小学生の頃の話だ。

俺はとある有名なロールプレイングゲームで遊んでいて、ふと疑問に思った。

どうして王様は、勇者にろくな装備を寄こさないんだろうと。

棍棒と布の服を渡されて、はいこれで魔王を倒して下さいなんてのはあんまりじゃないかと。

あんた、本当に世界を救って欲しいと思ってるのか? 

城の兵士に長槍や金属鎧を支給してるんだから、勇者一行にもそれくらい用意出来るだろ?

実はそれほど俺らに期待してなかったりするのか? 

あれこれ勘ぐりながらも冒険を続け、どうにか自力で装備を整えた記憶がある。

そしてあれから数年経ち、俺も今では十五歳の中学生。

さすがにこの歳になれば、大人の事情ってやつも理解している。

いきなり主人公を強くしちゃったらゲームバランスがガタガタになるから、しょうがないんだろうなぁとか。

ああいうゲームはプレイヤーがコツコツ強くなっていくのを楽しむものだから、その機会を奪っちゃ不味いんだろうなとか。

面白さとリアリティを天秤にかけた時、切り捨てた方がいい部分ってのは必ず出てくるもんだ。

それによく考えてみたら、プレイヤーにとって有利な「不自然さ」も結構あったわけだし。

宿屋に泊まれば、一晩であらゆる傷が塞がる冒険者。

毛穴一つ見当たらない美男美女。

民家のアイテムを勝手に持ち去っても、文句一つ言わないNPCの住民。

あの手のゲームが想定しているターゲットってのは、どこにでもいる普通の少年だ。

だから彼らが苦痛を感じるようなリアリティは、慎重に取り払われている。

俺達が好きなのは、あくまで商品として調整された、中世ヨーロッパ風(・)ファンタジーなのだ。

王様が棍棒しかくれなくても、その辺のモンスターを倒すだけで新しい武器を買えるくらい金が貯まる、ご都合主義の世界を求めているのだ。

本物の中世ファンタジーなんて、要らない。切られたら痛みを感じ、血を流し、吐き気を催す戦場など、誰も頼んじゃいない。

ましてやそこに高度な思考を有する魔物までブチ込むなんて、何を考えてるのだろう?

この世界を作ったやつは馬鹿なんじゃねえか、と言いたくなる。

そう。

俺が迷い込んだファンタジーワールドは、人を楽しませるという意味では失格もいいところだった。

まず、匂いが酷い。そこら中に肉の饐えたような匂いと、発酵した乳製品の匂いが漂っている。

下水道が整備されていないため、雨の日は糞尿の匂いが鼻をつく。

あげく人々は滅多に入浴しないとなると、なぜ俺は嗅覚を持って生まれてきたんだろう? と哲学的な思いに囚われてしまう。

そして何より。

「そんなにこの顔がおかしいか。くそったれ」

謁見した王様が、召喚勇者である俺にろくな装備を寄こさない理由までリアリティに満ちている。

俺の顔があまりにも他の人々と違っていて、気味が悪いから。

肌の色も目鼻立ちも何から何までおかしいので、とても人間には見えない。まさかお前は亜人との混血か? 

そんなことを言われて、城から放り出されてしまったのだった。

要は人種差別だ。

現代の欧米人ですら東洋人を露骨に毛嫌いする者がいるのだから、人権意識など全く育っていない中世風異世界では、言わずもがな。

もし俺が本当に召喚勇者だというのなら、まずは人々のためにオークと戦って来いと王様は述べた。

戦果で証明せよ、と。

俺に拒否権はない。

左右を兵士に押さえつけられ、強制的に馬車に乗せられてしまった。

これからオーク軍との前線に向かい、嫌でも戦わせられるのだ。

与えられた武器は、粗末なロングソード一振り。防具は薄い革鎧。

こんなのは死ねと言っているようなものだ。

俺はどうすればいいんだろう? 

もちろん、逃げるのが一番だと頭ではわかっている。

けれどそれをやったとして、どんな将来が待っている? 

俺はどうにかして生き残り、日本に帰らねばならない。

強くならなければいけない。

戦闘経験を重ねて、損をすることはないだろう。

だから、ひょっとしたらいい機会なのかもしれない。

そう自分に言い聞かせて、俺は剣を磨き続けた。

あれから二時間ほど経った頃だろうか。

慣れない馬車に酔いを感じ始めた頃、ようやく運転手が停止の合図を出した。

あたりは背の高い木々に覆われた薄暗い森で、遠くから剣戟の音が聞こえる。

ここが、戦場。

俺が呆けていると、両脇に座っていた兵士達が、ガチャガチャと鎧を響かせながら降りていった。

俺はしばらく休んでいようかと思ったが、半ば引きずり出されるような形で降ろされる。

「……ほんと、扱い悪いよな」

弱りきった声で悪態をつくが、返事は嘲笑だった。本当にこのガキが勇者か? とせせら笑っている。

いいさ。

こいつらは仲間なんかじゃない。俺は俺しか信じない。

やってやる。俺に勇者の肩書がついている以上、きっとそのへんの兵隊よりは強いはずなのだ。

俺は深呼吸をして気分を整えると、剣を握り直した。

剣道ともフェンシングとも無縁の生活を送ってきたので、完全に我流の構えだ。

確か西洋の剣は、切断よりも突きや叩きつける用途が向いていると聞いたことがある。

ならば大振りに振り回すのではなく、レイピアのように使えばいいのだろうか?

ブンブンと素振りならぬ素突きを繰り返しているうちに、気が大きくなっていく。

案外、初めての本格的な実戦で、秘められていた剣の才能が開花したりしてな……と少し楽しくなってきたり。

健全な十代男子が剣を持たされたら、誰だってこうなるのではないかと思う。

ていうかこれ、いけんじゃね?

今めっちゃいい音で振れたよな? ピュンって鳴ったよな?

あちゃー。

俺、覚醒しちゃったかー。

こりゃ必殺技の名前も考えた方がいいかもしれない。

邪龍炎殺疾風……。

「勇者、おい勇者」

お楽しみのところを悪いが、と兵士の一人に肩を叩かれる。

「なんだよ?」

「お前さん、神聖剣スキルは使えんのか」

「……なんだそりゃ?」

「歴代の勇者は皆やれたって聞いてんだがな」

てのひらからこう、光の刃を伸ばすんだよ、と身振り手振りで説明される。

「なんでも切れる剣。それが勇者の証だ。人間族の聖剣はどっかの岩に刺さってるんじゃなく、勇者様の体から出てくるってこった」

「他の種族にも聖剣があるみたいな口ぶりだな?」

「あるよ。俺らは魔剣って呼んでるが」

俺はステータス画面を開いて、己のスキルを確認してみることにした。

この世界に飛ばされた直後、頭の中でステータス鑑定のやり方が説明されたのだ。

自分に向けて行なうのは初めてだったが、上手くやれるだろうか?

「お。出てきた」

【名 前】中元圭介(なかもとけいすけ)

【レベル】1

【クラス】召喚勇者

【H P】100

【M P】100

【攻 撃】100

【防 御】100

【敏 捷】105

【魔 攻】90

【魔 防】95

【スキル】言語理解 ステータス鑑定 法術

【備 考】召喚されて間もないひよっこ勇者。軽度の中二病を患っている。

中二病ってなんだ?

意味のわからない用語はスルーして、よーくスキル一覧を眺める。

「ないんだが。神聖剣」

兵士達は鼻で笑う。

「こいつはとんだハズレだな」

がっかりだな、と肩を落とす男達を、今に見てろと睨みつける。

結果を出せば全てが変わる。コロリと態度が軟化するに決まってる。

俺は制止の声も振り切り、ザクザクと森の奥へと足を進める。

怒号のする方へと。

鍔迫り合いの音がする方へと。

ぱきぱきと枝を折りながら、前へ前へと向かう。

俺は周りの兵士達より細身だから、するすると木の間をすり抜けることが出来る。

「お」

やがて眼の前に、数名の騎士達が見えてきた。

皆が左手に盾を持ち、右手には剣。

カァン、キィン、と大きな金属音を立てて、やはり鎧を着込んだ敵兵と切り合っている。

乱戦と言っていい状態だけれど、どっちか味方でどっちか敵かは、一目でわかる。

騎士達が戦っている相手は、首から上が豚なのだから。

あれがオークなのだろう。どの個体も人間よりやや小柄で、百六十五センチに届くかどうか。

つまり俺とそうか変わらない身長だ。

あれならいけるのではないだろうか?

二メートルも三メートルもあったら手こずっただろうが、顔が豚になった中学生ってところ。

なら同級生と取っ組み合いをするようなもんだ。

まあ俺が最後に殴り合いの喧嘩をしたのなんて幼稚園の頃なんだが、とにかくいけると思いたい。

助太刀だ。

今すぐここを飛び出して、華麗に斬りかかるんだ。

そして俺の力を認めさせるんだ。

相手はオーク。人食い豚人間。俺とは違う生き物。殺しても殺人じゃない。家畜を屠殺するのと変わらない。

やってやる。

やってやる。

俺の頭はとっくに覚悟が出来ている。

――なのに、どうして足が動かないのだろう?

まさかビビってるのか?

それとも躊躇しているのか?

やつらは二本足で立っている豚だぞ。鎧を着てようが剣を振り回してようが言葉を喋ろうが、そんなのは関係ないんだ。

あれは村を襲って善良な人々を殺害する、悪なんだ。

「……やるんだ」

ぎゅっと柄を握る。

握力を総動員し、突きの構えを作る。

目指すはオークの喉元。

倒れた騎士に馬乗りになり、勝利を確信したあの一際大柄な豚に、ブチ刺して終わり。

ゲームや漫画のヒーローはこんな時、ためらったりしなかったじゃないか。

味方には優しく、敵にはどこまでも容赦なく。それが今時の主人公ってやつだ。

俺は勇者。この世界を救う者。ハッピーエンドをもたらし、日本に帰る男――

「らあああああああああああああああああああ!!」

咆哮を上げながら、俺は全力疾走をする。

不要な思考は、刹那の速さで霧散した。

刺す。

殺す。

刺す。

殺す。

たった二つのフレーズを繰り返しながら、全身のバネを用いてオークの喉を穿つ。

「……加勢か!」

肉をえぐる、確かな手応え。

ごぱっと口元から血を吐き出し、オークが横向きに倒れ込む。

突然の増援で命を救われた騎士は、目を大きく見開いて俺を凝視している。

「……おお……かたじけない。見たところまだ若輩のようだが……」

なんと勇敢な、と賞賛の言葉を繰り返しながら、騎士は立ち上がった。

ほう、やるじぇねえか小僧。

あれが噂の勇者様かい? 肝っ玉はまあまあじゃないか。

周囲の騎士達は口々に俺を褒め称え、視界には経験値を獲得したとメッセージが浮かび上がる。

勝利と喝采。

間違いなく喜んでいい場面だ。

なのに、俺の中ではむくむくと違和感が膨らんでいった。

あまり、気持ちよくない。

勝てばすっきりするんだと思っていた。その瞬間、凡人から英雄に切り替わるんだと期待していた。

なのに、俺の胸は晴れない。

生き物を殺したという生理的な嫌悪感が、べったりとまとわりついていた。

豚の怪物を殺めてこれなら――万が一人間を殺した時、俺はどうなってしまうのだろう?

果たしてその時、正気でいられるのだろうか?