Kusuriya no Hitorigoto

11 Haunted disturbance, the...

「そんなものわかりません」

自分を卑下(ひげ)しないが、過剰にもとらえない猫猫(マオマオ)の答えだった。

どんな病気か知っていたし、患者も見たことある。

その結果いえるのはこのことだった。

「薬で治せるような病気ではありません」

気の病である。

妓楼(ぎろう)の遊女がこの病にかかったとき、おやじどのはなんの処方もしなかった。

薬で治るものではなかったからだ。

「薬ではというと」

何なら治るんだ?と聞いていた。

「私の専門は薬です」

言い切ったつもりだが、横をちらりと見ると憂いを含んだ天上人の顔があった。

(目を合わせてはだめだ)

野生動物でも扱うかのごとく青年から視線をそらす。そらすがそらせない。回り込んでは猫猫のほうを向いていた。

かなり粘着質である。かなりうざい。

「……努力します」

ものすごく嫌な顔をしながら答えていた。

夜半に迎えに来たのは、宦官(かんがん)の高順(ガオシュン)だった。

寡黙で無表情なところはとっつきにくそうに思えるが、猫猫はむしろそこに親近感が湧く。

(あまり宦官ぽくない人だよな)

宦官は物理的に陽の気を取り払っているため、女性的になることが多い。

体毛が薄く、性格は丸く、性欲のかわりに食欲が増し太りやすくなる。

一番わかりやすいのは、やぶ医者の例だ。

高順はというと、体毛は濃くないが、精悍(せいかん)で後宮という場所にいなければ武官と間違えられることだろう。

(どうしてこの道を選んだのだろう)

気になっても聞いてはいけないことくらいわかる。黙って頭を振った。

灯篭(とうろう)を片手に持ち、高順が先導する。

月は半分の大きさだったが、雲がないだけ明るかった。

昼間しか見たことのない宮内は、まるで別の場所のようだ。

時折、がさがさと物音がしたり、なんだか喘(あえ)ぎ声のようなものが木陰から聞こえたりしたが無視することにした。

まあ、宮中にはまともな男性は皇帝以外いないということで、恋愛の形など歪でもしかたないわけである。

「猫猫さま」

高順が話しかけてきた。

「敬称はいりません。高順さまのほうが位は高いでしょう」

「では小猫(シャオマオ)」

(いきなり小(ちゃん)付けですか)

案外軽いのか、このおっさんとか思いながら、猫猫は頷(うなづ)いた。

「壬氏(ジンシ)さまを毛虫でも見るような目で見るのはやめていただけませんか」

(やっぱ、ばれてるのか)

ここ最近、露骨に表情筋が反応して、鉄面皮では隠しきれないらしい。

首がとぶことは今のところないと思うが、節制せねばなるまい。お偉いさんにとって、虫けらは猫猫のほうである。

「今日も帰るなり、『なめくじでも見るような目をされた』と報告され」

(たしかに、粘着質でべたべた気持ち悪いとは思いました)

いちいち報告していることも粘着質だ。

「身を震わせながら、潤んだ瞳で微笑んでいらしてました。悦(えつ)というのはあれを言うんですね」

誤解しか生まないような語彙(ごい)を、至極真面目に答えてくださった。

むしろ、虫けらから汚物に下がる勢いである。

「……、以後気を付けます」

「ええ、免疫のないものは、一目見るなり昏倒(こんとう)しかねないので、処理が大変なのです」

深いため息に苦労がにじんでいる。

大変疲れるお話をしているうちに、東側の城門についた。

城壁は猫猫の四倍ほどの高さがある。外側は深い堀で、食糧や資材の運搬、時折、下女の入れ替わりの際に、橋が下ろされる。

後宮で脱走は極刑を意味する。

門には、常に衛兵が張り付いている。内側に宦官が二人、外側に武官が二人。門は二重になっており、詰所が外側と内側両方についている。

跳ね橋を下ろすも上げるも人力では足りないので、牛が二頭飼育されていた。

猫猫は近くに広がる松林にあるものを探しに行きたい衝動にかられたが、高順がいるからかなうわけもなく庭園の東屋に座った。

半月を背景にそれは現れた。

宙を舞う白い女の影。

長い衣とひれを纏い、踊るような足取りで城壁の上に立つ。

衣が揺らぎ、ひれが生き物のようにうねる。長い黒髪が、闇の中で照らされ、淡い輪郭を際立たせる。

現(うつつ)のものとは思えぬ美しさだった。

桃源郷にでも迷い込んだかのような、幻想的な光景である。

「月下の芙蓉」

ふとそんな言葉が頭によぎる。

高順は一瞬驚いた顔をすると、ぽつりとつぶやいた。

「勘がいいですね」

女の名は『芙蓉(フヨウ)』、中級妃。

来月、功労として下賜される姫である。