I want to protect you in this hand.
Arsh, 16, 9 months. Goodbye.
それからは忙しかった。まず、なぜあの会議の場に採掘技師がいたのか。
「工事の手配をするまで、素人の兵だけでは岩を扱うのは危険だ。急ぎ町に戻り、岩を削る道具と共に、監督を派遣しよう。もちろん、工事が始まるまでの間で、始まったらすぐに返してもらわねば困る」
相変わらずちょっと威張っている。でもありがたいことだ。
「小さな子どもですら恐怖に怯えながらもがんばったかと思うとな……。知らなかったとはいえ、なんの援助もできなかった。せめてこのくらいはな」
ということだ。よほどヒュレムの話が心に響いたらしい。ヒュレム、よくやったよ。大人の皮肉より子どもの純真さの勝利だ。これで少し安全に工事が進められるようになった。
「宿舎の工事は、王都の建築家に頼めればいいのだが、その時間も惜しい。今回はダースから出そう。なに、ダースにもいい建築家はいる」
コサル侯がそう保証してくれた。
「では、簡単な設計図を持たせますね」
「設計図とな」
「はい。大きな宿舎を立てるのではなく、食堂を中心に、こう、いくつもコテージを作る感じで。食堂とコテージを一つ作りさえすれば、それで10人は泊まれます。それからまた一つ、ひとつと作って簡易な渡り廊下でつなげれば」
「建物をたてながらも宿泊できるというわけか」
「そうです。それを元に設計はお願いします。なるべく単純な作りにするようにと、そうしたら資材もそろえやすいでしょうし」
そう相談を終えると、コサル侯は工事の人足をそろえて送るというユスフ王子と共にフーブの町を去って行った。
一方で、アレクはどうやらセロを待っているらしい。待っている間はダンジョンに潜ったり、狭間の岩を少しでも避けるよう指示を出したりしている。そうして合間にはウィルとマルと剣の訓練もしている。そうしてたったの六日でセロたちは帰ってきた。相当飛ばしたようで、さすがの三人も疲れ果てていた。
「どうだった!」
アレクの言葉に、
「なんとか、港の使用許可はもらえた」
とセロ。ダンは、
「工場用地の当たりをつけ、営業許可は取ってきた。アレクを見送ったら、さっそくまたマリスに行ってくる」
という。ケナンは魂が抜けているかのようだ。セロとダンについて行くのに精一杯だったのだろう。
「よし、一日休んだら明日には帝国に戻る!」
アレクの宣言に、帝国側は急に慌ただしくなった。もちろん、セロもだ。アズーレさんの宿屋に戻って泊まっている私たちだが、セロはそれでも何も言わなかった。ウィルもダンも気遣わしげに見て来るが、セロはなんだか目をそらしている。そんなセロはウィルに食堂の隅に引っ張って行かれた。
「お前! 何で言わないんだ」
「どうやら兵舎のみんなが話してしまったようだから、かえって言いづらくてな」
「どうするんだ。下手すると数カ月帰って来られないだろう」
「わかってる! わかってるんだ……」
聞こえてるけど? 気遣わしげな男子と違って、サラもマルも平然とした顔で、
「じゃあ、アーシュ、もう寝よう」
と言うと、私の手を引っ張って部屋に引っ込んだ。
「あ」
という声に気づかなかったふりをして。
「信じられないわ!」
これはサラだ。
「セロがあんなにへたれた男だったなんて。自分の婚約者にちゃんと行ってきますも言えないのよ?」
「だから部屋に連れて来たの?」
私が尋ねると、サラはぷんぷんしてこう言った。
「そう。見てられなかったんだもの」
「チャンスをあげるとかしないの?」
「もう。アーシュだってそう。何でそう他人事のように言うの?」
「だって」
「だって?」
「これはセロの問題だもの」
「アーシュ……」
サラが私をそっと抱きしめた。
「よく言った、アーシュ」
これはマルだ。
「セロは昔からへたれた男だった。アーシュを取られたくないから裏工作をして、それなのにアーシュには甘えてばかりで」
「マル、厳しいよ」
こんな時なのにくすくす笑いがこぼれた。
「アーシュがいるのが当たり前だから、どう大事にしていいかわからないのかしらね」
サラがため息をついた。
「でもどうするの、何も言わずに行ってしまったら」
「そう聞かれてもねえ」
困ってしまう。するとマルが言った。
「マルはね、アーシュが幸せになるなら、セロにはこだわらない。キリクにも強い男はいっぱいいるはず」
「そうね、隣の族長の息子なんてけっこういけてたのよ」
サラもそう言う。女の子同士っていいね。いつでもお互いの味方でいてくれる。何があっても、そう、明日セロが何も言わず行ってしまっても、きっと。
その日はなかなか寝付けなかった。
次の日、帝国のみんなは出発しようとしていた。
「グレッグさん、カレンさんによろしくね」
「ああ、ジュストを置いていくから、よろしくな」
と私がグレッグさんと別れを惜しんでいる横で、マッケニーさんもウィルとマルと別れを惜しんでいる。それを馬にも乗らずにセロがじっと見つめていた。
「セロ」
アレクの声に押されるようにセロがやってきた。
「アーシュ」
「なあに?」
「ずっと言えなくて、ごめん。俺、海路でキリクに行く仕事を請け負って、それで……」
セロの目がわかってくれと言っている。私は答えた。
「それで?」
セロの目が見開いた。
「それで、ここを離れて、帝国に行く。いつ帰って来られるか、わからない」
「そう」
「だから、帰って来るまで、ここで待っていてくれ」
やっと言った。周りがほっとするのがわかった。
「いやよ」
私は答えた。
「え」
「セロは私に相談せず、思う通りにするんでしょう。どうして私がそんなセロを待たなければならないの?」
「それは、だって、アーシュは俺の婚約者で……」
「そんな婚約者がいなくなることを、私だけが行く直前まで知らなかったのに?」
セロはごくりと何かを飲み込んだ。やましい気持ちがあるから、何も言えないんだ。
「私は、待たない」
声が震えませんように。
「やりたいことをするの。セロが帰って来ても、どこにいるかわからないから待っているって約束はできない。そのときまだ私のことを大切だと思っているなら、探して追いかけてきたらいい」
私はこみ上げてくる何かを抑えるように、静かに言った。
「だけどその時にまだ、私がセロのものだとは思わないで。一人にしないって約束したのに。体がどんなに遠く離れても、せめて心だけは連れて行ってほしかった。それができないのなら、私はもう、一緒には歩けない」
信じられないものを見たような目をしているセロは、何も言えずアレクに連れて行かれた。好きだから、必ず帰って来るから、待っていてくれと。離れていても心はいつも一緒だと。そう言ってくれたならいつまでも待てたのに。
キリクの人のために、危険を冒してまで海路を開く婚約者になんてひどいことを? いいえ、そんなかっこいいことじゃない。やりたかったから、やる。そうでしょ、セロ。そんな自分が、私にふさわしいと思えなかったから、言えなかったんでしょ。
どんなセロだって、好きなのに。ごまかさないで、ちゃんと自分の気持ちと向き合って帰ってきて。待ってるから。本当は待っているから。
去って行く帝国の一団が見えなくなるまで、私は草原に立っていた。