Kuro no Maou
Episode 110: Fairy VS Tenma Knight (3)
『妖精女王・イリス』の加護により再び力を取り戻したリリィと、疲労の色を見せ始める天馬騎士との戦いが再び上空で始まった。
「――『火炎突撃(イグニス・チャージ)』!」
キャミーの繰り出す突撃攻撃、燃え盛る火炎の槍はしかし、リリィの妖精結界(オラクル・シールド)を破れない。
「――『氷結突撃(アイズ・チャージ)』!」
続けてキャシー班が氷属性の武技を用いてリリィへ連続攻撃を見舞う。
武技の威力もさることながら、火と氷の属性を連続的に叩き込まれれば、熱膨張によって鉄の扉をも破砕することが出来ただろう。
だが、リリィの妖精結界(オラクル・シールド)は物理法則などまるで無視するかのように、変わらずに輝きを放ち続けている。
「あーん、もうヤダぁ!」
「全然効いてないじゃーん、なんなのよぉー!」
通信機を通して姉妹の愚痴がエステルの耳に届く。
「ちっ、やっぱさっきと変わんねーか」
向こうも退くに退けない戦いのはず、もしかすればリリィは表向き変わらぬよう見せているだけで、先よりもパワーが下がっているのかもしれないと考えたが、アテは外れたようだ。
こちらもそれなりに消耗してきているというのに、向こうは今でも魔力が漲り光り輝いている。
「いや、寧ろ強くなってんじゃねーのか」
心なしか、突撃攻撃の時に与えられるシールドへの傷が小さくなっているように思えた。
それは自分達が疲れた所為なのか、本当に向こうが強くなったのか、はたまたその両方か、知る術は無かった。
「仕方無ぇ、さっき言ったこと覚えてっか?」
エステルが接近戦で直接リリィの機動力を封じる、その上でキャミーとキャシーが力ずくでシールドを削りきり、止めを刺す。
危険だが他に方法は思い浮かばず、また考える時間が無いのも先と同じ。
止める者は居なかった、
「――うふふ、ダメよ」
しかし静止の声を確かにエステルは聞いた。
発信源は通信機、仲間の声では無い、この声は、
「て、テメェ!」
「随分とお粗末なテレパシーの術式ね、簡単に割り込めたわ」
紛れも無く、目の前で戦闘中であるリリィの声である。
エステルからは、リリィがフラン班とマティ班から繰り出される攻撃魔法の嵐を回避するのに専念しているように見える。
だが、通信機から聞こえてくる声は、まるで茶飲み話でもするかのように優雅なものだった。
「このクソ野郎! 舐めた真似しやがって、今すぐ私の槍でぶっ殺してやる!」
「私にトドメを刺すのはあの頭の悪そうな姉妹じゃなかったの?
自分で言った作戦を忘れるなんて、ボケてるんじゃないの、イヤね、人間って種族は老いが早くて」
エステルは気づいた、
(ヤベぇぞ、こっちの通信機越しの会話を全て傍受していやがる!?)
いくら単純な作戦とはいえ、相手が知っているのと知らないのとでは大きな違いが出てくる。
「くっ、くそが……」
一筋の冷や汗がエステルの頬を伝う。
その様子をリリィは知っているのかいないのか、変わらぬ調子で語りかける。
「ふふ、貴女って口は悪いけれど、仲間の為に率先して自分が犠牲になろうなんて、可愛いトコロあるじゃない」
「ふざけんな! 知った口を利くんじゃねぇ!!」
通信機には一切の魔力を流していない、声の受信も送信もできないはずだが、スピーカーから流れる声は止まらない。
「でも貴女、自己犠牲をするには少しばかり未練がありすぎるんじゃないかしら? 私には分かる、とてもよく分かるわ、貴女の心の秘められた恋心、とかね」
「や、やめろ」
思わず声が震えるのが自分でも分かった。
(落ち着け、ハッタリだ、私を女だと見て、適当言ってるだけだ!)
「えーと、貴女の思い人の名前は――」
「やめろぉお!!」
リリィが口にした男の名は、エステルが脳裏に浮かべた人物と全く同一のものだった。
(な、な、なんで、なんで知ってる……)
呆然とするエステルに構わずリリィはさらに言葉を重ねる。
「これはこれは随分と可愛らしい、茶色の髪のくりくりした目、まるで子犬みたいな男の子ね、虐めたくなっちゃう」
(そうか、コイツ、人の頭の中を覗けるのか、この距離で、こんな正確に……なんだよ、通信の傍受どころか、コイツは最初から全部こっちの考えを見抜いてるってことかよ!)
見事にエステルの思い人の容姿を言い当てたことで、リリィのテレパシー能力の精度をようやく理解する。
同時に、己の心に土足で踏み込まれたことに、形容しがたい不快感を覚える。
「ダメじゃない、まだ告白もしてないのに、こんなところで死のうとするなんて」
「五月蝿いっ! 黙れぇえ!!」
「彼、衛生兵として近くにいるんでしょ、良かったじゃない、今すぐ飛んでいって告白できるわよ」
「黙れっ!」
「ほら、早くしないと貴女より先に彼、死んじゃうかもしれないでしょ」
「黙れっ!!」
「長い時間をかけてようやく仲良くなれたんだから、彼を自分のモノにするまで、死ぬことなんてできないわよね」
「黙れって、言ってんだろうがぁあ!!」
叫ぶエステルと嘲笑うリリィ。
「あはははは、貴女って本当に可愛いわ、好きな男の話でこんなに動揺するなんて――」
この通信機の向こう側にいる女は確実に自分を動揺させる言葉を吐く、自分の心が揺らいでいる事は最早隠しようも無く認めざるを得ない。
エステルは身を固める、次に放つ彼女の言葉を恐れて、心を揺さぶる恐怖の言霊を。
「避けてエステルっ!!」
聞こえた声は誰の者か、瞬時に判断がつかない。
分かったことは、目の前に迫る一筋の白い閃光。
そしてその光の出所は、煌く妖精結界(オラクルシールド)に包まれ、宙で逆さまの体勢で正面から自分を指差す、その指先。
一体何時から狙われていたのか、これほど殺気の篭った一撃を撃たれてから気づくなど、普段のエステルからすればありえない。
思えば単純なこと、リリィの言葉に惑わされ、動揺した不意をつかれた、ただそれだけの事。
(ヤバい、避けきれな――)
ペガサスの純白の羽が綿毛のように宙を舞った。
「がぁああああああ!!」
熱と痛みに声をあげるエステル、未だかつてないほどの激痛が全身を駆け抜ける。
痛覚に犯される脳内だが、かろうじて冷静に思考できるキャパシティが残っていた。
(――生きてる、死ぬほど痛ぇが、まだ死んじゃいねぇ!)
自分が即死しなかったことを認識した次の瞬間には、ペガサスが落下を始めていることに気づく。
視界の端に、多くの羽が焼失した翼を捉える。
負傷したのは自分だけでは無くペガサス、それもよりによって翼。
だが、致命傷では無かった。
「テメェ根性見せやがれっ! ペガサスが落ちてんじゃねぇぞオラぁあああ!!」
賢明に翼を羽ばたかせ、ペガサスはどうにか体勢を立て直し再び宙に舞い上がる。
気がつけば、フランとその部下二名が形成する三角形の真ん中に位置するような場所にエステルはいた。
それが負傷した自分をリリィの追撃から守る為にやって来たのだと、エステルは一拍遅れて思い至った。
「「تتبع الانتعا――微回復(レッサー・ヒール)」」
二人分の治癒魔法が飛んでくる、だが痛みが僅かに和らぐだけで、到底傷口を塞ぐに足る回復量では無い。
「……悪い、油断した」
それだけ言うと、エステルはあらかじめ所持しておいたポーションを一気に飲む。
それなりに高価な一品だが、それでもまだ傷の半分も癒えてない事を感じる。
さらにもう一本を取り出すと、ペガサスの羽が抜け寂しくなった翼へと振りかけた。
こちらもエステルと同じく回復効果をもってしても即座にいえる程の軽い負傷ではない、どちらも気休めより幾分かマシといった程度。
「撤退しましょう、エステル」
フランの進言にはすぐに答えず、エステルは改めて自分の負傷箇所を見た。
(見なきゃ良かった、クソっ)
最も酷い負傷箇所は左手、恐らくリリィの閃光を反射的に腕で庇ったせいだろう。
鋼鉄と魔法の防御を併せ持つプレートが完全に焼き切れて、腕にまで深い傷跡を残している。
傷は左腕を縦に切り裂くように走り、そのまま肩口まで達し、さらにギリギリ首の直前でようやく止まっている。
あと数十センチ進んでいればエステルの首と胴は別離していたに違い無い。
どうやらリリィの閃光は左方向からペガサスの翼ごとエステルを薙ぎ払ったようだった。
(戦えないことは無い、だが、この有様じゃヤロウの動きを止めるなんて到底できねぇな、けど、だからって……)
「ふざけんな、まだ私は戦える」
「そうじゃないわ、見なさいエステル、地上部隊が退却を開始したのよ」
「何っ!?」
即座に視線を地上へ向ければ、つい先ほどまでとは全く逆方向に進む歩兵の姿が見えた。
しかし、自分が犯した失態を思えば、逃げ出す歩兵達を罵倒することなど出来なかった。
「……撤退するぞ」
「「了解」」
通信機からの返答を聞いたエステルは、宙に浮いたまま動きを見せないリリィへ視線を向ける。
彼女の表情が見えるほどの距離には無いが、恐らくその顔は笑っているのだと思えてならなかった。
「じゃあね、帰ったら愛しの彼にその傷と心を優しく慰めてもらいなさい、エステル」
その言葉を通信機越しに発したリリィは、退却する天馬騎士を追撃することなくアルザス村の方向へさっさと飛び去って行った。
「くそがっ、最後まで舐めたこと言いやがって……」
悪態をつくエステルの頭の中に愛らしい彼の笑顔しか浮かんでこないのは、果たしてリリィの所為なのかどうか。