「……本当にまだみたいね」

「ええ、あいつらはもう一時間以上はこの公園にいると思うんですが」

土屋はなかなか話を切り出せずにいるらしく、おかげで肝心な瞬間には間に合ったものの。俺達の前にまた新たな問題が発生していた。

「肝心な瞬間がそもそも訪れるのか問題、ですね」

「……訪れるわよ、きっと、ええ」

土屋と村崎がギリギリ見える距離のベンチからふたりの様子を伺っているが、ふたりを発見してからこれといった動きは未だない。村崎が愛用の一眼レフをじっと池に向け続け、土屋は落ち着かない様子で村崎とカモを交互に見て……がもう十分近く続いている。

「ちなみにミオさんから見て、今日の土屋はどうですか」

「背が高いと思う」

「それは昨日も一昨日もそうですね」

土屋は身長一八〇センチはなかったと思うので、実際は普通より少し高い程度だが。姿勢がよくて筋肉質だから大きく見えたりもするのだろう。

「あと日焼けがすごいと思うわ」

「冬でも黒いのかは俺も気になるとこですが、そこではなくてですね」

「え?」

「ほら、服装とか」

「服……」

「あとはシチュエーションとか」

「シチュエーション……」

「その辺がミオさんから見てどうかなと」

男一匹、勝負の日。となればやはり普段通りというわけにもいかないものだ。気合を入れて然るべきとはいえ、気合を入れすぎて空回りしたり、自己満足で的はずれな準備をしてしまうというのもよく聞く話なわけで。

こういうのはやはりミオさんの、女性の目から見てどうかだろう。

「あ、ああ、そういうことよね、ええ」

「そういうことです。どうでしょう?」

分かっていたような素振りをしたので、深くは追求しないことにした。

「服は……。うん、いいと思う。黒だったらもっと締まったかもしれないけど」

「普段の仕事着がグレーとか黒ですからね。変化を付けたかったんでしょう」

いつもはジャージとかのスポーツ系な格好が多い土屋だが、今日はさすがにジャケット着用らしい。あの紺色のジャケットにそれなりに奮発しただろうことは、同じ会社で同じ給料をもらっていた身だからよーく分かる。

「昼間の公園っていう時間と場所もいいわね。気取りすぎない感じで安心感があるわ」

ミオさんの目つきが鋭い。たぶんだが仕事で案件の良し悪しを見定める時と同じ目線になっている。

「つまり、準備は問題ないってことですね」

「うーん……」

「え、違いますか?」

「タイミングの問題があるかもしれない」

「タイミング、ですか」

「たとえば時限爆弾を解除しないといけない時なら、切るケーブルが分からなくなったところで大事な話を切り出せるわけだけど」

「言わんとしていることは分かります」

もっと一般的な例えをするなら、レストランで食後にケーキを出してもらうよう店に頼んでおくとかになるだろう。そうすることで否が応でも腹を決めないといけない瞬間がやってくるわけだ。

「ここだとカモがいる限り時間無制限よ」

「なるほど」

だからずっとああして動けずにいるのだろう。こうして話している間にあった変化はといえば、村崎のファインダーの俯角が大きくなったくらいである。あまりに微動だにしないせいかカモの警戒心が薄れて寄ってきた、というところか。

この調子ならしばらくは現状維持もできるだろう。しかし時間が経ちすぎるのもそれはそれでよくない。

「こうなってくると、また別の問題も出てきますね」

「別の問題?」

「ええ、できればフォローしたいところですが……」

「うっかり手を出すとヤブヘビになりそう」

それでも呼ばれてきた以上、成功に近づけるようフォローできるならしてやりたいのも事実。とれる方法は限られている中で最善手を思案する。

休日の公園、水鳥、ランニングコース。この状況を活かすとするならば。

「ミオさん、ちょっとここにいてもらってもいいですか?」

「どうしたの?」

方法は思いついた。あとは必要なものを揃えるだけだ。

「ちょっとパン買ってきます」

「…………えっ?」

ミオさんにこの場を任せ、俺はコンビニへと走った。

「戻りました。何か動きはありましたか?」

「カモがきらんちゃんにますます近寄ってきたわ」

「なるほど」

どうやら間に合ったらしい。

息を整えてから、ミオさん座るベンチにコンビニ袋を置いて俺も座る。袋の中身を覗いたミオさんは、何かを悟ったように表情を硬くした。

「松友さん」

「なんでしょう」

「お昼ごはんが食パンオンリーはちょっとつらいと思う。せめて飲み物かバターを……」

「違います」

俺がコンビニで買ってきたのはただの食パンだ。スーパーよりもだいぶ割高だったが、土屋と村崎のためと割り切った。

「お昼ごはんじゃないの?」

「ええ」

「じゃあ何に……?」

時間をかけすぎたことで生じるもうひとつの問題。それを解決するために必要なのがこの食パンだ。

「ミオさん、たくさんある中から何かを選ばないといけない時ってありますよね?」

「服屋さんでスーツを選ぶ、みたいな?」

「そうそう。そこですごく時間をかけて悩んで、やっと決めて買ったものって後から『なんでこれにしたんだろう』って思うことがありませんか」

「……あるわね」

たぶん、誰もが一度は体験した現象なんじゃないかと思う。

「人間、考えすぎるとドツボにはまってあらぬ結論を出すことがあるんです」

「とてもよくあるわね」

「ありますよね」

「……土屋さんがそうなってるってこと?」

「あくまで可能性ですが」

「そんな状態でその、勝負の台詞を決めたりしたら」

「それが遺言の代わりになりかねません」

遺言にならずとも、眠れない夜にベッドで思い出しては自分で悶絶する思い出になるに違いない。

村崎とカモの間を邪魔しないようにだろうか、少しだけ距離をおいている土屋のあの様子からして決してありえない未来ではないだろう。それを避けるために俺はコンビニに走ったのだ。

「それは分かったけれど」

「ええ」

「……なんで、パン?」

「村崎のそばにカモがいますよね」

「いっぱいいるわね」

仲間につられてやってきたか。カメラを構える村崎の前には今や十羽を越すカモが大集合していた。

「あそこに投げ込みます」

「狂乱の渦になるわね」

「それが狙いです」

「なるほど……」

「問題は、どうやってふたりにバレないよう実行するかですが……」

ひとりで悶々と考えているのをリセットさせるには、そういう刺激が一番だ。だが俺が近づいていけばさすがに気づかれて台無しになってしまうだろう。

「まかせて松友さん」

「ミオさん?」

「私にいい考えがある」