俺は教皇様を背負い、井戸の中へと落下していく。

その体感はとても長く、くだらないことが頭に浮かんでいく。

元々は魔導エレベーターのカモフラージュとして見栄えのする噴水だったのに、井戸じゃ中庭が栄えないよな……。

そういえば前回は魔導書庫へと続く出口があったけど、今回はこの井戸を上っていくことになるのかな……。

あ、精霊女王のラフィルーナを解放したことに後悔はないけど、世界樹が大地に根を張らないと農作物が不作になるのだろうか?

そこで背中にいる教皇様の腕の締め付けが強くなり、思考の世界から戻されたところで終着点である底が見えてきたので、風属性の魔力を意識して浮遊魔法を発動した。

すると落下する速度が一気に緩やかになり、軽やかに着地することができた。

「ルシエル、減速するのが遅いのじゃ。それに話しかけても反応せんのはどうかと思うのじゃ」

「申し訳ありません。少し考えごとをしていました」

まさか教皇様を無視していたとは……。

「ルシエルにばかり苦労をかけて申し訳ないのじゃ」

「いえ、それでは魔道具を取りに行きましょう。それで魔道具はどこに?」

俺に負担が集中して疲れが出てしまったのだろうと判断したのか、申し訳なさそうにする教皇様。

だけど俺はただ考え事をしていただけだったので、ばつが悪くなり、目的の魔道具の回収を促したことにした。

「妾の記憶が確かであればあの先じゃ」

そして俺の背中から教皇様が指示(さししめ)したのは、かつて水龍と風龍が俺と対峙した部屋へと続く封印門だった。

そこで俺はこれまでタイミングが悪く聞けていなかった魔道具が、俺の奥の手となるあの魔道具なのだと確信する。

「教皇様、その魔道具なのですが、もしかするとこれではないですか?」

「何故ルシエルが所持しているのじゃ」

魔法袋からその魔道具を取り出してみせると、背中で驚きの声が上がり、教皇様は俺の背中から下りてその魔道具……壺を手に取った。

ただ俺としてもネルダールを浮遊させる非常装置の役割を担う魔道具だとは思ってもいなかった。

「これは邪神の呪いから水龍と風龍を解放した際の置き土産でした」

「水龍と風龍が守ってくれていたのじゃな」

「そうですね。それで教皇様、その魔道具ですが、邪神との戦いで奥の手として使用することを想定していたのですが……」

「それならばルシエルが持っておくと良いじゃろ」

教皇様は躊躇うことなく俺に壺を差し出した。

「よろしいのですか?」

「最優先するべきは邪神の討伐なのじゃ。それにもしもネルダールが落ちたとしても結界が発動して被害が出ることはないはずじゃ」

「ありがとうございます。あ、これについても何かご存知でしょうか?」 

俺は水龍と風龍が壺と一緒に残した、古ぼけた弓を取り出してみせた。

「ん、なっ!? どうしてもっと早くッ!!」

すると教皇様は壺を見せた時よりもかなり驚いて弓を手に取ると、魔力を流し始めた。

「教皇様、あまり無理をするとまた倒れてしまいますよ」 

けれど既に俺の言葉が届かないぐらいまで集中し、魔力を弓へと流す教皇様。

そして教皇の魔力に呼応するように弓が輝き出して少しずつ成長していくと弓に紋様が浮かび上がった。

そこでようやく教皇様は弓へ魔力を流すのを止め、弓が一体どのようなものなのかを説明してくれるみたいだ。

「ルシエルよ、今から言うことは妾の我儘じゃ。お主が色々と巻き込まれて忙しかったことは知っておるのじゃ。また妾が役に立たないと思われても仕方ないことだと理解しておるのじゃ」

「いえ、そんなことは……」

「それは良い……。それでも報告、連絡、相談の内容が薄すぎるのじゃ。特に魔道具関連では誰よりも詳しいと自負しておるのじゃ」

「申し訳ありません」

ドランが武具、ポーラとリシアンに魔道具関連の仕事を請け負ってもらっていたから十分だと思っていた。ただ大した魔力もないし、この弓に関しては完全にスルーしていた。

「この弓は魔道具ではあるが、敵を攻撃するための魔道具ではないのじゃ」

「それでは?」  

「うむ。この魔道具は標的を追跡する光を放つことが出来る追跡者の目(トラッキングアイ)じゃ。父様はこれを使って転移で逃げる邪神を追い詰めたのじゃ」  

使い方によってはかなり便利な魔道具だ。ただあの邪神が転移で逃げるぐらいだから、レインスター卿なら魔道具がなくても問題なく追えた気もするけど……。

「それでは今からそれを使えば邪神のいる場所が分かるのですか?」

「うむ。但し追跡する光は魔力が必要になるのじゃ」 

なるほど。邪神戦に向けて対策を練ってきたけど、これを使うことが出来ていれば魔法陣が出現する前に邪神と対峙することが出来ていたのだろうな。

ただあの準備期間があったからこそ邪神と戦う心構えが出来たのだし、無駄ではなかったと個人的には思う。

「それでは、もうここに用はないですね?」

「そうじゃな。ルミナ達も心配じゃ、合流を急ぐのじゃ」

「はい」

「待て、ルシエル。また背負うことを希望するのじゃ」

「あ、はい」

無言で魔力結晶球を渡し、俺は教皇様を背負って落ちてきた井戸を見上げ、風龍の力をイメージして魔力を解き放つと身体が浮び上ると一気に上昇していく。 

その最中、魔力結晶球の数がだいぶ心許なくなってきたことを考え、邪神と戦うまでに魔力が枯渇する事態が起きないように願うのだった。

そして地上までスムーズに戻ってくることが出来たことに安堵したところで、激しくぶつかり合う剣戟の鋭い音が耳に届いた。

爆発するような音はもう聞こえないことから、精霊石を用いた兵器が使えなくなり、通常の戦闘に移行したのだと推測した。 

「教皇様、このまま戦乙女聖騎士隊と合流します」

「うむ。最悪の場合、ブランジュ公国の転移装置を破壊することも許可する」

「承知しました」

俺は剣戟の音がする場所へそのまま飛行して向かうと、丁寧に手入れされていた庭園は見る影もなく無残にも荒らされており、絢爛豪華に飾られていた廊下の天井と壁には大穴が空いていた。

この状況に背中から呪詛のような教皇様の呟きが止まらず、俺は合流を急いだ。

そして戦乙女聖騎士隊と戦っていたアンデッドの群れを捉えたところでいつものように浄化波を発動しようとした。

しかしそれよりも早く光の羽根が空から舞い落ちていくと、まず痛みを感じることがない受肉しているアンデッドが絶叫を上げてその場で倒れ込み、のたうち回って青白い炎に焼かれる。

また受肉していないアンデッドは頭を抱えるようにして燃え上がって塵となって消えていく。  

さらに戦乙女聖騎士隊と戦っていた魔族だったと思われる者達は、羽根に触れた箇所が火傷したように膨れ上がり戦意が消え、そこに事態を飲み込んだ戦乙女聖騎士隊が止めを刺しにかかる。

どこかで魔物や魔族と有利に戦えるのが俺だけの取り柄だと思っていた。

だけどレインスター卿の愛娘である教皇様が自重しないと俺と同等のことは出来るんだな。

ただまた大規模な魔法を使ったからか、少し疲れているような気がする。

「教皇様、魔力結晶球にも限りがあるので少しは自重してください」

「何じゃケチじゃな」

するとケロっとした軽快な返答があって驚いた。

「魔力枯渇していたのでは?」

「今の妾は対邪神想定のフル装備なのじゃ。消費魔力は減少しておるし、精霊魔法は精霊との親和性で魔力の消費も減るのじゃ。さらに魔力消費したとしてもある程度は自動回復もするのじゃ」 

さすがレインスター卿の愛娘だけあって伝説級の武具を装備しているのだろう……。

「それでは魔力結晶球は?」

「精霊達を救うための付与魔法を発動した時は本当に枯渇したから助かったのじゃ。今まで貰った魔力結晶球は邪神と戦う皆を十全に援護するためストックさせてもらったのじゃ」

背中にいるから正確には分からないが、悪戯が成功してドヤ顔をしている気がする。

実害のない悪戯だし、教皇様も悪気がないことを分かる。

これは育った環境が問題だろう。

「教皇様、そういうのは信頼関係にヒビが入るので、あまりやらない方がいいですよ」

「そうなのか? 昔は皆が喜んでくれていたのじゃが……」

「子供と同じ悪戯を大人がやって喜ばれることは皆無に等しいですよ」

「そうなのか……。ルシエル、本当に申し訳なかったのじゃ」

素直に謝るし、喜ばれると本気で思っての悪戯だから悪気もない。

空気が重くなってこちらが申し訳なくなるというこの矛盾、これはレインスター卿に対応してもらいたい案件だ。

「分かってくれればいいです。魔力結晶球のストックも出来た思うことにします。それより攻撃がきたので、しっかり捕まっておいてください」

「うむ」

教皇様と話していたところに瘴気の刃が迫ってくるのが見えた。

俺はさらに上空へと回避しながら瘴気の刃を放った相手を見下ろす。

そこには試練の迷宮で戦った自称魔王とそっくりな魔族が、既にかなりの怪我を負っていた状態で、何とかルミナさんの攻撃を捌いていた。

だけどあの状態でこちらを正確に狙って攻撃を放ってきたのだとしたら……。

「ルミナの圧勝じゃ。今のルミナは瘴気の影響を受けんし、状態異常にもならんのじゃ」

「優勢だとは思いますが、念には念を入れておきます」

俺はルミナさんの邪魔をしないように、ルミナさんと魔族を聖域結界で覆った。

それが魔族の気に障ったのだろう。憤怒の表情で俺を睨み、尻尾を振るうと瘴気の刃が聖域結界へと飛んでいく。 

そして瘴気の刃は聖域結界に当たるが、爆発することもなく聖域結界に当たったまま徐々に小さくなり、そして吸い込まれるように消えた。 

すると今度は驚愕し、焦った表情でルミナさんに何か話しかけている。

しかしルミナさんは頭を横に振り、魔族の提案を断ったようで、ゆっくりと剣を魔族に向けてから構えた。

そこから数分間、破れかぶれなったように魔族が四本の腕と尻尾を使った連続攻撃をルミナさんに仕掛けた。

ルミナさんはそれらの攻撃を全ていなしながら斬っていき、腕が上がらなくなった魔族は瘴気を収束させた闇魔法を放った。

ルミナさんはその魔法を剣で切り裂くと、そのまま魔族へと接近して十字に斬った。

その瞬間、戦乙女聖騎士隊の皆の歓声が上がったが、すぐに悲鳴に変わる。

魔族はルミナさんが斬って気を抜くのを待っていたかのように尻尾を突き立てようとしたのだった。

「勝負あったのじゃ」

「はい。圧勝でしたね」

魔族の最後のあがきとなった尻尾の奇襲はルミナさんの身体をすり抜け、足、腕、首、そして尻尾から徐々に地飛沫が舞っていく。

それはまるで分身でもしているかと錯覚する程の高速の連撃だった。

まさかあそこまで十八番(おはこ)のアクセルブーストはおろか、新たに習得した光の屈折を利用して幻影を作り出す光属性魔法のプリズムファントムまで使っていなかったとは……。

教皇様の強化魔法も凄いけど、慣れない強化に順応してしっかりと戦えるだけのセンスが何よりも凄いと思う。

そして今度こそルミナさんが勝利したことを祝うように戦乙女聖騎士隊の皆が歓声を上げたので、俺は教皇様を背負ったままルミナさんの下へと下りていくのだった。