「大賢者様。お掃除が済みましたわ」
「む、ご苦労」
掃除を済ますと、エルは満足そうにソファへ腰かけて耳を突っ立てる。
「それでは、ごめんあそばせ」
泣きホクロのメイドは一礼し、何事もないかのように部屋から退出した。
カツーン、カツーン……
それからつつましやかな所作でメイド服をヒラヒラさせ廊下を行く。
そして、フロアの北端に設置された従業員用の魔動エレベーターに乗った。
パアアア☆ チュイーーン……☆☆☆
魔法陣が緑色に光ると、箱は下降を始めた。
魔動エレベーター付きのビルディングは、世界一の大都会ザハルベルトでは珍しくはない。
しかし、一般用と従業員用の2本ついているのはこの13階建てくらいである。
従業員用エレベーターは一般用に比べて装飾は無く、簡素な四角い小部屋が魔法の力で階から階へ下りていくのみ。
おおよそひっそりとしており、今も泣きボクロのメイドの他に搭乗者の姿はなく魔法音だけが薄暗い室内に響き渡っていた。
しかし、その時。
「……そこにいるのはわかっていましてよ」
メイドは何もない空間へ向かってそう指摘した。
すると、エレベーターの隅に紺色の靄《もや》がにじみ出てくるではないか。
靄《もや》はしだいに形づくられて、少しすると忍び装束の男の姿があらわれた。
「お見事です、華那子お嬢様。完全に気配を消していたはずなのですが……」
黒装束の忍者は、泣きボクロのメイドの前に跪《ひざまづ》きながらつぶやく。
「……右京。あなたはあたくしの代わりに奥賀《おうが》の潜伏に当たっていたのではありませんこと?」
「はっ、そちらは今、左京が行っております」
それを聞くとメイドはぷいっと顔をそらせて言った。
「極東へお帰りなさい。ここはあたくしだけで十分ですわ」
「そうはまいりません。棟梁《とうりょう》の命令です」
メイドは深くため息をつく。
「まったく、お父様の過保護にも困ったものですわね」
「かようにおっしゃるものではございませぬ。棟梁《とうりょう》はお嬢様を……」
「お説教はうんざりですわ。要件がなければ消えてちょうだい」
「失礼しました。要件はこちらにございます」
そう言うと黒装束の忍者はどこからともなくひとつの宝箱を出した。
「これは……?」
「大臣殿から我が一族に託《たく》された愛《アイ》手《テ》夢《む》にございます。そしてこちらが棟梁《とうりょう》からの書状です」
「……」
メイドは眉をひそめたが、しぶしぶ宝箱と巻物《まきもの》の一巻を受け取った。
「どうかお気をつけください。あなたは我ら一族の誇りなのですから」
そう残して忍者は消えた。
チーン!
その後すぐに魔道ベルが鳴り、エレベーターは5階に到着する。
(あっ、いけませんわ)
釣《つ》り目の泣きホクロのメイドは残された宝箱と巻物をあわててスカートの中へ潜り込ませた。
どんな異空間へいったか知れぬが、それらはスカートの中へちゃんと収納されたらしい。
ぴったり同時にエレベーターの扉が開いた。
……キャッキャッキャ♪
その向こう、5階のフロアには大勢のメイドたちが待機している。
「あら、呼び出しがあったの?」
メイド長が彼女へ声をかけた。
「ええ。お掃除でしたわ。でも、もう済みましたのよ」
「へえ、あなた。ずいぶんお仕事を覚えるのが早いのね。来たばかりなのに」
「おほほほ、前のお勤めもメイドでしたの。そこよりもここは働きやすくていいですわね。みなさんいい人ばかりですもの」
そう言って、女忍者はまたメイドたちの中へと溶け込んでいくのだった。
◇ ◇ ◇
ティアナはギルド本部の会議への参加が許される度に、【エイガの領地】のS級昇格を提言し続けていた。
その『領地全体でクエストをこなす』という独特な体勢を説明し、ギルド出張所や出先機関などのデータを片っ端から集めて、エリートたち向けに説得してゆく。
事実、その戦績も目を見張るものがある。
大猿、ダーク・クランプス、グリーン・ドラゴン、サーベルタイガー、ゴーレム、片翼の塔、シーサーペントと連戦連勝。
C級、B級、A級と、上昇格スピードも過去に前例のないほどだ。
次第に、ギルド本部の重鎮やエリートたちの中でも彼女の提言に頷き始める者も出始める。
が、しかし……
「どれもS級の参考にはならぬレベルじゃ」
「人数が多ければいいというものでもなかろう」
などと言って、ゴードンはこれをことごとく退《しりぞ》けていく。
長らくS級昇格審議に携わってきて人望も厚いゴードンと、優秀であるものの現役の冒険者であるティアナでは、信用や説得力に圧倒的な差があった。
「はぁ……」
ある日、預言庁12階『予言の間』にて。
ティアナは黄金《こがね》の三つ編みを肩へ垂らして、ため息混じりにソファへ腰かけていた。
膝の上にはネコ耳職員を抱え、ストレスからか手元でその子の肉球をプニプニしまくっている。
「うニャニャニャー! ティアナ様ぁあ!! おやめくださいニャー!」
肉球をいいように弄《もてあそ》ばれているそのネコ耳職員は、しっぽの部分だけ穴の開いたホットパンツのお尻をよじらせてジタバタと逃れようとしていた。
「……(ボー)」
しかし、ティアナは細腕ながら冒険者の腕力で無意識にホールドしており、ネコ耳の叫びも耳に入らぬようである。
プニプニプニプニ……
(それにしても、ゴードンがどうしてあんな……)
呆然として心ここにあらずなティアナだったが、赤い眼鏡の向こうでは鋭く青い瞳を光らせていた。
そう。
ゴードンは気難しいドワーフであったが、けっして新たな意見を頭ごなしに否定するような人ではなかったのだ。
無名だった勇者パーティがA級やS級にあがれたのも、そんな彼に最初に評価してもらったところが大きいのである。
ザハルベルトに来てからは、ティアナの数少ない理解者でもあったはずだった。
それが、どうしてエイガのS級の件ではあそこまでかたくなに否定するのだろうか?
プニプニプニプニ……
「うニャー! ティアナ様ぁあ」
(はっ……!?)
ティアナは我に返り、自分が猫耳職員の肉球を思いっきりプニプニしていることに気づく。
プニプニプニプニ……
「あら、いけない」
パっと手を放し、無意識にホールドしていた彼女の肉体を開放してあげた。
「ううう、ティアナ様までアタシの肉球《からだ》が目当てだったニャンて……!!」
「ラナ。ごめんなさい」
「許さないニャー! 訴えてやるニャー!」
「あ、ラナ……」
猫耳職員はホットパンツから飛び出たしっぽをぷりぷり怒らせて、席へ戻って行ってしまった。
「ニャニャン……(怒)」
デスクに腰かけると、ツーンとしてこちらを見てくれない。
(困ったわ。ラナに嫌われてしまう)
ティアナは顎に手を当てて考えると、机の上のベルを鳴らした。
チリリン♪ チリリン♪
このベルを鳴らすと、5階で待機しているメイド室からメイドがやってくる仕掛けになっているのだ。
「お待たせしましたわ」
こうして泣きボクロの魅力的な美人メイドがドアを開いたのは、ベルを鳴らしてわずか2、3秒後のことである。
「!?……ずいぶん早いのね?」
「オホホホ、常時奉仕体勢、メイドとして当然のことですわ」
「……そういうものかしら?」
「ええ、それよりもご用をお申し付けくださいまし」
「そ、そうだったわね。実はかくかくしかじかでラナが機嫌を損ねてしまったの。すぐにご飯を用意してちょうだい」
「なるほど。しかしラナ様はすでに好物のお魚を召し上がったばかりですのよ」
「そう……食べ過ぎはよくないものね」
ティアナは眉を下げてまた悩み始めたが、メイドは代わりに木の棒のようなものを差し出した。
「これは?」
「またたびですわ」
メイドがそう説明するやいなやの時である。
「ニャーン♡♡♡」
「きゃっ!」
猫耳職員が急に飛びかかってきたのである。
びっくりしたティアナはまたたびを上へ引いてしまうが、職員は彼女の乳房につかまり、よじ登りつつまたたびへ可愛い手を伸ばしている。
「ラナ、仲直りできるかしら?」
「仕方ありませんニャ。ティアナ様にゃら」
「ありがとう。ラナ、ほらまたたびよ」
「にゃにゃにゃんニャーン♡♡」
するとラナはティアナの膝の上に愛らしく乗っかって来た。
(……こ、これは素敵ね)
と、ティアナはラナのしっぽをモフモフしながら胸を弾ませる。
「おほほ、それではごめんあそばせ」
メイドはそんな様子を見てそっと部屋を退出した。
同時に、その翻ったスカートの跡にはひとつの宝箱が残されていたのだけれど……
猫耳職員のモフモフに心を奪われていたティアナは、しばらくそれに気づかなかった。
「……ふんふんふーん♡」
「ニャニャニャーン♡♡♡」
こうして、またたびにアヘッてしまった職員のしっぽやら肉球やら猫耳を思う存分モフモフしていたのであるが、ふと立ち去ったメイドの跡にひとつの宝箱が残されているのに気づく。
(いけない!)
不審な宝箱に気づいた彼女はとっさに警戒し、またたびをしまった。
「はっ!? 私はニャにを……」
「ラナ。下がって」
ティアナは猫耳職員を背後に隠し、索・宝箱魔法【ニャンパス】を使った。
彼女はこの魔法で、宝箱の安全性を事前に調べることができるのである。
中身が安全なアイテムならば猫の鳴き声が、罠ならば虎の呻き声が宝箱から生じる。
……にゃーん♪
ティアナはほっと胸をなでおろした。
「どうやら危険物ではなさそうね。ラナ。もうだいじょうぶよ」
そう言って猫耳職員の猫耳をなでると、彼女は宝箱を開けた。
「一体なにかしら?」
中には円盤状のアイテムが入っていたが、ティアナにはそれがなんだか見当もつかない。
「ニャンですって?」
「宝箱の中身よ。メイドさんが残していったものだと思うのだけれど……」
ティアナが首をかしげていると、猫耳職員は言った。
「このアイテムならこの『予言の間』でも使えますニャ」
「ラナ、これがなんだかわかるの?」
「もちろんですニャ。これは……」
猫耳職員は鼻をすんすんと鳴らしてからこう言った。
「これは活動写真のフィルムですニャ」