ついに作戦開始の早朝となった。

今日でやっと俺たちの戦いが終わると思うと、全ての苦労が報われるような気がする。しかし油断してはならない。あくまで最終戦というのは、王国軍側が予想している話であり、最後の戦いにならない可能性もある。

そして、俺は一人で外に涼みに来ていた。

今はどうして基地にいる気にはなれなかった。そこではどうしても考えてしまうからだ。隣に座っている人が、視界に入る人がこの後すぐに死んでしまうかもしれないから。

居場所はずっと、特殊選抜部隊《アストラル》の中にあると思っていた。いやそれは間違いないというのに、今は自分の居場所などどこにもないように思ってしまう。

決してそれは今の自分のことを不幸だとか、もう嫌だとか思っているわけではない。ただ純粋に分からないのだ。

自分がどうしていいのか。

どうして俺は戦っている? どうして俺は生きている?

そんなことをどうしても問いかけてしまうのだ。

「レイ。もうすぐね」

「……」

「もうすぐあなたに会うことができるわ」

「……」

その問いかけに応えることはない。最近ずっと語りかけてくる謎の少女。これは幻聴だ。幻聴に違いない。そう自分に言い聞かせても本能ではそれは違う、と否定してくる。

本能と理性の乖離。

この極東戦役によって俺は完全に迷ってしまっていた。

けれどやるべきことは明確だ。俺の感情など、どうでもいい。やるべきことはできるだけ多くの敵を屠るだけ。それだけを続けていれば、いつかこの戦争は終わる。そして俺は自分の居場所へと戻ることができる。

自分の居場所……?

居場所。そうだ。

俺の居場所は特殊選抜部隊《アストラル》しかない。でももう……ハワードはいない。本当に彼のいない場所が、俺の居場所と言ってもいいのか?

なぁハワード。

お前のいない世界で俺はどうやって生きればいいんだ?

あの時みたいに、笑って過ごせる時が来るのか?

と、そう考えていると後ろから足音が二つ聞こえてきた。

「レイちゃん……」

「レイ。ついに今日で最後だな」

やってきたのはキャロルと大佐だった。

二人とも戦闘に参加することはないが、作戦司令部から適宜指示を伝えてくれる。俺からしてみれば、作戦司令部の人間の方が辛い思いをしている気がする。戦場では戦うだけでいい。余計なことなど、考える必要はない。

けれど、作戦を指示して戦況を常に考え続ける側の人間にできることは、安全地帯から指示することだけ。

仲間が死ぬたびにアナウンスをし、そして目紛しい状況に適応できるように考え必要がある。

目の前にいる二人は俺よりもずっとやつれているように見えたが、この時の俺はそんな二人を思いやるほどの余裕などありはしなかった。

「……レイちゃん。今回の作戦の立案は私がしたけど、無理なら言ってね。ちゃんと比較的安全なところでも戦えるように手配もできるから」

「キャロル。俺は大丈夫だ。最前線で最後まで戦う」

「……うん。気をつけてね」

キャロルは多くは語らなかった。

目の下には化粧で隠してるようだが、物凄い隈《くま》が残っていた。それはいつもお得意の化粧では隠し切れないほどに。それにニコリと微笑みかけているが、心から笑っているわけではない。無理をして俺に笑いかけている、そんな印象だった。

「レイ」

次に声をかけてくるのはガーネット大佐だった。

アビー=ガーネット大佐。

おそらくこの極東戦役で一番昇進したのは彼女だろう。大佐はハワードの死を経験して大きく変わった。後で聞いた話なのだが、大佐はハワードのことを愛していたらしい。

愛していた人が死んだ戦場で戦う気持ちとは、どのようなものなのだろうか?

普通は心が折れてしまってもおかしくはないというのに、彼女はこうして毅然と振る舞っている。そんな大佐の強さにはただただ尊敬の念を覚えるばかりだ。

「……大きくなったな」

「そうですね。昨日の夜、師匠にも同じことを言われましたよ」

「……そうか。レイ、改めて覚悟は変わらないんだな?」

「はい。自分は最後まで戦います」

「分かった。これ以上は無粋だろう。頼んだぞ」

「は。了解いたしました」

肩を優しくポンと叩かれるので、敬礼をしてそれに応える。そうして二人の横を通り過ぎて、俺は去って行く。

この後、どんな戦いが待っているかも知らずに俺は進んでいくのだった。

戦況は大きく変化していた。それも、王国軍がかなり優勢である。師匠が最前線を切り開き、他の兵士たちがそれに続いて流れ込んでいく。最後の戦いは丘での戦いだった。下には平地が広がっており、敵はちょうど丘の上を陣取っている。地形的には相手の方が有利ではあるが、そこは師匠によって切り開かれて行く。

仲間の士気も確実に上がって行く。

このままだと勝てる。

そんな意識が全員の中に芽生えはじめた頃だろうか。この戦場が更なる地獄へと変貌していったのは。

「これは……」

「師匠……これは、なんなのですか?」

俺と師匠は最前線を走っていた。他の仲間のためにも、全てを切り開くために猛然と戦っていた。しかし、真後ろで真っ白な光が上がったかと思うと……後ろにいた仲間たちは全てが死体に成り下がってしまった。

呆然として後ろを見つめる。

また、巨大な光の柱に呑まれていったのは仲間だけではない。敵の兵士もまた同じ光に包めれると地面にひれ伏していた。体は完全に焼け焦げており、苦しんでいる声が聞こえてくる。

それと同時に前方から一人の男と、幼い少年がやってきていた。

雰囲気だけで分かる。この二人は……只者ではないと。

「あぁ……レイ。やっとだ。やっと会うことができた」

髪は長く、顔の造形は限りなく中性的。この戦場の中だというのに微笑みを浮かべ、スーツを着ている姿もどこか異質だ。そんな彼は俺のことを注視している。師匠のことなど、眼中にないようだった。

「レイ。下がれ」

「……師匠。しかし」

師匠が前に出てくる。俺の姿を隠すようにして、相手のことを睨み付けているようだった。

「リディア=エインズワースか。あなたはこの場所に必要ない。しかし、レイをここまで連れてきてくれたことに対しては、感謝していますよ?」

「……お前がやったのか?」

「ん? あぁ。先程の魔法でしたら、私ですよ。といっても非常に簡単なものですけどね」

「……お前の仲間たちも死んでいる。無差別攻撃のつもりか?」

「はぁ……分かっていない。本当に、本質を理解していない」

やれやれと言わんばかりに首を横にふる。

こんな会話をしている場合ではない。すぐにでも戦うべきだということは分かっている。しかし、相手の言葉を聞くたびに体が震えているのが分かる。本能的に敵を恐怖しているとでもいうのだろうか?

「といっても、ただの人間でその領域にたどり着いたのはある種の究極。リディア=エインズワース。あなたの魂も連れていって差し上げましょう」

「……ほぅ。一体私をどこに連れていってくれるのかな?」

「──真理世界《アーカーシャ》ですよ」

俺は完全に気が付いていなかった。

真後ろから先程いた少年が俺に近づいてきていることに。体には漆黒の第一質料《プリママテリア》を身に纏って突撃してきている。これは……知っている。この戦場で幾度となく見てきた。

この攻撃は自爆だ。

自分の第一質料《プリママテリア》を最大限に出力させて、相手もろとも跡形も残らないほどに爆発するという極悪な魔術だ。

俺は自分の失態に今更気が付いてしまったが、もう……遅かった。

これは死だ。今まで何度も感じてきた、死の感覚を感じる。

だが……その覚悟していた死はいつまで経ってもやってこなかった。

「……レイ。大丈夫か?」

「師匠……!? どうして……!? どうしてですか……?」

「ごほっ……あぁ……どうしてだろうな。勝手に体が動いていたんだ」

俺を抱きかかえるような形で師匠は蹲っていた。咄嗟に俺を庇うと全身をありったけの第一質料《プリママテリア》で覆ったのだろう。即死することは互いになかった。

けれど……。

「でも……師匠の腕と足が……っ!!」

「……はは。こんなものはどうともでも……なる……さ……」

倒れ込む。

いくら師匠であったとしても、先程の自爆を完全に防ぐことはできなかった。それは俺を守るために十分な準備ができなかったからだ。俺は惚けるしかできなかった。その一方で師匠は俺を守る為に、動いてくれた。

左腕は肘から先が弾け飛び、右脚は太腿の根元から完全にちぎれていた。下半身は焼け焦げ、血が止めることはない。ドクドクと溢れ出る血液は師匠の死が迫っていることを如実に物語っている。

「ふふ。ふははは! あぁ……分かっているとも。この攻撃をこのタイミングで仕掛ければ、必ずリディア=エインズワースは庇うとな。レイ。とても美しい師弟愛じゃないか?」

「あぁ……あ……っ……あぁ……ッ!!!」

こんなところで俺は師匠を失うのか?

戦場とは無慈悲だと分かっているつもりだった。

人が死ぬときは、何も劇的なことなどありはしない。

無慈悲に冷酷に、まるで一つの作業のように人の死というものに直面してきた。

でも……俺のせいで……俺のせいで師匠が死ぬのか?

治療しているが間に合うことはないのは分かっている。分かってるというのに、俺はこの手を止めることはできない。ハワードの時の記憶が否応なく呼び起こされる。

それと同時に、少女の声が聞こえてくる。それはもう幻聴の類などではなかった。目の間に本当に少女がいたのだ。

真っ白な髪を靡かせながら、彼女は俺に問いかけてくる。

「レイ……助けたい?」

「なんでもするッ!! 師匠が助かるのなら、俺はなんだって犠牲にできるッ!!」

「そう……いいわ。レイ、一緒に行きましょう?」

瞬間。

心の中にある小さな器が弾け飛ぶような感覚を覚えてた。

「あ……あぁ……うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアッ!!!」

「ははは! レイ、流石だ! お前ならきっとたどり着くことができると思っていた。あぁ……愛しい私の弟よ。この世界の全てを零に返してくれッ!!!」