見下ろす先にいるのは元親友のセイン。

奴は呆然と俺を見上げていた。

なんだその顔、まさか俺がここにいることを不思議に思っているのか。

確かに追いだしたはずのお荷物戦士と、戦場で再会することは驚くようなことなのかもしれない。

だが、お前がやってきたことを考えれば、俺が怒りを抱いて現れるのは至極当然じゃないだろうか。

「デナスをたった一撃……ありえない」

「…………」

「勇者である僕ですらまともに一撃も入れられなかったのに。何度も何度も戦い、さっきようやく傷をつけられたんだ。なのに、お前は、たった一撃だと」

セインがふらりと立ち上がる。

剣は未だ右手に握られたままだ。

左手で口の端から垂れていた血を拭う。

その目は元親友に向けるような生暖かいものではない。

殺気が籠もっていた。

「そうか、わかったぞ。トール、お前が漫遊旅団だな。どうやってその力を手に入れたのかは知らないが、リサを寝取られた腹いせにずっと邪魔をしていたんだろう」

「……何のことだ?」

「とぼけるな! 何度も何度も何度も、僕の邪魔をしやがって! そんなにリサが取られて悔しかったのか! そうだよな、あいつとは結婚の約束だってしてたもんな! けど、もう手遅れなんだよ、リサの全ては僕の物なんだ!」

瞬きもしない大きく見開いた目に、狂気のようなものを感じた。

興奮した様子で声を荒げる姿にかつてのセインは見えない。

いや、これがこいつの本性だったのだ。

優しく頼れるリーダーを演じていただけ。

どんな時も仮面の下には醜い顔があったんだ。

リサと新しい仲間らしき女性は沈黙している。

「ネイとソアラから事情は聞いている。お前が誘惑の魔眼所持者だってこともな」

「あの二人と、会ったのか!?」

「二人とも無事だ。もちろん洗脳も解いている」

「くっ」

セインの顔が怒りに歪む。

まるで『どうしてお前の元にいるんだ』とでもいいたそうだ。

「聞かせてくれ。どうして大切な幼なじみやリサや俺を裏切ったんだ」

「どうして? 聞くまでもないだろう? 欲しかったんだよ全てを! 金、女、地位、名声、全てを僕は手に入れたかったんだ! そうだな、それと他人が大切なものを奪われて、泣き叫ぶ姿も見たかったかな! はははっ!」

セインはリサの元へ走り、彼女の腕を掴んで戻ってくる。

それから見せつけるように腰に手を回した。

目は愉悦に染まり、口角は鋭く上がる。

俺が悔しがるのを待っているかのようだった。

だが、俺は無表情のままだ。

「おい、どうした。悔しがれよ。僕の前で盛大に泣きわめけって」

「…………」

リサの顔を見ていた。

別れた直後と変らない姿。

今は冷たい視線を向けていた。

「リサ、お前は洗脳されている」

「そう、でもそれでもいいわ。私はセインを愛してるもの」

「洗脳を解く気はないのか」

「ないわね。だって、ただの戦士に興味ないもの。私が求めているのは勇者であるセイン。貴方じゃないわ」

直後に、セインが俺の首めがけて剣を振る。

反射的に上体を反らし攻撃を躱すと、後方へと飛んで距離を取った。

「もういいよ、死ねよトール! 死んで僕の邪魔をしたことを詫びろ!」

「違うな。お前がすべきなのは、ネイやソアラやリサに誠心誠意謝ることだ。それと、お前では俺は殺せない」

「馬鹿にしやがってっ!!」

地面を強く蹴って飛び出したセインは、斜め上から剣を振り下ろそうとした。

――が、俺とセインとの間に素早く入ったカエデが、拳をおもいっきり奴の顔面にめり込ませる。

奴は吹っ飛び、無様に地面を転がった。

「どうしてご主人様の痛みが分からないのですか! 親友に裏切られ、恋人を奪われ、幼なじみも奪われ、それでもまだ何かを信じようとしているあの優しい心を!」

「うぐ、よくも僕を……」

「私は悔しい! こんな男の愚行でご主人様が心を痛められていることに!」

「カエデ……ありがとう」

振り返ったカエデは泣いていた。

彼女は俺の腕の中に飛び込み抱きしめる。

知らなかった。彼女がこんなにも俺のことに苦しさを感じてくれていたなんて。

つい嬉しさのようなものを抱いてしまう。

カエデと出会って俺は救われた、そう思える。

「気持ちは嬉しいが、これは俺がつけなければならないけじめだ」

「承知しています。思わず手が出てしまいました」

カエデを置いて、俺はリサの元へと行く。

懐から小瓶を取り出し栓を開ける。

これは洗脳を確認する薬だ。

念の為に見ておかなければ。

じゃばじゃば。

リサの頭から薬をかける。

洗脳状態なら薄くピンクに光るはず。

「え、ご主人様、その人」

「なんだ?」

「ステータスに、状態異常がありません」

なんだって?

視線を前に戻し確認する。

リサは薄ら笑みを浮かべていた。

だが、体は一向に光らない。

そんな、まさか、洗脳されていたはずじゃ。

「はっきりして嬉しいでしょ。そう、あんたを捨てたのは私の意思よ」

「ずっと洗脳されている……フリをしていた?」

「珍しく察しがいいのね。でもそれはある意味間違い」

リサは杖を俺の腹部に軽く当てて呟く。

「そもそもあんたを好きだったこともないのよ」

轟音が響き、強烈な熱と衝撃が俺を吹き飛ばした。

一瞬、何をされたのか分からなかったが、すぐに強力な魔法を放たれたことに気が付いた。

煙を纏いながら背中から地面に叩きつけられる。

視界にカエデの顔が入った。

「大丈夫ですかご主人様! 今、回復しますから!」

「すまない」

体を起こして立ち上がる。

見れば腹部を中心に服が焼け焦げていた。

ダメージを抑えられたのは、スキルと聖武具があったおかげだろう。

信じられないのはあの魔法の威力だ。

リサはあんな魔法を使って見せたことは一度もないはず。

「今ので死なないなんて、思ったよりもレベルは高いわけね」

「リサ、なぜ攻撃を」

「邪魔なのよ、私の計画の。あんたの役目はもう終わっているのに、今頃になってのこのこ出てきて迷惑だわ」

「計画、だと?」

そこへフラウが戻ってくる。

恐らく兵士達の手助けをしていて合流が遅れたのだろう。

空からふわりと舞い降り、俺とリサを交互に見る。

「なんだか戻ってきちゃ不味かった雰囲気ね。というかなにあの女――んんんん?」

フラウが眉間に皺を寄せてリサをまじまじと見る。

カッ、と目を見開いた彼女は「看破!」と指さした。

その瞬間、リサの体がぶれる。

彼女の体から光の粒子が放出され、足下から姿が変わって行く。

違う。偽装されていたんだ。

これから現れるのはリサの本当の姿。

光の放出が止まり、本当のリサが笑みを浮かべる。

外見はほとんど変らない。

だが、魔法使い然としていた服装は変わり、黒いドレスに身を包んでいた。

さらに右手には禍々しい杖を握っている。

彼女は挑発的な目をして、紫の唇をペロリとなめた。

「――魔王!? しかもレベル800!?」

「なんだ、と」

カエデの言葉に耳を疑った。

リサが魔王だと?

ありえない。あのリサが。

立ち上がったセインもリサの姿に動揺していた。

「リサ、その姿は?」

「驚いたかしら。そう、私が魔王なの」

彼女はセインに歩み寄り、そっと顎先に指を添える。

「私があなたに全てを与えてあげる。世界を統べる王にしてあげるわ。そうなれば魔王を従える偉大なる勇者として歴史に名が刻まれるでしょうね」

「僕が、魔王を従える……」

「歴史的快挙よ。全ての人間が賞賛するわ」

「くひ、いいね。僕はそういうのを待っていたんだ」

セインの顔が喜びで染まる。

だが、それは欲望に飢えた者の醜い笑み。

リサが俺と再び正面から向き合う。

「ソアラが言っていた、裏切り者の意味がようやく理解できた」

「あの女は薄々勘づいてる気がしてたわ。だって、私と同じ偽物の臭いがしたもの」

「じゃあ俺は、魔王と付き合った男ってことか」

「違うわ。勇者に恋人を寝取られた無様で滑稽な戦士よ」

そうかよ、全て演技だったってわけか。

嬉しそうに指輪を受け取ったあの顔も態度も、全てが嘘でまみれていたのか。

それでも、俺は今の言葉が嘘じゃないのかと疑ってしまう。

深く愛した女が裏切っていたなんて信じたくなかった。

「せっかくだから面白いことを教えてあげる」

彼女はニヤリとしてから呟いた。

「トールの両親を殺したのはこの私よ」