観客が固唾を飲んで見守るなか、審判のカウントがコロッセオに響く。

 テンカウントでどちらかが起き上がらなければ、勝負は引き分け。

 ドキドキと誰もが倒れた二人に視線を注ぐなか、二人が同時に動き始める。

 震える腕に力を入れて先ず上体を起こして、次に四つん這いの姿勢まで来た。

 けれど両者とも膝に力が入らないようで、そこからはどちらも動けない。

 しかし────

 「ぅおおおおおっ!」

 大地を割るような雄叫びを上げて立ち上がったのは、ジャヤンタさんだった。

 「勝者、バーバリアン!」

 審判の宣言に静まっていた観客が、大いに沸いた。

 「こういうの、試合に勝って勝負に負けたって言うんだよ」

 「ほーんとよね。ワタシたちの武器、カマラの弓以外全部壊れちゃったもの」

 「正直君たちがこんなに強いとは思っていなかった。慢心していたんだな。実戦なら私とウパトラは死んでる」

 戦い終わって陽が暮れるちょっと前、本来なら表彰式があるんだけど互いに大怪我を負っていたから、式は後日に延期されて、エストレージャは控え室に戻ってきていた。

 ラーラさんだけじゃ治療も追い付かないだろうし、このあとエストレージャも含めてラ・ピュセルのコンクール最後のコンサートの応援にいく事になっていて。

 魔術を使える人間は何でも使えと、ヴィクトルさんやロマノフ先生も治療に駆り出されたし、私も服の応急処置のために彼らに着いていたのだ。

 そこに包帯を巻いたバーバリアンの三人がやって来たという。

 「いやー、皆さんやっぱメチャクチャ強かったっす」

 「うん、武器が壊れても爪で応戦されるとか思いませんでした」

 「本気で死ぬかと思ったから、逆に特攻かませたっていうか」

 お互い幸いなことに内臓に届くような傷が無かったから言えることだけど。

 三人のジャケットもズタズタで、本来なら何ともならないんだけど、そこはタラちゃんの織った布。魔力を注ぐと自己再生能力を発揮して、どんどん破れ目が塞がる。

 それでも余りに損傷が激しい場所は、私がチクチク手縫いするしかない。

 ジャヤンタさんたちの話を手を休めずに聞いていると、ウパトラさんが「なるほどね」と呟いた。

 「ワタシの魔眼でも、そのジャケットの効果が透かし見られない筈よ」

 「ジャケットの効果が透かし見られない……?」

 「ワタシの魔眼は透かし見の魔眼。あらゆるものを透かし見ることが出来るはずなんだけど、魔術的な防御力や耐性があると防がれてしまうのよ。覚えがあるでしょ?」

 「ああ……試合前のことなら」

 こくりと頷くと、ウパトラさんが目を細める。

 そして頭を左右に振ると、肩を竦めて「やっぱり見えない」と呟いた。

 透かし見の魔眼と言うのは、鑑定眼のようにはっきり鑑定が出来る訳ではないが、目に写るものの過去も透かして見ることが出来るそうな。

 例えて言えばジャケットを見れば、その作成者まで解るという。

 だけどエストレージャが着ているジャケットは、いくら見ても強力な付与魔術が付加されているのは見えたけれど、それが何の効果があるのかはおろか、誰の作ったものかすら見えなかったのだとか。

 「だから勝ったら、このジャケットをどこで買ったか教えろって言ったんですか?」

 「そういうこと。ダンジョン産なら、少なくともドロップしたダンジョンの地名くらいは見えるもの。だけどそれが出なかったってことは、恐ろしく高価な既製品なのかしら……って思ったんだけど」

 「高くはないですよ、多分」

 エストレージャの三人のジャケットは確かに特注だけど、私が無理せず手に入る材料だけで作っている。

 その中で高価なものと言えば、タラちゃんの布くらいなもの。

 後は私がミシンでカタカタ縫って、ありったけの付与魔術をくっつけて、エルフ紋の刺繍を刺繍図案さんと相談しながら刺しただけ。

 付与魔術と神様から頂いた道具は伏せて、高価なのは奈落蜘蛛の布とエルフ紋の刺繍くらいだと説明すると、カマラさんが挙手する。

 「待って欲しい。仕立屋蜘蛛の布には魔力を注いだら発動する自己再生能力なんてないぞ。そう言うのが布に付加されるのは、魔女蜘蛛(メイガスタランテラ)か仕立屋蜘蛛の上位種ぐらいだ」

 「えー……うちにいるのは、奈落蜘蛛ですよ。下さったひとがそう言ってましたし」

 首を捻るカマラさんと私に、ポンッとジャヤンタさんが手を打った。

 「なんかの切っ掛けで進化したんだろ」

 「進化……蜘蛛って進化するんですか……?」

 「奈落蜘蛛は単なる虫さんじゃないもの。あれは虫の姿をしたモンスターよ。条件を満たせば進化するわ」

 なんてこった、初めて聴いたぞ。

 つか、モンスターって進化するんだ。凄いなぁ。

 なんて感心していると、にゅっと伸びてきたロマノフ先生の手がムニムニと頬を揉む。

 「冒険話のついでにモンスターの進化の話はしたんですが、興味無さそうだなと思ってたら、本当に興味無かったんですね」

 「ごめんなひゃい」

 「この件は帰ったら補習ですよ」

 「ひゃい」

 ロマノフ先生のモチモチも最近は回数が少なくなってきた。これって痩せたからモチモチしにくくなったってことかしら。

 それにしてもタラちゃんが進化。

 そう言えばいつかの朝、しゅぽんって脱皮してたような気がする。

 蜘蛛は幼生の頃は何度か成長のために脱皮するし、種類によっては成体になっても脱皮する。タラちゃんが幼生なのか大人になっても脱皮するタイプなのかは解らないけど、脱皮するのは確かなのだ。

 「まあ、大変なのはこれからよね」

 タラちゃんの生態について考えていると、ウパトラさんの言葉がそこだけ聞こえる。

 何がかと思ったら、どうやらエストレージャが今日の成績やら、ここに至る前での経緯を加味と話題性を加味して、皇帝陛下の園遊会に招かれたそうな。

 皇帝陛下のお招きだから辞退は余程の事がないと不可。

 その席で多分聞かれるのは、ジャヤンタさんの名工がオリハルコンで作った武器を粉々にした防具の出所だろう、と。

 「Effet(エフェ)・Papillon(パピヨン)の商品だというのは話して構いませんが、問題は職人の居場所……もっと言えば身元が割れるのは阻止しないといけませんね」

 「そうだね。そもそも妃殿下の髪飾りで物凄く注目されてる商会なのに、それに加えてムリマが鍛えたオリハルコンの斧を触れただけで粉々にしたとあっちゃぁ、放っておく方が変だよ」

 「何処かの大貴族がEffet(エフェ)・Papillon(パピヨン)を買収しようとするか」

 「もっと悪けりゃ、職人を掻っ攫って自分達の商会で無理矢理働かせることも考えられるわな」

 ジャヤンタさんの言葉に、緊張が走る。

 勿論私もだけど、それ以外にも懸念が出てきた。

 「ロマノフ先生、ヴィクトルさん、ラーラさん、それからエストレージャの皆さん、園遊会が終わり次第間髪開けずに軍権を掌握します。菊乃井の軍を一度解散、後再編を行わなくては」

 「……ああ、なるほど」

 私の言葉に、少し考えてからラーラさんが頷く。

 ロマノフ先生やヴィクトルさんも頷いてくれたけど、エストレージャの眼が点になっていて。

 「あ」と奏くんが小さく声をあげた。

 「若さま、それって若さまの父ちゃんと母ちゃんが、へいたいを使って若さまをつかまえようとするかもしれないからか?」

 「うん、そこまでしないとは思うけど……憂いは潰しておかないと」

 「にぃにはれーがまもるよー!?」

 真剣な表情の奏くんに、ちたぱたと地団駄を踏んで、レグルスくんが私にしがみつく。

 ふわふわの金髪が揺れて、さわさわと頬っぺたに触れてこそばゆい。

 「えぇっと、その、どういうことでしょうか?」

 三人を代表して手をあげたロミオさんに、ロマノフ先生が顎を擦りつつ目線を向けた。

 「鳳蝶君をご両親が大貴族の圧力に負けて、売り払うかもしれない。その場合兵を屋敷に差し向けて来ることが予想されるということですよ」

 「は……はぁ!? 兵士を!?」

 「そりゃ帝国の三英雄が守りについてるの解ってるだろうし、たとえその三人の留守を狙ったってアナタたちが側にいるかも知れないって思えば、兵を差し向けるのが妥当じゃない?」

 事情を察したのかウパトラさんが肩を竦める。

 カマラさんやジャヤンタさんも、同じく同意すると私の方をじっと見てきて。

 「親と仲が悪いのか?」

 「あのひとたちに権力を握らせておいたら、菊乃井が死にます。だから奪い取ることを画策するくらいには」

 「そうか……。いや、宇気比の件から矢面に立っていたのは坊やだったのが、実に不思議だったんだよ」

 「園遊会が終われば、両親は社交界で後ろ指を刺される存在になるでしょう。何せあのひとたちは領地の現状も、今度の件も何一つ関知していないのだから。恥をかかされたと私を憎むでしょう」

 仮にEffet(エフェ)・Papillon(パピヨン)の職人が私だと知った大貴族が、それを両親に伝えて大金を積んだら、あのひとたちのことだ。

 目先の利益にとらわれて、私を売り払う算段をしてもおかしくない。

 私を捕まえて病気か何かで死んだことにしてしまえば、母は離縁が出来るし、まだ若いから再婚して子供を作るのも可能だ。

 父は父でレグルスくんを菊乃井の跡目にする約束を結んで、私をどうこうって考えても不思議じゃない。

 「兎も角、あのひとたちの武器になりそうなモノは潰しておくに限るので。それにどのみち兵は再編しようと思ってましたから」

 「ダンジョンでの魔物の大量発生対策の一環として、一から鍛え直さなければいけませんしね」

 そういうこと。

 だって菊乃井の兵士達って存在感が無さすぎてあるのかないのか、見過ごすくらいなんだもの。

 そりゃ田舎って言ったって領地は狭くない。防衛のために騎士団くらいあるのが筋だけど、ルイさんの予算書見るまで、ないと思うくらい活動してなかったのだ。

 「なあ、それ、俺らも着いてって良い?」

 「面白そうだもんね」

 「うん、鍛え直すなら私たちもその必要があるしな」

 ニカッと笑ったバーバリアンからは、どこか獰猛な匂いがした。