「よし、エルビス。東方から完全撤退するぞ」

「え? 完全撤退ですか? このバリアントに残ったら駄目なんですか?」

「別に残ってもいいけど、そうした場合、二度と大雪山を越えて西に戻ることは許さん。それでもいいというなら残れ」

「なんでですか? いきなりそんなことを言われても、みんな困惑するでしょう?」

「しょうがないよ。俺が【命名】って呪文を作っちゃったんだから。あれは誰もが自由に名付けできる。故に、それの拡散を防ぐことは難しい。【命名】を使える者をフォンターナ王国内で増やして混乱させないためには、そいつらを絶対に国内に入らせないことが重要になるからな」

バリアントで霊峰の麓に住んでいた住人相手に名付けを行っていた。

そこで、俺は【命名】という魔法を呪文へと昇華させてしまった。

これは、【命名】とつぶやくだけで右手から名付けの魔法陣が展開されて、相手に名をつけることができるようになる魔法だ。

すなわち、これからは東方で誰もが自由に名をつけることができるようになった。

それはすべての者が魔法を使える世界になったことを意味する。

しかし、それはいいことばかりではないだろう。

あらゆる者が俺の魔法を使えるようになったということは、非常に大きな影響を社会全体に与えることになる。

当然、大きな混乱に発展することになる。

それを東方ではなくフォンターナ王国でも引き起こせばどうなるか。

今すぐに想像できるだけでも、教会からもフォンターナ王国に住む貴族連中からも俺が睨まれることになる。

では、そのような混乱をフォンターナ王国で引き起こさないためにはどうすればいいか。

大雪山という自然の障害物を利用するしかない。

東方とフォンターナ王国は大雪山という天をつくほどの高い山々で完全に遮られており、行き来は困難だ。

故に、【命名】を使える者を東方から入り込まないようにすることが重要になる。

いわゆる水際作戦とでもいうような方法をとることにしたのだ。

そのために、今バリアントに滞在している連中が【命名】を使えないうちにバルカへと連れて帰る必要がある。

もしも、ここでバリアントへ残るという選択をした場合は残念ながら二度とバルカの地は踏ませない。

帰るのならば今が最後のチャンスだ。

リーダー的存在になっているエルビスへとそう伝え、この地にいた元東方遠征軍のメンバーだった者を集めてもらい説明を行った。

帰るのも帰らないのも自由だが、しっかりと自分で決め、その選択に責任を持ってもらう。

ちなみに、【命名】という魔法を作った場合にこういうことになるのは予想が付いていた。

なので、俺は今年に入ってから春に予定されていたシャーロットとの取引までの間にバリアントの地へ手を入れていた。

生前継承する前の魔力が大量にある間にバリアントへと渡って、バリアント城を作り上げたのだ。

バルカニアのように広い土地ではないが、浮遊石でバリアント城建設予定地を浮かび上がらせて、そこに転送魔法陣を作った。

転送魔法陣は巨大な転送石を使用してアイシャから教わった魔法陣を作り上げることで、気軽に転移できるようになる移動手段である。

通常の転送石ならば当主級の実力がある者だけがその魔力を用いて転移するが、転送魔法陣ではそこまで魔力は必要とされない。

それに、大きな魔法陣に乗せることによって人と一緒にものも移動することができた。

新造した魔導飛行船をバルカニアからバリアントへと持ってこられたのも、この転送魔法陣あってこそだろう。

しかし、当主級でなくとも利用でき、大量の物資も運べるというのはメリットでもありデメリットでもある。

それを利用して、東方から大雪山の西にある天界バルカニアまで移動してくる者がいても困る。

そのための対策として、転送魔法陣には鍵をつけることにした。

巨大転送石を使って作り上げた転送魔法陣は厳密に言えば未完成の状態で作ったのだ。

バルカニア側では一部分だけ転送石が足りない状態にしておき、使用するときにはガチャンと転送石をはめ込むようにしないと転送魔法陣が完成しないようになっている。

こうしておけば、平時は東方とは行き来できないようにすることが可能だ。

東方側は空に浮いた島の上にあるバリアント城の土地に転送魔法陣を設置したので、勝手に利用される危険性も少ない。

たぶん大丈夫だろう。

すでに、地上部分にあった転送石も破壊済みなので、【命名】を使える者が東から西へとやってくるリスクは限りなく少ない。

ちなみに、天空城として作ったバリアント城だがこちらはバルカニアと同様に空に浮いてはいるが状況は少し違う。

バルカニアにはアトモスフィアという迷宮核があるために、空にあっても土地の自然が保たれている。

が、このバリアントではただ単に地上から浮かせただけで迷宮核に相当するものがない。

たぶんだが、いずれ雨風に晒されて風化してしまうのではないかと思う。

まあ、俺が生きている間くらいは十分利用可能だと割り切って使うだけの、空飛ぶ拠点と言えるだろう。

「アルス様、俺はこっちに残りますよ」

「え、本気か、エルビス?」

「はい。自分なりに考えた結果です。アルス様も誰かはこっちに残っていたほうがいいのではありませんか? というか、バリアント城を管理する人がいるんじゃないですか?」

「そりゃまあ、そうだな。ってことは、エルビスが空に浮かぶ城を守ってくれるってことか。いいのか? あんまり楽しい仕事にはならないと思うけど」

「ええ。俺はアルス様のために働きたいと思っていたんです。それくらいさせてください」

「そうか。わかった。それじゃ、よろしく頼むよ、エルビス」

当主級の実力があるエルビスがわざわざなにもない宙に浮かんだだけの城に残ってくれるらしい。

まあ、こいつなら大丈夫か。

エルビスを慕って、一緒にバリアント城に残るというやつもいたので、まとめて城に置いておこう。

なんだったら、もうちょっと土地を広げておいてもいいかもしれない。

それに、バリアントから完全撤退するとはいっても、タナトスとの約束もあった。

アトモスの戦士の生き残りを回収して、バルカニアに受け入れるという約束を反故にするわけにもいかない。

地上にいるスーラと空にいるエルビスが連絡を取れるようにでもしておこうか。

ヴァルキリーの角を利用したラジオを作ったことがあったが、あれを利用してトランシーバーのようなものでも作ってしまおう。

そうすれば、スーラのもとに集まってきたアトモスの戦士のこともすぐに知らせてくれるだろう。

こうして、【命名】という魔法を東方という世界に種まきした俺は、東方から完全撤退するといって手を引いたのだった。