Kyuuketsu Hime wa Barairo no Yume o Miru
Lesson Six: The Witch of the Beast
吹き抜ける風と獣の遠吠えくらいしかしない真夜中の荒野を、真っ白い日傘を差した少女が歩いていた。
年の頃は十代前半というところだろうか、夜の闇を束ねて絹糸にしたような長い黒髪は、あえかな闇の中にあっても煌き、月光を溶かし込んだような瑞々しい肌は穢れを知らぬ純白、そして瞳は輝く柘榴石(ガーネット)を象嵌したかのような、まるで芸術品のように美しい少女だった。
また、着ている物もその容姿に似合った見事な逸品である。黒を基調としたノースリーブのドレス――胸まわり(デコルテ)が開いたスクエアタイプで、スカートはドレープをたっぷり使った豪奢なもの――そこに薔薇のコサージュを散りばめ、ヘットドレスや白いストッキング、黒のパンプスにも薔薇のアクセントが加えられている。
とはいえ社交界にあってすら注目を浴びるだろうその姿は、この時間、この場所にあっては異様としか言いようがなく、万一その姿を見た者がいれば、見惚れた後我に返って、すわ亡霊か魔物かと肝を潰して、祈りの言葉を口に出しながら一目散に逃げ出したことだろう。
それほどあり得ない光景であった。
◆◇◆◇
「……まあ確かに、こんな夜中にこんな場所にいるのは夜盗か魔物くらいだろうね」
ボクは周囲のごつごつした岩場と荒地しかない光景を眺めて、ため息をついた。
「というか獣人族の本拠地っていうくらいだから、もっと草花が生い茂り、青々とした水をたたえる川やら池やらが点在するのかと思ってたんだけどねぇ」
『なんとも鄙びた・・・というより侘しい風情でありますのぅ、姫』
胸の奥――『従魔(ペット)合身』で一体化している空穂(うつほ)が嘆息した。
「そうだね。まあもともと獣人族自体が人間族との競合に敗れて、落ち延びてきた場所だからねぇ、この国(クレス王国)は」
『栄枯盛衰は世の習いとはいえ、獣の眷属がまこと不甲斐ないことよ。これで血族としての気概すら失っておるようなら、いっそ神獣たる妾の手で滅ぼすのも慈悲というものかも知れませぬなぁ』
いらだたしげな口調で物騒なことを呟く空穂(うつほ)。
……う~~む。今回は獣人族の本拠地ということで、彼らにとって神にも等しい九尾の狐(空穂)を連れて来たんだけど、判断を誤ったかも知れないね。
これから会う『獣王の後継者』とやらが腑抜けた相手だったり、口だけ番長だったりしたら、下手したら今日が獣人族最後の日になるかも・・・。
うううっ、いちおう獣王から紹介状を書いてもらってはいるけど、なんか信管の壊れた爆弾抱えて友軍の陣地に乗り込むような気がしてきた。
と、ボクの足元の――本来、月明かりに薄い影ができる程度のはずが、夜の闇の中にあってさえなお黒々とした闇が凝結したような――影がざわりと蠢いた。
「ん? ああ、着いたみたいだね」
人間の目には見えないだろうけど、ボクの目にははっきりと地平線の手前に作られた柵と堀、十数戸の天幕(テント)群とその天井から流れる炊事の煙まで見える。
あれが獣王に聞いた『後継者』とやらがいる獅子族の移動集落で間違いないだろう。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか・・・」
ボクは歩む速度を少し速めた。
◆◇◆◇
多少は揉めるかと思ったけど、獣王の紹介状と名前を出したところ、あっさりと一番大きい天幕(テント)に案内され、緋色の絨毯が敷いてある一段高い上座に案内された。
篝火で赤々と照らされた天幕(テント)の中、スカートで隠されて見えないけど、実はぺたんと行儀悪く割座(通称・・・女の子座り。ネーミングが引っ掛かるけど、足が痺れなくて楽なんだよ!)で座っているボクの前には、栗色のショートカットをした13~14歳くらいの目の大きい、快活そうな女の子と、60歳くらいの白髪で神経質そうなおじいさんがひれ伏していた。二人とも頭には獅子の耳が付いている。
ちなみに着ているものは・・・なんてゆーか、アイヌの民族衣装っぽい。
カラフルな刺繍とかアップリケを施された、前で打ち合わせる形式の和服にも似た短衣で、これを細い帯で抑え、下には動きやすいズボン、動物の革で作ったらしい靴を履いている。
女の子のほうは白に赤を基調としているのに対して、おじいさんのほうはもっと目立たない深緑を基調としているけど、基本的に男女にあまり差違はないみたいだ。
と、女の子のほうが顔を上げた。
ボクを見て一瞬ショーウィンドウのお人形さんを見たような顔をしてから、何事もなかったかのように居住まいを正した。
「お初におめもじいたします。わたくしは獅子たるン・ゲルブ族次期頭首レヴァンの乳兄妹にして、内縁の妻に当たるアスミナと申します」
その挨拶に思わずボクは仰け反った。
――なにいっ!? 妻ぁ!! 義兄妹で内縁関係だと~~っ!!! 許せん。そんなエロゲー野郎はもげろっ!
取りあえず、まだ会ってない獣王の後継者――レヴァンとか言ったっけ?――への好感度が一気にマイナス200くらいまで下がった。この上、恋のライバルが5~6人とか言い出したら……よろしい、戦争だ!
すると、おじいさんの方も顔を上げ、軽く咳払いをして横目でアスミナを睨んだ。
「――アスミナ様、冗談が過ぎますぞ」
しばらく目を泳がせていたアスミナだけど、視線の圧力に屈したのか、再度ボクに向かって頭を下げた。
「・・・失礼しました。獅子たるン・ゲルブ族次期頭首レヴァンの乳兄妹にして、筆頭巫女たるアスミナと申します。――すみません、妻の方は将来的な予定です」
てへぺろって感じで訂正する。
「………」
なんなんだろうねこの子。本当に巫女かい。ちょっとフリーダム過ぎるんじゃないの?
「失礼いたしました陛下。それがしはン・ゲルブ族の相談役を勤めさせております、ジシスと申します。遠いところをご足労いただきまして、まことに慶賀の念に絶えませぬ」
おじいさん――ジシスさんが再度深々と頭を下げた。
「堅苦しい挨拶はいらないよ。それより、紹介状にも書いてあったと思うんだけど『獣王の後継者』ってのに会いたいんだけど?」
ボクの言葉になぜか困惑した表情で顔を見合わせる二人。
「実は・・・まことに申し上げにくいのですが、レヴァン様は現在この集落を離れて、この近くにございます霊山の山中にお一人でお住まいになっておりまして・・・」
ありゃ、無駄足だったか。
そう思ったことが顔にでたのか、それとも巫女の直感かでわかったのか知らないけど、アスミナはやや躊躇いがちに提案してきた。
「それでしたら、ちょうどいまから義兄(あに)に日課の夜食と明日の朝食を届けに行くところでしたので、伝言をお伝えいたしますが……もし、お急ぎでしたらご一緒いたしませんか?」
「フム……。それじゃあ待ってるのも暇なので、一緒に行ってもいいかな?」
「ええ、喜んでっ。――では、すぐに支度してまいりますので」
そう言っていそいそと立ち上がったアスミナの背中に、思わず声をかけた。
「――それにしても、日課ってことは毎日そんな山奥まで届けるの? 大変だねぇ」
「そうでもありません」
アスミナは振り返って向日葵みたいな屈託のない笑顔を浮かべた。
第一印象では、ちょっと変な子だと思ったけど、これは訂正しないといけないね。
義兄(あに)思いの良い子だ。
と、アスミナはその笑顔のまま付け足した。
「第一、なかなか懐かない動物をエサで餌付けするのは常識ですから」
「………」
な、なんかいま、聞こえちゃいけない台詞が聞こえたような気がする。
……空耳だよね。
うん、いまのは聞かなかったことにしよう。
◆◇◆◇
天幕(テント)の前でジシスさんと雑談をしながら待っていたところへ、
「お待たせしました」
程なく植物のツルで編んだらしい、小ぶりの背負い籠を担いだアスミナが戻ってきた。
てっきり護衛とかも着いてくるのかと思ったんだけど、どうやら一人で行くみたいなので、ちょっと心配になった。
「大丈夫なの、こんな夜道を女の子が一人で?」
「問題ないですよ慣れてますし、それにン・ゲルブ族にとってはこの程度、暗いうちに入りません」
そう言って瞬きした瞳が、薄闇の中で金色に光った。
なるほど、夜行性の動物の目が光を集めて増幅するあの仕組みなわけね。なら、ボクほどではないにせよ、夜道も問題なしということだね。
「それに、道案内もいますから――」
軽く衣装の胸の辺りの合わせを緩めると、そこから真っ白いオコジョみたいな動物が飛び出してきて、アスミナの足元にまとわり着いた。
『――ほう。霊獣のようですの』
空穂がちょっとだけ感心したように呟いた。
「わたしのお友達のハリちゃんです。この子は異常があったり、危険なモノがあればすぐに教えてくれるんですよ。――ハリちゃん、陛下にご挨拶して」
促されてボクのほうをひと目見た霊獣(ハリ)は、「ぴぴっ!! ――きゅう…………」最大限の警戒の叫びを出した後、その場で白目を剥いて腹ばいになり死んだフリをした。
・・・なにげに失礼な動物だねぇ。
「……あら? どうしたのかしらハリちゃん、今日は芸達者ね」
わかっているのかいないのか、そんなお友達の尻尾を掴んでぶらんぶらんさせるアスミナ。
つついてもくすぐっても断固として死んだフリをする霊獣(ハリ)を胸にしまい込んだ。
「なんか今日は調子が変なので、ご挨拶はあとからにさせますね」
「・・・いや別に挨拶とかはいいけど。大丈夫なの、霊獣(ハリ)がいなくても?」
「大丈夫ですよ。途中に危険な魔物はいませんし、通い妻として慣れた道ですから」
良い笑顔で言うんだけど、なにげに不穏当な単語が混じるんだよねぇ。隣でジシスさんがゴホゴホ咳払いしてるし。
「それに――」アスミナは当然のような顔でボクの方を向いて続けた。「今日は皆さんと一緒ですから」
……「皆さん」ね。どうやらなんちゃって巫女とは違うらしい。密かにボクを護衛している面々――どころか、下手をしたら空穂のことも気付いてるかも知れないね。
実際、さすがに自分が狙われた昨今、一人でのこのこ歩くほど能天気にはなれないので、従魔(ペット)合身中の空穂の他、影移動で刻耀(こくよう)が足元に潜み、さらに頭上には十三魔将軍で斑鳩に匹敵する攻撃力を持つアザゼルの出雲(いずも)が待機中で、さらにその遥か上空には空中庭園そのものが追尾している。
万一、兄丸(あにまる)さんの類いが現れたら、全員でボコボコにするつもりだったんだけど、いまのところはその兆候はないし。
まあ、あとは噂の獣王が言っていた『後継者』ってのに会って、この国に協力するかどうか決めるとしましょう。
「さあ、行きましょう!」
張り切って前を歩くアスミナに続いて歩きながら、ボクは夜の澄んだ空気を存分に堪能しつつ独りごちた。
「ああ。――今日はいい夜だねえ」