「なんか物騒な発言が聞こえたんだが、俺の聞き間違いか?」

リオは形のいい尻をこちらに向けて、「んー?」と聞き返してくる。

「中元さんって今、この家で唯一の成人男性じゃん。つまり保護者じゃん。一時的な父親みたいなもんじゃん。ならあたしが背中を流してあげなきゃいけないじゃん」

「じゃん、じゃない。俺は三十二歳、お前は十六歳。犯罪だろうが」

「……?」

リオは蛇口を止め、くるりと振り向いた。

端正な顔を斜めに傾け、しきりに困惑している。

「娘に体を洗わせようとしない父親こそ、犯罪では……? ネグレクトなんじゃ……?」

なにやら口元を抑え、「まさか……」「嘘でしょ……」とぶつぶつ呟いていた。

「え、じゃあ中元さん、アンジェリカって子と一緒にお風呂入ってないの?」

「当たり前だが」

「あの子のことホームステイさせてるんでしょ!? それでほんとに面倒見てるつもりなの!?」

「俺何も間違ってないよな!?」

リオは暴力親父でも見るような目で俺を見てくる。

「意味わかんない……ならあの子、日本に来てから一度も男親と入浴してないわけ? やばくない? そろそろ病気になっちゃうよそれ。たまにはサービスしてあげなよ」

「……お前まさか、歴代の義父と体の洗いっことかしてないだろうな」

「んなわけないじゃん。あたしが体洗いたいって思うような、まともな義父は断固としてあたしとの入浴を拒否するもん」

「そうかそうだったな、お前は自分を性の対象として見ないようなおっさんが好きなんだったな」

リオが懐くような男はリオと風呂に入りたがらないし、リオと風呂に入りたがるような男は拒絶され、おそらくはキングレオに殴り飛ばされる。

酷いパラドックスである。

地雷女ってもんじゃねえのである。

「あたしが最後に男親とお風呂に入ったのは、七歳の頃。相手は実の父親。あたしは背中を流しただけだし、向こうはあたしなんて興味なさそうだった。それでもこの思い出を支えに、かろうじて生きてる……」

リオは真剣な眼差しで語っている。

「あれから十年近く経ってるし、そろそろ効力切れてると思うんだよね。つまりあたしも立派な病人なわけ」

「予防接種かよ」

「人助けと思ってさ、一緒に入ってくんないかな」

いいでしょ? とリオは両手を合わせる。祈るような仕草だ。

もちろん、俺の答えは決まっている。

「無理。絶対無理」

「……別に変なことするわけじゃないんだし、よくない? パパって呼びながら体を洗って、抱きついたまま湯船に浸かるだけだよ?」

「それを変なことにカウントしないなら、一体何をやらかせば変なことになれるんだ? 人食とかか?」

何が怖いって、今のリオが赤面も動揺もしていないことだろう。

普通のことなのに、なんでこの人は拒否してんだろ? なテンションで発言しているのである。

根本的な倫理観が全然違う生き物との会話は、やたらとエネルギーを消耗する。

「パンがないなら共食いすればいいじゃない」とトロールの女性に不思議がられた時も、ちょうどこんな気分だったのを覚えている。

俺は多大な疲労感を覚えつつも、リオのおねだりを却下する。

真っ当な大人ならば当然の振る舞いであろう。

「ずっとこの調子で絡んでくるなら、今日は風呂入んねーからな俺」

臭いまま籠城すっからな、と一種の脅しをかける。

【斎藤理緒の好感度が100上昇しました】

「おい」

「……なんか今の言い回しが……すっごい鬼畜系のオレ様って感じで……しかも不衛生さを逆手に取るなんて、いい感じに下劣だし……」

本当にどうしようもない少女である。

拒絶すれば喜び、叱りつければ発情する。

ではどのような対処法が正解なのだろう?

それはやっぱり、リオが嫌がるようなことをすればいいのだろう。

自分でもうんざりなのだが、混浴を回避するためには他に選択肢がない。

「……リオ様」

「……え?」

「貴方様の勝ち気な目を見てると、思わず踏まれたくなりますな」

「ちょ、……やめてよ。急にどしたの?」

俺は土下座の姿勢を取り、リオの足を手に取る。

「リオ様は私めの女王様でございます」

「……ちょっと……シャレになんないよそれ。あたし年上男にかしずかれるのが、一番苦手なんだけど」

「俺はリオ様の犬です。哀れな雑種の飼い犬です。何代遡っても野良犬だらけの、惨めな家系の下男でございます。どうか、どうかなんなりとお申し付けを……!」

「やめってってば!」

ありえないんだけど! とリオは涙声になっている。

「ああ、そうでしたね、お風呂でしたね。ではさっそくお背中を流させて頂きましょうかね」

「敬語やめてよ! 生理的に受け付けないんだけど!?」

「いやーリオ様は今日もお綺麗な髪をしておられる」

「あ、それは普通に嬉しい」

めんどくせえなこいつ。

罵られるのも粗末に扱われるのも好きだが、見た目は普通に褒められたいタイプらしい。

まあ、それならそれでやりようがある。

容姿を持ち上げるは避けつつ、リオを神のように崇め奉ればいいだけのこと。

こういうのは得意なのだ。

勇者時代、王国から予算を引き出すために俺は何度も頭を下げ、ご機嫌取りをした実績がある。

亜人と戦争するってのにヒノキの棒しか寄こさない王様に、せめて銅の剣の支給を、と泣きついている間に十代が終わっていたほどだ。

俺はもはや奴隷そのものな媚を作り、リオに世辞を並べ始めた。

数分ほどそれを続けたところ、リオは「こんなの中元さんじゃない」と泣き出し、ついには風呂場から飛び出して行った。

「手のかかるやつだな」

やれやれ、これだから思春期ってのは。

俺はいそいそと服を脱ぎ、浴室に上がり込んだ。

扉を閉め、入浴剤を浴槽にぶちまける。

髪と体を洗い終えると、ゆっくりと湯船に足を入れた。

息を吐きながら、しゃがみ込む。

昼間から風呂に入るなんて久しぶりだが、悪い気分ではない。

最近忙しかったし、たまにはこんなのもいいだろう。

無意味な行為だけどな。

どうせこのあとまたゴブリンを殺すというのに、身を清めて何になるんだろうか、と思わなくもない。

こういうのは一日の戦闘が全部済んでからでいいのに、と考えるのは俺の感覚が麻痺しているのだろうか。

おそらく、そうなのだろう。

思い返せば俺も、少年時代は神経質なところがあった。

不潔なのも猟奇的なのも大嫌いだったし、血や臓物の臭いなんて言語道断。

おかげでモンスターを倒すたび、罪悪感や嫌悪感に押し潰されそうになっていたのである。

特に相手が人型に近ければ近いほど苦悩し、亜人との戦いに至っては吐き気をこらえながら行っていたほどだ。

あの頃は戦闘後にどれだけ手を洗っても、見えないぬるぬるが指先にまとわりついているような気がしたものだ。

ひょっとしたら、今もまとわりついたままなのかもしれない。

それも、全身にだ。

このぬるぬるを「慣れ」とか「戦士の風格」とか呼ぶのは簡単だが、俺に言わせれば「人間性の劣化」である。

殺すだの痛めつけて尋問するだの、そんなのを平気でこなせるようになったら、人としておしまいなのだ。

「殺したくねえよなあ」

が、小鬼どもはこの家を狙っている。

俺はまた戦わくてはならない。情報を引き出すためなら、手段を選んでもいられない。

女にリードされるくらいが心地いいってのに、年長者である以上、アンジェリカとリオの面倒を見なくてはならない。

ならない、ならない、ならない。

勇者の人生は、義務でいっぱいだ。

「やるか」

ざばっと飛沫を上げながら、俺は立ち上がった。

扉を少し開けてバスタオルを掴むと、体を拭いて腰に巻いた。

下着は抜いだのをまた穿くんだったか。

リオの発言を思い出し、脱ぎ捨てたトランクスに再び足を通す。

で、このあとどうしろと言うのだ。

「リオー! リオー! 着替え持ってきてくれ!」

返事はない。

いよいよ俺に幻滅したのだろうか?

「リオー!」

廊下の向こうから、ボソボソと呟くのが聞こえる。

「……中元さんは持ってきてくれなんて言わない」

どうやら近くには来ているらしい。

なのに顔を見せようとしないのは、リオなりの抗議のつもりなんだろうか。

「……あたしの知ってる中元さんは、懇願するような言い回しをしない」

「わかったよもう。……めんどくせーな」

俺は大きく息を吸い、

「着替えの用意も出来ねえようなガキは、要らねえんだよ!」

と荒っぽく叫ぶ。

我ながらなんて畜生な台詞を吐いてしまったのだろう、と胸が痛む。

だがリオは極上の笑顔で飛び出してくるし、手には真新しいジャージがある。

夫に着替えを渡す、新妻の表情である。

なんだかエルザとの生活を思い出すな、と妙な感覚に陥りながらも、両手で受け取る。

「……」

「……」

しばし、無言で見つめ合う。

まさか俺が着替えるのを見ているつもりか? 

本当にファザコン娘というのは……と俺がげんなりしていると、リオは急に真剣な目になった。

「中元さんがお風呂入ってる間、あの外人の子から聞いたんだけど」

何をだ? と答えながらジャージを履く。