‬――チチ、チ。

‬鳥の鳴き声で目が覚めた、なんとも爽やかな朝だった。時計こそ見ていないが、窓から流れ込んでくる清々しい空気にまだまだ早い時間だと分かる。

‬せっかくの休日だ、もう一度寝てしまおうか。

‬そう思い寝返りを打ったが、やけに目が冴えてしまって二度寝は出来そうにない。ならばせっかくだから朝の散歩にでもいこうと思い直して、私は適当に身支度を終えた。

‬まだ人の気配がしない村を散策しながら、昨晩のパーティを思い出す。

‬――誕生日おめでとう!

‬エメの村に着くなり村民たちにそう出迎えられ、そのまま自宅で私の誕生日パーティーが開かれた。しかし、長い馬車旅から戻ってきたばかりで私はすっかり疲れ切っていて。パーティー自体はそう長くない時間でお開きとなった。

‬誕生日プレゼントとして、両親からは可愛らしいワンピースを。

‬ペトラたちからは、手作りの小物入れを。

‬武器屋のおじさんからは、護身用の小ぶりな盾を。

‬他にも、町中の人達がそれぞれプレゼントを用意してくれていたらしく、私の部屋にはちょっとしたプレゼントの山ができている。しかしながら――その中に、ルカーシュからのプレゼントはない。何やら彼は2人きりの時に渡したいといじらしいことを言っていた。

‬肺いっぱいに新鮮な空気を吸い込んで、ひとつ伸びをする。昨日の長い馬車旅の影響だろうか、肩が鈍い嫌な音を立てたことに苦笑しつつ、辺りを見渡せば――ひとつの人影を見つけた。その人影には見覚えがありすぎる。

‬金の髪に、見慣れたこの村の衣服。思わずその背に駆け寄り――

「ルカーシュ?」

「ラウラ、おはよう。早いね」

‬振り返ったルカーシュの額には汗が浮かんでいた。その右手には細身の剣が握られている。

‬彼の様子を見るに、朝早く起床して剣の素振りでもしていたのだろうか。

「ルカーシュこそ。朝早くから鍛錬?」

「ん? ‬うん。ちょっとは逞しくなったろ?」

‬冗談めかした口調で、ルカーシュはわざとらしく胸を張る。その胸板は確かに厚みを増しているように思うし、何より腕ががっしりと太くなった。

‬ふふふ、と笑みをこぼしながらルカーシュに近づく。ふと、剣から離れた右手に目がいった。なぜなら、指の付け根が赤く腫れていたからだ。あれは――

「まめ潰れてる。痛くないの?」

‬近寄って、幼馴染の右手をとった。

‬じわりと滲んだ血が痛々しい。見ているだけで私は眉をひそめてしまったのだが、当の本人はどうやらそうでもないらしい。きょとん、と目を丸くして、それから――いきなりぐいっと顔を近づけてきた。何かを思いついたような表情だ。それも、おそらくは楽しいことを。

「そうだ、ねぇ、ラウラ。ラウラの作った回復薬、飲んでみたい」

‬幼馴染の言葉に、ぱちり、と数度睫毛を瞬かせた。ルカーシュはぐっと肩を掴んできたかと思うと、そのまま続ける。

「こんな傷、すぐ治っちゃうんだろ?」

‬期待に満ちた瞳で見つめられた。その頬は僅かに赤らんでいる。

‬こんな傷、とは、ルカーシュの手のひらに浮かぶマメのことだろう。ルカーシュの言っていることは正しい。手のマメ程度であれば、効力増長の薬草を混ぜずとも基本中の基本のシンプルな回復薬で治すことができる。

‬そういえばルカーシュに私の作った回復薬をあげたことはなかった、と思い至る。彼がそう望むのなら作ってあげたい気持ちは山々なのだが、問題が一つ。

「それは……そうだけど。でも調合道具がないと」

「だったらベルタさんのとこ、行こう」

‬即決だった。口を挟む暇もなく、ルカーシュは私の手をとって歩き出す。

‬こんな朝早くに、と弟子として逞しくなった幼馴染の背中に声をかけたのだが、彼は思っていたよりずっとお師匠と仲が良いのか「大丈夫だよ」と笑うだけだった。

‬***

‬扉を開けて私たちの前に姿を現したお師匠はゆったりとした寝間着を身につけており、その目はほとんど開いていない。見るからに今まで寝ていました、といった様子だった。

「ベルタさん、おはよう」

「朝早くにすみません。お久しぶりです、お師匠」

‬ひょっこりと、ルカーシュの背から顔をのぞかせる。するとわずかにお師匠の目が開かれた。

「おお、かえっとったのか……」

「昨日の夕方に。本当だったら今日のお昼頃お邪魔する予定だったんですけど……ルカーシュのために、回復薬を作りたくて」

‬一通り説明すると、お師匠は返事の代わりと言うように大きくあくびをする。しかしそれだけで、突然の訪問に不快そうな表情を見せることはなかった。

「好きに使ってもらって構わん。わしはもう一眠りする」

‬ひらりと片手をあげると、お師匠は部屋の奥へと戻って行った。その背中を申し訳ない気持ちで見送りつつ、懐かしい山小屋へと足を踏み入れる。

‬くるりと部屋の中を見渡した。村を出てからそう時間は経っていないのだから当たり前といえば当たり前かもしれないが、調合道具の置き場所も、薬草の保管場所も何一つ変わっていない。勝手知ったるその部屋で、私は準備を始めた。

‬準備といっても、本当に簡単な調合を行うだけなのであっという間に終わってしまう。横に立ち、興味深そうに私の手元を覗き見るルカーシュの視線を感じながら、私は調合を開始した。

「手際がいいね、すごい」

「こんなの慣れだって」

‬面と向かって褒められると、どうしても喜びより照れが勝ってしまう。あはは、とルカーシュがくれた褒め言葉を笑顔でかわして、しかし手元は休ませずにそのまま調合を行った。

‬真水で煎じて、容器に移して、それを軽く振り混ぜて。あっという間に回復薬の出来上がりだ。作業時間に関しては、少しずつ縮まってきているのではないかと思う。

「はい、どうぞ」

「……苦い」

回復薬を口に含むなり‬眉をひそめたルカーシュに、私は声を上げて笑う。当たり前だ、回復薬と名前が付いているとはいえ、その実は野に生えた薬草を真水で煎じたものなのだから。

‬その苦味を嫌う小さな子供用に、効力に影響を与えない甘い木の実を混ぜることもあるが、今回はそうしなかった。

「当たり前だよ。薬だもん」

「でも、おいしい」

‬ルカーシュの言葉の意味がわからず、自然と怪訝な表情が浮かぶ。

‬明らかに眉根を寄せて苦いと不満げに呟いたくせに、それを改めておいしいと評するのはあまりに矛盾している。

‬私の表情を見たルカーシュは気恥ずかしげに苦笑して、それからいつもよりいくらか早口で言った。

「おいしいというより……嬉しい。ラウラが僕のために作ってくれたから」

‬幼さが残る真っ直ぐな言葉は、私の胸をつく。

‬頬を紅潮させて、眩しいものを見るかのように目を眇める幼馴染。本当に嬉しい時に彼が浮かべる笑顔だ。

「ルカーシュにだったらいつでも作るよ、幼馴染のよしみだし」

‬自然とそんな言葉が口から滑り出ていた。

‬回復薬を作るということは、私がルカーシュに、そしてこの世界にできる数少ないことだ。まさかこんな簡単なものでここまで喜んでくれるとは思ってもみなかったし、こんなことならもっと早く作ってあげればよかった、なんて自惚れに似た感情も湧いてくる。

くすぐったい気持ちでうまく次の言葉を探せずにいると、落ちた沈黙を取り繕うように、ルカーシュが何やらがさごそと懐を漁りだした。そして、‬

「これ、昨日渡せなかったんだけど……」

‬差し出されたのは、布袋。色は深い青から淡い青へのグラデーションだ。

‬突然差し出されたそれは、おそらくは誕生日プレゼントだろう、と瞬時に分かったが、それでもルカーシュからの言葉を促すように彼を見上げる。するとルカーシュは先程よりも数段赤くなった頬を指先でかいて、いつもよりはっきりしない口調で言った。

「物自体はベルタさんが用意してくれて、色は僕が染めたんだ。……へたくそ、だけど」

‬ルカーシュの言葉に驚きつつ、彼から布袋を受け取る。そしてそのまま離れていこうとした私の手を、ルカーシュの手が上から握り込んできた。思いの外強い力だった。

‬思わず私は布袋から幼馴染へと視線をあげる。するとこれまた思いの外強い光をたたえた青の瞳と、視線がかちあった。

「お誕生日、おめでとう。僕と幼馴染になってくれて、ありがとう」

‬照れ臭そうに、控えめに微笑んだルカーシュ。

‬――あぁ、なんてかわいい、なんて愛おしい幼馴染だろう! どんな思いで彼はこれを準備して、どんな思いで今渡してくれたのか。考えるだけで胸がきゅう、と高鳴る。‬

「ありがとう、ルカーシュ!」

‬喜びのまま抱きつこうとして――脳裏に瞬間ペトラの顔がよぎり、動きを止めた。むやみやたらとベタベタしては、友人としてペトラにも不誠実だろう。彼女は悩みに悩んで私に自分の思いを打ち明けてくれたのだ。

‬抱きつかないかわりに、ルカーシュの手を強く握り返す。幼馴染の目が私の行動を疑問に思っているような様子はなかった。

もらったプレゼントをしみじみと眺め、湧き出る喜びをかみしめていると、不意にルカーシュが呟いた。‬

「でも、15歳かぁ。もう大人だね」

‬もう大人。

‬その言葉にどきりとする。

‬そうだ。間も無くルカーシュも15の誕生日を迎える。その日は私の想像よりずっと早く、足音を忍ばせて近づいてきているのだ。

「そんなことないって、まだまだ子供。成人まで3年もあるじゃない」

「そんなのあっという間だよ」

‬足掻きのように口にした言葉は、ルカーシュの無邪気な言葉によって呆気なく切り捨てられた。

‬彼としては、早く大人になりたいのかもしれない。“私”の知っている勇者・ルカーシュは、早く大人になってみんなを守りたいと思っていた、などと心情を吐露していた覚えがある。――その相手は幼馴染ではなく、古代種の少女だったが。

「ねぇ、ルカーシュは誕生日プレゼント何が欲しい?」

「えぇ、それはラウラが選んでよ」

‬あはは、と笑い合う。こんなにも気負わず気さくに笑い合えるのは、ルカーシュぐらいだ。友人というより、もはや家族に限りなく近い存在だった。

‬こんな素敵なプレゼントをもらった以上、私も何か彼に喜んでもらえるようなものを考えなくてはいけない。目には目を、ならぬ、手作りには手作り、だろうか。飛び抜けて手先が器用というわけではないが、不器用というわけでもない。

‬王都に帰ったらチェルシーに相談してみよう。

‬そう心に決めて、私はルカーシュがくれた布袋をきゅっと胸元に抱きしめた。