「……口程にも無い男だったな」

装飾過多とも思えるほど、豪奢な部屋。

その一隅に置かれた、成金趣味としか言いようの無い派手派手しい椅子。

そこに腰かけた、黒いローブの男が、無感情に呟いた。

死蝋(しろう)の様に青白い頬、精気のない瞳。

顔立ちは二十代そこそこだというのに、その声はしわがれ、ひび割れている。

男の名はマフムード。

禁術に手を染めた死霊術師(ネクロマンサー)である。

つい今しがたまで、彼の意識は幻影として、遠く砂漠の国の千年宮(ミレニオ)にあった。

裁判へと向かう皇王パルミドルを暗殺すべく、手下のゴーレムと共に襲撃を試みたのだが、残念ながらそれは為し得なかった。

突如現れた、三人の幼女によって、手下のゴーレムがあっさりと駆逐されてしまったのだ。

ただ、マフムード自身、彼女達が現れる事を、予測しなかった訳では無い。

彼女達が、かつては皇家の守護者として祀(まつ)られていた人為らざる者である事も、もちろん知っている。

だが、これまでの彼女達の策謀の痕跡を追えば追うほどに、マフムードと同じ方向を目指している様に、思えていたのだ。

それだけに問答無用で敵対してきた事、そこに僅かではあるが意外な思いを抱いている。

「ふむ、やはり、幾ら力を与えたところで、ゴーレムでは太刀打ちできぬか……」

本来ならば、彼女達が幻影の痕跡を追って、マフムードの元へと来ることを警戒せねばならないところであるが、おそらくそれはない。

マフムードが今いるここへは、距離が有り過ぎるのだ。

砂漠の国エスカリス・ミーミルの北辺と国境を隣する大国『ハイランド』。

今、マフムードは、国境を越え、大陸公路を遥かに北上した先にある、この国の首都『サン・トガン』にいた。

マフムードが砂漠の国を発ったのは、一か月程前、ゲルギオスによるサラトガの襲撃の翌日のことである。

以来、マフムードは後を弟子達とゴーレム達に任せ、時折、幻影を飛ばして、策謀を遂行してきたのだ。

ボズムスが倒れたことで、砂漠に置いてきた有効な手駒は、残り二つ。

アスモダイモス伯に模したゴーレムと、彼自身が最も寵愛する弟子である。

『無貌(フェイスレス)』の二つ名を持つ愛弟子は、既に砂漠の国の中枢に食い込んで、マフムードの指示を待っている。

マフムードの策略は綻びが生じてはいるが、まだ破綻をきたした訳では無いのだ。

それどころか最後の鍵は、ほぼマフムードの手中にある。

思考を巡らせるマフムードの耳に、扉をノックする音が届く。

「どうぞ」

扉をゆっくりと押し開けて入って来たのは、豪奢なガウンを羽織った、中年の男性。

中肉中背という言葉がピタリと当てはまる様な、特徴の乏しい男だ。

その男が、焦点の合わない目を宙へと泳がせながら、マフムードに告げる。

「陛下に謁見する手筈が、整いました」

マフムードは小さく頷くと、音も無く立ち上がり、男の後をついて部屋を出た。

◇◆  ◇◆

「怪しいな……」

数ザール前を歩いていく、黒いローブ姿の男。

その背を睨みながら、青年は呟いた。

青年は、この国の王太子。

名をハイドラ・カースレイクと言う。

短く刈り込んだ髪は、燃える様な赤毛。目つきは優しげで、鼻は高く、全体的に整った容貌の持ち主である。

「そうですね」

頷いたのは、彼と肩を並べて歩いている女性。

髪の色はやや黒みがかった赤、漆黒の軽装鎧(ライトアーマー)に身を包んだ、二十歳を少し超えたぐらいの美しい女性であった。

名をヒルデハイドと言う。

二人はネーデルとの国境から、帰還したばかり。

現在この国は、永久凍土の国、そしてネーデルとの、三つ巴の戦争の真っ最中である。

先日の事である。

ネーデル軍が戦線を大きく後退させ、突如、講和を求めてきた。

そのため、現地で指揮を執っていた王太子ハイドラは、二人の副官のうち、ヒルデハイドを伴って帰国し、父であるハイランド王に判断を仰ぎに来たのだ。

そして、謁見の間へと向かう途上、貴賓室の扉が開くところに出くわしたのである。

貴賓室から先に出て来たのは、宰相クロイデル。

そしてその後を追って、黒いローブの男が、部屋から出てくるのが見えた。

「ヒルデハイド卿、外国からの来客などと、聞いているか?」

その問いかけに、ヒルデハイドは小さく首を振る。

「いえ、存じ上げませぬ。他国の使者が参っておるならば、殿下のお耳に入らない筈がございませんが?」

「いや、私は全く聞いていない」

「では、陛下御自ら、何らか秘密裏に手をまわしておられる、という事なのでしょう」

「父上が……?」

ハイドラの表情が、急に渋いものになる。

彼の眼から見ても父――ハイランド王は、詐術や策略というものとは、あまりにも縁遠い存在である。

もっとはっきり言ってしまうと、外交音痴であった。

此度(こたび)の戦争も、避けるチャンスならば幾らでもあった。

ましてや、ネーデルと永久凍土の国、その両方を一度に相手をせねばならぬ様な状況に陥ったのは、偏(ひとえ)に、ハイランド王の外交センスの欠如が、全ての原因だと言って良かった。

「気になられますか?」

「ああ、非常に気になる。仮に父上が、本当に何らかの策を弄しておられたとしても、まず間違いなく失敗する。そしてその尻拭いをするのは、私なのだ」

苦虫を噛み潰した様なハイドラの様子に、ヒルデハイドは思わず頬を緩める。

「わかりました。殿下が口を出せば、陛下との間に軋轢(あつれき)を生みかねません。私の方で少し調べてみましょう」

「頼めるか?」

「お任せください」

ヒルデハイドはニコリと微笑むと、そのまま廊下に落ちる窓枠の影へと、音も無く沈み込んでいった。

◇◆  ◇◆

王太子ハイドラの部屋を、ヒルデハイドが訪れたのは、既に正子(しょうし)を少し回った頃の事であった。

誰もが寝静まった静寂の闇。

部屋の一角に気配を感じて、王太子ハイドラは寝台(ベッド)の上で身を起こした。

「ヒルデハイド卿、貴公か?」

「はい、殿下。夜分に恐れ入ります」

「かまわん」

部屋の隅に蟠(わだかま)る一隅の闇。そこに女性らしいシルエットが見えた。

「で、どうだった」

「はい、特に何ら問題はございませんでした。あの黒いローブの男は、商人でございました。幾らか陛下へ献上の品を持参して、商活動の便宜をお願いしに参っておった様でございます」

その返答に、ハイドラは眉根を寄せる。

「……悠長なものだな」

「左様で」

この部屋がもう少し明るかったならば、そして、この英明な王太子であれば、きっと気付いた事だろう。

闇の中で王太子を見つめる漆黒の剣姫ヒルデハイドの、その瞳の奥で渦巻いている怪しい光に。