予想通り、夕飯はカレーライスだった。
リオはともかく、アンジェリカも厨房で戦力になったのは意外である。
こっちの世界の料理なんて、いつ作り方を覚えたんだろうか?
さりげなく聞いてみれば、
「箱の裏にレシピ書いてましたし」
と、ルーのパッケージを片手に胸を張るアンジェリカ。
日頃の言動から(あまり賢くないのでは……)と無礼な疑いを持っていたので、見直したというのが本音である。
教典の丸暗記なんかを日課としてたご身分だし、耳ではなくテキストで頭に入れるタイプなのかもしれない。
そういえば口頭で使い方を教えた電子レンジや洗濯機はおぼつかない手つきだけど、説明書ごと渡したスマホは驚異的な速度で機能を学習してたりするし。
なんかごめん、お前を誤解してた……と申し訳なくなる俺である。
「なんですかお父さん、その目は……。あっ。わかっちゃいました。エプロン姿の私を見て、もんもんしちゃってるんでしょ?」
「全然違うけど、飯ありがとな」
感謝の気持ちを込めて、頭を撫でてやる。
髪に指を差し込んでくしゃくしゃとやると、アンジェリカは目を細めて喜ぶ。
「ふぁー……。お父さんの指、気持ちいい。気持ちいですよー……」
「ねぇあたしは?」
物欲しそうな目を向けてくるリオには、ちょっと考えてから最適なお礼を述べる。
「黙って皿並べろよ。俺は腹が減ってんだよ」
【斎藤理緒の好感度が200上昇しました】
「あ、ああぁ……っ。すごい、今の中元さん凄い……! あたしが一番欲しかったものくれる……!」
リオは頬を染め、身震いしていた。
俺だってこんな畜生台詞は吐きたくないのだ。
辛いのだ。
でもリオは、こういうのの方が喜ぶのだ。
「お父さん、その……せっかく食事の用意をしてくれた女の子に、そういう発言はどうなんでしょう……」
「ああそうだよな、ドン引きだよな。俺だってそう思ってるよ。でもこいつの性癖上、しょうがないんだよ」
わかってくれよ、とアンジェリカに必死の弁明をする。
若干十六歳の汚れなき少女に、M女の概念を語って聞かせる俺。
地獄である。
「ええ……? じゃあリオさんは、いじめられるのが好き……なんですか……?」
困惑するアンジェリカ。人として当たり前の反応である。
対するリオのリアクションは、
「ちょっとちょっと! なに女の子に必死で言い訳なんかしてんの!? そこは俺に意見してんじゃねぇよ毛唐! ってビンタするところでしょ!? ちゃんといつもの中元さんみたく鬼畜を貫いてよ!?」
なんでアンジェリカを調教しないの!? と詰め寄ってくるリオに、俺からかけてやれる言葉などない。
ただただ「カレー食おうや」と力なく呟くことしか出来ないのである。
「美味そうだなあ」
「あーんしてあげましょっか?」
「人ん家でそれは照れるな」
「お父さん、いっぱい戦って疲れてるでしょう? 労りタイムですよ。はい、あーん」
あたしは!? ねぇあたしは!? と背後でやかましいリオを無視して、アンジェリカとイチャイチャしながら飯をかき込む。
ちなみにこの放置プレイもツボらしく、怒涛の勢いでリオの好感度が上がっていくのが見える。
こいつ実は最強だろ。
何やったら好感度が下がるのかもうわかんねーよ。
食事を終えると、リオの兄であるキングレオが帰宅してくるというイベントが起きた。
だが俺の顔を見るなり「妹の恋路は邪魔できねー」と言って、回れ右をされた。
「今日はダチの家に泊まるわ。マジぱねぇ」
とのことだ。
去り際、キングレオは俺の顔を見て言った。
「リオとよろしくやるのはいいっスけど、避妊だけはしといて下さいね。あいつ俺と違って大学行けっかもしんねー頭だから。ガキ孕んで高校中退とか、もったいねえっしょ?」
余計な気遣いである。
まず妹がおっさんと恋愛してるかもしれない可能性に怒れよ、と言いたい。
だが俺に対する信頼やらリオに対する兄心なんかも感じなくはないので、何も言い返せなくなる。
すこぶるガラの悪い少年だけど、根っこの部分は妹思いなんだろうなぁ、と神妙な面持ちで見送った。
あとはリオの母親が帰ってきた時に、どう言い訳するかだろう。
いきなり娘が芸能人モドキを家に連れ込んできたら、ビビるに決まっている。
しかも白人の女の子も一緒で、床は穴だらけで、どこからどう考えても通報案件だった。
一体どうすれば……と頭を抱えていると、リオのスマホが鳴った。
さっそく兄貴から激励のメッセージでも来たんだろうか?
俺が見守っていると、リオはぽつりと言った。
「母さんだった。今日は彼氏の家泊まるってさ」
毎度のことだけどね、となんでもないことのように笑う。
ひとまず親御さんの目という懸念は解消……ではなく先送りされたが、それはそれとして。
そうなると今夜は、俺とリオとアンジェリカの三人で眠ることになる。
血の繋がらない十代女子を侍らせての睡眠。どこまで俺は落ちるのか、と我ながら嫌になる。
しかもよく考えたらそれ、普段と変わってないし。綾子ちゃんがリオと入れ替わっただけである。
俺の日常、ゲスいな……。
「お父さんがまた苦しんでる」
「中元さんってたまにこうなるよね」
なんでだろ? と首をかしげながらリオは浴室に向かった。風呂に入るのだろう。
アンジェリカは台所で皿洗いを始め、俺はすっかり手持ち無沙汰になってしまった。
「あー……いや、まだやることあったな」
というか社会人としてはこれが最重要項目かもしれない。
俺は出演が決まっていた番組の関係者に、連絡を入れることにした。
『インフルエンザになってしまいました。すいません明日以降の仕事はしばらく無理です』
とメールを送ったり、咳をしながら電話をしたり……気分は役者である。
現代社会って、こういうところは異世界より不便な気がする。
とにかく時間だの欠勤だのにうるさいのだ。
現代社会っていうか日本社会が厳しいのかもしれないが。
リオとアンジェリカが風呂から上がったところで、俺は今後の方針を伝えた。
方針といっても、いつ神官長がやってくるかわからないので単独行動は避けること、といった注意喚起だが。
「えっと……トイレなんかも中元さんと一緒ってこと?」
おずおずとリオがたずねてくる。
「さすがにそこまではしないよ」
「なんだ」
露骨にがっかりされた。お前は一体何を期待してたんだ?
「ていうか俺眠くなってきたんだけど、どこで寝ればいいんだろ」
「あたしの部屋でよくない?」
「それはどうなんだ……」
「一箇所で固まってた方いいんでしょ? 寝てる間に襲われたらやばいじゃん。側で中元さんが守ってくれた方よくない?」
「ならアンジェリカも一緒になるが構わないか?」
「……そこは妥協する」
交渉成立。
本日の寝床はリオの自室で決まりだ。
「あんま広くないけど、物詰めればギリギリ三人入るかな」
来てよ、とリオが立ち上がる。部屋まで案内してくれるらしい。
「あたしの部屋二階だから」
「まあ子供部屋って大体そうだよな」
キビキビと歩くリオの背中を、追いかける。
腰まで伸びた黒髪の下で、小ぶりな尻が躍動しているのが見える。
薄手のパジャマに着替えているので、パンツのラインがばっちりと浮き出ていた。
なんだか目のやり場に困る光景である。
見てはいけないものを見ているのは間違いなのので、視線をリオから外す。
俺は手すりを食い入るように見つめる変人と化しながら階段を上り、二階へと到着した。
部屋は廊下を左右から挟む形で、二つあった。
引き戸なので、おそらく和室だろう。
「散らかってるからほんとは人に見せるの恥ずかしいんだけどね」
どうぞ、とリオの手で戸が開けられ、部屋の中に案内される。
そんなに酷いのか、まさか縄やらロウソクなんかが無造作に転がってるのか、と大変不躾な想像を膨らませつつ、お邪魔する。
「なんだ綺麗じゃないか」
「えー! 全然だよ!」
見ないで見ないで、とリオは物を部屋の隅にどかしているが、男の基準からすると十分整頓されているように感じる。
雑誌と学生鞄が畳の上に転がっているくらいで、目立った汚れはない。
机の上だってきちんと整頓されている。
鏡台の限ってはごちゃごちゃと物が溢れているが、この程度は余裕で許容範囲ではないかと思う。
「それにしてもこの部屋……なんか既視感があるな……」
なんだろう。どこかで見覚えがあるのだが、と腕を組んで思案する。
広さといい押し入れの位置といい、とても初めて見たようには思えないのだ。
俺がうんうん唸っていると、リオが髪を弄びながら言った。
「あれでしょほら。国民的SFアニメの主人公の部屋」
「国民的SFアニメ……?」
「二十ニ世紀からやって来た、猫型ロボットの出てくるやつ」
「あ、ああー! そうだ!」
の◯太の部屋! と俺は手を鳴らす。
「それだ! ここそっくりだわ! ちょうどあの部屋を女の子っぽくしたらここになる!」
「……皆そう言うんだよね」
だからあたしあんま友達連れて来たことないんだよ、と肩を落とすリオだった。
「見た目は今時なのにな。なんかギャップあって面白いぞ、お前の私生活」
「うるさいなー」
照れくさそうな顔をしながら、リオは押し入れを開けた。
布団を引っ張り出すつもりらしい。
俺も手伝うよと言いかけたところで、
「お父さん」
アンジェリカが急に話しかけてきた。
口調がシリアスだったので、もしかしてリオの尻を凝視してたのがバレたんだろうか……と妙な焦りを覚える。
「ずっと気になってたんですけど」
「な、なんだ? 俺の目はずっと手すりに固定されてたぞ?」
「手すり? ……いえ、私が気になってるのはですね。どうして神官長を見逃したのかなって。いつものお父さんなら、さっさとやっつけちゃってるはずですし」
「あー……いやそれがな」
なんだそっちか、とほっとしながら俺は説明する。
「神官長のやつな、時間逆行なんてスキルを持ってたんだよ。誘発型で、誰かに殺されると自動的に効果が発揮される性質だった」
「どんな効果なんですか? ……まさか蘇生とかですか」
「ちょっと違うが、主観的には似たようなもんだ。自分を殺害した相手と一緒に、死亡数分前の世界に飛ぶっていうぶっ壊れ性能でな」
「なんですかそれ……!?」
「お前の知らない間に、俺は神官長を二回殺してる。そして二回過去に戻ったから、ここは三週目の世界ってことになるな。神官長と一緒に、仲良く時間旅行さ」
アンジェリカは口元に手を当て、ううーんと唸り始めた。
「……ほぼ不死身ってことですよね? 何か打開策はあるんですか?
「ある。というかありすぎる。実はな、七つくらい思いついたんだ。……自分でも引くくらい、ポンポン出てきた」
「多くないですか」
「だろ?」
しかも全部、悪魔みたいなやり方なんだと俺は懺悔する。
「えっと……試しに聞いてみていいですかね」