Instant Messiah
Lily Squid
……威風堂々といった言葉が似合う筈の我が魔王は、その首から下の態度とはまったく裏腹に俯いて、ぽそ、と驚くほどにか細い声で空気を震わせた。
「しばらく、余の側につかえよ。朝昼晩、寝るときまでもだ」
魔王様の命令であるので、従うに否はなかれども。
僕は思わず当然の質問を投げかけた。
「今からですか?」
「そうだ」
「寝るときも?」
「そうだ」
「朝昼晩常に?」
「くどいぞ。これ以上同じ言葉を言わせるな」
「分かりました。ちなみにですが」
「なんだ」
「僕、朝起きてからトイレに行ってないんですが。ついてきていただいてもよろしいかしら」
ヤカンの如く沸騰した魔王の蹴りは、相変わらずの切れ味だった。
……こんなんで良いんだよこんなんで。クリスのクセに変にしおらしくしやがって。
ともあれ、そんな感じで、今までとは少しばかり変わった日々を過ごすことになったのだった。
……そう、つまり、僕はそんな感じで。
ディアボロで、最後の、彼女らと過ごす日々を味わうこととなったのだった。
――――――――――――
朝。人間は起き出す時間である。
悪魔は夜こそが活動する時間だと、人間の間では言われていた。
しかし、少なくとも実際の魔族の生活リズムは人間とさして変わることもなく、朝の日差しと共に寝具を干したりご飯を食べたり、顔を洗ったりするわけであった。
つまり、昨日のクリスの言に従って、素直に僕は彼女の側に控えていたわけだから、そのクリスの朝の……無防備な姿を見ないわけがないのであって。
しかしなお、彼女の寝姿はまだ見ていない。何故かと言うに、天蓋つきのベッドに遮られた彼女のシルエットを、体育座りで眺めるのみであったから。
分かり辛いと思うので、昨日から今日までの時間経過を説明しよう。
頭のネジの緩んだクリスが突飛にもそばにいろなどと言うものだから、僕は自分の数少ない持ち物である布団や衣類、ウィルソン等の身の回りの物をクリスの部屋に持ち込んだ訳だ。
当然いやな顔をされたが、枕が変わると眠れないという僕の言葉には共感するところがあったようで、渋々であったが認めてもらえた。流石にウィルソンが僕の枕であると説得するのには骨が折れたが。
さて、魔王の命令である「そばにいろ」宣言。
上で述べたとおり僕に否やはなかったが、やはり理由くらいは教えていただきたい。
いつもクリスは割と傲慢であった。しかし滑稽にも自分の正しさを信じきっているのか、質問すればホイホイと答えてくれたのだが、何故か今回は言葉を濁して教えてくれない。
しつこく聞けばまたお尻を蹴り上げられてしまいそうだったので、やむなく追求は諦める運びとなったのだ。
しょうがないから、彼女のこれからの言動で意図を判断しようと思っていたのだけれども。
「で、クリス様。僕は何すればよろしいのか」
「……特にない」
まさかの強制ニート宣言である。エルちゃんの相手をしたときだってこれほど計画性のない言葉は受けたことはない。
曲がりなりにも今までの僕には仕事があったのだ。食堂の手伝いや城の掃除をちゃんとやっていたのだ。
その僕から仕事を取り上げておいて、側付きを命じておきながら! 特にないと来たもんだ!
僕は自分の仇に、ヒモになれと言われたのも同然なのだ。こいつぁ愉快だ。
思わず空笑いをしてしまった。
そんな僕の目が冷えていることに気付いたのか、慌ててクリスは口を開いた。
「い、以前聞いたことがあっただろう。お前の故郷の話だ、それを詳しく聞いてやろうというのだ」
「……ふーむ?」
ふーむ?
「前も話してやったがな、余はこの世界を魔族のものとする。それは知っていようが」
「はい、それは勿論」
「……何故と聞かないな、ナイン。そんなお前では少々退屈だ」
……何故、と来たもんだ。
よくよく考えれば、確かに当然の疑問ではある。しかし、これまでの魔族が受けた迫害の歴史を考えれば、それこそクリスがそんなことを言い出すのは今更過ぎる気もする。
「これは余興ゆえな。答えんでも良いが……いや、折角手元に人間がいるなら聞いて損はないか」
クリスは少し考え込んだかと思うと、ぽつぽつ、聞こえるか聞こえないかの声量で呟く。
聞いて欲しいのか、聞いて欲しくないのか。あるいはその両方であるのか。
彼女の無意識の葛藤を観察しながら、僕は言葉の続きを待った。
「ナイン。お前ら人間は、何故魔族を迫害してきた?」
「……? それは」
逆に質問されてしまった。
「……食料の、確保のためとか」
「違うな。知っているだろう、このホールズの北部……つまりディアボロ含むアグスタの地は、ひどく痩せている。貴様らの住処を開墾したほうが余程効率的だったはずだ」
「では、こう言っちゃなんですが、労働力の確保とか」
「ふむ。的外れな回答ではないが……それもおそらく違う」
「んー、となると分かりませんな」
……そうは言うが、一つ、理由にもならない理由が頭をよぎる。
生理的嫌悪。
以前エヴァさんにも言われていたが、一般的に人間は、その感情を魔族に対して持っている。
知性については知らないが、少なくとも魔術的素養、肉体的頑強さ、そういった要素については、間違いなく魔族や獣人は人間を上回っている。
単純な劣等感であるのか、それとも単に自分達と違う存在に対する拒否感なのか。
……いや、それもきっと違う。
人間の中で生きた僕の、まったくの推測でしかないけれど。人間は生まれながらにして、魔族たちに対して……何と言えばいいのか……ああ、ぴったりの言葉があった。
優越感だ。
僕ら人間は、彼女らに対して優越感を持っている。
エヴァさんの言うとおりだった。ディアボロのナインとしてではなく、一般的な人間としての僕だったらどのように考えるかを推測してみたら、こういう答えとなる。
彼女らは、生かしておいてはいけないと。そんな無根拠な生物的優越の心理があった。
「そもそもの話だ。人間が、魔族を絶滅させようとした、その理由をお前はどう考えるのだ。それを聞かせろ」
「……ごみ掃除」
無意識に口をついて出た言葉が、あまりに致命的なことに気付く。
実際、クリスはそれを聞いて、酷薄に目を細めた。
「し、失礼。あまりと言えばあんまりな表現でした」
「いい。いや、きっとお前のその表現は、的を射ている」
クリスはふう、とため息一つ。その仕草に、どれほどの感情が込められていたのかは、僕の目をもってしても計りきれなかった。
「人間はな、我らを滅するのに躊躇していなかった。先代の魔王も……その前の魔王も、どこまで遡っても。みな優秀であったらしいが、そこのあたりを理解していなかったよ」
「…………」
「人間との闘争を、利害で捉えていたのだ。この位の損が出れば割に合わなかろうという落とし所を模索していたのだ。皆が皆……」
無意味だ、とはき捨てるようにクリスは続けた。
「人間が我々を嫌うのに理由はない。なかったようだ。調べたさ、散々にな」
「…………」
「笑うがいい。今までの魔王はな、貴様ら人間がもう少し理性的な存在だと信じたかったのだ」
「だから、貴女は幼くして先代魔王に進言されたんですね。人間を、滅ぼそうと」
「ああ。父上は渋ったよ。だがな、結局は飲んでいただけたよ。お前の故郷を滅ぼすことに」
ちら、と視線を向けられたが、僕は何も言わなかった。
クリスは話し続ける。
「費用対効果だのなんだのを口にしておられた。尊敬はしているが、そのような視点から見るのは愚かだ……」
「……クリス様は、子供のころから決心されていたのですね。貴女の代で、人間を滅ぼすと」
「ああ。余は、我々が生きていてよい世界を作る。このホールズを、我らのものとする」
「己のものとする、とは仰られないのですね、クリス様は」
そういうと、初めてクリスは、僕の方を見た。
今まではこちらを見ていても、置物に向かって話すかのようだったのに、初めて僕個人に興味が向いたかのような様子だった。
「……そうだな。余の力だけでできることだったなら、それも……」
そう言って、クリスは喋りすぎたとでも言うように瞑目し、口をつぐんだ。
その様子があまりにもわざとらしかったから、本心の言葉でないことに気付いた。
彼女はただ、自分の精神が奉仕的であることを恥じたのだ。
……クリスの精神は、善良だ。
それは、ディアボロに来て初めて彼女の目を覗き込んだときから知っていることだった。
例え彼女が人間にとってこの上なく邪悪な存在であっても、その事実は、少なくとも僕には疑いようのないことだ。
瞑っていた目を開き、その真っ赤な瞳を開放して、話を戻すぞとクリスは言った。
「結局、史書を漁ろうとも、古今東西、我らと人間の関係に変わりはなかった。精々が、利得に目が眩んだ一部の人間と交易をしているのみだ」
「……東のインディラとの交易や、人身売買のことですね」
「ああ。お前の前職だな」
そう言って、揶揄するようにこちらを見てきたが、つとめて無視する。
クリスは鼻白んだ。
「魔族と人間の関係は変わらない。ならば滅ぼされるのを是とする理由もない。そして余は比類なき才を得てこの世に生を受けた。こちらから手を出すに、躊躇する理由もない」
ないない尽くしの台詞、まさしくその通りだと思った。
ティア様も、そして僕自身も、魔族や獣人も、人間も認めている。
本気になったクリスは、この世で一番強い。
先日はニーニーナに逃がされたものの、使徒の中でも別格に強い(らしい)ムーと言う少年すら、相手にもならなかった。
……前も口にして、怒られた疑問がある。
これだけの力があるのに、何故貴女は、未だにこの世界を掌握できていないんですかという、当然の疑問だ。
だけど、今は少し分かる。彼女だけの責任ではない。
旗頭となるのは結構。だけど、仲間意識が強い魔族といえど、クリス一人で世界を纏め上げるのは不可能。
魔族からすれば、彼女の代から始まった人間との生存競争は、出来レースだと思われているのかもしれない。
クリスさえいれば、魔族は人間に勝利すると、そう信じられているのかもしれない。
彼女が出張れば、どんな戦争にだって負けはしないことを知っていても、それでも命をかけて人間と戦い続けている他の魔族たち。
滑稽であることを知りつつ、自分達の存在意義を証明するため、そして自分達が生きていていい場所を作ろうと、努力している彼ら彼女ら。
クリスが作る世の中が、クリスがいなくなった後でも安泰であるように、自分たちの力で人間から世界を獲得しようとしている者達。
そして、陛下一人に任せるわけにはいかないと、アグスタ全土から大事にされているクリス。
人間の権謀術数と比較して、あまりにも健全な魔族領内の勢力争い。
んー……あー。生きているのがイヤになるね。
でも、ぼかぁ人間だからね。こんなに綺麗な生き物達でも、恨みがあれば消すのに躊躇う筋合いはないよ。
そうさ、許さないよ。
だってティア様は、僕に一生消えない感情をくれたもの。昔、ちゃあんとプレゼントしてもらったもの。
そうとも。ナ……ええと、なんとか村が消えたときの感情を。
父さんや母さんが……いたっけ。いたような気がするけど忘れたな。まあいいや。
それとか、友達……いたっけ? まあ多分いただろ、そんなのがいなくなった時の感情を。
そうさ、僕は、こんなに失ったものがあるんだから。恨む筋合いがあるのさ。
新しい母さんとか姉さんとか、色々奪って、クリス、お前を地獄に突き落とすのに変わりはないよ。
「……イン? ナイン、貴様聞いているか?」
「……え、はい、なんです?」
「余の前で居眠りか。随分いい度胸だな」
「あ、いえ。すいません」
「ふん、まあいい」
そう言ってクリスは、腕を組んでふんぞり返った。
「もう一回言ってやる。我らは間違いなくこの世を席巻する。であらば、次に考えるのはその後のことだ」
「その後、と言うと……世界を征服した後のことで?」
「んむ。人間のような差別と貧富に塗れた社会を作るつもりはないからな。今後我らが勢力を広げてゆくにあたり、どのような国体を作るべきかは重要だ」
「確かに。ごもっともですな」
とらぬ狸の皮算用ですかもな。
「温故知新とも言うからな、過去の歴史を纏め上げて、現在にいかすことは重要だ。これは権威ある仕事でもあるゆえ、ディアボロは率先して行っていたのだが……やはり難しい」
「……というと?」
「余は能力を否定しない。現在まで勢力を保ってきた、人間の知恵を完全には否定しない。故に、貴様ら人間側の資料も集めてきたところである」
ふむふむ。
「その中でも、特に古き文献から出てくるのが精霊という単語だ」
「ほほう」
「これがまた厄介でな。どうも実際に存在した存在らしい。それも旧暦の記録にすら残っている。これではサリア教の歴史より古い」
「へええ」
……まあ、ティア様は創世記から存在しているとかなんとか自分で言っていたけど。
そもそもホールズが、なんとかラリアだかなんとかラシアだかって呼ばれていたときよりずっと前からいたとか自慢げに話していた。
良くわかんなかったから聞き流していたら、泣かれた覚えがある。
「精霊達の元では、ありとあらゆる種族が平等に幸福な暮らしをしていたとの記録もある。宗教上の崇拝対象として祭り上げているところは栄えに栄えたとの記録も大いにあるのだが、近年ではその名を見ることがほとんどなくなった」
「ふむむ」
ティア様は人気ないからね。流行が廃れた悲しい女神様だからね。
リバイバルがあればよかったのにね。ファンは僕しか居ないけど我慢してくれるかね。
「これがただの眉唾話であれば良かったが、あまりにも資料が多くてな。無視するには惜しい内容も多々あったし、精霊達から知恵を授かったという国の記録から垣間見えた政策は、今でも通用するほどに見事だった。捨て置くには貴重すぎると思うほどに」
良かったですねティア様。クリスが貴女のこと誉め殺しですよ。
「しかし、貴様の故郷のナイル村では、精霊崇拝が古くより続いていたというではないか」
そう言って、ペラペラと調子よく話していたクリスは、こちらに水を向けてきた。
……そうだった。僕は、ナイル村で生まれたんだった。名前、出てこなかったな。
「つまり、そこについて知っている内容をお耳に入れればよろしくありますか」
「ああ。多少なり貴様のことを信用してやってのことだ。ありがたく思え」
へーん。
言いたいことは色々あるが、まずクリスの勘違いを訂正しておこう。
リール・マールでエヴァさんに話してあげたことがあったけど、今回はもうちょっと踏み込んだところを話してあげようじゃないか。
「まず、大体魔族の方が勘違いしてらっしゃることがございます」
「……勘違い、だと?」
「ええ。皆さんよく『精霊達』っておっしゃいますけど、それはどうも、旧世界の情報から来る混同らしいです」
「なに? どういうことだ」
「『精霊達』ってのは、恩恵を与える存在です。それは『精霊』とはまったく別の存在ですよ」
「……初耳だな。続けてみろ」
「古今東西、『精霊』はたった一人しかいないんですよ。彼女は、『精霊達』と呼ばれる存在の製作者です」
「は?」
「そう言われてるんですよ。僕らの聞く限り精霊は女の性別を持つってな話ですから、何かを生み出すってのが得意な概念としてうたわれたんですかね」
「……なんだそれは。よく分からんな。それならば、精霊とは何で、精霊達とは何であるのか言うがいい。定義がそもそも分からんぞ」
「そうは言っても、所詮は御伽噺ですよ。ただ、精霊が精霊達を生んだ、と」
――そう、魔術って呼ばれる、自然に反した技術の根幹。マナの正体。それこそが、『精霊達』です。言わないけど。
――旧世界の技術に、ティア様が手を加えたんだそうです。元々は医療上用いていたウイルス? だかナノマシン? ……だっけか、それをいじったものって聞きました。昔はそんなものなしでも神秘の顕現はできたけど、人々が目に見えるものしか信じなくなっちゃったから、科学に幻想を紛れ込ませて世界を塗り替えただのなんだの……もうこの世界に定着したから質量も大きさもなくなっちゃって、元のとは全然別物らしいけど。言ってもわからないだろうけど。僕もわかんないし。
「精霊は、蛇の姿をしていたと言われていました。旧世界の、そのまた昔も昔。それこそ大地がこの世に現れてから、ずっとこの世に在られるそうです」
僕がそう言うと何故かクリスは酷く不快げに眉を顰めた。
――人は、恩知らずだった。超常の力を持っていたがゆえに驕り高ぶった、神と呼ばれた神モドキが沢山……それこそ人の信じた数だけ、有象無象に存在していた時代から。
――そんな恨み言を聞いたことがあります。彼女は、色んなものが憎くて憎くて仕方なかったみたいで、でも嫌いきれなくて。
――いろんな姿で、いろんな名前で。ティア様は、ずっと世界を見守っていたそうです。友もなく。何故って、あまりに彼女は恐ろしすぎたから。
「精霊は、ただ在る。恵みもくださるが、災厄ももたらす。肯定できない存在への最大限の歩み寄りが、拒絶しないというスタンスだったみたいで。だから僕らは、北にあった森のことを、与えずの森と呼んでいました。もしかしたら、互いに不干渉を貫きたい意味もあったんですかねえ。畏敬を持って爺様方は接していたのかもしれませんが、ちょっと薄情な話ですよねえ」
――だからティア様は泣いていたんだ。
――もう少し、人がティア様に誠実に向き合えるほど優秀な生物だったなら。
――そうであったなら、彼女は与えずの森の奥……あんな寂しいところで、一人うずくまって、というかとぐろを巻いて泣いてたりはしなかっただろうにね。
「精霊の名前は、呼んじゃいけないらしいです。だから知りません。彼女の名前を気安く口にすれば気がふれるとも、目が潰れるとも、煮えた銅を飲むほどの苦痛を味わうとも言われていますから、大人は教えてくれませんでしたね」
――嘘だけど。僕は、彼女の名前を一つだけ教えてもらった。決して呼ぶなと言っておきながら、それでも彼女は、僕にそれを教えた。
……いろんな名前を持ってたらしいけど、全部なくしちゃってさ。なのに、他人様(ひとさま)のことばっかり覚えてて、ほんと馬鹿なんだあの蛇さん。
――サリアが現れるずっとずっと前、世界に二人しか人間がいなかったときにだって、神様に言われたことをしただけで嫌われる存在になったって嘆いてて、それでも恨みきれなくて。
――人間の一部からは目の仇にされ、エデンから逃げ出した子孫……この恩知らず達が崇めた神モドキからも悪者にされて。そいつらも、ティア様が作ってやったって話なのに。土地を潤してあげたのに、最後には追い出されて。
――逃げ出した先でようやっと大事にしてもらえたと思ったら、そこも滅びちゃったってさ。
――だけど彼女はいい年こいて、ひどく感傷的でね。その場所にちなんだ名前、わざわざ僕らの村につけたんですよ。忘れることも出来ないなんて、不器用な蛇さんだよね。
――そして結局、そこも滅ぼされたわけだ。クリス、君らにだ。僕らは君らに既に滅ぼされた。でも、これだけの話だと、あたかもティア様が疫病神みたいで気の毒であるよね。
――でもまあ、実際、気の毒な存在なんですよね、ティア様。可愛い僕のクリス、君には教えてあげないけれど。
「精霊は、それはもう賢く、過去から未来まで見通すほどの知力をもっていたそうです。想像もつきませんねえ、そんなの。僕なんか頭悪いもので」
――そんなことがほんとに出来たとしても、彼女はそれを十全には使えないよ。だって彼女、あんまりにも人間らしすぎる。僕の何倍生きてるのか知らないけど、あまりに性根が優しすぎた。
――ずっと恐れられていた人間に持ち上げられて、調子に乗っちゃって。この世の誰より長生きな彼女は、旧世界の人間の偽善にホイホイ騙されたんだ。
――サリアが、人倫を無視した研究をはじめたのはあの女の所為だ、魔女のカイネに騙されたと、ティア様はずっと愚痴っていました。知らないけど。
――まあ、とりあえずは――
「あと僕が知ってるのは……僕らの故郷ナイル村と、アグスタ領を分断していた与えずの森。魔族の皆様曰く、禁断の森。そこは精霊の住まう森だったとさ、ってとこですぅ」
もうティア様の封印はといちゃったから、何の意味もない場所だけど。
「精霊とは、曰く大地そのもの。知恵そのもの。因果そのもの。触れえざるもの。禁忌そのもの。……されどなお、与え得ぬ者。ナイル村で、彼女はそう呼ばれていましたよ」
――さしあたり、このくらいは教えてあげるよクリス。君の心根を見せてくれたお礼にね――