その日、王都にあるリュミナス侯爵家は大勢の貴族たちで賑わっていた。

王国内でも大きな力を持つ侯爵家が総力を挙げて開催した大パーティー。国中の多くの要人が集まり、その大きな邸宅は不夜城の輝きに満ちあふれていた。

人であふれかえる邸宅を一人の美青年が歩いていた。

彼の姿を見かけるなり、来訪していた貴族の客人はおっという表情を顔を浮かべる。

青年は彼らひとりひとりに丁寧に挨拶をした。

「今日はよくぞお出でくださいました。このアレンジア・リュミナス、決して今日のことは忘れません」

そう言ってほほ笑みとともに客人の手を握った。

アレンジア・リュミナス――二五歳。

柔らかな茶色い髪に人好きのする笑顔。着ている服は上級貴族にふさわしい最高級の仕立て。動作のすべてに洗練が行き渡っている。

今日のパーティーは特に開催理由を示されてはいないが、参加者はみんなわかっている。

これはお披露目なのだ。

リュミナス家の次期当主がアレンジア・リュミナスであると知らせるための。

もちろんアレンジアも知っている。

だから、こうやって蜂のように飛び回って自分の顔と名前を売り続けている。

自分の家を栄えさせるために――

いや、より正確には自分自身の価値を高めるために。

「はっはっはっは! いやいや、アレンジアくん、立派になったね。学校も首席で卒業し、お父上も鼻が高いだろう!」

赤ら顔の中年貴族が機嫌良さそうに言い、アレンジアの腕を叩く。

アレンジアは照れたような表情を作った。

「首席は運がよかっただけです。ですが、父が誇りに思ってくれているのなら嬉しいですね。親孝行になりますから」

「いい息子さんを持ったな、リュミナス家は!」

そこで中年貴族がはたと思い出した表情をする。

「ああ、そうだ。私の子供が王立魔術学院に通っているのだがね」

「優秀なご子息で」

「いやいや! たまたまだよ! できが悪くてね!」

まんざらでもなさそうに笑った後、中年貴族が続けた。

「学院で最近、新入生が表彰されたそうなのだよ」

「ほう」

アレンジアはにこにこと話を聞きながら退屈していた。

別にアレンジアは魔術になど興味がない。なぜ自分にそんな話を振ってくるのか疑問だった。

おまけに顔を売りたい重要人物はまだまだいる。ここで時間を浪費するわけにはいかない。

話を打ち切ろうとしたとき――

「その生徒の名前がね、アルベルトというんだよ」

もしもアレンジアが顔の筋肉を意識して制御しなければ、その美しい顔は不快に歪んだだろう。

アルベルト。

その名前はアレンジアにとって禁忌だ。

不出来で愚かで家名に泥を塗った兄弟。

血縁者である事実だけでもおぞましい。

「ほう?」

体内で膨れあがった感情を一切表情には見せず、アレンジアはにっこり笑ったままそう答えた。

中年貴族は上機嫌で話を続ける。

「確かこちらの家にアルベルトくんというご子息がいた気がするのだがな。まさか……?」

おそらくこの中年貴族はリュミナス家の家系図を曖昧に覚えているのだろう。アレンジアにそういう名前の『弟』がいると。

――私は二五歳。アルベルトは兄です。普通に考えて魔術学院の新入生のはずがありませんよ。

そう答えてもよかったが。

アレンジアは別の答えを選んだ。

「リュミナス家にアルベルトなどという人間はおりません。きっと記憶違いか何かかと」

「おお、そうかそうか。それは失礼なことを! 年は取りたくないものですなあ!」

そう言うと中年貴族はぺこりと頭を下げてどこかへと消えた。

別にアレンジアは嘘を言っていない。

アルベルトは家を追放された。父からリュミナスの名前を名乗るなと言われている。

リュミナス家はアルベルトという存在を認めていない。

もちろん――

父がアルベルトをリュミナス家の末席に認めていてもアレンジアの言葉は変わらなかっただろうが。

アレンジアの中でアルベルトはすでに死んでいる。

ただの家の汚点。

それだけだ。完璧なる自分の経歴についた許しがたい染みでしかない。

どうしようもなく愚図で長所のない男だった。すべてにおいてアレンジアに劣っていた。

(いや、ひとつだけあったか……)

アルベルトは何の訓練もなく魔術が使えたのだ。

その事実は子供の頃のアレンジアをいらだたせた。魔術という分野は特殊だからだ。

語学も数学も剣術も誰だって優劣はあれど学べる。だが、魔術には才能という絶対的な壁がある。

アルベルトには才能があって――

アレンジアにはなかった。

それはアレンジアにとって不快な事実だった。

しかし、それもたいして悩む必要はなかった。

アルベルトが使えたのは初級魔術マジックアローだけだからだ。

「くっくっくっく……」

思い出し、慌ててアレンジアは口元を隠して笑った。

せっかくの才能も初級魔術マジックアローだけで枯渇。

本当にどうしようもなく憐れな兄だった。

むしろ、その程度の才能はなかったほうが幸せだっただろう。

結局は他にひとつの魔術すら習得できず学院から無様に逃げ出し、そのせいで父の逆鱗に触れて追放されたのだから。

アレンジアにとっては幸運だったが。

あの件が起こるまで父は跡継ぎに悩んでいるようだった。誰がどう考えても優秀なアレンジアなのだが、父は長子であることにこだわりがあって領主アルベルト、実務アレンジアという案にも未練があったらしい。

だが、学院での事件で完全に潮目が変わった。

激怒した父はアルベルトを見限り、アレンジアを正式な後継者と決めたのだ。

口に手を当てたまま、アレンジアはそっとつぶやく。

「ありがとう、兄さん。どうしようもない無能で。おかげで俺が侯爵家を継ぐことができたよ」

それだけだった。

その言葉だけで久しぶりに思い出したアルベルトの存在をアレンジアは頭から追い払った。

今日は自分の名を売る晴れの舞台。

ゴミのような兄に割く時間も思考もあるべきではない。

さっきまでと同じにこやかな笑みを浮かべてアレンジアは客人たちへの挨拶に戻った。

仮面のような笑顔を顔に張り付けてこう言う。

「今日はよくぞお出でくださいました。このアレンジア・リュミナス、決して今日のことは忘れません」