私が生涯稀に見るメンタルの弱さを露呈させニカ様と何故か友達になりナナちゃんを天使と崇めた翌日。

私は元気いっぱいに仕事を熟し、パン作りにおいても「いい焼き目がわかってきたねぇ」とミシェルさんにお褒めの言葉まで頂け有頂天になった。その次の日には、ナナちゃんがパンを買いに来てくれて私は大喜びでオススメのパンの話をしたし、さらにその次の日には上機嫌だった八百屋のおじさんに野菜を安く売ってもらえた。

そんな幸せな日々が、一週間にも渡り続いた。

漠然とした不安は感じた。急に上手く行き過ぎると不安になって来るというのはままある話だと思う。

だからといって、仕事帰りに道を歩いていると向かいから歩いて来た人物達が此処に絶対居てはいけない私のよく知る二人というのは、しっぺ返しとしていささかやり過ぎだと思う。

赤髪と紺髪の男二人という時点で遠目からでももしやとは思った…思ったけど、街灯の少ない町並みではほぼ顔も見えず、まさかあり得ないと最初否定し思考停止してしまった。

だってこんな場所でこの二人と会うなんて私には全く毛の先ほども予想していなかった事態で。だから私はもう否定出来ない程に近づいてしまってから、脳内でパニックに陥った。とっさに何も見なかったふりで早足になってすれ違おうとする。

「うわぁ、凄ぇ。見ろよゼロ。本当にあのレディローズが平民やってるぜ?」

「良かったですね、ノラン様。誤情報を掴まされたのではなくて」

……まぁ、うん。

こんな場所でしかもわざわざ馬車じゃなく歩いている時点で、この二人組が私に用があって来たのはわかる。わかっているよ。

私は渋々顔を二人の方に向けた。面白そうに細められたつり目気味の三白眼の灰色の目と、眼鏡越しの隙無く観察するようなたれ目の紺色の目。それぞれと目が合った。

私はまだ、状況が上手く把握出来ていない。

「…隣国王子のノラン様と、側近のゼロ様とお見受けします。お二方が何故このような場所に…?」

「へっへ、見りゃわかんだろ。お忍びで遊びに来てんだよ。まさか偶然にも平民に堕ちたレディローズと会うなんてなぁ。いやぁ、ラッキーラッキー」

そんなふざけた偶然があって堪るか。

隣の国からわざわざお忍びでやって来たこの二人が偶然この城下の外れにある町の外れも外れで私に出会う確率なんて、皆無に等しい。この二人の性格…というより性質上、嫌な予感しかしないが、私が生きているかをどうやって知り得たかや何故居場所を突き止められたかがわからない。

「何で俺達が偶然此処に来たかはわかってるよなぁ?」

人懐っこい笑顔を浮かべながらも声はまるで脅すように聞いて来るノランに、私は曖昧な笑みを返す。

全然わかりませんけど…わかりません、けど、まさか幼少期の私の行いが今更になってバレたという事だろうか?何で今更とは思うけど、あり得ない話ではない。だけど墓穴は掘りたくないからそうだという前提で話を進める事もしないでおこう。

「相変わらず、何を考えているかわからないお人だ。上手く取り立て王妃にさせた上でまともに働かせられたなら、相当な国益になるのでしょうが…」

ゼロは肩を竦めながらも、やっぱり私の一挙一動を見逃さないように視線を常に私に向けている。

さすがに買い被られている。ゲーム内の主人公もこの二人には確かこんな印象を抱かれていたから、不思議ではないけど。

この二人、ノランとゼロはやっぱりというかまたというべきか、レディロの攻略対象キャラクターだ。正確にはゼロの方は隠しキャラなんだけど。

ノランはさっき私が言ったように、隣国の王子。見た目はベリーショートの赤髪に灰色の三白眼。中々黙っていると威圧感のある怖さがあるし性格も横暴な所はあるけど、いつも全開の笑顔で細かい事は気にせず老若男女問わず優しく頼りになる人なので、誰怖いという印象を抱かれる事は無い兄貴キャラって感じだ。…それだけなら私もこう動揺しなくていいんだけど。

ゼロはノランの側近で、見た目は後ろで一つに縛った男にしてはやや長い紺色の髪にノンフレーム眼鏡をかけた紺色の目という見るからに頭が良さそうなキャラだ。実際頭も良くて、ニカ様に続きレディロの天才キャラその二となる。ただゼロの場合はニカ様と違い、その頭の良さを使いノランを良い国王に導く…のではなく、その頭の良さを使いノランの全てを支持する。どんな事でも。

図らずも、これで私は平民になってから俺様殿下以外の全攻略キャラと遭遇してしまった事になる。嬉しくない。

「ゼロは良いよなぁ、駆け引きとか楽しめて。俺は回りくどいの面倒臭ぇだけだわ。立ち話だけど長話はする気ねぇし…とっとと本題入るぞ」

「お待ちください」

私はとっさに止めた。ノランは不服そうに口を尖らせ、ゼロは面白そうに口元をつり上げた。

立ち話で誰に聞かれてもこいつ等が問題無いからといって、私に問題無いかは話が別に違いない。断言しよう、どうせ絶対私が困る話だ。

「場所を変えましょう。こんな所で立ち話なんて、お忍びなのに目立ってしまいますよ?」

向こうが言ったただの建前を利用して微笑めば、ノランは不満たらたらの顔で意見を言えと促すようにゼロを見る。

「そうですね、此処は友好国とはいえ我々の国ではありませんから、お忍びのノラン様が見つかると楽しい事にはならず無駄にごたごたするだけでしょうし、帰ったらお説教されますよ」

「…仕方ねぇな。じゃ、お前ん家行くぞ」

ゼロの後押しのお陰で渋々ながら納得してくれたらしいノランが、せっかちに私の背を押した。勝手に私の家に招く事に決定されているが、まぁ妥当なところなので特に不満は無い。家まではもう五分程の距離だったのですぐ着くだろう。

…にしても、ゲームを通してこの二人の真意を知る身としてはさっきのゼロの発言とそれをノランがどう捉えたかの裏向きの意味も理解してしまい、顔が引きつりそうだった。気持ち的に。

「しっかし、意外にお前ちっちぇえな。二年前ぐらいに会った時はもっとでかくなかったか?平民暮らしキツ過ぎて縮んだ?」

ケラケラと笑うノランに、どんな理屈だよと内心苦笑する。

最後にこの二人と会ったのは、俺様殿下の婚約者としていつも通りずっと猫かぶって完璧令嬢レディローズをしていた社交界だ。そりゃレディローズとしてキラキララメ振りまいて胸を張っていた張りぼての時と今じゃ、纏う空気と付随する背の高さのイメージは違かろう。

「ヒールのある靴を履いていませんしね」

「おー、そういや飾りっ気ねぇ靴だな。そんなん履くの嫌じゃねぇの?」

「慣れると動きやすくていいですよ。機能性重視ですね」

「確かにあの無駄にかかと高ぇのより良いかもな」

素直に私の言葉を受け止め笑うノランに、私も思わず今この瞬間だけは後に降りかかって来るだろう受難を忘れて微笑んだ。

言葉をオブラートに包まないけど、視界は広いしどんな意見にも耳は傾けるんだよな。ノランは私、レディロキャラの中でも二番目に好きなキャラだった。ゲームの中では、の話だけど。

「あれ、てか髪切った?」

今こうして話している分にはノランは王子のくせにノリが軽過ぎていっそ面白い。その辺のナンパ男なら鬱陶しいだけだけど、こうも人の地雷かもしれない箇所にズバズバ切り込んで行く様はさすがの怖いもの知らずだ。

これ、私が普通に前世の記憶無く貴族として生まれて平民に堕とされたなら、たぶん屈辱で顔を歪める場面かな…私からすれば髪ぐらいと思うけど、美しい長髪はご令嬢達の美とプライドの象徴みたいだから。…そもそも普通の貴族じゃ平民として暮らして行けないか。

「はい、似合いますか?」

「うん。貴族の女ってしきたりやら見栄やらどうでもいいもんで髪伸ばすけど、俺ショートの方が好きだし」

ノランが嬉しそうに私の髪を見て目を細める。

ノランって絶対これ前世で言うところのボーイッシュ系の女の子が好きなんだろうな。さすがにゲーム内では私と違ってちゃんと貴族していた主人公じゃ、服装やら選択肢やらを寄せてもそこまでボーイッシュにはなれなかったけど。

「ふーん…能力あって、見た目俺好み…お前俺の女になるか?」

軽い調子で続けられたそんな言葉に、私のノランへの好感度が急低下する音が聞こえた。

冗談だろうし反応見るように笑顔で見て来てるからまだいいけど、今のは俺様発言っぽいので私の中でNGだ。イエローカード出しておくから、次言ったら退場ね。

たぶん私の俺様キャラへの忌避感の境目は、私が巻き込まれるかどうかだからなぁ。自信あるのは結構だけど、兄との時のようにそれで自分の自由を束縛されたり所有物のような扱いを受けるのは、心が反射的に拒絶する。

とは言っても、そんな内心はいつも通り表に出さず笑顔で受け流しますけど。

「ご冗談を。隣国の平民を娶るようなお立場ではありませんでしょう?」

「元レディローズなら絶対無理でもねぇと思うけど?…にしても、顔色一つ変えねぇのかよ。ほっぺた赤くするぐらいしろよなぁ、つまんね」

「ノラン様、笑えるぐらいきれいにフラれましたね」

「煩ぇよ」

「仕方ありませんよ、レディローズは心に決めた方がいらっしゃるようですから」

ゼロが変な事を言い出した。私って心に決めた人居たの?初耳だけど。誰?ナナちゃん?それともまさかリリちゃん?

…にしても、ゲーム内ではこの二人の会話大好きだったのに、されているのが自分の話となるとときめく余裕も無いから現実はダメだな。何で私は好きなゲームの世界になんて転生してしまったんだろう。せめて他に転生者の一人でも居ればまだ分かち合い盛り上がれたんだろうけど、残念ながら私が婚約破棄されるまでに観察して来た限りではゲームから外れた行動を取っている人や妙に干渉して来る人は居なかったから、とっくに諦めている。

私は見えて来た我が家に、甘い気持ちを切り捨て一気に自分の気を引き締めた。