「あそこにいる金髪の娘が、ターゲットです。燕止水(ヤン・シーシュイ)、やってくれますね? ここにいる私たちも加勢しますので、あなたのタイミングで指示を下さい」

「……」

眼鏡をかけた男に話しかけられた男は無言で校舎の方を見つめる。

聖清女学院の広大な敷地の東端に位置する林の木の上から各々自由な服装に迷彩服の上着を着こんだ黄色人種の4人の男と簡素な漢服を身につけた男が、校舎屋上に一様に顔を向けている。

そのそれぞれの風貌から年齢にはばらつきがみられるが、30~40歳前後の集団に見えた。また、それぞれに異様な気配を纏っており、常人とは何かが違う空気が感じられた。

燕止水と呼ばれた男以外は電子双眼鏡でその屋上の様子……祐人たちをつぶさに確認している。

「おい! 聞いてんのか? 死鳥!」

止水の後ろから、目つきの鋭い男が凄む。

止水はその切れ長の目で後ろの凄む男を一瞥し、前を向いた。

木々の上で大の大人が潜む姿は外からは影のようになり、視認できない。また、止水だけは他の4人と違い、木の小枝の上に胡坐をかいている。

止水の180センチ近い身長から考えて、明らかにそのような小枝に座れる体重ではないはずだ。だが、止水を支えるその小枝はまるで止水という存在を無視するように微動だにせず、しかも、辺りをゆるい風が生じるとその小枝は止水と共に揺れる。

「……帰る」

止水はその小枝の上で立ち上がる。

「ああ!? ふざけんな! これだけのメンバーが揃ってんだ。今、やっちまえば良いだろうが! あんな小娘を攫うのにどれだけ慎重なんだよ? 何だ、死鳥、ビビってんのか?」

「まあ、待て、毒腕(どくわん)。伯爵からの命令も燕止水に従えというものだ。彼が帰るというのなら今は引き上げる。それにお前もあの娘たちを舐めない方がいい。あれで機関のランクAだ。その実力は先のミレマーでも証明されている。下手に攻め込めばこちらも痛い目にあうぞ」

「はん! 百眼(ひゃくがん)! 俺はこんな野郎、認めてねーんだよ。こんな仕事なんぞ闇夜之豹だけで十分だろうが。それに機関のランクなんぞ当てになるか。つまらん試験で俺たち能力者の真の実力が測れるかよ」

止水は表情を変えず、伯爵という言葉を聞き、鼻で笑う。

その止水の態度に毒腕は激高する。

「な、なんだテメー。伯爵を馬鹿にしてんのか!?」

「止めろ! 毒腕」

「好きにしろ……」

「はん?」

止水はターゲットのいる校舎屋上の若者たちを鋭い目で睨んでいる。止水には電子双眼鏡がなくともそれぞれの少年少女の細かい表情まで見てとれる。

そして、止水の視線はその屋上にいる一団の中心で何やら話している少年に注がれていた。

「だから好きにしろと言っている。闇夜之豹がお前が言うほどの実力なら、今、行ってあの娘を攫ってくればいい。それが出来るんならな」

毒腕は止水の抑揚のない言葉に拳を握りしめた。

「いいだろう……やってやるよ」

「毒腕、冷静になれ! やる時は同時に動く。勝手な真似は許さん。あそこにいる精霊使いは四天寺家に連なるものだ。簡単ではないんだぞ!」

百眼は毒腕を制止するが、毒腕は既に動く気でいるらしい。毒腕は後ろにいる、もう二人に目配せすると、百眼と止水を除いた3人がその場から姿を消した。

「な、馬鹿どもが……」

百眼と呼ばれた男は、この同僚の軽挙妄動に歯噛みする。

「燕止水、何故、許したのですか。これでは成功しても国元から後処理で文句を言われてしまいますよ」

「……」

止水は返事をせず、毒腕たちが向かった屋上の方を見つめている。

「それに、毒腕はあなたを侮っていましたが、言っていることについては間違えていないところもあります。少々、強引ではありましたが、死鳥とまで呼ばれたあなたがいれば、あのターゲットを今、攫うことも可能でしたでしょう。それを何故、このような作戦も何もない短慮を許したのですか?」

「……そんな簡単ではない」

「は?」

「見ていろ」

話がある程度、終わった途端に背筋に悪寒が走った祐人は座っている後ろに振り向いた

「何? どうしたの、祐人」

瑞穂が祐人の雰囲気が変わったことに気付く。

「みんな気を付けて!」

「え!?」

この瞬間、祐人の耳に空気の切り裂き音が入った。

その切り裂き音は祐人に向かっている。避ければマリオンに直撃コースだ。

祐人はすぐさま膝を立てて、右の手刀で眼前を薙ぎ払うようにすると、祐人の前にヒ首が弾け飛ぶ。

その暗器を見てそこにいる全員が顔色を変える。

ニイナからは悲鳴が上がり、一悟も事態が掴めずに呆然としていた。

「瑞穂さん、マリオンさん! ニイナさんと一悟をお願い!」

「分かったわ!」

「分かりました!」

祐人の指示に即座に反応し、迎撃態勢を整える二人の少女のこの行動は実戦で培われたものだ。

瑞穂とマリオンはニイナと一悟を背後に移動させて、辺りを警戒し、同時に瑞穂は探査風を屋上全体に飛ばして攻撃を仕掛けてきた謎の敵を索敵する。

「何なのよ! 一体! 祐人!」

「分からない! でも油断しないで!」

祐人は瑞穂たちの前に立ち、仙氣を練りつつ、視線だけで周りを確認する。

(1人、2人……3人!)

祐人が敵の人数を把握したと同時に、瑞穂の探査風にも反応が見られた。

「来る!」

その祐人の発声と同時に、瑞穂とマリオンの左右上空から忽然と京劇で被るような仮面をつけた男たちが現れる。

その男たちの手の甲は獣のような毛で覆われ、その爪は人間のものではなく熊のように鋭い。

祐人は体を翻して、瑞穂たちの援護に入ろうとした瞬間、先ほど飛来してきたものと同じヒ首が2本、祐人に目がけて飛んでくる。そのヒ首の飛来コースはすべて祐人と瑞穂、マリオンを結んだ直線コースに重なっていた。躱せば瑞穂とマリオンに向かうようになっている。

祐人は顔色を変えずに、右回し蹴りでその2つの暗器に向かい放つ。だが、祐人の蹴りはそのヒ首にはクリーンヒットはしなかった。

祐人は間髪入れずに体を翻し、背後の瑞穂とマリオンに向かう。

「はん! 馬鹿が! 恰好つけやがって! 空振りかよ!」

その祐人の背後から、小馬鹿にしたような男の声が祐人の耳に入る。

だが……その男の声が驚愕する声に変わった。

先ほど、祐人に向かって飛んできたヒ首は、そのまま背後の瑞穂とマリオンを空中から襲わんとしていた獣のような男たちの肩に突き刺さったのだ。

祐人は飛んできたヒ首を弾き飛ばすのではなく、わざと掠るように蹴り、その軌道を瑞穂たちに襲いかかった男たちに向かうようにずらしたのだ。

結果、仲間からの攻撃にあった男たちは、突然の激痛と飛来したヒ首の勢いに肩を引っ張られ、自らの勢いも殺されて着地点にしていたはずの瑞穂とマリオンの手前で落ちた。

「な!」

その瞬間にも祐人が瑞穂たちの至近に到着し、瑞穂たちと祐人の視線が交差する。

すると祐人の動きに合わせたように瑞穂とマリオンは体を屈めると、祐人の脇を通り抜けるように前方に走り出した。

獣人のような男たちは、突然、瑞穂たちと入れ替わって現れた祐人に気付くが、祐人は反撃を許さず、二人の獣人の間に入り両手を大きく左右に広げ、その獣人たちの胸に手のひらをそれぞれに当てる。

直後、獣人たちの筋肉、体液、そして脳が激しく揺れた。

獣人たちの仮面の下から、血液の混じった透明な液がこぼれだし、二人の獣人はゆっくりと左右に大の字に倒れた。

祐人と入れ替わった瑞穂とマリオンは先程祐人のいた辺りで止まると、瑞穂の周りに精霊たちが集まり出す。

「ク! させるか!」

声は聞こえるが、姿を現さない男が何かを仕掛けようとしているのが分かる。だが、瑞穂は構わず精霊を掌握して、術を完成させた。

マリオンは瑞穂の前に立ち、目を瞑るとその体に清浄な霊力が包みだす。

そのマリオンの前方至近の空中に仮面を被った毒腕が、フワッと現れた。

毒腕はその両腕に霊力を集中させると、迷彩柄の上着の両袖が肩から弾け飛び、中から薄気味悪く、全体を黄緑色の膿に包まれた両腕が明らかになる。

膿を飛ばしながら、両手を前方に突き出しながら毒腕はマリオンに突っ込んだ。

(伯爵は五体満足でなくてもいいと言っている。両腕ぐらいはもらうぞ! 俺の腕に僅かにでも触れれば! さあ、防御をして見ろ! 俺の膿はすべての防御障壁をも腐らせる。そこで精霊使いのために踏みとどまっていろ……な!)

瑞穂の前に立っていたマリオンが消えた。いや、横に自ら飛んで避けたのだ。それと同時に瑞穂は後ろに飛んだ。

毒腕は二人に躱されて、マリオンのいたところの床に腕が突き刺さる。

すると、床が瞬時に黒色に腐食していき、腐葉土のように柔らかくなっていく。

「チッ!」

「終わりよ、あなた」

「はん?」

毒腕は自分の前方にいる声の主の方に視線を移すと、瑞穂が不敵に腕を組んでいる。

(小娘がチヤホヤされて調子に乗りやがって!)

毒腕は床から腕を抜こうとするが、体が硬直した。

床から腕が抜けない。

見れば、自分の腕を中心に魔法陣のようなものが浮かび上がっている。

そして、その中から白く美しい手が毒腕の手を握手するように掴み、まったくビクともしない。

「!」

「あ、すみません。そこに不浄を捕らえるトラップを仕掛けました。エクソシストの間では天使の手って言われてるんですよ?」

横からマリオンが申し訳なそうに、伝えてくる。まるでこれから起こることを同情しているかのようだ。

瑞穂は意地の悪い笑みを見せると、組んでいた腕を解きパチンと右手の指を鳴らした。

「ハア!」

思わず悲鳴を漏らす毒腕の手から腕を伝わるように炎が出現する。

毒腕は目を血走らせて必死に腕を抜こうとするが、どうすることもできない。

「ヒッ!」

「ククク、どう? 熱いかしら? その膿だらけの腕を炎で綺麗にしないとね」

瑞穂の意地の悪い笑み。

瑞穂はやったわよ、というようにドヤ顔で後ろにいる祐人たちに振り向くと……

全員、ドン引きしていた。

「え!? 何!? その反応は!」

「四天寺さん……こ、怖え~。祐人、いくら顔が良くても、こりゃあ……」

「ははは……」

ニイナに至っては涙目でガタガタ震えるように祐人の腕にしがみついている。

「瑞穂さんって、瑞穂さんって……」

その想像と逆をいった味方の反応に今度は瑞穂が涙目になって、マリオンの方に振り向く。

すると、マリオンはあらぬ方向を向いて、天にお祈りをしていた。

「ちょっと、マリオン! 何を祈ってるのよ!? ずるいわよ! この連携を考えたのはマリオンなのに!」

「ちょっと、瑞穂さん! 誤解を招くようなことを言うのは止めてください! 私は足止めしたら、好きに攻撃してくださいって言っただけです!」

「同じことよ! この隠れドSシスター! 略してドSター!」

「な、なんてことを! さっきみんながドン引きしてたのは、瑞穂さんの意地の悪い、邪悪な笑顔をしたからですよ!」

「な! 乙女の笑顔を邪悪ですって!」

二人の少女のやり取りを半目で見ていた祐人は視線を、恐怖で気絶してしまった毒腕に移す。元々、何者なのか調べるつもりでいたので、殺そうとは思っていない。

実際、瑞穂の炎の術も今は消えている、

祐人は気を失っている二人の獣人と毒腕の所持品を確認しようと歩き出すが……歩きづらい。

何故なら、ニイナがいまだに祐人の腕から離れないのだ。しかも、しっかり抱きついているので、ニイナの心臓の鼓動が伝わってくるほどの密着感が。

祐人はニイナを見下ろすと、ニイナは「なーに?」という感じで見上げている。

「ニ、ニイナさん? ちょっと……」

「あ……あ! すみません!」

祐人の言わんとすることが分かり、ニイナは耳まで真っ赤に染め上げて祐人から離れた。

祐人もそのニイナの初々しい反応に顔が熱くなる。

お互いにギャーギャー言い合っていたはずの瑞穂とマリオンは、こんな時でもこの祐人たちの様子を見逃さなかった。

「ニイナさん! はしたないわよ!」

「そうです! ずるいです!」

「ち、違います! 私は怖くて無意識に……」

そのかしましい少女たちの様子を一悟は驚愕の顔で見ている。

一悟にはこの現状が信じられないのだ。

「ま、マジか……祐人のくせに。白澤さん……あんた、大変なことになってるぞ? 分かってんのかな? いや、でも……これはこれで面白そうだし……まあいいか!」

祐人はこの間に二人の獣人と毒腕に所持品がないか、確認する。

(こいつらは一体……)