会場は俄かに騒然となった。

当然だろう。

Bランク冒険者が、ミノタウロスのたった一撃で吹っ飛ばされ、気を失ってしまったのだ。

いや、ウェヌスが言うには、ただのミノタウロスではない。

ブラックミノタウロスという上位種だ。

観客席にも魔物に詳しい人がいたらしく、

「お、おい、あれって、ブラックミノタウロスじゃねぇのか……? 危険度Aの……」

「き、危険度Aだと!?」

「マジかよ! 何でそんなのが召喚されてんだ!」

「逃げろ!」

「ブモオオオッ!!」

そのとき漆黒のミノタウロスは地面を蹴り、観客席目がけて突進していった。

悲鳴を上げ、観客たちが慌てて逃げようとする。

『ご、ご安心ください! 特殊な合金で造られた壁ですので、破壊することは不可――』

次の瞬間、漆黒のミノタウロスの強烈なタックルを受けて、その壁が粉砕していた。

『壁ェ……じゃな』

「んなこと言ってる場合か!」

逃げ惑う観客たちに今にも襲いかかろうとしているブラックミノタウロスを、放っておくわけにはいかない。

俺はウェヌスを鞘から抜いた。

だが生憎とここからでは距離が遠すぎる。

「お、お願いします! 騎士や冒険者の方は討伐の協力をっ!」

「ブラックミノタウロスなんて相手にできるか! 上級騎士かAランク冒険者でも呼んで来い!」

スタッフが必死に呼びかけているが、なかなか応じる者はいない。

Bランク冒険者が瞬殺されるのをその目で見ていたわけだし、無理もないだろう。

「早く行け! このままだと観客に死者が出るぞ!」

「さ、さすがにあんな化け物とは戦えねぇよ!」

警備員として配置されていた闘士たちもまた及び腰だ。

そのときだった。

黒いミノタウロスの背中に矢が突き刺さった。

「ブモオッ!?」

分厚い筋肉を貫かれた痛みに、ミノタウロスは悲鳴を上げる。

今、どこから飛んできた……?

観客席の反対側じゃなかったか?

あんな距離からあれだけの威力の矢を放ち、命中させるなんて……。

漆黒のミノタウロスは恐怖でへたり込んでいた観客への興味を無くし、怒りで鼻息を荒くしながら矢が飛んできた方角を振り返る。

「ぐっ……くそ……」

ちょうどそのタイミングで、先ほど壁に叩きつけられた対戦者のデミスが意識を取り戻したらしく、よろよろと立ち上がろうとしていた。

「ブモアアアアアッ!」

「っ!?」

不運なことに、ミノタウロスは自分を傷つけた矢が彼の仕業だと思ってしまったらしい。

憤怒の怒声を轟かせながら、ほとんど四足走行となってフィールド上を疾駆。

足を怪我したのか、デミスは逃げることができない。

このままでは突進をまともに喰らってしまう。

キャアアアッ、と女性客の甲高い悲鳴が響く。

「クルシェ!」

「う、うん!」

彼にとって不幸中の幸いは、俺たちから比較的近い場所にいたことだろう。

階段状になっている観客席を駆け下りると、俺はフィールドへ向かって全力で飛んだ。

「影縛(シャドウバインド)!」

とクルシェが叫んだ直後、ミノタウロスの巨体が影によって縛りつけられた。

……どうやら技に名前を付けたらしい。

「~~っ、きつい!」

苦しげな表情をするクルシェ。

漆黒のミノタウロスは影によってその身を押さえつけられているにもかかわらず、その猛進を止めることなく強引に前進しようとした。

それでも数メートルほど進んだところで、ようやく停止する。

デミスのすぐ目の前だった。

ひぃっ、と眼前の巨躯に腰を抜かし、尻餅をついている。

「おおおおおっ!」

「ッ!」

俺はミノタウロスの脳天へ渾身の一撃を叩き込まんと、ウェヌスを大上段に振りかぶった。

ミノタウロスは咄嗟に頭を振り、その鋭い角で刃を受けようとする。

まるで磨き抜いたかのように黒光りする角だ。

竜種の牙や爪にも匹敵する強度のそれと神剣の刃が激突した。

――ザンッ!

「~~~~ッ!?」

軍配は神剣に上がる。

刃は角を切断すると、そのまま牛の頭蓋を粉砕した。

「ブモオオオオオオッ!?」

苦悶の叫び声を上げるミノタウロスだが、まだ死んではいない。

すかさず二撃目、三撃目を叩き込む。

「っと!」

蹄を振り回して反撃してくるが、クルシェのお陰で遅い。

悠々と回避して、六度目の斬撃を見舞ったときだった。

「ブモオオオオオ――――――ッ…………」

ついに断末魔の咆哮を残し、漆黒のミノタウロスは灰と化した。

ふう。

どうにか倒せたか。

『た、助かりました……?』と安堵の声。

恐らくブラックミノタウロスが召喚されたのは、運営側にとっても予想外のことだったのだろう。

見たところ死者はいなさそうで何よりだ。

負傷者もデミスくらいか。

「「「うおおおおおおおおおおおおっ!!!」」」

大歓声が轟いた。

「誰だあいつ!? ブラックミノタウロスを一人で倒しちまったぞ!?」

「とんでもねぇ男だ! 闘士なのか!?」

「いや見たことねぇ奴だぞ!」

「スカウトだ! 早くスカウトしろ!」

……やばい。

めちゃくちゃ注目されている。

「助かった、クルシェ」

「ううん。でも、別に逃げ出さなくても良かったんじゃないかな?」

「……いや、ああいうのは苦手なんだよ」

あの後、俺はクルシェの影の中に隠れて闘技場を脱出したのだった。

破壊された壁から興奮した観客たちがフィールド内へと雪崩れ込み、俺の方に向かってきたからな。

あの場に留まっていたらどうなっていたことか。

『何を言っておるのじゃ! 男ならば大衆が熱狂するような英雄を目指せ! そして群がってくる女子を囲ってハーレムを築くのじゃ!』

「だからそんな気はねぇって」

『かー、これじゃから最近のおっさんは』

初めて聞いたぞ、そのフレーズ。

「でも、たとえその気はなくても、注目されちゃうのは避けられない気が?」

「……」

クルシェの懸念は、まさに俺も危惧しているところだった。

眷姫が二人になったこともあり、強(・)く(・)な(・)り(・)過(・)ぎ(・)て(・)し(・)ま(・)っ(・)た(・)のだ。

先日のデスアーマーと言い、危険度Aに相当する魔物を連続で撃破している。

どう考えても騎士学院の生徒のレベルじゃない。

……よし、これからはおっさんらしく大人しくしていよう。

もちろんこれ以上、絶対に眷姫を増やしてはいけない。

と、そのとき前方からフードを被った人物が歩いてくる。

そしてどういうわけか、俺たちの目の前で立ち止まった。

訝しんでいると、突然の来訪者はフードを脱いだ。

思わず息を呑む。

「……エルフ?」

圧倒的な美貌と長寿、そして高い知能を誇るという亜人種の少女だったのだ。

ピンと尖った耳もまた、伝え聞くエルフの特徴通り。

その空色の瞳は、思わず息を呑んでしまうほどに真剣で――

「私を貴殿の女にしてほしい」

……は?