Mobile Fortress Saratoga ~Silvery Sword Princess Became My Servant.
Episode 87: What are we gonna do, this air...
「な、何を謝ってるんだ、私は!」
ローブの男はハタと気づいて、シュメルヴィの手を払いのけると、逃げる様に後ずさって距離を取る。
あらためてシュメルヴィの方へと目をやれば、未だにブッ殺しそうな目で、ローブの男を見据えながら「キシャー」と猛獣が威嚇(いかく)する様な声を、口から絶え間なく発している。
『牝牛(めうし)』呼ばわりは、どうやら禁句であったらしい。
怒り方からして、もう尋常(じんじょう)ではない。
さすがに「キシャー」と威嚇(いかく)するのは、人外の方向に大きく傾き過ぎでは無いかと思うが。
「わかった。もうその二つ名は言わない。言わないから!」
「おう、分かればそれでええんじゃ、ワレ。そもそも、胸のでけえ女を見たら、牛呼ばわりとか女性蔑視(べっし)も甚(はなは)だしいってもんじゃろが!」
さっきまでの甘ったるい喋り方はどこ行った?!
この女は二重人格かなんかではなかろうか。
シュメルヴィは、ペッと唾を吐き捨てると、一応満足したのか肩を怒(いか)らせながら、部屋の奥の方までノシノシと大股で歩いてローブの男と距離を取る。
そして、徐(おもむろ)に振り返ると、
「いやぁん、男のぉ人って、怖ぁーい」
と、甘ったるい声を出しながら、身体をくねらせた。
どうやら、一連のことを無かったことにしようとしているらしい。
「あ、うん……」
思わず、そう返事をしてしまった男を、空気を読めとばかりにシュメルヴィの眼光が刺し貫く。
「ととと、ともかく、だな、黒犬(ブラックドッグ)ごときでは、貴様を倒すことは難しそうだ。ならば! わ、私が呼び出せる最強最悪の魔獣を見せてやろう」
追及することが墓穴を掘ることになることを察知して、ローブの男はどもりながらも、兎(と)にも角(かく)にも、この意味の分からない状況を終わらせるべく再び、戦闘に戻ろうとする。
「方陣《スインボロ》!」
男の叫びと共に地面に閃光が走り、先程黒犬(ブラックドッグ)を召喚した時より更に、一回りも大きい魔法陣を描きはじめる。
「魔獣召喚(レボカ・デイ・デモニ)」
中央の円形が幾重(いくえ)にもブレたかと思うと、魔法陣の外周を黒い瘴気(しょうき)が渦巻き、中央の円形がボコンッ! という音と共に膨らんだかと思うと魔獣の鼻先が飛び出す。
ローブの男がニヤリと笑い、魔獣が一気に魔法陣から抜け出そうと、フロアに爪を掛けた途端、呆れた様な口調でシュメルヴィが言った。
「なぁに? まさかぁ、ケルベロスとかぁ、芸の無い事はぁ言わないわよねぇ」
「ちゃ、ちゃうわ!」
キョどるローブの男。
どうやら、図星であったらしい。
鼻先だけ出たケルベロスらしき魔獣が、くぅーんと悲しそうな声を上げて魔法陣の中に引っ込んでいく。
ケルベロスが不憫。
そうとしか言いようのない光景であった。
何とも言えない気まずい空気が二人の間に漂う。
狼狽しながらも、目線を上に向けて少し考えた後、ローブの男は再び召喚を始める。
「まあ、今のはちょ、ちょっとした間違いだ! 気を取り直して、行くぞ! 魔獣召喚(レボカ・デイ・デモニ)!」
再び、魔法陣の外周を黒い瘴気(しょうき)が渦巻き始めた途端、シュメルヴィが、冷たい口調で言った。
「だからってぇ、オルトロスとかだったらぁ、笑うよぉ?」
「そそそ、そんなわけないだろう」
ローブの男の目が泳ぎ、再び消滅する魔法陣。
消滅間際の魔法陣の奥の方から、くぅーんと悲しげな声が聞こえた。
しーんという書き文字が見えそうな程に静まり返った空間。
気まずいでは済まない程の重苦しい空気が漂っている。
ローブの男は額からダクダクと汗を垂らし、それを見つめるシュメルヴィの目は、明らかにこう言っていた。
どうするんだ、この空気は。
「むっ、むむむむむむむむ。そうだ!」
顔を真っ赤にして唸(うな)っていた男は、ハタと何かを思いついたらしく、大袈裟に手を叩く。
「ようし、私をコケにしたことを心の底から後悔させてやるぞ! 魔獣召喚(レボカ・デイ・デモニ)!」
あらためて光が魔法陣を描きはじめると、魔法陣の真ん中から、ボコンと勢いよく嘴(くちばし)が飛び出して宙を突いた。
「あらぁ……そう来たかぁ。これは予想外だわぁ」
失敗した。煽(あお)るんじゃなかったかな。
シュメルヴィは思わず苦笑する。
魔物のランクとしてはケルベロスの方がずっと上だが、戦い難(にく)さでいえば、こっちの方がはるかに面倒だ。
嘴(くちばし)が抜けた後は雄鶏(おんどり)の頭、そして一瞬の間を置いて、クワァーという声と共に魔法陣を抜けて全身が一気に姿を現す。
棒のように細い脚、その先端の鋭い爪。
蝙蝠(こうもり)のような翼、蛇の尻尾。
鱗塗(うろこまみ)れの後半身に雄鶏の前半身。
農家の幼い子供が見たことのある動物を組み合わせて作った『僕の考えた最強モンスター』とでもいう様な、節操のない風体。
コカトリス
「厄介ねぇ」
シュメルヴィがそう呟いた瞬間、コカトリスは問答無用とばかりに、左右に首を振りながらブレスを吐いた。
グレーの煙のようなそのブレスに触れるや否や、床の赤絨毯が毛先の形もそのままに石化していく。
紫のローブを翻(ひるがえ)しながら、ブレスの範囲外へと全力で駆けだすシュメルヴィ。
立ち込めるブレスの向こう側に消えていくシュメルヴィに、勝利を確信して、ローブの男は、さも楽しそうに哄笑(こうしょう)する。
「うわははははは! この遮蔽物(しゃへいぶつ)の何もない空間で、こいつの石化ブレスを防ぐことはできまい。
しかもだ! コイツは貴様の得意な雷系統の魔法は、一切効かぬぞぅ!」
もうすぐ、石化ブレスはこの部屋中に充満する。
そうすれば、あの轟雷の牝牛《あたまのおかしいおんな》は、障壁の魔法でブレスを防ごうとするはずだ。
その瞬間コカトリスをそこに突入させれば、手も足も出まい。
ローブの男は耳を澄まし、目を皿のようにして、煙の向こうのシュメルヴィの姿を探す。
じりじりと時間は過ぎていき、石化ブレスの煙はもう部屋の全域まで到達しているはずだ。
しかし未だに、シュメルヴィの反撃らしきものは無い。
障壁の魔法、それを発動させる聖句どころか、煙の向こうから物音一つしない。
まさか轟雷の牝牛(めうし)ともあろう者が、こんなに簡単に石化してしまったなどという事があるのだろうか?
もしかして、障壁の魔法を無詠唱で使えるのか?
ローブの男の背中を冷たい汗が伝う。
自らの頭に浮かんだその考えを頭を振って、必死に否定する。
いや、流石にそれは無い。
火球(フィアンマ)程度の魔法であればともかく、石化ブレスを防げるレベルの障壁を、無詠唱で使えるとなれば、それはもう人外の領域だ。
そうしている間にも、煙は増えて、数センチ先も見えないほどに部屋中に充満している。
幾らコカトリスの召喚主であるローブの男には、石化ブレスは無効だとは言っても、相手の手の内が読めない現状では、煙に視界を妨げられては、むしろ不意打ちの危険が増大するばかりだ。
「お、おいコカトリス! ブレスはもういい!」
声を荒げてコカトリスを睨み付けたローブの男は、そのまま硬直する。
主の指示に困惑するように、首を振るコカトリス。
コカトリスはずいぶん前に、ブレスを吐くことを止めていたのだ。
「ど、どういうことだ?」
ローブの男は、慌てて周囲を見回す、いや見回そうとした。
その時になって初めて、自分の身体が痺れて動かないことに気付く。
声を出そうとするも舌がもつれて、うめき声を洩らすのがやっと。
な、なにが起こっている?
いや、何をされた?
慌てる男の目の前で、コカトリスが小さく震えたかと思うと、コカトリスの巨体が動けない男の上に倒れてくる。
ズシイィィン! そんな尾を引くような轟音を立てて、地面に横たわるコカトリス、逃げ出すことも出来ず、下敷きになる男。
コカトリスの身体の下で、腰から下を押しつぶされて、男は喘(あえ)ぎながら、必死に荒い呼吸を繰り返す。
そんな男の耳に、石化した床にコツコツと高いヒールの足音と、石化した絨毯の毛先が踏みにじられて割れるパキパキという音が響いてくる。
苦悶の表情を浮かべて見上げるローブの男。その視界の中に、煙の奥から平然とした顔で、シュメルヴィが現れた。
「な、なじぇ……」
縺(もつ)れる舌、震える声でそう問いかけるローブの男を、シュメルヴィは憐れむ様な目で見下ろす。
「そう、分からないんだ? それじゃぁ勝てないわねぇ」
充満してくる石化ブレスに対して、シュメルヴィは無詠唱で、神経系の初(・)歩(・)魔(・)法(・)麻痺雲(スタンクラウド)を使用したのだ。
初歩魔法とは言っても、膨大な魔力を持つシュメルヴィ。
その身体を中心に大規模に発生した麻痺雲(スタンクラウド)は、石化ブレスの煙を押し戻し、コカトリスよりも更に後ろへと押し出しながら、部屋中へと充満して行った。
そして遂には、コカトリスとローブの男の肺のにまで到達し、その身体を麻痺させたのだ。
今にも男の命の灯(ともしび)は消えようとしている。
その灯(ともしび)を吹き消すかのごとく、大きな溜息をついて、シュメルヴィは領主の部屋を後にした。
後ろ手に扉を閉じると、シュメルヴィはミリアを追って廊下を走リはじめる。
走りながら、再び認識阻害の魔法を纏(まと)い、4階から3階へと続く階段へとたどり着くと、一気に駆け下りていく。
そして、踊り場に差し掛かった時、シュメルヴィは、そこに転がる2つの死体を見つけた。
『剽軽』そして『若造』。
『剽軽』は首を掻き切られ、『若造』は額を一突き。
ミリアと共に逃げたはずの二人が、物言わぬ姿でそこに横たわっていたのだ。
一気にシュメルヴィの顔から血の気が引いていく。
激しく狼狽しながら、キョロキョロと周囲を見回す。
「ミリアちゃん! 何処?! 返事をして!」
しかしその呼びかけに、返事が返ってくることは無かった。