Master’s Smile

Lesson 252: The Demon King and Hilde

ヴァスイル魔王国の魔王城玉座の間。

そこに備え付けられている玉座に座る一人の男。

かつては彼の前に四天王が跪いていたのだが、今では誰一人として残っていない。

ワーウルフのイザッコはドラゴン族の集落で戦死。

オークキングのケードは侵攻した城塞都市で戦死。

召喚魔法使いのクーリンは人間側に寝返り。

「ラルディナも落ちたか……」

そして、サンダーバードのラルディナはそのクーリンに倒され傘下に引き込まれた。

魔王軍が誇る最高戦力の四天王は、この短期間で壊滅状態にされてしまった。

「魔王軍も随分と弱体化した」

四天王が存在しなくなった今、もはや魔王軍は大規模な侵攻はできないだろう。

それどころか、魔王国の防衛すら危うい。

四天王というまとめ役がいなくなれば、造反者や脱走する者も増えてくるだろう。

この戦争は、昔と同じく魔族側が敗れる。

そして、その大きな要因となったのが……。

「あの男、か……」

魔王の頭の中に浮かび上がるのは、うっすらと笑みを浮かべながらも強大な魔法を使う優男。

彼がいなければ、今頃四天王も生存し、どんどんと人間の国を落としていただろう。

順調に人類を攻略していた魔王軍の前に立ちはだかった人間。

それが、マスターなのである。

「……今代も、魔族は人間に敗北するか」

魔王に率いられた魔王軍は、彼の代になるまで先祖代々人類に戦争を仕掛けている。

そのたびに、魔王軍は人類に敗北して、また新たな魔王が現れるまで魔王国に引きこもるようになるのである。

何度も負けていても人間に滅ぼされない理由は、かなりの出血を人類側にも強いているからである。

魔王国まで攻め入って完全に滅ぼすほどの元気が、人類側にもなかったのだ。

事実、今回の戦争でもいくつかの人間の国家がすでに滅んでいる。

その国の復興を考えるのであれば、魔王国に攻め入って更なる戦争を求めるのは間違っているだろう。

しかし、今回の戦争は……あまりにも敗北が早すぎる。

人類側の大国といえる国……魔王国から最も近いのはエヴァン王国であるが、その国にはまだ侵攻すらできていない。

その状態なのに、すでに魔王軍は撤退しているのだ。

このままでは、ヴァスイル魔王国は二度と戦争ができなくなるまでにボコボコに叩き潰されてしまうかもしれない。

「おぉっとぉ。それでいいんですかぁ、魔王様?」

魔王以外誰もいないはずの場所に、のんきな声が聞こえてきた。

今では警備の兵すらいないこの玉座の間に、コツコツと音を立てて歩いてきたのは気持ちの悪い笑みを浮かべる男であった。

一瞬マスターと比べて、まったく似ていないという判断を下す。

「今こそ、私と力を合わせてあの男……マスターをこの世から消しましょう」

「お前は……」

物騒なことを提案してくる男。

その男の顔つきに、魔王は見覚えがあった。

「ええ。黒龍に殺されてしまった元四天王、イザッコさん直属の部下です」

そうだ。ドラゴン族に派遣していたイザッコが戦死したことを報告した男だ。

名前はヒルデ。

恭しく頭を下げる彼を、魔王は冷たい目で見下ろしていた。

「嘘は止めろ」

ピクリとヒルデの身体が動く。

「……嘘、とは?」

「お前は魔族ではない。いや、魔族の匂いはするが、それはお前の生来のものではない。おおかた、魔族の血を全身に浴びてそれを魔法で継続させているのだろう」

今代最強の魔族である魔王だから分かること。

他の魔族……たとえ、最高戦力の四天王の面々でも気づかなかった強力な魔法だ。

それを見破られたヒルデは、少し驚きの色をにじませながらもまだ笑っていた。

「……ふふふふっ。流石は魔王、他の馬鹿な魔族と違って騙されてはくれませんねぇ」

今までコツコツと溜めてきたマスターの力を借りたのに……。

まあ、借りたといっても勝手にこっそりと回収して使っているだけなのだが。

しかし、その力を使っても見破る魔王のことを、ヒルデは過小評価していたと認めざるを得ない。

「それで、お前はなにが目的だ?」

ここで誤魔化したらもう話を聞いてくれないと判断したヒルデは、素直に目的を話す。

「目的は先ほど話した通りですとも。私の宿願に邪魔な男がいましてね……」

「それが、あの人間だということか」

「ええ。今は『救世の軍勢(イェルクチラ)』などという闇ギルドのマスターを務めている男ですが、かつて大陸に覇を唱えたラルド帝国を滅ぼした凶悪な輩です」

「ほう……」

魔王の反応は薄い。

それもそうだ。ラルド帝国が滅亡したのは、今代の魔王が生まれるよりずっと前の話だからである。

現存する人間の国家すら名前があやふやなのに、かつて存在した大帝国の名前なんて憶えているはずもない。

「そして、先代の魔王を弑したのも彼です」

「…………っ!」

しかし、続くヒルデの言葉には強烈な反応を見せた。

あの男……マスターが先代魔王を殺した?

今の魔王は先代と会ったこともないので、別に仇討とかそういうことを考えたわけではない。

ただ、代々受け継がれていく魔王という存在を殺したことに強い興味を抱いたのだ。

「いかがです?私と手を組む気になってくれましたか?」

「……そもそも、私はあの男と戦うつもりだったさ。お前に言われるまでもない」

「おぉっ!それなら……」

その顔に喜びの笑みを浮かべるヒルデ。

現状、マスターと対等に……とは言わないものの形として戦闘になれる者は、この大陸では非常に限られている。

その数少ない人物の一人が、この魔王だとヒルデは考えていた。

だからこそ、強力な『手ごま』が手に入ったと喜んだのだが……。

「だが、お前と手を組むということは拒絶させてもらおう」

魔王はヒルデの考えているほど愚かではなかった。

ヒルデはピクリと眉を動かす。

ポーカーフェイスを気取っていても、こういうときにあっけなく感情を見せてしまうのがマスターとの違いである。

「……何故です?」

「理由は簡単だ。お前が信用できない」

「酷いですねぇ……」

「それに、だ」

魔王軍でない者をそう簡単には信用しない。

それに、この男は腹に何かを抱えているような感じがする。

魔王の直感がそう言っていた。

また、もう一つの理由があった。

「先代が倒せなかった男を屠ることで、私が強き魔王であることが証明できる。これは、私にとって避けられない試練なのだ。あの男に負ければ、私は魔王にふさわしくなかったというだけのこと」

先代魔王を殺した男を、この手で葬り去るため。

魔王にとって先代を越えるための良き敵である。

それを、この胡散臭い男に横からかっさらわれるのは困るのだ。

あの男を……マスターを己自身の力で倒すことに、魔王としての価値があるのだ。

「……ふう。流石は魔王……というところですね。いいでしょう。今回は、私も大人しく引き下がるとしましょう」

しばらく魔王を見ていたヒルデであったが、やれやれと首を横に振ってついに諦めた仕草を示す。

もともと、彼だって魔王がマスターを倒せるとは思っていない。

ただ、これから始動する彼の宿願の際に、多少傷を負っていてくれたら楽に事が進むと考えただけだ。

マスターを殺すのは、ラルドの残党たる自分がふさわしいのだから。

「ふん。その妖しげな玉は見逃しておいてやる」

魔王の言葉に目を見開くヒルデ。

……ばれていたのか。

ヒルデはこの玉座の間でマスターと魔王が膨大な力のぶつかり合う凄まじい戦闘を繰り広げることを想定し、こっそりと玉を仕込んでいたのだ。

力はとにかく必要だ。

ヒルデの力をパワーアップするためにマスターの力は随分役に立ったが、あまり取り込み過ぎると強大な力を抑えられずに身体の内部から破壊される。

さらに、宿願にはもっと力が必要なのだ。

「……感謝します」

ヒルデはそう言って立ち去って行った。

今の魔王にとって、彼の素性などどうでもいい。

ただ、彼の頭の中にあるのはマスターのことだけだ。

「さあ、早く来い。お前が魔王(わたし)を倒す勇者なのか?」

魔王はようやく現れた強力な宿敵に、心を躍らせるのであった。