Maou Gun Saikyou no Majutsushi wa Ningen datta

Inspections with the Demon King

「ご主人さま、風邪でもひかれたのですか?」

メイドであるサティはそう尋ねてきた。

「どうしてそう思うんだ?」

「いえ、先ほどから何度もくしゃみをされているので」

「そこのドアの外を見てきてくれ、女難の相が出るとくしゃみが出る体質なんだ」

冗談のつもりでそう言ったのだが、サティは馬鹿正直にドアを開け、部屋の外を見てくる。

サティは「誰もおられませんが……」と報告してくる。

「おかしいな、団長かリリス辺りが厄介ごとを持ち込んでくるかと思ったんだが……」

半分冗談めかしてそう言うと俺は彼女に紅茶を持ってくるように頼んだ。

サティは恭しく頭を垂れると、部屋を出て行こうとする。

そんな彼女の背中に付け加える。

「ちなみに一杯ではなく、二杯頼む。二杯目はこれでもかというくらい砂糖を入れてくれ」

サティは「来客があるのですか?」とは問わない。

彼女にとって俺の命令は絶対であり、その来客が誰であっても最高の紅茶を入れるのがわたしの仕事、といったていで部屋を出て行った。

実際、サティはジロンに茶を注ぐにも、貴族に茶を注ぐにも、最高の腕をふるう。誰がこの館に訪れても全力でお持てなしをする。

それが彼女のメイドさん道であり、彼女の矜持なのだろう。

だから、お偉いさんがやってくる、などと伝えなくても、サティは最高の紅茶を注いで持ってきてくれるはずだ。

そんなふうに感心しながらサティの後ろ姿を見送る。メイド服のスカートの裾が扉の奥に消えた瞬間、俺の前の空間が歪む。

誰かが転移魔法を唱え、この場所を転移場所に指定した証であるが、歪んだ空間から漏れ出る魔力の量は尋常ではなかった。

それを見るだけでこれからこの部屋にやってくる人物がただものではないと察することができたし、実際にただものではなかった。

空間を切り裂き、この部屋に転移してきたのはこの世界で最も強い魔力を持った少女であった。少なくとも俺の知る限り、ではあるが。

魔族たちからは「ダイロクテン様」と畏怖され、人間たちからは「魔王」と呼ばれ恐怖されている少女は、転移するなりまっすぐ俺の前まで歩き、静かに椅子に座った。

敬礼する暇もない。

彼女は慇懃(いんぎん)な口調と態度でこう言った。

「よくやった。褒めてつかわす」

俺は型どおりに返礼する。

「勿体ないお言葉です」

「謙遜は不要だ。余はそういった形式が嫌いだ」

「なるほど、なにせお父上の葬式で位牌に灰を投げつけるお方ですからな」

「ほお、その話、知っておったか」

「あらゆる創作物に書かれてますよ。そして、うつけキャラが定着しています。あれは事実だったのですか?」

「人はものごとを面白おかしく書き立てるものだ、と茶を濁しておこうか。ちなみに前世での行いはあえて秘密にするが、今世での父の葬儀では盛大な魔法花火を打ち上げた、と答えておこうか」

「……事実は小説よりも奇なり、ですね」

「得てしてそういうことも多い」

魔王様はそう断言すると、軽く笑った。

次いでこう切り出す。

「褒めて使わす、と言ったのは本心だ。此度の一件、誠に見事であった」

「リーザスを攻略できたのは団長――、セフィーロのおかげですよ。俺だけならば到底落とせなかった。いえ、セフィーロだけではない。魔王様がお一人で北部戦線をささえ、残りの軍団長が西部戦線で踏みとどまっていてくれたからこの勝利を呼び込めたのです」

「自分一人だけの手柄ではない、といいたい訳か」

「一人で城を落とせるのならば、とっくにこの異世界を統一して、田舎で昼寝でもしていますよ」

「なるほど、道理である。が、余が褒めているのはリーザス攻略の一件だけではない。むしろそちらは付録よ。あっぱれと褒めたいのは魔王城の遷都を他の軍団長たちに承服させた一件だ」

「そちらの方ですか」

「戦働きのできる将は得がたい。だが、人の心を掴める将はもっと少ない。やはりお前は得がたい人物だ。前世で言えば猿に似ている」

「…………」

「どうした? 猿と似ているといわれて不快か?」

魔王様は俺の顔を覗き込んでくるが、俺は即座に否定する。

「まさか、天下の羽柴秀吉に比べられて光栄ですよ」

ただ、その羽柴秀吉という人物が、のちに天下人となり、位人臣(くらいじんしん)を極め、関白太政大臣になったことをこの人は知っているのだろうか、そんな感想が浮かんだだけだった。

結局、秀吉という人は織田家をそのまま乗っ取り、太閤と呼ばれるまでになった。

もしも俺がかの秀吉と同じ道を歩むのならば、目の前の少女が死に、俺が魔王になる、ということになる。

そんな未来図が浮かんだのだ。

(……いけないいけない)

俺は心の中で首を振り、冷静になる。

第六天魔王こと織田信長という少女が横死したのは前世でのお話。

現世、つまりこの異世界で彼女が死ぬとは限らない。

俺が羽柴秀吉のような名将というのはいささか買いかぶりであるが、順当に行けば彼女は俺よりも長生きするだろう。

なにせ俺は人間、彼女は魔族なのだ。

たとえ秀吉のように活躍しようが、この異世界で先に死ぬのは俺の方である。

彼女には今後何百年という寿命が用意されている。

また、現在のところ、明智光秀のような厄介な魔族もいないように思われる。

無論、魔族すべてが魔王様に服従しているわけではないが、それでも謀反を起こすような馬鹿者はいないはずだ。

――現在のところは、であるが。

それが未来永劫まで続けばいいのだが、残念ながらそれを見届けることはできない。

先ほども説明したとおり、俺は人間だ。

どんなに足掻こうが、目の前の少女よりも先に天国(地獄?)へ旅立つことになる。

俺が彼女の死を看取ることはないだろう。

それは少し不安でもあり、寂しくもあった。

まだ出逢って間もないが、生意気をいえば俺は目の前の少女のことを気に入っており、できるだけ長く、そして幸せに生きて欲しいと願っているからだ。

短い付き合いであるが、その邂逅によって、俺は目の前の少女のその大望と意思に強く、そして深く共感をしてしまっていた。

彼女の盾となり、矛となり、天下統一という名の夢に力を貸したいと思っていた。

そんな決意を固めていると、少女は不審そうな瞳でこちらの顔を覗き込んできた。

「手柄を立てたというのに不満顔だな」

「いえ、そのようなことは」

慌てて取り繕うが、少女は即座に否定する。

「そういえばうぬには褒美をやっていなかったな。失念していた。何が欲しいか言うてみよ」

「褒美など不要ですよ。すでに過分な身分と領地を賜っています」

「そうかな? うぬの功績ならば魔王軍の総参謀長の位。それに国持ち大名くらいの領地を持っていてもおかしくないのだぞ」

「これ以上出世すると僻む魔女もいるでしょうし、これ以上領地を貰っても管理できませんよ。残念ながら我が第8軍団は急造の軍団でなかなか領主を任せられる魔族が育ってなくて」

事実である。実際、多くの占領地では人間の領主をそのまま据えていた。

戦略上、絶対に必要な重要拠点だけ魔族に支配を任せているのが第8軍団の実情であった。これ以上、領地を与えられても困る、というのが率直なところであった。

「これ以上の領地を増やすのはご勘弁を。もう少し人材育成に時間をください」

「殊勝なことだな」

「現実主義者と言ってください」

そう訂正すると、逆に質問をする。

「さて、紅茶も飲んだところですし、本題に入りましょうか」

「茶を飲みに来たのが本題だとは思わぬのか?」

「まさか、魔王様は俺以上の現実主義者ですよ。そんな無駄な時間を使うとは思えない」

「うぬとの茶飲み話は無駄だとは思わぬのだがな」

それに、この紅茶の香気も、と魔王様は続けると、だが、と続けた。

「余には無尽蔵に時間があるが、人間であるお前には時間がないのもたしかだ。それにせっかく遷都の計画が決まったのだ。情勢が変わらぬうちに場所だけでも決めておくか」

「お任せあれ」

うやうやしく頭を垂れる。

「うむ、では行くぞ」

「………………」

しばしの沈黙。その後の間抜けな声。

「……は?」

無論、その声は俺のものなのだが、そんな声を出してしまっても仕方ないだろう。

魔王様は冷静な声で返す。

「では、行くぞ、と言ったのだ。聞こえていなかったのか?」

「……いえ、もちろん、聞こえてはいましたが、理解できなくて。総大将自ら視察に行くというのはどうなんでしょうか?」

「遷都は魔王軍の未来を。いや、この世界の未来を変える大きな事業だ。自身の目で確かめなくてどうする?」

「暗殺者に狙われる可能性を考慮してください」

その言葉を魔王様は鼻で笑う。

「ドボルベルクの奥で鎮座していれば暗殺者に狙われないというのか? 余の敵は人間だけではあるまい。魔族とて隙あれば余の命を狙うのだ。この世に安住の地はない」

「しかし……」

俺の言葉を遮るように魔王様は言う。

「うぬも知っておろう。余は前世で、本能寺で横死したのだ。あのときも四方に敵などおらず、絶対に死なない。余はそう思っていた。だが、その後の結末はうぬも知っておるだろう?」

「…………」

沈黙するしかない。

俺が困り果てた顔をしていると、魔王様はそれを楽しむように口元を軽く歪ませた。

そして冗談めかしながらこう締めくくった。

「安心しろ、余の護衛は、魔王軍最強の魔術師なのだ。劉備に関羽と張飛あり、義経に弁慶あり、ダイロクテンにアイクあり。のちの歴史家はそう語ってくれるだろう」

こちらの歴史家は劉備も義経も知りませんよ。

そう伝えたかったが、やめた。

無駄だと分かったからだ。

この人はついてくると言えば必ずついてくる。

それに駄目だといえば一人でおもむかれるだろう。

それならば、自分が護衛として視察についていった方が、マシというものだ。

そう思った俺は、サティに不死のローブを取ってくるよう求めた。

彼女は目を輝かせながら、「はい!」と即座に命令に従った。

俺は再び吐息を漏らす。やれやれ、と。

サティの目の輝きを見る限り、彼女も同行する気が満々のようだ。

魔王様は、

「両手に花だな」

と軽く笑った。

「せめて棘がないことを祈りますよ」

最後に少しだけ皮肉を返すと、俺と魔王様、それにサティの三人で館をあとにした。