Mobile Fortress Saratoga ~Silvery Sword Princess Became My Servant.
Lesson 101.5: Fetal ruin
「……口程にも無い男だったな」
装飾過多とも思えるほど、豪奢な部屋。
その一隅に置かれた、成金趣味としか言いようの無い派手派手しい椅子。
そこに腰かけた、黒いローブの男が、無感情に呟いた。
死蝋(しろう)の様に青白い頬、精気のない瞳。
顔立ちは二十代そこそこだというのに、その声はしわがれ、ひび割れている。
男の名はマフムード。
禁術に手を染めた死霊術師(ネクロマンサー)である。
つい今しがたまで、彼の意識は幻影として、遠く砂漠の国の千年宮(ミレニオ)にあった。
裁判へと向かう皇王パルミドルを暗殺すべく、手下のゴーレムと共に襲撃を試みたのだが、残念ながらそれは為し得なかった。
突如現れた、三人の幼女によって、手下のゴーレムがあっさりと駆逐されてしまったのだ。
ただ、マフムード自身、彼女達が現れる事を、予測しなかった訳では無い。
彼女達が、かつては皇家の守護者として祀(まつ)られていた人為らざる者である事も、もちろん知っている。
だが、これまでの彼女達の策謀の痕跡を追えば追うほどに、マフムードと同じ方向を目指している様に、思えていたのだ。
それだけに問答無用で敵対してきた事、そこに僅かではあるが意外な思いを抱いている。
「ふむ、やはり、幾ら力を与えたところで、ゴーレムでは太刀打ちできぬか……」
本来ならば、彼女達が幻影の痕跡を追って、マフムードの元へと来ることを警戒せねばならないところであるが、おそらくそれはない。
マフムードが今いるここへは、距離が有り過ぎるのだ。
砂漠の国エスカリス・ミーミルの北辺と国境を隣する大国『ハイランド』。
今、マフムードは、国境を越え、大陸公路を遥かに北上した先にある、この国の首都『サン・トガン』にいた。
マフムードが砂漠の国を発ったのは、一か月程前、ゲルギオスによるサラトガの襲撃の翌日のことである。
以来、マフムードは後を弟子達とゴーレム達に任せ、時折、幻影を飛ばして、策謀を遂行してきたのだ。
ボズムスが倒れたことで、砂漠に置いてきた有効な手駒は、残り二つ。
アスモダイモス伯に模したゴーレムと、彼自身が最も寵愛する弟子である。
『無貌(フェイスレス)』の二つ名を持つ愛弟子は、既に砂漠の国の中枢に食い込んで、マフムードの指示を待っている。
マフムードの策略は綻びが生じてはいるが、まだ破綻をきたした訳では無いのだ。
それどころか最後の鍵は、ほぼマフムードの手中にある。
思考を巡らせるマフムードの耳に、扉をノックする音が届く。
「どうぞ」
扉をゆっくりと押し開けて入って来たのは、豪奢なガウンを羽織った、中年の男性。
中肉中背という言葉がピタリと当てはまる様な、特徴の乏しい男だ。
その男が、焦点の合わない目を宙へと泳がせながら、マフムードに告げる。
「陛下に謁見する手筈が、整いました」
マフムードは小さく頷くと、音も無く立ち上がり、男の後をついて部屋を出た。
◇◆ ◇◆
「怪しいな……」
数ザール前を歩いていく、黒いローブ姿の男。
その背を睨みながら、青年は呟いた。
青年は、この国の王太子。
名をハイドラ・カースレイクと言う。
短く刈り込んだ髪は、燃える様な赤毛。目つきは優しげで、鼻は高く、全体的に整った容貌の持ち主である。
「そうですね」
頷いたのは、彼と肩を並べて歩いている女性。
髪の色はやや黒みがかった赤、漆黒の軽装鎧(ライトアーマー)に身を包んだ、二十歳を少し超えたぐらいの美しい女性であった。
名をヒルデハイドと言う。
二人はネーデルとの国境から、帰還したばかり。
現在この国は、永久凍土の国、そしてネーデルとの、三つ巴の戦争の真っ最中である。
先日の事である。
ネーデル軍が戦線を大きく後退させ、突如、講和を求めてきた。
そのため、現地で指揮を執っていた王太子ハイドラは、二人の副官のうち、ヒルデハイドを伴って帰国し、父であるハイランド王に判断を仰ぎに来たのだ。
そして、謁見の間へと向かう途上、貴賓室の扉が開くところに出くわしたのである。
貴賓室から先に出て来たのは、宰相クロイデル。
そしてその後を追って、黒いローブの男が、部屋から出てくるのが見えた。
「ヒルデハイド卿、外国からの来客などと、聞いているか?」
その問いかけに、ヒルデハイドは小さく首を振る。
「いえ、存じ上げませぬ。他国の使者が参っておるならば、殿下のお耳に入らない筈がございませんが?」
「いや、私は全く聞いていない」
「では、陛下御自ら、何らか秘密裏に手をまわしておられる、という事なのでしょう」
「父上が……?」
ハイドラの表情が、急に渋いものになる。
彼の眼から見ても父――ハイランド王は、詐術や策略というものとは、あまりにも縁遠い存在である。
もっとはっきり言ってしまうと、外交音痴であった。
此度(こたび)の戦争も、避けるチャンスならば幾らでもあった。
ましてや、ネーデルと永久凍土の国、その両方を一度に相手をせねばならぬ様な状況に陥ったのは、偏(ひとえ)に、ハイランド王の外交センスの欠如が、全ての原因だと言って良かった。
「気になられますか?」
「ああ、非常に気になる。仮に父上が、本当に何らかの策を弄しておられたとしても、まず間違いなく失敗する。そしてその尻拭いをするのは、私なのだ」
苦虫を噛み潰した様なハイドラの様子に、ヒルデハイドは思わず頬を緩める。
「わかりました。殿下が口を出せば、陛下との間に軋轢(あつれき)を生みかねません。私の方で少し調べてみましょう」
「頼めるか?」
「お任せください」
ヒルデハイドはニコリと微笑むと、そのまま廊下に落ちる窓枠の影へと、音も無く沈み込んでいった。
◇◆ ◇◆
王太子ハイドラの部屋を、ヒルデハイドが訪れたのは、既に正子(しょうし)を少し回った頃の事であった。
誰もが寝静まった静寂の闇。
部屋の一角に気配を感じて、王太子ハイドラは寝台(ベッド)の上で身を起こした。
「ヒルデハイド卿、貴公か?」
「はい、殿下。夜分に恐れ入ります」
「かまわん」
部屋の隅に蟠(わだかま)る一隅の闇。そこに女性らしいシルエットが見えた。
「で、どうだった」
「はい、特に何ら問題はございませんでした。あの黒いローブの男は、商人でございました。幾らか陛下へ献上の品を持参して、商活動の便宜をお願いしに参っておった様でございます」
その返答に、ハイドラは眉根を寄せる。
「……悠長なものだな」
「左様で」
この部屋がもう少し明るかったならば、そして、この英明な王太子であれば、きっと気付いた事だろう。
闇の中で王太子を見つめる漆黒の剣姫ヒルデハイドの、その瞳の奥で渦巻いている怪しい光に。