裏切り者、片目の小鬼のジェイスは、いつの間にか広場から消えていた。

部下を見捨てて逃げ出したようだ。

大方、抜け道でも使って自分一人だけ逃げ出すつもりなのだろう。

以前出会った白薔薇騎士団の団長アリステアの爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいが、それよりもまずは奴を補足することが先決だった。

――もっとも、わざわざ探す必要はない。

潜入したときから、使い魔である小虫をやつの背中に張り付けていたからだ。

俺は《転移》の魔法を唱える。

この街には対転移の魔法がかけられているが、その結界の範囲内ならば《転移》の魔法も使える。

抜け道に現れた俺を見て、ジェイスはさぞ驚いたことだろう。

顔を真っ青にしている。

「な、なんで貴様がここに!?」

「その質問は魔術師に対して愚問じゃないか? 自分の肩を見てみろ」

そう言うとジェイスは己の肩に留まっている虫を見つける。

「くそっ!」

と、その虫を握りつぶす。

こいつは一寸の虫にも五分の魂、という言葉を知らないのだろうか。

まあ、知らないのだろうから、平気で殺すし、平気で部下を見捨てて逃げるのだろう。

俺は遠慮することなく、こいつを打ちのめすことにした。

じいちゃんの形見である円環蛇(ウロボロス)の杖に魔力を付与する。

魔法で吹き飛ばす、という手もあるが、仮にもこの男は副団長だ。

そう簡単にはいくまい。

魔法だけでなく、白兵戦も視野に入れておかなければ。

《火球(ファイアボール)》の魔法を唱える。

案の定、ジェイスは素早い動きでそれをかわすと、腰に携えていた剣を抜く。

湾曲状の片刃の剣だ。

シミターという奴だろう。

しかし、どこか普通のシミターとは違う。

どろり、とした緑色の液体が塗られている。

それの正体が気になったが、その答えはジェイス本人が教えてくれる。

「これはユリカリスの根を煎じて塗りつけた猛毒の液体だ。少しでも触れれば、あっという間にあの世にいけるぜ。無論、不死族も例外ではない」

大型のトロールでさえ、3分も持たずに死ねるそうだ。

ならば人間である俺ならば3秒であの世かな。

そう思いながら、敵の斬撃を受けた。

「な、なにっ!?」

ジェイスは驚きの声を上げる。

「――そんなものが効くわけないだろ。俺は魔術師だぞ」

ジェイスの斬撃が当たる瞬間、《防壁(バリアー)》の魔法を自身にかけたのだ。

ジェイスは俺がローブしか纏ってないと舐めてかかったのだろう。

魔術師を舐めてもらっては困る。

ジェイス程度の剣技ならば、タイミングを見計らえば、なんの造作もなく完璧にガードできる。

俺は驚愕の顔をしているジェイスの腹に、《衝撃(ソニツク・ブーム)》の魔法を食らわせる。

ジェイスは遙か後方に吹き飛び、抜け道に背中を強打する。

「ぐはぁッ!」

ジェイスは血反吐と共に情けない声を上げる。

ごきッという嫌な音がしたが、背骨までは折れていないと思う……。

一応心配してやるが、その必要はなかったようだ。

ジェイスはすぐに立ち上がると、「くそう」と口から漏れ出た血を拭った。

さすがは副団長、といったところか。

武力タイプではなく、知力タイプと聞いていたが、その実力もなかなかのようだ。

だが、これ以上痛めつけるのも悪い。

俺は弱った隙を見逃さず、《束縛(バインド)》の魔法をかける。

彼の足下から伸びた黄色の茨状の植物が、彼の足に巻き付く。

「な、なんだこれは?」

やれやれ、こいつは《束縛》の魔法も知らないのか。

魔法に無知な魔族に質問をされるのは骨が折れるが、質問に答えてやる。

「魔法の初歩の初歩、《束縛》の呪文だよ。植物みたいな魔力の塊が、相手の足元を拘束して、相手は動けなくなる」

俺はそこで言葉を止めると、こう続けた。

「つまり、お前はしばらくの間、一歩も動けなくなる、ということだ」

俺は、仮面越しから、人の悪い笑顔を浮かべると、ジェイスに提案をした。

たまには魔族らしく振る舞うのも悪くない、と思いながら。

「お前には三つの選択肢がある」

指を三本立てる。

「ひとつ、このまま一本一本指を折られて、第7軍団を裏切った理由を俺に話すこと」

「ふたつ、このまま生きたまま生爪を剥がされ、なおかつ指を一本一本折られ、第7軍団を裏切った理由を俺に話すこと」

「みっつ、このまま生きたまま生爪を剥がされ、なおかつ指を一本一本折られ、全身の骨を砕かれた上に、団長に頭蓋骨を切開されて、散々脳みそをいじくり回された上に、情報を引き出されること」

どれがいい?

と、俺は尋ねる。

ジェイスはすくみ上ったようだ。

顔面を蒼白にさせて、奥歯を震わせている。

あの団長ならば、やりかねない、そう思っているのかもしれない。

第7軍団団長セフィーロ。

俺の前では戯(おど)けたお姉さん、ということになっているが、やはり彼女は魔族だ。魔女だ。

他の団長よりは話がわかる人物であるが、裏切り者には決して容赦はしない。

このままジェイスをセフィーロに引き渡せば、上記のような真似をしない、とは言い切れなかった。

だから、なるべくこの場で正直に裏切った理由を話して欲しいのだが、それでもジェイスは口をつぐんでいた。

「どうやら、お前の裏にいる人物は団長よりも冷酷なようだな」

「……な、なんでそれを」

ジェイスは思わず口を滑らせてしまった、という表情をする。

「いくらお前でも、たった一匹で団長を裏切るメリットはないからな。一応、他の旅団長も仲間に誘ったみたいだが、それでもそれだけの戦力だと、すぐに鎮圧される。なら、軍団規模で謀反の計画が動いている、と思うのは当然だろ?」

「……さすがは『魔王軍の懐刀』だな。恐ろしいのはその魔力だけではなく、頭の出来も奈落の守護者ロンベルク譲り、ということか」

「お褒めにあずかり恐縮だ」

「いや、実際、俺はお前を買っているんだ。だから難攻不落のアーセナムの攻略を任せた。他の旅団長だけではなく、お前も仲間に加えるよう、『とあるお方』に具申したくらいなんだぜ?」

「ほう、俺も高く買われたものだな」

「ああ、そうだ。だから今からでも遅くない。どうだ? 我々の仲間に加わらないか?」

「やれやれ、お決まりの台詞だな……」

俺は吐息を漏らす。

味方を裏切っておいて、窮地に立たされたら、逆にこちら側に付かないか、と誘いをかける。

古典的な悪役、それも嚙ませ犬の台詞だった。

惜しむらくはこいつが、コボルトでも人狼でもない、ということだろうか。

犬科の魔物や魔族ならばさぞその嚙ませ犬的な台詞が似合っただろうし、その尻尾の形状でそいつの本心が分かる。

だが、尻尾などなくてもこいつの考えなどお見通しだった。

ジェイスはただのゴブリンではなく、その知謀、いや、悪知恵を働かせて副団長になった男だ。

俺に媚びを売る振りをして、懐に忍ばせていた毒ナイフを投げるなど、予想の範囲内だった。

「――死ねッ!」

俺が油断したと思い込んでいるジェイスはそう言うと、ナイフを投げる。

俺は《超感覚》の魔法を唱える。

この魔法を唱えれば、まるで時間を支配したかのように時の流れが止まる。

ナイフの挙動が超スローモーションとなるというわけだ。

別に《防壁》の魔法を使えばそれで済むことなのだろうが、こういうのは演出が大事だ。

圧倒的な力の差、という奴を見せつけてやれば、それだけ相手も絶望する。

圧倒的恐怖という奴は、相手を従順にさせるもっとも手っ取り早い方法だ。

俺は、ゆっくりとこちらに迫ってくるナイフを、指二本でつまんで受け止める。

まるで映画に出てくる主人公になったような気分だ。

ジェイスもその大きな眼を見開き、驚いている。

どうやらこの過剰演出の効果はあったようだ。

「く、くそッ……」

と、膝を折ると、その場に崩れ落ちた。

「さてと、これで俺とお前の実力差はわかっただろう。さっきいった拷問方法を実行に移されたくなければ、素直にお前に裏切りをそそのかした奴の名を話すんだな」

しかし、ジェイスはこの期に及んでも沈黙を守る。

余程、裏で糸を引いていた奴が恐ろしいのだろう。

「……っく、アイクよ。それだけは言えねえ。もしもそいつの名を口にしたら、俺はそいつに殺されちまう」

「このまま団長のもとに突き出しても結果は同じだぞ」

「……俺はそうは思えない。団長はなんだかんだで甘いからな。そりゃ、俺の裏切りは許さないだろう。二度と逆らえないくらい痛めつけられて、再起不能にさせられるだろうが、それでも命まで奪うとは思えねえ」

「……なるほどね」

セフィーロの性格をよくご存知のようで。

さっきはあんなことを言って見せたが、セフィーロは冷酷な一面もあるが、決して残忍な人物ではなかった。

だから俺みたいな『人間』にも目をかけ、幼い頃から可愛がってくれているのだ。

こいつの言うとおり、たぶん、命までは取らないだろう。

(まったく、団長は俺に甘い甘い、という癖に、本人にはその自覚がないからな)

なにがその甘さがお前の弱点じゃ、だ。

そう団長に対して愚痴を漏らしていると、異変が起こった。 

突如、ジェイスが、

「ぐわぁッ!」

という叫び声を上げたと同時に、悶え苦しみだしたのだ。

己の喉を押さえつけ、のたうち回っている。

どうやら演技ではないようだ。

血反吐まで吐いている。

俺は奴に駆け寄ると、ジェイスに回復魔法をかけてやる。

「…………」

しかし、一向に効果が現れない。

即座にとある可能性に思い至る。

「……毒か」

緑色のジェイスの顔面が、紫色に腫れ上がったことからもそれは容易に想像できた。

ジェイスを裏で操っている人物が、もしもジェイスが裏切ったとき、あるいは捕縛されたときに備え、体内に毒でも仕込んでいたのだろう。

「……これまた典型的な悪役の手法だな」

俺はそう思いつつも、ジェイスに解毒魔法をかけてやる。

「――無駄か」

どうやら相当強力な毒薬を仕込まれていたようだ。

その毒薬の種類が判別できれば、なんとかなったかもしれないが、残念ながら俺はその手の魔法は苦手だ。

しかし、そんなことを言っても仕方ない。

俺は最後の務めとして、ジェイスから黒幕の正体を尋ねることにした。

「ジェイス。自分が見限られた、というくらいは分かるな?」

ジェイスは、僅かにうなずく。

どうやら声を発するのも辛いらしい。

「今更、相手に義理立てする必要もないし、相手を恐れる理由もないのは分かっているな?」

「………………」

ジェイスは、再びうなずく。

「なら、最後に、お前に裏切りをそそのかした黒幕の名前を言え。仇(かたき)くらいはとってやる」

俺がそう言うと、ジェイスは最後の力を振り絞り、その者の名を口にした。

「だ、第3軍団団長……、デュ、デュラハンのバステオ……」

それが片目の小鬼ジェイスの残した言葉だった。

彼はそう漏らすと同時に、大量の血を吹き出し死んだ。

裏切り者の当然の末路だったが、こうもあっさり斬り捨てられる様を見ると、哀れに思ってしまう。

俺の心がまだ『人間』の証拠なのかもしれない。

この心が、ときに俺の足を引っ張ることもあるが、俺はバステオのような男にだけにはなりたくなかった。