ようやく二人の質問攻めから開放された頃には、日が傾き始めていた。
スマホを覗き込むと、『17:04』と表示されている。
真冬の夕方なんて、駆け足で逃げていく。
あまりうかうかしていると、真っ暗になってしまうだろう。
夜目の効くゴブリンどもに夜襲をかけられては面倒なので、俺は今のうちに結界を張ることにした。
さすがに不眠不休で迎撃戦はくたびれるので、ここいらで切り上げだ。
リオとアンジェリカにセイクリッドサークルをかけ、半径三百メートル以内の脅威を遮断する。
神官長はそれでも侵入してくる可能性があるものの、その時はその時だ。
モンスターを使った不意打ちを防ぐだけでも、効果は大きいのである。
「よし」
結界を張り終えたところで、スマホから綾子ちゃんに連絡を入れる。
アプリを立ち上げ、メッセージを送信。
『戦闘継続中。今日はアンジェリカと一緒に斎藤家に泊まる。もう支度してたら悪いけど、俺らの分の夕飯は作らなくてもいいよ』
敵の親玉を倒しきれていない以上、護衛はまだまだ続くのだ。
つまるところ、神官長とケリをつけるまでは仕事にも行けないのである。
俺の社会生活は大丈夫なんだろうか?
暗澹たる気分で画面を見つめていると、メッセージが未読から既読に変わる。
今この瞬間、綾子ちゃんがあの文章を読んでいるのだ。
……どんな反応が来るんだろ。
若干の恐怖を覚える俺だった。
だって、綾子ちゃんの性格を考えると、そのな?
病んだ長文でなじってくるかもなぁ……なんて失礼な覚悟を決めていると、意外にもさっぱりとした返信が届いた。
『わかりました』
ちなみに、しょんぼりした表情の絵文字つきである。
どうしてこのタイミングで、普通の女の子っぽいことを……。
もう一言、『絶対勝って下さいね』とも送ってきたし。
なんだかものすごく悪いことをしてる気分になってきたぞ。
だって今、こっちの台所にはリオとアンジェリカが立ってるし。
ななにやら二人で、晩飯を作ってくれるらしい。
このペア、和風と洋風で雰囲気は違えど、どっちも派手な女の子なのは確かだ。
わかりやすい美少女なのだ。
対する綾子ちゃんは、落ち着いた風貌だけどよく見ると整ってるよね、といった感じ。
眼鏡を外すと美人、みたいな。
眼鏡かけてないけど、とにかくそういう系列の風貌なのである。
そのような地味かわいくて手料理も頑張ってる女の子に、「今日は外に泊まるし、おめーの飯食わねえから」と伝えたのが俺だ。
しかも外泊先では、きらきらゴテゴテ系の女子二人を侍らせているときた。
もはや感覚としては、
「かみさんをほっぽり出して夜の店で遊んでる」
である。
綾子ちゃんは俺の奥さんでもなんでもないので、謎の罪悪感だった。
「俺にもよくわからないが、ひたすら申し訳ねえ……」
気晴らしに何か手伝おうかな、と台所に向かう。
リオとアンジェリカに尽くしたところで、ちっとも綾子ちゃんへの罪滅ぼしにはならない。
だがそれでも、誰かに親切にせずにはいられない俺だった。
八つ当たりの逆、八つ可愛がりとでも言うべきか?
男が妙に優しくなる時は大体わけあり、と女性誌で組まれていた特集を思い出す。
実際その通りなので、ぐうの音も出ない。
俺は厨房に足を踏み入れ、並んで調理する少女達に目を向ける。
リオは右側で野菜を切り、アンジェリカは左側で何かをすりおろしていた。
にんにくと玉ねぎの臭いがするので、カレーでも作るのかもしれない。
「俺もなんかやろうか?」
「中元さんは座ってて」
「お父さんは座ってて下さい」
息の合った返事。
はい、従います。若い女の子のシンクロに勝てるおっさんなど、いないのである。
「ここ狭いから中本さん来たら作業し辛くなるだけだよ。散々動き回ったんだから休んでなよ」
「そうですよ。お父さんはお父さんらしく、一家の大黒柱として居間でドーンとふんぞり返ってればいいんですよ」
「わかる……家事しない古臭いオヤジ好き……」
「えっ、なんで変な共感を向けてくるんですかリオさんは」
ていうか普段のアンジェリカは俺に家事やらせてるじゃん、という野暮な突っ込みは置いといて、二人を観察する。
こいつら、中々息が合っている。
性癖が噛み合うせいか、意図せず意見が一致することがあるのである。
きっと本人達も嬉しくないのだろう。なんでこの子と、という表情でぷいっと顔をそらす。
相性がいいんだか悪いんだか、いまいち判断に困る組み合わせだ。
ファザコン趣味のもたらす、望まぬシンクロか。
人として好きじゃないけどこの子趣味はいいな、みたいな気分なんだろうか。
……望まぬシンクロ?
ずっと頭に引っかかいていた違和感を、一瞬だけ思考がかすめた手応えがあった。
神官長を無力化する方法として、俺が立てた計画。
容器に詰め込んで海に沈め、死亡と蘇生のループに閉じ込めるというものだが……。
「あ」
いかん。
これは無理だ、と気付く。
そうか、俺の無意識はこれを警告してたのか、と膝を打つ。
なんたって神官長の時間逆行は、自分一人が過去に戻るわけではない。
自身を殺した相手と(・・・・・・・・)一緒に、意識を死亡の数分前に戻すのである。
となると神官長を海に沈めるなんてのは、最悪の選択肢だ。
もし海底で神官長が窒息死した場合、数分前の世界にタイムスリップするだろう。
だが戻ったところで、そこはまた海の中なのだ。神官長は再び死亡し、過去に戻る。永遠にこれを繰り返す。
同時に、俺も地上で終わらない逆行を繰り返すことになる。
神官長が息を引き取るのに合わせて、数分前の世界に飛ばされる。
終わらない時の檻に閉じ込められ、もはや死人に等しい人生を送らざるを得なくなる。
「……思ったより厄介だぞこれ」
加害者もシンクロして引き戻す。まさに道連れであり、心中だ。
このスキルを発現する要因となったであろう執念に、怖気すら感じる。
そう。
神官長は、俺が殺してはいけない。
別の方法を検討するべきだ。
顎を撫でながら、考える。
なら、俺の代わりにゴブリンを使うというのはどうか。
神官長をドラム缶に詰め込むところまでは俺が行なうが、直接海に投棄するのは脅したゴブリンにやらせればいいのだ。
これならば俺の代わりにゴブリンが死と蘇生のループに閉じ込められることになるはずだが……。
「……」
いいのか? 本当にそれでいいのか?
神官長は配下のゴブリンが脅迫や買収で寝返ることを、全く想定していないのだろうか?
自身の部下や武器が敵の手に渡ることを考えずに行動するほど、愚かな人物だったとは思えない。
独善的で思い込みの激しい人物だが、戦闘に関してはあまりヘマをしなかったと記憶している。
要するに神官長は、別にゴブリンの何匹かが裏切っても問題ないと考えているのだ。
……どういうことだろう。
「ああ」
そこで神官長のスキル効果に思い至る。
あれは過去に「戻る」のではなく、過去に巻き戻すと記述されていたはずだ。
神官長と彼女を殺めた者が過去にタイムスリップするのではなく。
この宇宙全ての時間軸を過去に戻した上で、神官長とその殺害者のみが巻き戻し前の記憶を保持しているという仕様なのかもしれない。
もしこのパターンだとしたら、神官長とゴブリンを窒息と蘇生のループに閉じ込めるなんてのは言語道断だ。
宇宙は未来に進むのをやめ、永遠に神官長が息を引き取るまでの数分間に閉じ込められるだろう。
もっともほとんどの生物は、自分達が何度も何度もループに巻き込まれていること認知出来ないのだから、何も変わらないまま進歩しない世界を生きることになるのだろうが……。
けれどこんなのは、死んでいるのと変わらない。
「なんて迷惑なスキルなんだ……」
神官長の時間逆行は、この世の全てを巻き添えにした無理心中だと思った方がいい。
つまり他者に殺させるのはなしだ。
となると……生きたまま封印するのがベストなんだろうか。
例えば脊髄を損傷させて植物状態にし、どこかの病院に預けるというのは?
一瞬、悪くないアイディアだと思った。
けれどすぐに神官長のステータスを思い出し、現実的ではないと悟る。
あの女のHPは、23000以上あったはずだ。
HPというのは単に、被弾可能な回数の上限を示しているわけではない。
これは生命力を表した数値なのだ。この能力値が高いほど、治癒力も上がる傾向にある。
一万を超えていれば、大概の怪我は一週間もあれば治るようになるとされている。
さすがに切断された手足が生えてくるというのはないが、粘膜や神経、骨といった部位ならば容易に修復される。
仮に神官長の脊髄や声帯を傷つけたとしても、いずれは自力で回復するだろう。
そして病院を飛び出し、俺をつけ狙うようになるだろう。
……なら定期的に神官長の脊髄を傷つければいいのか? 完治する前に、何度も何度も植物状態に引き戻す。
これからずっと、それを。俺が。神官長が寿命を迎えるまで、一生?
でも、あの女に寿命なんてあるんだろうか。
錬金術師に肉体を改造させ、二十九歳から歳を取らなくなっている女に。
やろうと思えばやれるかもしれないが、あまりにも負担の大きい手法だった。
「勝てないのか……?」
こうなるともう、神官長の言葉に従うのがベストなのではと思えてくる。
俺が自害し、約束通り後追い自殺をして貰う。これで地球の平和は守られ、アンジェリカもリオも綾子ちゃんも幸せな人生を送れる。
――違う。
そうじゃない。投げやりな自己犠牲は残した人々を悲しませるだけだ。
俺にはもっと最適な回答があるはずだ。
何か、何か。
完璧な答え。
神官長を無力化する手段。
考えろ考えろ考えろ。
俺はなんでもいいからヒントが欲しくて、家中のあらゆる物体に目を向けた。
スマホの画面を睨みつけてみれば、綾子ちゃんの健気なメッセージが表示されている。
台所には二人の美しい少女。
家には俺の帰りを待つ少女がいる。俺に尽くしてくれる綾子ちゃん。
俺を奪い合う少女達。
外にはワゴン車が停めてあって、中には田中と捕獲した二体のゴブリンがいる。
「……ああ……?」
そして愕然とする。
勝てないからではない。
勝ててしまうことにである。
「……いけるかもしれない、が……」
だがこれは、人間を辞めるということだ。
勝利と引き換えに、俺は本物の悪魔になるだろう。
でも、少ない犠牲であの女を無力化にするには、このような手法を取るしかないのだ。
たった一つ、俺の精神が持つかが不安だけれど。
「……大丈夫……勝てばこっちのもんさ。勝って、そのあと考えよう」