「はい」
リクが少し緊張しながら返事をすると、
「ちょ、ちょっと待ってね」
ショウが慌てている。
「どうした、ショウ」
いつもと違うショウに、ファルコが不思議そうだ。
「あの、人じゃないものの命の輝きを見るのは初めてだから、ちょっと目が慣れるまで時間がほしいの」
「ふむ。確かにな」
導師も頷き、深森の三人は、静かに周りを観察し始めた。少し目を細めているのは、治癒師以外にはよくわからない命の輝きを見ているからなのだろう。
「わかりにくい……全体にもやっと見えるけど、草木の一つ一つはほんとに弱い輝きしか放ってない。リク、よくわかったね」
リクもなんでわかったのか自分でもよくわからなかった。
「ショウ、こうやって丘を見てから、麦畑のほうを見てみて」
「うん。あ」
ハルの声で麦畑のほうに振り向いた三人は、一瞬動きを止めた。
その三人の目には何が見えるのだろう。
「きれい……」
「これが大地の命の輝き……」
そうだ、それがリクにしか見えなかった世界だ。リクには、その世界が自分のものだけではなくなったことを喜ぶべきか、さみしく思うべきかわからず、ただ、三人の後ろ姿を眺めていた。
「リク」
突然ハルが振り向くと、リクの肘を取り引っ張った。
「え、なに」
ハルはそれには答えず、ハルとショウの間にリクを連れてくると、
「きれいだね」
と、それだけ言った。
まだ午前中の日の光に照らされた麦畑は、四人の目には明るく、くっきりと色づいて見えた。
「ああ」
でも、だからこそ皆にはその目のままに振り返ってほしかった。
「ほら」
リクはショウとハルの袖を引っ張って、丘のほうを向かせた。導師も遅れて丘を見やる。
「そういうことか」
「暗いね」
「ふむ。生気がない、なるほどな」
丘の部分は、麦畑や街道に比べると明らかに元気のない人のようだったのだ。
「今なら、リクがやっていることが見えると思う。お願いできる?」
ショウの目がしっかりと定まった。導師が隣で頷く。
「わかった。見てて。ほんの少しだけ、大地が元気を取り戻すように」
リクは片膝をつくと、両手をそっと大地に当てた。
そして目をつぶると、治癒をするときのように、女神の元にある魂のエネルギーを引っ張ってくる。完全に元気を取り戻さなくてもいいんだ。ほんの少し、ほんの少しだけだ。
サイラスが藪を払って整えた土地の分だけ、範囲を指定して、エネルギーを足していく。
「すごい。ねえショウ」
「うん。ひどい怪我を治すくらいの力を使ってる。すごい量のエネルギーを持ってきてるんだね」
やはりショウたちには、リクのやっていることが見えるらしい。
「よし、このくらいだ!」
額の汗を腕でぬぐってリクは明るい顔で立ち上がった。
その時、ファルコが、そしてレオンが草原のほうを向いた。
「すごいよ! 導師、私たちもやってみたい」
「実を言うと、私もだ」
深森の三人も興奮している。
しかし、レオンははしゃいでいる四人にかまわず、サイラスにこう言った。
「ちょっと草原のほうがざわざわしてる気がするんだ。見てきてもいいか」
「かまわないが」
何も言わずレオンの後をついて行こうとしたファルコが、ふと立ち止まった。
「父さん、あいつら、治癒のこととなると無茶をするから。しっかり見ていてやってくれ」
「わかった」
サイラスは狩人の二人を見送ると、四人の治癒師に向き合った。わずかに治癒の素質があるとはいえ、サイラスには命の輝きや生気を目で見るほどの力はない。ただ、リクのやってきたことが、深森の治癒師たちに認められたことが純粋に嬉しかっただけだ。
見ていると、ショウと導師が大地に手を当てている。にこにこしてはしゃいでいたハルは参加せずに、それをじっと観察している。
「ほんの少し、範囲を決めてほんとに少しだけな」
「ううん、難しいけどやってみる」
ショウが頭をひねりながら、導師が難しい顔をしながら取り組んでいる。
「力の、調節が、難しい。エネルギーが流れすぎる。駄目だ!」
ショウは地面からぱっと手を離した。そして横を向くと同時に、導師の手も無理やり地面から離した。
「リクみたいにゆっくりできない。危うく魔力切れになるとこだった」
「恐ろしいな。やはり慣れぬことをいきなりするものではない」
導師も額の汗をぬぐっている。
「ハル、次はハルの番、え、どうしたの」
ハルはいつの間にか、草原のほうを向いていた。
「草原がおかしくない?」
「草原? そう言えばファルコとレオンは?」
さっきまでいたはずのファルコとレオンがいないことに気づき、ショウがきょろきょろした。
「草原がざわざわしてるから見てくるって言ってたぞ」
「ざわざわ……」
ハルが目を細めた。
ショウも嫌な予感がして、隣で草原のほうを眺めた。
普段はバラバラに仕事をしているが、今は導師の護衛がファルコの仕事だ。ここは外だ。室内と違って、治癒をするときは無防備になる。そんな導師を置いてどこかに行くなんて、普段のファルコならありえないことだ。
春の草原が遠くで波打っている。まるで強い風が吹いているように、ざわざわと。
「おかしい、風なんてない」
ぶーんと。なにか遠くの方で音がする。ハルが草原のほうを見てつぶやく。
「こうして、ざわざわと方向の定まらない不安の中で、私の役目は大きな魔法を撃ちあげることだった。その魔力の大きさに、魔物が集まってくるのだから」
「まさか、ハル」
「手加減したとしても、私たちの魔力は大きい。なんで気づかなかったんだろう」
既に最初の一匹は目に見えるところに飛んできていた。
「無意識に、魔物を集めていたんだ」
魔物がこちらに向かっている、という状況の中で、誰もが一瞬何も判断できずにいた。
しかし、ハルが突然走り出した。
「ハル!」
「町に魔物が向かわないように、草原で魔物を引き付ける!」
「まさか、ハル!」
「久しぶりだけど、きっと大丈夫。だって慣れてるもの」
振り向いたハルは、きれいに笑って草原に駆け出した。
「とりあえず、私も行く! 二人は丘から離れて! 移動中の魔物はそんなに人は襲わないから!」
ショウはそう叫ぶと、ハルを追って、増え始めたハネオオトカゲの真ん中に突っ込んでいった。
「私も行く」
導師はすらりと腰の剣を抜くと、やはりハルを追って走り始めた。