

「ふーん……」

ノエルの説明を聞きながら、レイラはあくまで頬杖の姿勢を崩さずにペラペラとページを捲って流し読みしていく。

確かに自分たちが元居た世界と違い、こちらの世界では異性にモテるための術があらゆる視点から研究されているらしい。服の合わせ方、それぞれの肌色に適したメイク術、異性の好む仕草、身長や体重の理想値……様々だ。

だがレイラは普段の振る舞いに反してずば抜けて頭が良い。

少し考えればその雑誌に記載されている内容のほとんどが一般的な観点からの統計でしかなく、その全てを実行したところで意中の相手にハマるわけではないとすぐに分かった。レイラの興味を引きたいのであれば、対桔音用の恋愛マニュアルでも持ってくるべきである。

「! ……」

すると、ペラペラとページを捲っていたレイラの手が止まった。

ノエルは何か興味を引かれるものがあったのかと、前の席からそのページを覗き込む。

「……ノエル」

「くふふっ♪ なに?」

「今日の放課後、ちょっと付き合ってもらえる?」

そうしてページに目を通したレイラは顔を上げ、ノエルにそう言った。ノエルもまた、そのページを読んでレイラが何を思ったのかを理解し、楽しそうに笑う。

そして見開かれていた雑誌をパタリと閉じながら、頷いた。

「楽しいデートになりそうだね♪」

ノエル・ハロウィンは、こういうイベントが大好物である。

◇ ◇ ◇

そうしてやってきた放課後、桔音としおりが驚いた顔で見てきたのを尻目に帰宅し、レイラはノエルと共に街のショッピングモールにやってきていた。

制服ではなく一度私服に着替えてからの待ち合わせ。制服でもよかったが、今日の目的を考えると私服の方が都合がよかったのだ。

そうして集合した二人は、ショッピングモールで行き交う人の中を歩く。平日ということもあってさほど混雑しているわけではないが、それでも人の多さに少々目が眩む。このショッピングモールだけで、元居た世界では見られない人込みだからだ。

「それにしても、レイラちゃんもそういうことは気にするんだねぇ」

「……あの雑誌は一般的な観点から平均的にこれくらいが異性に好まれるってだけの内容だったけど、コレに関しては数字が物語ってるし、納得できたからね」

スタスタと歩くレイラの周りをちょこちょこと動き回るノエル。

元の世界では幽霊として浮遊していたからか、自分の足で歩くという感覚を楽しんでいるようだった。まるでダンスを踊るようにタンタタンとステップを刻みながら歩く姿は、

その悪戯な表情も相まってはしゃいでいるのだと目に見えて分かる。

きつね君もこんな感じだったのかな、なんて思いながら、レイラはノエルにぶつからないように歩を緩めた。

「ねぇねぇ、そんなに急がないでさ、折角来たんだからちょっと見て回ろうよ♪」

「……私の用事で来たんだよ?」

「こうして付き合ってるんだから、私にも得があるべきだと思うけど?」

「……はぁ、わかったよ」

ノエルの言にも一理あったので、レイラは仕方なく頷く。

レイラは元々マイペースで人を振り回すことが多い性質だったが、ノエルもそれは同じだった。頭脳はレイラの方が数段上でも、頭の回転においてはノエルの持つ自由さが勝るようである。

それはおそらく、四六時中桔音と行動を共にしていた影響かもしれない。口先が異様に上手い。

レイラが頷いたのを見てノエルはタタン、と軽快なステップで興味の引かれた店へと入っていく。レイラもゆっくりとその背中を追いかけた。

ノエルは元々幽霊で、そうなる前は小さい子供の頃から実験体として拷問染みた実験に掛けられる日々を送っていた。つまり元居た世界でもありとあらゆる娯楽やありふれた生活に馴染みがない。

桔音と行動を共にしてからは異世界でも色々なものに興味を示していたくらいだ。ベッドやお風呂、食事、衣装に街並み、その全てが見慣れぬ新しい景色だった。そんなノエルがこっちの世界にやってくれば、もう目に映る全てが未知の代物。

ノエルにとってこの世界は、その全てがファンタジーなのだ。

「レイラちゃん、この服可愛い♪ 動物が描かれたシャツだよ! これなんて動物かな?」

「ウサギだよ……向こうじゃ角の生えた奴がいたっけ……魔獣だったけど」

「なるほどねー、こっちじゃ魔獣はいないもんね。平和平和♪」

「それ買うの?」

「ううん? ステラにお小遣い制限されてるから、やめとく」

もう何件目かで入った服屋。

その中にあった動物のTシャツを広げていたが、レイラの言葉でノエルはそれを棚に戻す。

彼女の家ではその財源をステラが管理しているらしい。というのも、彼女たちの生活費は、おそらく神による操作で大体向こう十年分の資金が口座に存在しており、そこから出ているのだ。

成人してからは自分たちで収入を得なければならないだろうが、それでも無駄遣いはするべきではないということで、ステラがその辺を管理している。

自由気ままなノエルや引きこもり体質のメティスに際限なく資金を与えてしまえば、すぐさま素寒貧になるだろうからだ。

ノエルもメティスも、その辺のことはわかっているからこそステラには頭が上がらなかったりする。

「さて、それじゃあそろそろレイラちゃんの目的のお店に行こっか♪」

「そうだね……」

あれやこれやと目移りするノエルに振り回されたレイラだったが、ようやくノエルが満足したのか本題に入ることに安堵した。

すっかり疲れた様子のレイラだったが、それでも今回の目的を果たすために今一度気を取り直す。

結局何店舗も見た割に何も買わなかったノエルの未だ元気な様子にぐったりしつつ、レイラは目当ての店へと足を運ぶのだった。

◇ ◇ ◇

そうして二人がやってきたのは、レディース専門の靴屋だった。

最近オープンしたのか内装は中々綺麗で広い。若者に人気のブランドらしく、店内にはレイラたちのような若い少女たちが多かった。

レイラたちが店内に入ると、その少女たちから視線を浴びる。レイラの白髪と赤い瞳はどこへ行っても目立つが、そのカラー以上に容姿が整っているからだ。その場にいた少女たちは思わず溜息をついてしまうほど、レイラは魅力的だった。

無論、一緒に入ってきたノエルもレイラに負けず顔立ちが良い。

なにせ美の象徴といっても過言ではないステラの素になったのが彼女なのだ。普段の振る舞いからあまり目立たないが、彼女も十分美少女なのである。

しかもレイラと違って黒髪黒目、さらに纏っている雰囲気がどこか不思議なタイプで神秘的。どこか掴めない空気を持つ彼女は、レイラと並んでなお特別さを感じさせる。

そんな二人が入ってきたのだ。

店内の空気が固まるのも仕方がないだろう。実際、今まで入ってきた全ての店でそうなったのだから、二人ももう慣れたものだった。

「それで、レイラちゃんはどんな靴が欲しいの?」

「ブーツ」

店内の空気を無視して問いかけてくるノエルに、レイラは短く答えて階段へと足を運ぶ。

この店は三階建て、色々なジャンルの靴を取り揃えているのか、階層ごとにテイストが違う。一階は一般的な靴がおいてあり、スニーカーなどカジュアルなものとフォーマルな革靴などが並んでいた。

レイラが向かった階段を登って二階には、雰囲気が変わってパンク系やゴシック系のものを取り入れた靴が並んでおり、三階にはスポーツ系、登山用や雪競技のゴツイ靴が並んでいる。

二階にやってきたレイラは早速ブーツのコーナーに足を運び、ずらりと並ぶブーツを見て回る。

膝まであるような物から、ふくらはぎまでの短めの物、使う素材も種類が豊富だ。その中でレイラは二、三足ほど選んで、設置されている小さい椅子に座って試着しようとする。

「あのページを見てどうするつもりなのかなーって思っていたけど、なるほどねぇ♪」

「……うるさいよ」

短めの黒いブーツを履き、紐を括るレイラ。そのブーツはサイドジッパーになっているもので、履き口にはベルトが付いていた。素材はレザーで、低めではあるがヒールの付いたブーツだ。

レイラが元居た世界で身に着けていたのも似たような黒いブーツだった。違いがあるとすれば、ヒールやサイドジッパーなど、靴の構造くらいだ。

だが、レイラにとってはその違いこそが重要だった。

両足共ブーツを履いて、レイラは試しに立ち上がる。ヒールの分だけ、二、三センチほどレイラの目線が高くなり、鏡で見ると足も若干長く見えた。元々スタイルが良いのでさほど変化はないが、それでもレイラは真剣な表情で何かを確かめている。

「横に並ぼうか?」

「……お願い」

「♪」

ノエルが妙に姿勢を正してレイラの横に立つ。

ノエルの身長は、普段の姿勢の差で分からないがステラとほぼ同じ。桔音より若干低い程度だ。レイラよりずっと背が高いのだが、今のレイラと並ぶとそこそこ丁度いい身長差になっている。

レイラはノエルとの身長差を見て、一つ頷いた。

そのあと他の靴も履き比べてみたものの、最初に履いたブーツが一番しっくりきたのかほかの靴は元の棚に戻している。

「それにするの?」

「うん♪」

「……くひひっ♪」

レイラの返事が上機嫌な時の口調になっているのを感じて、ノエルはクスクスと笑う。

そうしてレイラが会計を終えて戻ってくると、その場で履き替えたのかレイラの足は購入した靴に代わっていた。ヒールでは歩きやすさが変わるものの、流石に身体の使い方が上手く、すぐに慣れるレイラ。

ノエルはそんなレイラの上機嫌な表情がおかしくて、ツボに入ったようにクスクスと口元を隠して笑っていた。

レイラはそんなノエルにムッとなって、ジト目で睨む。

「……なに?」

「くふふっ……レイラちゃんって、ほんと可愛いよねぇ♪ くふふふっ……♪」

「……別にいいじゃん」

「きつねちゃんはそんなの気にしないと思うけどね……でも、いいと思うよ」

「もう知らない、帰るよ」

揶揄うように笑ってみてくるノエルに、レイラは頬を膨らませて帰路につく。用事は済んだとばかりにスタスタと歩いていくので、ノエルはその背中を見ながら肩から掛けていたかばんから例の雑誌を取り出した。

パラパラと捲り、レイラが読んでいたページを開く。

「"恋人とキスするときの理想の身長差"……確かに、レイラちゃんときつねちゃんじゃちょっと身長差がおっきいもんねぇ……♪」

コツ、コツとヒールが地面を鳴らす音がレイラの足元から響く。

その音のリズムはどこか軽快で、彼女の機嫌が良いことを伝えてくれる。ノエルはかばんに雑誌を仕舞ってその後ろを付いていく。

いつか桔音の方からキスして貰えたら――……。

そんないつかを胸に抱くレイラの恋心に、ノエルの胸も高鳴っている。

この世界でようやく動き出した彼女の心臓。

ノエルの心はいつだって、素敵なトキメキで溢れていた。