夏休み、六日目。

俺はやや雲行きの怪しい空を見上げながら、西八王子の駅前に東西コンビと待ち合わせしていた。

空には厚い雨雲がかかり、夕日を完全に隠している。

周囲では浴衣を着た男女が同じように空を見上げ、不安そうな顔を浮かべていた。

大丈夫か、この空。雨降らないよな……? 今日は花火大会だってのに……。

「よっ、マロ!」

「東野久しぶり。あ、これ、旅行のお土産」

「おっ! サンキュー!」

俺が旅行のお土産を渡すと、東野は嬉しそうに覗き込んだ。

「中身なに?」

「悪いけどそんなに高いもんじゃねーよ。特産の蜂蜜を使ったクッキーとか、蜂蜜スティックとか。部屋に置いてあったお茶請けが美味しかったからさ」

「いや、十分十分! ありがとうな」

東野はそう言って、いそいそと俺の渡したお土産をバッグへとしまい込んだ。

「あ、そうそう。この前のモンコロ見たぜ。珍しくタッグマッチだったよな」

「ああ……」

と、俺はこの前の試合を思い出した。

前回の試合では、キャットファイトにしては珍しくタッグマッチの戦いとなっていた。

タッグマッチは、四人の選手がランダムでペアを組み、各二枚のカードを使って戦うルールだ。

選手は一つのライフを共有し、相棒がヘボだと足を引っ張られることになる。

俺の相棒は今回が二戦目の新人(しかも初戦黒星)で、相手チームはベテラン選手二人組だった。

試合はなんとか新人をカバーする形で勝利を収めることができたのだが、問題はタッグマッチというキャットファイトではあまりやらない試合方式を引っ張り出してきたことだ。

タッグマッチは、主に出場する選手の人気差がある時にオッズをばらけさせる時に使う方式である。

この方法を使うということは、俺の対戦相手として相応しい相手が減ってきているということを意味していた。

キャットファイトは、主に三ツ星が女の子カードだけを使って戦う番組だ。使用するカードはメインのCランクカードに、サブのDランクカード二枚という組み合わせが一番多い。

Cランクカードを三枚使ってくる選手となると、キャットファイトの選手の中でも一握りとなり、選手の組み合わせのパターンが少なくなってくる。

組み合わせのパターンが少ないということは、客から飽きられやすいということだ。

キャットファイトには、プロ以上の冒険者による『キャットファイト・プロ!』という姉妹番組があるが、こちらから四ツ星を呼ぶのも少々問題がある。

プロライセンスを持っているということは、ソロでCランク迷宮を攻略したということであり、アマチュアの冒険者に太刀打ちできる存在ではないのだ。

リンクのことを知らない一般人であっても、アマチュアとプロでは分厚い壁が存在していることは知っている。

つまり、三ツ星と四ツ星の試合では肝心の賭けが成り立たたないのである。

タッグマッチは、そう言った選手間の実力差(人気差)がある時に、人気選手の足を引っ張らせることで賭けを成り立たせようとする苦肉の策だった。

今回の戦いでは俺も少々苦戦させられたので、今後はタッグマッチが中心となってくるかもしれなかった。

とその時、スピーカーから夕方五時を告げるメロディーが流れ始めた。

「……西田のヤツ遅いな。アイツが遅れてくるなんて珍しい」

「どうしたんだろうな。大抵五分前には着くのに」

俺たちが首を傾げていると。

「おおーい、マロ、東野!」

「おせー……よ、西、田……」

振り返った俺は、予想外の光景に絶句した。

男物の浴衣を着た西田は、隣に浴衣姿の女の子を連れていた。

同年代と比べてかなり小柄で小動物っぽい可愛らしさのある、見覚えのある美少女。

「さ、桜井さん……なぜ、西田と」

東野が掠れた声で言った。

西田が連れた女の子は、去年同じクラスだった桜井さんだった。

東野の問いに、西田は照れ臭そうに答える。

「実は……俺たち付き合い始めたんだ」

ガツンと頭を殴られたような衝撃だった。

馬鹿な……西田に、彼女が……だと?

一体どんな手を使ったんだ? 催眠アプリか?

「嘘、だろ……? 一体どんな手を使ったんだ? ……催眠アプリか?」

かろうじて口には出さずに済んだ俺と違い、東野はあふれ出る嫉妬心が口から洩れ出してしまっている。

正直はた目から見るとかなりみっともなかったので、俺は口に出さずに済んだ幸運に感謝した。

「人聞きの悪いことを。……まあ、普通に趣味を通じて、でだよ」

「趣味? お前に女にモテる趣味があったとは知らなかったな」

コイツの趣味など、ゲームとロリ絵を描くことくらいだった筈だが。

桜井さんがもじもじと恥ずかしそうにしながら答えた。

「じ、実は私、コスプレが趣味で……」

「で、里香がやってたコスプレ用のSNSに俺がイラストを送ったのがきっかけってわけ。まあ当時は里香のアカウントって知らなかったんだけどね」

そ、そんなことが……。

ってか、自分の萌え絵を送ってくるクラスメイトって普通にキモイだろ……。

奇跡的に波長がかみ合ったのか? もはや、運命の出会いだな。

「ってことで悪いんだけど、今日は二人で回っても良いか?」

「あ、ああ……彼女出来たんならしょうがない。な? 東野」

「…………………………」

返事がない。ただの屍のようだ。

「マロならそう言ってくれると思ってたよ。じゃ、行こうか」

「ご、ごめんね?」

「……いえいえ。あ、これ、旅行のお土産、良ければ二人で食べてよ……」

「おっ! サンキュー!」

「北川くん、ありがとう」

にこやかに去って行く二人を見送り、俺は東野の肩を揺さぶった。

「おい、正気に戻れ」

「……………………。西田のヤツ遅いな。電車、遅れてるのかも。電話してみるか?」

「お、落ち着け。今のは幻覚じゃねぇよ」

虚ろな目で現実逃避する東野を現実へと引き戻すと、東野はガクリと跪いた。

「バ、バカな……西田に彼女が出来た、だと?」

「正直……俺もショックを隠し切れん」

「……俺、最初に彼女ができるとしたらマロだと思ってたんだ。だからそれについては覚悟が出来てた。だが、これは不意打ちにもほどがある」

実は、俺も最初に彼女ができるとしたら自分だと思ってた。……とんだ思い上がりだったぜ。

「……どうする東野? 花火見に行くか?」

「男二人でか? 三人ならまだしも、それはキツイだろ……」

「だよな……」

まさかこんなことになるとは……。

と、その時。

「あれ? 先輩、何してるんスか?」

「……アンナ、小夜!」

聞き覚えのある声に振り返ると、そこにいたのは冒険者部の後輩女子二人だった。

二人とも浴衣を着ている。アンナは藍色の浴衣を、織部は薄紅色の浴衣を着ていて、ちょうど普段の二人のイメージカラーが逆転している感じだった。

「補修が終わったんで花火大会を見に来たんスよ」

「我はアンナに誘われてだな」

「……先輩はお友達とッスか?」

そう問いかけるアンナの目は、「男二人で花火大会を……?」と語っているように見えた。

「いや、実はもう一人来る予定だったんだけど……ドタキャンされたんだ」

彼女を連れてきたので別れた、というのはさすがに惨めすぎるので、俺はそう言った。

「そうなんスか。じゃあせっかくなんで一緒に回りますか?」

「是非!!」

そう答えたのは俺ではなく東野だった。

「マロももちろん良いよな!?」

「あ、ああ……」

東野の眼は「良いと言わなきゃ殺す」と語っており、俺の首は自動的に縦に振られた。

俺はこっそりと囁く。

(お前、ちょっと必死過ぎじゃね……?)

(馬鹿野郎! お前、いつからそんなヤツになっちまったんだ? 可愛い後輩の女の子とお祭りに行けるチャンスを逃すようなヤツじゃなかっただろうが……ッ! それともマジでロリコンになっちまったのか!?)

胸ぐらを掴みかからんばかりの勢いでそう言う東野に、俺はハッと目を見開いた。

確かに、ハーフ系美少女と、クール系美少女の後輩女子とお祭りに行くチャンスなど、一年前の俺なら歓喜していたシチュエーション!

(東野……俺が間違ってたよ)

(ふ……それでこそ俺の友達のマロだ。ついでにどっちか紹介してくれ)

(それは断る)

俺に彼女ができるまで、お前は独り身であり続けてくれ。

「そういえば、クラスでの先輩ってどんな感じなんですか?」

四人で並んで花火大会の会場へと向かう途中、会話の流れからアンナが東野へとそんなことを問いかけた。

「いや、俺はもう同じクラスじゃないからな。でも他のクラスでも評判はそんなに悪くないぞ。特に嫌われるようなことはしてないからな。クラスメイトの仇を取ったヒーローなわけだし」

「でもそんなにってことは悪い意見もあると」

なんでそんなに俺の悪い評判を聞きたがるんですかね、アンナさん? 良い評判だけで良いじゃない。

東野は苦笑して答える。

「そりゃあ、目立てば当然僻みも出てくるさ。女の子カードばっか集めてキモイとか。人間にモテないからカードでハーレム作ってるだとか。実は神無月とデキてるだとか」

そ、そんな風に影で言われてたのか……。というか、前二つはともかく、最後のは断固否定させてもらう!

「あと……いや、なんでもない」

「なんだよ、聞かせてくれよ。隠された方が気になるだろうが」

俺がそう催促すると、東野はこちらを気遣うように続けた。

「まあ、これは気にしなくても良いと思うが……あとは、獅子堂を見殺しにした、とかだな。四之宮さんが襲われた日と、獅子堂が死んだ日が同じだったから、女の子は助けたけど、嫌いだった獅子堂は見捨てた、みたいな。なのに獅子堂の敵討ちをした、みたいに言われてるのがムカつく、とか。……獅子堂と仲の良かった奴だけが言ってるだけだけど」

「……………………」

……まあ、そう言いだす奴は当然いるわな。

自分と仲の良かった友達が死んで、はいそうですかと簡単に割り切れるヤツばかりじゃない。

これで俺が事件を解決してなければ、不幸な事故、どうしようもなかったこと、と風化させられていくのだろうが、なまじ俺が解決に関わったせいで、俺ならば獅子堂を救えたのでは? と考えてしまうのは、どうしようもないことだ。

もしも俺が彼らの立場だったとして、死んだのが東西コンビで、解決したのが南山だったら、理不尽と思いつつそういう想いが湧いてきた可能性はある。

「でもまあ、そういうのはマロと実際に話したこともないごく一部だよ。大半はお前を認めてるから安心しろ」

東野がフォローするようにそう言うと、話題を振った後輩組も悪いと思ったのかそれに続く。

「ですです。多少陰口叩かれてるくらいが健全ですよ。その分、好意的な人たちは自然に先輩を評価してるってことッスから」

「そうだぞ、我なんか未だにクラスで話す相手いないからな。一応我も事件の解決に寄与したはずなのに、まったく評価上がってないんだぞ」

「……小夜はマジでその口調だけでも直しなさいって。冒険者部での活動はそのままでも良いから」

織部のヤツ、キャラのために完全に学校生活を捨ててやがるな。ロックだぜぇ……。

「逆に下級生ではマロの評判ってどうなの?」

「一年ッスか? 悪くないですよ。と言っても、上の学年にいろいろ凄い冒険者がいるって程度みたいッスけど。……まあ、完全に上位互換がいるせいで女子からの影は若干薄めッスけど」

「師匠には勝てんわ。あらゆる意味で」

俺がそう嘆息すると、東野はニヤリと笑い。

「いやぁ、そうでもないだろ。マロのウタマロに勝てるヤツは、日本人にはなかなかいないって」

「おま……!」

普通女子のいる場でそういうこと言うか!?

「先輩のウタマロ……? どういう……あっ!」

遅れて気付いたアンナが俺の下腹部を見て顔を赤らめる。我らが部長は何気に下ネタに弱いのだ。

が、織部はそんなことはないらしく。

「先輩のは、そんなに、そのアレなのか?」

「具体的なサイズは控えさせてもらうが、マロは一年の水泳の授業の時、一人だけ学校指定の水着ではなく、市販の大きいサイズの水着の着用を学校に許可されていた……とだけ答えておこう」

「え、そんなレベルッスか!?」

「やめろや! 普通に水泳の授業は俺のトラウマなんだぞ!」

一人だけ違う水着を履いている時のあの疎外感と、その理由を知った時のクラスメイトの驚愕の視線!

男子からは羨ましがられるときもあるが、基本的に俺のコンプレックスの一つなのだ。

そんな馬鹿話をしているうちに、花火大会の会場へと到着した。

周囲には浴衣姿の男女で溢れかえり、前に進むのも一苦労な有様だった。

例年なら彼らに交じり、道端で花火を眺めていたモノだが、金を持っている今年は違う。

迷うことなく、フェンスで遮られた有料の観覧席へと入る。

東野がバッグから取り出したレジャーシートに座ったアンナが、並んだ屋台を指さし俺に言った。

「あ、先輩、屋台が出てますよ。ウチ、こういう屋台のモノって食べたことないんスよね~。りんご飴とか、先輩奢ってください」

「お前、金持ってるくせに……。しょうがねぇな。なんか買ってくるからみんなちょっと待ってろ」

「ありがとうございます!」「悪いな!」「礼を言おう」

りんご飴、チョコバナナ、焼きそば、焼き鳥といった定番の物を買って回っているうちに、空で花火が咲き始めてしまった。

しまったな……ちょっと買い過ぎたか。と頭を掻いていると……。

「先輩」

「お、小夜」

「少しお持ちしましょう」

「悪いな」

有難くりんご飴とチョコバナナを持ってもらう。

「というかすでに買った分を持ってみんなのところへ戻っても良いんだぞ?」

「いえ、せっかくなので一緒に並びますよ」

「そっか……」

俺も一人では寂しかったので織部の気遣いに甘えることにした。

二人で列に並びながら夜空に打ちあがる花火を眺める。

観覧席で見るのとは違い、角度的に建物に遮られて見えない部分もあったが、不思議と気にならなかった。

「……先輩」

「ん?」

ふいに、織部がポツリと呟く。

彼女は少しの間言い辛そうに、顎のラインで切りそろえられた髪先を弄っていたが……やがて。

「その……例の約束についてはどうなりましたか?」

「約束?」

俺と織部の間で何か約束なんてあっただろうか?

織部はますます顔を赤らめ、囁くように呟いた。

「あの……ホラー映画を、一緒に見に行く……って」

「あっ! ああ!」

そう言えば、事件の捜査中、そんな話をしたこともあった。

具体的な日付を決めていなかったこともあり、てっきり社交辞令の類と思っていたのだが……。

「そうだな、今面白いホラー映画って何がやってたっけ?」

俺がそう水を向けると、彼女は待ってましたとばかりに話し始めた。

「実は、スティーブン・キング原作のホラー映画のリメイクがこの夏にやってまして。私、リメイク前のヤツが大好きでずっと見たいと思ってたんです。本当は去年公開の予定だったんですが、出演者やスタッフに原因不明の不幸が相次いで一年延期になったという曰く付きの映画でして……」

静かに、しかし頬を紅潮させて楽し気に話す織部。

花火に照らされたその横顔は、花火なんかよりも俺の目を惹きつける何かがあった。