ヨクスとマーヤを掴み、上空でメジス軍の様子を伺っていると、マリトからの通信が来た。

補給所として用意を進めていた村との連絡が途絶えたとの内容に、進路を村へと変え上空から観測できる位置まで到着した。

「……酷過ぎる」

ヨクスが怒気を含んだ言葉をこぼす。戦いが始まる前に視察した村だったが、その時の面影は何一つ残っていない。

広がるのは黒く焼け焦げた炭が所々に散らばるだけの平野。その様は大地までをも焦がす巨大な炎に包まれたかのよう。

「炭の残り具合からして、爆発系の魔法じゃないわね。空間の温度を急激に上昇させ、その過程で燃え尽きたって感じかしら」

村の痕跡を分析し、村の中央へと視線を移す。上空から見れば、熱源の発生場所は村の中央であることはすぐに分かった。

そしてこの光景を作り出した者もすぐに見つかった。降下しながら村の中央を目指していると、無傷な者が一人そこに佇んでいた。

兵士とも一般人とも違う痩躯な男。何よりも確信的なのは、この男はこの異様な光景を見ながら表情をなに一つ変えていないということ。

「随分と早いね。金の魔王の『統治』の力だっけ。便利な力だよね」

「隠す気はないようね」

「この状況で誤魔化せる嘘の付き方があるのなら、興味はあるけどね」

「自信の表れかしら、魔族さん?」

「ああ、そうか。すぐに殺したらまた挨拶をし直さないといけないのか。こんにちは、僕の名前はオーファロー。ただただ世界を蝕む炎陽だよ……一日に何度も言う台詞じゃないね、これ。しっかり情報共有してね」

オーファローはこちらを一瞥し、再び周囲の様子へと視線を移す。隙だらけではあるが、安易に仕掛けようという気持ちにはならない。いつもなら相手の強さを嗅ぎ取れるはずの私の鼻が、何も情報を与えてこないのだ。何かしらの隠匿系の魔法か何かだろうが、大悪魔の探知能力を上回る程だ、警戒せざるを得ない。

「余韻を愉しんでいるのかしら?」

「自分が残した爪痕は、忘れないようにしたいんだ。僕が僕の意思で傷つけたもの、壊したもの、そういったものを全て記憶したい。だってそうだろ、他人の成したことよりも、自分の成したことの方が価値を感じるじゃないか」

「人を殺めることに、価値を見出してほしくないわね」

「人間の狩人だって、獲物を仕留めたことを自慢気に話すだろう。僕は魔族だ。人間も獣も別なんだ。君達人間が、魔王や魔族を人として見ていないのと同じようにね」

「――そうね、人間側のエゴだったわ」

オーファローはマーヤの方を見ると、目を細めながら笑みを作る。それは人に見せるためのものではなく、自ら喜び、興味を持ったことを意味する表情だった。

「いいね。その飾らない感じ。僕の言葉に耳は傾けるけど、敵として処分してやろうとする気概を感じるね」

「話が通じない相手と割り切っただけよ」

マーヤがオーファローに攻撃を仕掛けようとした時、近くにあった建物の残骸が動いた。そこは攻撃の中心にあった場所であるのにもかかわらず、周囲に比べて燃え尽き方が弱い。そこだけ攻撃から護られたかのような印象を受けた。

全員の視線が動き、その残骸の下に動く影を認識する。動く炭、いや、全身が焼け焦げてこそいるが、これは人の形をしている。

「ウッカ!」

その中でマーヤが叫び、その人型へと駆け寄った。私も微かに漏れてきた魔力を感じ取り、それがウッカ大司教であることを認識できた。

魔力の感知においてはマーヤよりも私の方が秀でている。それでもマーヤは私よりも早く、倒れているのがウッカ大司教であると気づいた。そこには何かしら別の要因があるのだろう。

ウッカに回復魔法を掛けているマーヤへと視線を向けるオーファローだが、動く様子はない。私やヨクスが警戒を緩めていないからではなく、仕掛けるつもりがないだけなのだろう。

「弱めに照らしたとはいえ、生きている人間がいたんだ。ああ、僕に話しかけてきた男か。咄嗟に結界を張っていたけど、持ちこたえてたんだ」

「マーヤ様!ウッカ様は!?」

「息はあるわ!だけど早くちゃんとした治療ができる場所に連れて行かないと……っ」

ウッカの容態は極めて不安定、人間の尺度で見れば生きていることが奇跡とも言える状況。だが命があるのであれば、延命し続け助けることも十分に可能だ。

マーヤもそれを理解し、外傷よりも体内の活動維持を優先した治療を施している。このまま処置を続け、この場からウッカを運び出すことができれば、助かるかもしれない。だが――

「逃げたいの?別に構わないよ。僕は別に特定の誰かを殺したいとかはないし、殺しそこねた相手に執着するたちでもない。でも一つ質問しよう」

オーファローは首を曲げ、遠くの空を見上げる。その視線の先はメジスの内側を向いている。

「僕はこの後、メジスの国を焼いて巡る。君がその男を連れて逃げる間に、村の一つや二つ、簡単に焼き払うだろう。それでもその死に損ないを助ける意味はあるのかな?」

確かにこの場でオーファローを逃がすことは、さらなる被害を生むことに直結する。ウッカを助ける決断は、この近くにいる人間の命を危険に晒す行為と同じだ。

本来この問を投げかけるのはこちら側の者だ。決して人間を滅ぼす側であるオーファローではない。ならばその意味とは何か。

「悪趣味な子だね。そんなに私が葛藤するのを見たいのかい?」

「そうだよ。君のような強い意思を持つ人間が苦悩する。そんな姿を見たいのさ」

「――なら私の答えを教えるわ。ヨクス、ウッカの治療を代わって」

「は、はいっ!」

ヨクスに治療を任せ、マーヤは立ち上がりオーファローの方を向く。

「勝手に二択の選択を投げるんじゃないわよ。ウッカは助けるし、あんたも逃さない。あんたのように堕ちた子を、野放しにできるもんかい」

「口で言うだけなら簡単だ。だけどここで戦えばどうやっても――」

マーヤの姿が突然消えた。それが幻影魔法を組み合わせた歩法だと気づいた時には、マーヤはオーファローの顔を掴み、力の限り遠くへと放り投げていた。

オーファローは無抵抗のまま遠くへと飛んでいく。視線をマーヤのいた場所に戻すと、そこには既にマーヤはいない。オーファローの方へと移動したのだろう。

「ヨクス。その男の応急処置が済んだら、お前はその男を治療できる場所に運べ。私はマーヤに続く」

「……わかった。マーヤ様を頼む」

翼を出し、オーファローが投げられた方へと飛んでいく。そこでは既にマーヤがオーファローへ猛攻を仕掛けていた。

幻影と緩急ある移動で距離を詰め、浄化魔法で強化を施した拳を叩き込む。防御しようとした腕を掴み上げ、がら空きになった脇腹へと蹴りを入れる。姿勢が崩れた奴の髪を掴み、頭部を無理やり下げさせてからの膝蹴り。

あの不規則な動きは鍛錬ではなく実戦で培った技術と経験。肉弾戦だけならば私をも凌駕するかもしれない。

だがその激しい攻撃の中でも、オーファローをヨクス達から遠ざけようとする意図を感じ取ることができる。

「っ、優雅さの欠片もない戦い方だ」

「優雅さで悪魔が苦しんでいたのなら、取り入れたかもしれないわね……デュヴレオリ!」

「承知した」

宙に浮いた体に、私も『轟く右脚』を合わせる。奴の体は軽く、勢いを殺せないまま村があった場所から外へと弾き出されていった。

「いい蹴りだわね」

「距離を離すのはこれくらいで十分だろう。こちらは大技を狙う。崩しは任せる」

「任されたわ」

オーファローを追いかけ、村の敷地の外へと向かう。奴は立ち上がりつつ、口の中に溜まった血を吐き出していた。

あれだけの猛攻を受けきれる体の頑丈さは流石ではあるが、ダメージは確かに与えられている。アークリアルのように触れることすらできない相手と比べれば、十分に勝機を見出すことができるだろう。しかし気になる点が一つある。

「ん、歯が折れてる。この感覚は久し振りだ」

「……反撃する気がないのはどうしてかしら?」

そう。奴はこれまで一度として反撃を行っていない。マーヤの攻撃に対し、自らの体を守るように手足を動かす様子はあったが、我々を敵として排除しようとしていないのだ。

「ただ殺しつくすだけなら、ラザリカタやザハッヴァにでも押し付ければいい。でも『黒』様に命じられたから、僕も殺さなくちゃいけない。せっかく記憶に残すなら、思い返す時に感慨深いものにしたいんだ。ただ殺すだけじゃ、記憶にも残らないからね」

ザハッヴァという名が黒の魔王の魔族のことを指していることは、先程通信用水晶から得た情報の中に含まれていた。ならばラザリカタという名前の存在もそうなのだろう。

オーファローはわざと攻撃を受けており、その理由に戦術的意味はない。その慢心は自らの強さに絶対的な自信があるからだろう。

「そうかい。まあ私は友人を魔族に殺された立場だからね。あんたの思惑関係なく、容赦のないままやらせてもらうよ」

「好きにすれば良いよ。僕も好きに君を蝕ませてもらうから」

マーヤが飛び込むのに合わせ、こちらもオーファローの背後へと回り込む。マーヤが拳を数度叩き込み、蹴りでこちら側にオーファローを飛ばしてきたのを『穿つ左腕』を伸ばして貫いた。

「っ!」

腕に違和感を覚え、貫いた腕を引き抜き確認する。元に戻った腕からは煙が立ち込めており、肉が焼け焦げている。マーヤの方も同様に、その両拳の皮膚は赤くなっており、蹴りを入れた靴には焦げ目が入っている。

オーファローの周囲の大気が揺らめいている。離れているはずなのに、肌に異様な熱気が届いてくる。そして今まで感じなかった奴の禍々しい魔力があらゆる感覚で認識できるようになっていた。

「……ザハッヴァという魔族は自らを蜘蛛と名乗り、蜘蛛の脚を武器にしていたそうね」

「オーファローは自らを炎陽と名乗った……つまりはそういうことか」

オーファローの足元の大地が熱で溶け始める。奴は炎や熱を扱うのではなく、奴そのものが熱の塊。自らの温度を上げ、村をまるごとその熱で包んだのだろう。

「まだ息はできるように、熱が広がる範囲は抑えてあげるよ。だけどできるだけ諦めないようにね。諦めたら、すぐに終わりにするから」

ザハッヴァの猛攻をしのぎつつ、肉体の損壊を狙った攻撃を蓄積させていく。首の切断に対しては警戒を示しているが、蜘蛛の足に対する反撃などには警戒がない。体力を削られている自覚はあるものの、手足への反撃を防ぐほどの余裕がないのだろう。

「鬱陶しい、鬱陶しい、鬱陶しい!こんなにも見苦しく、身を守る技ばっかり使って!嫌になるわ!」

「そりゃこっちの台詞だ。斬っても斬ってもニョキニョキ再生しやがって。ま、このまま持久戦に持ち込むつもりは毛頭ないけどな!」

アークリアルが蜘蛛の足を斬り落としたタイミングで、背後からギリスタが飛び込んでくる。獣の口のように開いては閉じる大剣、その力を開放し、ザハッヴァの胴体へと噛みつかせた。

「っ!」

「あっはぁーっ!人を食い千切るよりもいい感触ぅーっ!」

ザハッヴァは魔力強化を解き、ワザと体を切断させて大剣から逃れる。再生をしながら距離を取り、ギリスタの方へと忌々しそうな視線を向けた。

私とアークリアルは持久戦を狙って防御寄りに戦っていたわけではない。ギリスタがザハッヴァに斬り掛かるタイミングを作っていたのだ。

ギリスタの魔剣は斬りかかった相手の魔力を喰らう。今の一撃は想像以上にザハッヴァへのダメージに繋がっただろう。

「――ああ、その剣。見たことがあると思ったらポシマックの剣じゃない。人間に回収されてたのね」

「あらぁ、元々の持ち主の名前はポシマックっていうのね。可愛らしい名前じゃない」

「名前だけよ。あなたと同じで戦闘狂の汗臭いデカブツ。衛兵崩れの暑苦しいバカよ」

「私、筋肉質な殿方は好きよぉ?」

「どうでもいい。あなたの好みなんて微塵も興味ないので。でも、その剣は本気で鬱陶しいわ」

苛立ちを隠さなくなっているザハッヴァ。私とアークリアルはギリスタの横に並び、攻撃に備える。

これまでの攻防で奴の動きに全身が慣れることができた。これからはギリスタを守りながらでも十分に戦うことができる。

ザハッヴァの攻撃を捌き、反撃手段を封じ、ギリスタに斬ってもらう。この流れを続ければ、奴は弱って動きが鈍るだろう。そうなれば再び頭部を狙う機会が生まれることになる。

着実に流れはこちらに傾いているが懸念は残る。例えばザハッヴァは攻めあぐねているにもかかわらず、魔具を使用していない。見る限り武器のようなものを所持しているようには見えないが、どこかに隠し持っている可能性もあるのだ。

「ならお前さんも魔具を使ったらどうだ?黒の魔王は魔族一人ひとりに魔具を与えていたって聞いているんだがな。失くしたってわけでもないんだろ?」

「ええ、あるわよ。だけど私の指輪は武器として使うものじゃないもの」

ザハッヴァは私達に舌を出してみせる。舌には穴が開けられており、そこには指輪が通されている。宝石等はつけられておらず、質素な形の黒い指輪が、ザハッヴァの唾液で光沢を見せていた。

あっさりと手の内を晒すザハッヴァに少しばかり拍子抜けしたが、アークリアルのおかげで懸念の一つが取り払われた。武器として使用しないのであれば、あの指輪は守りに使ったり、特殊な条件下で用いたりするものなのだろう。

攻め手が増えるわけではないのはありがたいが、いつ使ってくるかも分からない道具、警戒はしておくべきか。

「ほーん。てっきり一人一武器って感じで配っていると思ったんだがな」

「想像力が足りないのね、あなた。あたしは元々平凡な村娘、武器なんて扱うわけがないでしょう?」

「平凡な村娘は重力魔法や蜘蛛の足を扱うものなのか」

「それくらいは嗜みなので」

「嗜み過ぎだろ、平凡すげーな」

ザハッヴァは視線を遠くで戦っている魔物達へと向けた。ターイズの騎士達の奮闘もあり、魔物達の相手はこちら側が優勢。堅実に数を減らしつつある状況だ。

「このまま続けても、流れは変わりそうにないわね。やっぱり私が変えないとダメなのね」

「お、奥の手でも出すか?もう手足は増えなくていいんだぞ?」

「八本あれば十分なので、これ以上は増やさないわ。だけど、ちょっとだけ……成るわね」

ザハッヴァが突撃してくる。ギリスタは後方へと大きく跳び、アークリアルが前に出る。私は少しだけ下がり、ザハッヴァがギリスタへ奇襲を仕掛けるのを妨げられるよう位置取る。

だが狙いはアークリアル、ザハッヴァは蜘蛛の足を四本全て突き出してきた。アークリアルはその攻撃を回避し、流れるように全てを切断する。

「接近してから使ってちゃ、せっかくの長さが無駄だろうに。むしろこの間合、首を――っ!」

アークリアルの握っていた剣が砕け、アークリアルの体が横へと吹き飛ばされた。その光景に一瞬思考が止まりかけたが、我に返り攻撃の正体を目視する。

ザハッヴァの蜘蛛の足は未だ再生の最中、振るったのは人間の部分の腕――っ!?

「あぁっ、これよ、この感触!なんて、なんて素敵なのかしら!」

「これは――」

ザハッヴァの腕は歪に変形をしている。筋肉や骨格が変化し、まるで虫の足のように変化している。腕だけではない。足や胴体までもが人の形を捨てようとしている。

再生した蜘蛛の足は本来の機能を取り戻し、大地を踏みしめその体を支える。蜘蛛の足を持つ人型から、人型の胴体を持つ蜘蛛へ、より人外の姿へと悍しく変貌していく。

「今一度名乗るわ!あたしはザハッヴァ!魔王様の為に人間という害虫を殺し尽くす、一匹の蜘蛛!」