うふふふふふふふふふふふふふふ…………。

目覚めた途端、抑え切れずに口から笑いが溢(あふ)れ出た。

傍から見れば、相当に気持ち悪いことは百も承知だ。

でも、ニヤけて当然ではないか、なにせ、主様からプロポーズされてしまったのだから。

サラトガ城の地下フロア。幹部専用の治療施設の寝台(ベッド)で目覚めた剣姫は、あらためてあたりを見回して誰もいないことを確認すると、再びその端正な顔をニターっと、だらしなく蕩(とろ)けさせた。

隣の病室からは筋肉の名称を唱える声が引っ切り無しに聞こえてくるが、そんな些細な事は、全く気にならない。そんなことより、今しばらくは、この幸せな気分に浸っていたい。

欲しいものは、砂の様に指の間から零(こぼ)れ落ちていく。そんな自分の17年間の人生の果てについに、そう、ついに掴み取ったのだ。舞い上がって当然ではないか。

求婚、そして婚約、そして結婚(ゴールイン)。

剣姫は寝台(ベッド)に横たわったまま、治療施設の天井を見つめ、何から思い描けばいいのかと思案する。

そして、さて子供の名前は何がいいかしら。といきなり登山で言えば4合目あたりから妄想を開始。そこから、主が先に亡くなって、葬儀の席で未亡人として参列者に告げる挨拶の言葉をシミュレーションするまで、ほんの数分。

暑い日に青魚が傷むよりも短い時間で、その一生を駆け抜けた。

さすがは当代最強を謳われる剣姫。想像力もワールドクラスであった。

うん、今の人生(※妄想)も悪くなかった。次の人生は子どもをもう一人増やしてみようかしらと、2週目の妄想に入ろうとした時、剣姫はふと思った。

…………何だかリアリティに欠けている。

なにがいけなかったのだろうか? 剣姫が顎(あご)に指をおいてそう考えた末に、気付いた。そう、気付いてしまったのだ。

「私、主様のことを何も知らないんだ……」

確かにナナシと剣姫が共に過ごした時間は、わずかであった。しかも、その時間の多くは、剣姫が下僕になることを認めてもらうためのアピールに費やされ、ナナシの本質――徹底的な自己評価の低さについてもミオに教えられるまで剣姫は、気付きもしなかった。そう、剣姫は運命の出会いに胡坐(あぐら)をかいて、ナナシを理解するということを怠っていたのだ。

剣姫はわなわなと身体を震わせながら、考える。

こんなことでは花嫁失格ではないか。自分は何を浮かれていたのだろう。

…………とにかく情報を集めなくてはならない。

まずは、主様の好みを把握するべきだろう。

男性の心を掴むには、まず胃袋からと言うではないか。

ゲルギオスから戻られたら、お好きな食べ物を用意してよろこんでもらおう。

はい、主様お口を開けてくださいませ。アーン………

と思考の途中から再び妄想に没入していく。

剣姫が治療室から出るのは、さらに随分後のことであった。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

治療室を出ると剣姫はぶらぶらと城内を徘徊(はいかい)しはじめた。

情報収集といっても、何か当てがあるわけではない。とりあえず、出会った人間に手当たり次第に聞いて回ろうと思った。

最初に出会ったのはキリエ。

昨日、引き籠っていた剣姫のところへ、皇姫が面談を希望していると、ドアをぶち破って突入してきた時に危うく、ブッ殺……げふんげふん。

ほんのちょっぴり揉めたせいか、少し剣姫を警戒しているように見える。

●情報提供者その1 キリエ

せ、セルディス卿ではございませんか。

え? 我が弟の好きなもの? もちろん存じておりますが……。

教えてほしい? んーまあ、良いでしょう。

ズバリ、お姉ちゃんです。

お姉ちゃんを嫌いな弟など、この世の中に存在するわけがありません。

え? そうじゃない? 食べ物?

お姉ちゃんはある意味食べ……。

※アブないことを言いかけたので、とりあえず昏倒させました。

キリエの話からは、何一つ有益な情報を得られなかった。

しかし、彼女のブレない姿勢はある意味、称賛に値すると思う剣姫であった。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

昏倒したキリエを掃除道具入れに放りこんで隠し、剣姫が再び歩きはじめると、すぐに前方から、三人の幼女を連れた第一軍の将メシュメンディが歩いてくる。両手にぶらさがるように幼女にしがみつかれて、三人目を肩車するその姿は、三人娘に公園に連れ出される休日のお父さんにしか見えなかった。

危うくナナシとの間に3人娘が産まれたら、こんな感じかと妄想が広がりかけたが、なんとか踏みとどまり、メシュメンディを呼び止める。

ナナシの好きなものを知っていれば教えてほしいと、剣姫が話しかけるとメシュメンディはこくりと頷いて、少しも考えることなく、右手にぶら下がっている赤みがかった髪の幼女にぼそぼそと耳打ちした。

●情報提供者その2 メシュメンディ(代弁イーネ)』

熟女なんだにょ。

「あなたの好みは聞いてません!」

思わず声を荒げてしまう剣姫を無表情にじっと見つめた後、メシュメンディは再び赤みがかった髪の幼女に耳打ちする。

●情報提供者その2パート2 メシュメンディ(代弁イーネ)』

幼女に熟女って言わせたことにちょっと興奮したって言ってるにょ

「いらない! そんな告白はいらないから!」

またしても何一つ有益な情報は無かった。去っていくメシュメンディ達の背中を茫然と見送りながら、剣姫はナナシがロリコンでも熟女フェチでもない様にと神に祈った。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

もうそろそろちゃんとした情報が欲しいと、剣姫はシュメルヴィの研究室へと向かうことにした。

以前、『邪眼の瞬き』の魔法について術式の改良に協力してもらって以来、彼女とはかなり親しくなっていた。

おっとりしている風を装ってはいるが、何と言ってもサラトガの筆頭魔術師である。怜悧(れいり)な思考の持ち主であることは良く知っている。

剣姫が研究室(ラボ)の扉をノックすると「はぁーい」と声がしてドアが開いた。

●情報提供者その3 シュメルヴィ

なぁーに? セルディス卿、また術式の改良ぅ? 違うのぉ?

え? ナナシ君のぉ好きなもの? えぇ、知ってるわよぉ。

うふふ、教えてほしい? いいわよ。

それはね。バスト、おバストよぉ。大きければ大きいほどいいんじゃないかしら。

ナナシ君たら、いつもぉわたしのぉ、おバストをチラって見るのよぉ。必死に見てないフリをするあたりかわいいのよねぇ。

え? なーに? 大体の男性はそうなんじゃないかって?

でも、好きなモノでしょ。

え? 食べ物?

大丈夫よぉ、おバストはある意味食べ……。

※アブないことを言いかけたので、とりあえず昏倒させました。

後ろ手に研究室(ラボ)の扉を閉めて、何も聞かなかったと自分に言い聞かせる。剣姫のバストサイズはいわゆる貧乳でもなければ巨乳でもない、普通だ。

たしかに男性であるからには、胸のサイズが大きなことは、主様を喜ばせることができる要素なのかもしれないが、優秀な戦士は、自分の不利になるような地形では絶対に戦わないのだ。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

気を取り直して、剣姫はミオの執務室を尋ねることにした。事の経緯を全て知っているミオならば、ナナシの情報を握っていれば、教えてくれるはずそう思ったのだ。

●情報提供者その4 ミオ

なに? ナナシの好きなものじゃと?

ふむ、それほど深く考えることもなかろうて。

若いうちは女の方が精神的な成長は早いというじゃろが。

どうせ15歳とは言っても、あの年頃の男子は、中身は子供みたいなもんじゃろ。

虫取り網でも買い与えて、バッタでも追っかけさせとけば満足するんじゃないのか?

なに? 食べ物?

小銭でも握らせて駄菓子屋にでも連れて行ってやれば良かろう。

比較的まともそうな意見ではあるが、この意見は受け入れがたい。この内容を受け入れてしまったら剣姫は、子供のプロポーズを本気にして、舞い上がる痛いショタコンお姉さんということになってしまうからだ。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

結構な人数に話を聞いたはずなのに、ここまで何故かノーヒントの不思議。

この機動城砦の住人はやはりどこかおかしいのかもしれない。今さらながらそこに気付いた剣姫は、他の機動城砦の人間ならば、ナナシのことは知らなくても、なにか良いアイデアがもらえるかもしれない。と、今この機動城砦にいる別の機動城砦の住人のもとへと向かった。

●情報提供者その5 ファティマ&ファナサード

あら、剣姫様、ご機嫌麗しゅう。

え? 王子様によろこんでもらう方法でございますか?

さすがは剣姫様、行き届いていらっしゃるのですね。

左様でございますわねぇ……。

私たちは王子様にはお会いしたことはございませんが、愛する方がそばにいれば、それで充分なのではないかしら。

そう、ファティ姉。その通りですわ。愛こそ全てと言いますもの。

愛する者は見つめ合うだけで想いは通ずると申しますし、そう思えば、愛は気高く薫る薔薇のようなものかもしれませんわね。

薔薇! さすが、さすがですわ、ファティ姉。文学史に残る金言の様ですわ。

まあファナ。褒めすぎではなくて。じゃあ、こういう表現ではいかがかしら。

愛、それは立ち込める霧の向こうに輝く一つの星。

星! ロマンティックですわ。私も星を見つけたいですわ。

ですわね。ファナ、それでは次は……。

剣姫は無言で扉を閉めた。

恐るべし、上流階級。

どうやら、ベクトルは違うが、どこかおかしいのはこの機動城砦に限ったことでは無かったようだ。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

大きなため息とともに中庭のベンチに腰をおろし、空を見上げて剣姫は呟く。

「誰も知らない……」

たかが好みの食べ物一つ。それさえも誰も知らなかった。

人は、自分のことを知ってほしい。大なり小なりそういう欲求を持っているものだ。しかし、自己評価の極端に低い主様ならば、自分の事を話すことが人の迷惑になるぐらいの感想をもっていてもおかしくはない。

自分も大概だが、寂しい人だなと思う。

だからこそ、今度は自分だけは、あの人のことを見つめ続けよう。そう思った。

部屋に戻ろう。剣姫がそう思って腰を浮かせた時に、背後から敵意のある視線を感じて振り返る。

そこには、洗濯籠(せんたくかご)を抱えた家政婦(メイド)が一人立っていた。

ああ、そうだった。自分以外にも主様に想いを寄せている人間がいたのだ。

つい先日、「ナナちゃんから呪いを解いてよ!」と部屋まで押しかけてきたのはこの少女だった。そう簡単に解呪(ディスペル)できるものでは、誓いの印にはならない。絶対に無理だ。そう諭しても信じてはくれなかった。

剣姫は罵られても仕方がないと覚悟しながら、自分と同じようにナナシに想いを寄せる少女がどれだけナナシのことを理解しているのかが気になって、話しかけた。

●情報提供者その6 ミリア

何ですか? 特にお話するようなことなんてないと思うんですけど!

ナナちゃんの好きなもの?

ハッ、そんなことも知らなくて、下僕だとか名乗ってるんですか?

いや、あの、そこでしょんぼりされると、ボクが意地悪みたいじゃないですか。

わかりました。わかりましたから。

敵に塩を送るのはもうこれっきりですからね。

前に一緒に幹部フロアのカフェにご飯を食べに行った時には、肉団子(カフタ)が気に入ったみたいで、すごくおいしい、おいしいって食べてました。

これでいいですか?

いや、その、わかりましたから涙目でこっち見るのやめてくれませんか。

知っていることなんてあんまりないですよ。

しかたないですね。他には……。

ナナちゃんは幹部フロアの食堂は敷居が高いからって、ご飯はだいたい市街地に出て、肉屋の角を曲がったところにある小さなパンの屋台でひよこ豆のパン(フムスロティ)を食べていますね。あれは好きだからというよりは、安いからだと思うんですけど、食べる時には大体、最初に3つに千切ってから、それを左手に持って右手で食べるんですけど、2つ目を食べるあたりから食べる早さがどんどん遅くなって、3つ目を食べ終わる直前になるとすごく寂しそうな顔をするんですよね。で、一瞬屋台をもう一回見て、財布の中を覗きこんで、ぶんぶん首をふるんです。あの時の寂しそうに背中を丸める姿といったら、もう庇護欲求というか母性本能というか、そういうものがくすぐりまくられて、キュンキュンきちゃうんですよね。あ、一回だけ、いつものパンの屋台が閉まってたことがあったんですけど、その時は近くの食堂の前で、入るべきかどうか迷いながらぐるぐる回ってたんですけど、あれも可愛かったなあ。結局思い切って入ったのは良かったんですけど、お金が足りなくて、しょんぼりと出てきた時の顔がね。もう可愛らしいの。お金ぐらい出してあげるよって思わず駆け寄りたくなっちゃうんですけど、そんなことをしても遠慮して逃げちゃうのはわかってますから、遠くからぐっと我慢して見つめていると言う状況の切ないこと。わかりますか?その切なさが味なんですよね。あとは、前にナナちゃんに焼き菓子(プレッツエル)を焼いて持って行ってあげたことがあるんですけど、ありがとうございますっていうばっかりで一向に手をつけてくれないんですよ。だから、そういう時はお姉ちゃんに言って、私の菓子がたべられないのかって強引に食べさせてもらってますね。他に、ナナちゃんのことと言えば、えーと靴を履くときは右足から履いて、脱ぐときには左足から脱ぎます。文字を書くときとかは普通に右利きで、あ、そうそう言葉づかいが丁寧なのは、公用語があんまり得意じゃないから、スラングとかが良くわからないからだって言ってましたね。誕生日とかは自分でもしらないというか、砂漠の民のひとって誕生日を祝う習慣が無いみたいですよ。あと服を脱ぐと結構身体は傷だらけなんですよね。で目測ですけど、身長は1.68ザール、体重は58キロぐらい。胸囲は0.9ザール。胴囲は0.82ザールぐらいですかね。以外と胸囲があってたくましいんですよね。よくわかんなかったのは、時々自分の刀に話しかけてるんですけど、あ、あの刀オサフネっていう名前らしいんですけど、その時はなんか勘違いしてたみたいで、サラトガって呼びかけてたんですよね。ブツブツ自分の刀に話しかけている姿がまたキモ可愛いいというか。あ、それから…………

剣姫はもう、なんか、昏倒させた。

剣姫は今日、最も警戒すべき最大の敵(こいがたき)を発見したのである。