Instant Messiah
'Cause I'm only a short man.
――親愛なる魔王様の部屋を出て、久しぶりにガロンさんとのお勉強をしに図書館に向かう。
あの可愛いガロンさんとの時間は、きっと僕の精神を落ち着かせるのに役立ってくれるだろう。
「お邪魔しまーす」
「良く来たね、いらっしゃい。ささ、こっちに来たまえ」
エヴァさんが手招きしていたので、きびすを返す。
良く考えたらここはあの人のホームじゃないか。
何考えてたんだろう僕は。
お勉強場所は変えよう。
後でピュリアにでもガロンさんへ伝言を頼んで……。
「待ちなさい。人の顔を見てすぐに帰るのは失礼だろう」
「はあ、それは確かに」
「うん、分かればいい。ところでお願いがあるんだが」
「嫌です」
「賭けにこそ負けてしまったが、それでも自分は君が欲しいんだ。女にこんなことを言わせるとは、君も中々罪作りだな。そうは思わないかい」
話聞いてよ。
「さいですか」
「連れない男だよ君は。自分とは口も利きたくないのか」
「ポケットに隠した注射器を捨ててから会話しましょうよ。それなら少しは口を利く気にもなるんですが」
「なんだ、存外目ざといな。しかし疑われるのは心外だ、これは栄養剤だよ。怪しいものじゃない」
「息をするように嘘を吐く人は信用できません」
「女はみんな嘘つきさ。ほら、もっと女のことを知りたいならこっちへ……あ、こら」
バタン。
扉を閉める。
少なくともここは僕にとってのデススポットになってしまった。
居心地は良かったし、ガロンさんとの思い出もあるから残念ではあるが、今後出来る限り近付かないようにしよう。
しかし、なんてことだ。
ただでさえ魔王様のお蔭でSAN値が減少しているのに、余計に磨り減ってしまった。
一刻も早く癒し系の人に会わなきゃ僕は駄目になってしまう。
僕の知っている人で、癒し系はピュリアさんかガロンさん、及第点がセルフィさん……。
「あら、ナインちゃん。生きてたのね。おかえりなさい」
……エル様だ。
この子も癒し系に含めたいんだけど、クリスと顔がそっくりだからなあ。
今はあんまり話したくないなあ。
「はいはい、恥ずかしながら戻ってまいりました。そういえば、戻ってきたら遊ぶ約束でしたね。お馬さんごっこでもしましょうか。大人のやり方と子供のやり方、二種類ありますがどっちがお好みで?」
「私、まだ子供だから子供のやり方が良いかしら」
畜生。
「了解です。さっきも貴女のお姉様が嗜まれていたんですがね。じゃあ、背中に乗って……」
「今は嫌。また今度遊びましょ」
あら意外。
嫌われちゃったのかしら。
こんな女の子に社交辞令言われちゃったかしら。
また今度。
それを信じて、何人の男が今まで辛酸を舐めたのか……この幼さでも、女はやはり魔女なのか……。
「……勘違いしないでね。今は都合が悪いだけ」
「あいや、そいつは失礼しました」
「……まだ勘違いしてるみたい」
「? えっと、どういうことでしょう?」
「貴方の都合が悪いって事。鏡を見たら分かるかもしれないわ」
……ガキの癖に、回りくどいこと言いやがる。
「……なんですか、顔にゴミでもついてますか?」
「私に初めて会った頃の貴方なら、もうちょっと気の利いた事言ってくれたと思うわ」
「…………」
「上っ面だけじゃ嫌よ。私の事愛してくれる貴方となら、ちゃんとお話してあげる」
……今分かった。
この城の中で一番の魔女は、この雌ガキだ。
「次に会う時は、もう少し可愛い笑顔でいてね。そんな貼り付けたような顔じゃあなくって」
「……善処します」
「ギラギラしたのも良いけど、私はもう少し優しい貴方が好きだわ。それじゃ、また」
そう言って、エレクトラは立ち去った。
本当に、何の未練も見せずに。
彼女に施したのはティア様のいない状態でやった仮契約でしかないから効き目が弱いのは分かっていたとは言え、ちょっと寂しいような、助かったような。
……僕は、彼女に言葉を与えた。
『疑問と回答を繰り返すことで、真実に近付くことができる』。
これは僕の座右の銘の一つでもあるのだが、彼女ならきっとこの言葉を僕が与えた意味にも気付くかもしれない。
その時、彼女は僕のことを許さないだろう。
クリスにそっくりな彼女に殺されるなら、僕はその時どんな気持ちになるのか。
少し、楽しみでもある。
……いや、違う。おかしいだろう。
僕は彼女を愛しているはずなんだ。
なんで僕は、こんな残酷な気持ちになっている?
なんでそんなシチュエーションを想像するんだ?
……エレクトラに対してこんな事を考えるのはおかしい。
やっぱり僕は今、正常ではないのだ。
一刻も早くニュートラルな状態に戻らなきゃ。
へらへら笑いながら、自分の寝床に向かって走る。
表情筋がピクピクと痙攣している。
駄目だ、今日は厄日だ。
このままじゃ僕は僕が制御できない。
ガロンさんのことも今日はもう良い。
明日改めて挨拶しよう。
殴られるかもしれないけれど、仕方ない。
今日はもう駄目だ。
僕が僕でいられない。
皆が僕を不安定にするんだ。
真っ直ぐ牢屋の寝床に帰ろうとしたときに、魔族に引きずられている、僕が連れてきた囚人の一人と目が合った。
何か言われた気もするが、駄目だ、耳に入らない。
何度も何度もこれ以上ないほどに歪めた顔で僕を罵っているのが分かったが、彼の声は聞こえなかった。
後悔なんかしちゃ駄目、僕は魔族の味方なんだってば。
僕はもう、人間を裏切って、魔族の味方になったんだから。
さっさと寝て全部忘れよう。
ほら、もう僕の所為で何人も死んだじゃないか。
これからもこの怨嗟の声を飲み込んで、僕は魔族の皆と仲良く生きていくんだ。
元々そのために、態々アグスタまで来たんだろう?
くそ、クリスの所為だ。
あいつが、あいつの顔さえ見なければ。
いや違う、クリステラ様は悪くない、僕が墓参りなんかして余計なことを思い出さなければなんの問題もなかったんだ。
「よお、お前だか。聞いたべ、お手柄だあな」
急いでその場から離れようとした寸前、囚人の首根っこを掴んでいる魔族の一人に声をかけられた。
何度か食堂で顔を見た事があるミノタウロスさんだ。
「お前のお蔭でオラもご馳走が食える。あんがとなあ」
思わず彼の顔を見ると、目を細めて、心底そう思っている顔で、僕に笑顔を向けていた。
ああ。
ああ、なんてことだ。