「早速組織を作るとはやるじゃん、さすがボクだね」

「うん。さすがラーシア」

駆け込んできたリトナからの情報を聞き、ラーシアはおめでとうと言わんばかりに拍手をする。

一見肯定しているように見えるヨナだったが、その声はいつにも増して平坦で冷ややか。

「この迷惑度……。間違いなくラーシアね」

「アルシアの言うとおり」

「え? ヨナはボクの味方だと信じていたのに!?」

「味方? 誰が?」

ぷいっとラーシアから顔を背け、ヨナはアルシアの胸に顔を埋めた。猫が甘えるように、ぐりぐりと額をこすりつける。

「やっぱり、誰が一番偉いか本能的に分かってるんだな」

「それ、ヨナがユウトにひっついてない時点でブーメランになってるからね?」

「俺だって、自分の立場ぐらい理解している」

アカネも、まったくその通りだとうなずいた。

「ユウトを上手く誘導できのは、アルシアだけだろう。私にも、できないことだ」

「私を、黒幕かなにかのように言うのはやめて欲しいのだけど……」

「ヴァルの場合は、勇人が自動的にヴァルの望む方向に動くから必要ないだけじゃない?」

「それを言うなら、アカネさんだってユウトくんと分かり合っているではない」

口々に隣の芝生は青いと言い合うユウトの配偶者たち。

たまらないのは、リトナだ。

「……で、どうするのよ?」

「なんかすまない……」

とっておきの情報を持ってきたのに、放置されているリトナ。

微温い視線を向けられ、ユウトは謝罪した。

「とりあえず、放置はしておけないな。様子を見に行こう」

「まあ、そうなるわよね」

「なんなら、制圧するが?」

「エグっ、もうちょっと迷って?」

「迷っているうちに大惨事になっては遅いだろう」

部屋の隅に座っていたエグザイルが、のそりと立ち上がる。ゆっくりとしているが隙はなく、それどころか近付くことすら憚られる強者の霊気(オーラ)すら発しているように思える。

ヴァルトルーデの右手が、熾天騎剣(ホワイト・ナイト)の柄に伸びそうになった。

「いや、いきなり弾圧はまずい」

「いくらラーシアB……ベーシアだからって、それはさすがにねえ」

「ベーシア? ドイツ語か。そうなると、ここにいるのはアーシアってことになるな」

ABC(アーベーツェー)。

アカネが提案したこの方式なら、次はツェーシア。さらにその次は、デーシアと増えても対応できる。

増えて欲しくはないが。

増えて欲しくはないが、この手の願いが叶った経験はほとんどなかった。 

「えー? それだと、ボクがラーシアAってことにならない?」

「なるな。それがどうした?」

「いや、ボクは大元なんだからAとかBとか記号つけて区別するのおかしくない?」

ユウトはラーシアの頭の天辺からつま先まで観察し、それから軽く手を叩いた。

「ベーシアがどんな活動をしているか確認しないと、対応のしようがない。みんな、一緒に来てくれ」

「ラーシアだから、別にどうでもいいかっていう態度は良くないと思うな! 子供の教育に悪いよ!」

「ラーシアくん、そこに深入りすると危険じゃない? 自分自身が教育に悪いって話になってしまうわ」

「リトナがそれを言う!?」

「アタシは留守番ね。お土産話に期待してるわ」

「その期待、できれば裏切りたいなぁ」

だが、そんなことには絶対にならないだろう。

哀しい予想。

そして、それは紛れもなく現実だった。

「えー。本日は、お日柄も良く。集まってくれて、ありがとー」

いつの間に用意したのか。高い櫓のような場所から、ベーシアが手を振り眼下の集まった人たちに手を振った。

同じく、いつの間にか用意していた振る舞いの酒や食事に集中していたハーデントゥルムの住人たちが無条件に注目する。

それくらい、ベーシアの言葉には人を引きつける力があった。

「うちの組織を動員したみたいね」

「ああ……。だから、ファルヴじゃなくてハーデントゥルムで」

「ラーシアは、ファルヴだから避けようとは考えないだろうからな」

「ボクじゃなくて、ベーシアだからね!」

ユウトたちは影から見守っているが、気付かれているだろう。

けれど、今はそれでいいのだ。

「みんなに伝えたいことがあって、集まってもらったのさ。そう、イスタス公爵領が発展を続けるにはロートシルト王国からの独立が必要だとね」

ベーシアが軽くウィンクをしてから、両手を大きく広げた。

「確かに、独立すると外交も軍備も自前で用意しなくちゃいけない。もしかしたら、それで税金が上がるかもしれない……今は、ほとんどただみたいなものだけどね」

櫓の上から降ってきた声に、笑いのさざなみが起こった。

もちろん、無税というわけではない。しっかりと、税は徴収している。

ただ単に、それ以上に還元されているというだけで。

「ああ、そうそう。もちろん、独立するときのごたごたも考えられるね。多少は大変なことになるかもしれない」

戦争か、それに近いものが起こるかもしれない。

ベーシアがそう言っているにもかかわらず、騒ぎはない。それは当然だろうと、あっさりと受け入れられていた。

耳から、すっと心へ溶け込んでいく声。

魂に直接働きかけられているような、優しい手触りの話術。

「まるで、エヴァンジェリストだな」

「ああ。扇動者(エヴァンジェリスト)か」

「本来は、伝道者なのだけどね」

卓越した説法の能力により、人々を導き先導するエヴァンジェリスト。

特殊な司祭(プリースト)や吟遊詩人(バード)である彼らが、悪に染まっていたならば――どうなるかは言うまでもない。

「あのときは、麻薬との合わせ技で地獄だったな」

かつて、〝虚無の帳〟《ケイオス・エヴィル》との戦いで誰しも痛感していた。

魔法のような話術で人を操る。その厄介さを。

なにしろ、魔法のようだが魔法ではないので呪文で解除ができないのだ。

「じゃあ、みんなこう思うよね? そんな面倒なことがあるなら今のままでいいじゃんって。うんうん。ボクもそう思うけど、その前にひとつ確認したいことがあるんだ」

一息に。

それでいて早口ではなく、はっきりと抑揚を付ける話術。

そして、沈黙。

ベーシアが、上から見回す。

集まった人々が焦れ始めたタイミングで、ラーシアは鎖を一本取り出した。

「家宰のユウト・アマクサ。すべてが彼一人で行ったことではないけど、彼なくして発展はなかった」

反対の声は、どこからも上がらない。

このハーデントゥルムを実質的に統治していた評議会。その海賊との癒着を暴き、商工業の発展を推し進めたのが誰か。子供でも知っていることだ。

「うんうん。まったく、その通りだね」

ラーシアの分神体――ベーシアが、もっともだとうなずく。

そして、鎖の一箇所に軽く傷を付けた。

「やっぱ、気付いてたかっ」

ユウトが、呪文書に手を伸ばす。直接ベーシアをどうにかできなくとも、周囲を無音にすれば言葉は届かない。

しかし、さすがのユウトも言葉よりも早く呪文を発動することはできなかった。事前に準備していれば別だが、結果として甘く見ていたという以外にない。

「でも、そのユウトが取られたら?」

ベーシアが、優しげに微笑んだ。

鎖を軽く引っ張る。

「例えば、王国宰相の後任として招聘されたらどう?」

傷を付けた一点。ウィーケストリンクから、鎖はバラバラになった。

周辺一帯が、水を打ったように静まりかえる。

沈黙。

それはユウトが望んだのとはまったく異なる。真剣で重苦しく。

ベーシアの言葉を肯定するものに他ならなかった。