Mobile Fortress Saratoga ~Silvery Sword Princess Became My Servant.
Episode 144: They're numbing something.
いつもと何一つ変わらぬ昼下がり。
わずか2ザール程の高さしかない、古びた石垣の上から砂漠の方へと目を向けて、衛兵隊長は大きな欠伸(あくび)を掻いた。
エスカリス=ミーミル第二の都市ベルゲン。
海岸線に沿う様に東西3ファルサング(約18キロメートル)程も続くこの細長い町は、首都は疎(おろ)か、どのオアシスからも遠く離れている。
北、西、東の三方は見渡す限りの砂の海。
首都からは機動城砦の速度を持ってしても、二か月近くの時間を要し、南側はというと、果ての見えない青い海が広がる、隔絶された町。
文字通りの陸の孤島であった。
そんな立地であるが故に、衛兵達に緊張感が無いのも当然。
警戒しようにも、闘う相手が居ないのだ。
衛兵達の日々の仕事といえば、精々が迷い込んでくる砂狼(サンドヴォルフ)や突撃亀(ラッシュタートル)を、大きな音を立てて追い払うという程度のもの。
執政官に付き従って首都から赴任してきたこの衛兵隊長も、三年を超える月日の内に、剛勇で鳴らした筈の槍の腕もすっかり錆びついて、今となっては、槍よりもむしろ銅鑼(ドラ)の扱いの方が長けているという有様(ありさま)である。
この町を取り囲む城壁にしてもそうだ。
必要がなければ、修理、修繕、増築、改築、全てが後回しにされるのは当然のことで、結局、この国第二の都市を謳(うた)いながらも、この町を取り囲んでいるのは、城壁というのも烏滸(おこ)がましい、海辺に転がる丸みを帯びた石を乱積みした、しょぼくれた石垣でしかない。
衛兵隊長は二度目の欠伸(あくび)を噛み殺しながら、酔っ払いのような半眼で、あらためて城壁の内側を見下ろす。
そこには、木陰で居眠りする部下達の姿。
凡(おおよ)そ訓練された兵士達とは思えない程に、だらけきった男達の姿があった。
しかし、彼にそれを咎(とが)めるつもりは無い。
緊張感が無いのは今に始まった事ではないが、軒並み部下たちが居眠りしているのは、何も理由の無い事では無いからだ。
実はこの町では今、ちょっとした騒動が起こっている。
ここ数日、毎晩、朝方まで衛兵全員が駆り出され、今は皆、昼飯直後の眠気に耐えかねて、意識を遠ざけてしまっているのだ。
上から命令する方は気軽なもので、貴族上がりの執政官ともなれば、兵士達にも睡眠が必要な事になど思い至りもしない。
「はぁ」と小さく溜息を吐いて、城壁の上に胡坐(あぐら)を掻けば、彼の内側で蟠(わだかま)っている強い眠気が、更に頭を擡(もた)げはじめる。
俺もこのまま少し眠ってしまおうか……。
衛兵隊長が意識の片隅でそう考えた途端、物見櫓(ウォッチタワー)の方から、警鐘を打ち鳴らす音が、唐突に響き渡った。
「お、おおっ! 何事だッ?!」
寝ぼけ頭を蹴り飛ばされたかの様に跳ね起きると、衛兵隊長は支給品の短袴(半ズボン)から伸びる汗ばんだ腿(もも)、そこにくっついた砂利を払い落しながら大きく声を上げる。
「北の方から、何か近づいて来ます!」
物見櫓(ウォッチタワー)から降ってきたその言葉に、思わず息を呑む。
近づいて来る物。そう言われれば、心当たりが全く無い訳では無い。
――機動城砦ペリクレス。
それは一か月以上も前のこと。
その機動城砦を強奪した賊が、首都から南へと向けて逃亡したという情報は、彼らの耳にも入っている。
しかし、それを聞いたところで、彼らは全く他所事(よそごと)としか思っては居なかった。
まさかこんな地の果てまで逃げて来るなどとは、到底信じては居なかったのだ。
「オイオイ、冗談だろ……」
ただ、実際に何かが近づいて来るとなれば、それ以外には考えにくい。
慌てて部下へと指示を出そうとするが、彼が指示するまでも無く、衛兵達が城門の方へと駆けていくのが見えた。
凡(おおよ)そ隊列もなにもあったものではなく、ただ三々五々と、雰囲気としては兵士の挙動と言うよりは、野次馬のそれに近い。
衛兵隊長は部下達の変わり身の早さに呆れながら、自分自身も城壁の外へと飛び降りて、屯(たむろ)する部下達へと駆け寄る。
「見えるか?」
「はい、あっちの方角に……」
部下が指さす方向へと目を凝らす。
真っ直ぐ北の方向、陽炎の向こう側に砂煙が立ち昇っているのが、確かに見えた。
だが、
「ん……んっ?」
想像したのとは、ずいぶん異なる光景に、衛兵隊長は思わず眉根を寄せる。
機動城砦にしては、立ち昇る砂煙の規模が、やけに小さい。
いや、小さすぎる。
はじめは距離のせいかとも思ったが、どう見てもあの砂煙は、機動城砦のそれではない。
「あれは何だ!」
衛兵隊長は物見櫓(ウォッチタワー)の方へ、振り返ると大きく声を上げた。
「荷車の様です!」
そう思って見てみれば、陽炎の向こう側で揺らぐ、そのシルエットは2頭立ての小さな荷車である様に思える。
「……脅かしやがって」
衛兵隊長は思わず、肩に入っていた力を緩め、大きく息を吐く。
しかし次の瞬間には、その荷車が何処(どこ)から来たのかという疑問にぶつかって、表情が訝(いぶか)しげなものへと変わった。
それもその筈、仮に最も近くのオアシスから来たのだとしても、そんな小さな荷車で走破して来れる様な距離では無い。
そんな事をすれば途中で食糧は枯渇、飲料は不足し、最後は砂の上で骸(むくろ)を風に吹かれる事になるだろう。
二頭立ての小型の荷車、御者台には白いフードを被(かぶ)った小柄な男が手綱を握って座っている。
はっきりと視認できる程に近づいてきたところで、衛兵隊長はその荷車へと、大きく声をはり上げた。
「止まれッ! 止まれぇ!」
御者台の男が小さく頷くと、荷車は徐々に速度を落し、ゆっくりと衛兵達が待ち受ける城門の手前で停止する。
「何者だ!」
衛兵隊長が荷車へと歩み寄ると、御者台の上の白いフードを被った男が、ちらりと目を向ける。
まだどこか、あどけなさを残した少年の顔。
しかし、衛兵隊長はそ少年の容姿を見た途端、あからさまに顔を顰(しか)めた。
「地虫(バグ)……か?」
少年の目の色は木炭のような黒。
彼自身、地虫(バグ)に遭遇したのは初めてだが、野蛮な連中だとは聞き及んでいる。
「地虫(バグ)風情(ふぜい)がこんなところに、何の用だ! 食い物でも恵んでもらいに来たか!」
思わず不快げに声を荒げる衛兵長。
しかし、その問いに応えたのは、地虫(バグ)の少年では無かった。
「保護を求めます! ボクらはペリクレスから脱出してきた者です」
その声は荷車の幌、その内側から響いてきた。
若い女性の声。衛兵達が声のした方へと目を向けると、幌をたくし上げて出て来た二人の少女が、ぴょんと砂の上へと降り立った。
この最果ての町では、まずお目にかかる事のない服装。
家政婦(メイド)服を来た二人の少女。
片方は典型的なエスカリスミーミル人といった風貌。
短い髪にヘッドドレス、快活そうではあるが、軽く微笑んだ目元は優しげにみえる。
もう一人は色白、むしろ地虫(バグ)に近い様にも見えるが、ちゃんと目の色は赤い。前髪をパツンと切り揃えて、少し大人しそうに見える。
だが、その雰囲気とは裏腹に、立ち姿はやけに蟹股気味で、口にくわえた爪楊枝をいじりながらシーハー言っているあたりが、大きくその魅力を削いでいた。
「ボクらは保護を求めて此処まで来ました! お願いします。助けてください!」
ぐるりと辺りを見回した後、髪の短い少女はあらためて衛兵隊長へと、縋(すが)りつく様にして訴えかけた。
衛兵隊長にしてみれば、自分の娘程の年齢の少女に縋(すが)られては、乱暴な扱いも出来ない。
「お、落ち着きなさい。機動城砦が奪取されたという情報は、こちらでも一応掴んではいるのだ」
「じゃあ……」
少女の表情が明るいものになりかけたところを、衛兵隊長が遮る。
「まあ、待ちなさい。ペリクレスを奪った賊は、恐ろしい魔法を使うという話ではないか。君達のような女の子と……そこの地虫(バグ)で、どうやってそんな連中から逃げおおせたと言うのだ?」
「理由はわかりませんが、突然ペリクレスが停止したので、その隙に……。それと、実は私達だけじゃないんです。……ある方のお力をお借りしたんです」
「ある方?」
少女は荷車の幌の方へと意味ありげに、ちらりと目を向ける。
「まだ、誰か乗っているのか?」
衛兵隊長は荷車の方へと近づいて、幌の奥を覗き込み、そして……
思わず息を呑んだ。
砂漠を渡って来たとは思えないひんやりとした空気が洩れる。
幌の奥、布地の隙間から漏れる陽光に、淡く照らしだされる銀色の髪。
薄い闇の中に浮かび上がる真っ白な肌、物憂げな蒼い瞳と目が合った途端に、衛兵隊長は自分の身体が強張っていくのを感じた。
「噂にぐらい聞いた事ありませんか? 銀嶺の剣姫様です」
「あ、ああ噂には……な。し、しかし、彼女はサラトガの食客だったと記憶しているが?」
顔を強張らせる衛兵隊長を楽しげに見やって、短髪の少女は答える。
「よくご存知ですね。確かにそうなんですけど、剣姫様は、所要でたまたまペリクレスを訪れておられたんです」
「ふむ、しかし剣姫殿が噂通り当代最強なのであれば、こんなところにまで逃げてくるまでもなく、賊を全滅させるぐらいの事は出来たんじゃないのか?」
衛兵隊長がそう思うのも仕方が無い事で、銀嶺の剣姫に纏(まつ)わる噂といえば、サラトガ領主の後継争いにおいて、う(・)っ(・)か(・)り(・)サラトガそのものを沈ませそうになったというものだ。それも一撃で。
短髪の少女は苦笑すると、地虫(バグ)の方へと、ちらりと意味ありげな視線を投げる。
「いえ、ペリクレスを占拠した魔(・)王(・)というのがですね。ボクは見てはいないんですけど、実際見た人の話によると、目が三つに腕が六本、黒い目に紫色の肌をした、すっごい強い化物らしいんです」
「なに!? 賊は人間では無いのか?!」
「そうみたいです。しかも、どうしようもない女ったらしな癖に、鈍感で、優柔不断な朴念仁なんだそうです」
「ん、んんっ???」
朴念仁?
衛兵隊長が何か変なものでも飲み込んだ様な表情になるのも気に掛けず、少女は話を続ける。
「あと、なんかヌメヌメしてるそうです」
「うわぁ……それは最低だな」
衛兵隊長が嫌そうに顔を顰めるその背後で、地虫(バグ)の少年が、何故かぷるぷるしていた。
「ええ、最低でしょ。だからいくら剣姫様が強いといっても、流石にそんなのは相手にしたくないじゃないですか」
「そ、それはそうだな」
衛兵隊長が思わず首肯すると、短髪の少女は身を乗り出す様にして言った。
「でしょ! でしょ! 剣姫様には、もっと他にいい相手がいると思うんですよね。ほら、剣姫様にふさわしい! もっと釣り合いの取れる様な!」
少女が何をそんなに強く主張しているのかは分からないが、衛兵隊長は幌の奥に刺す様な殺気を感じてそちらの方へと目を向ける。
銀嶺の剣姫の蒼い瞳が、何か言いたげに、短髪の少女を睨んでいるのが見えた。
尚、この時、御者台の上では地虫(バグ)の少年が、顔を蒼ざめさせていたが、それには気付いていない。
「ともかく、そんな訳わかんないのと、情報もなく闘うのは得策じゃありませんから、まずは脱出してきたという訳です」
「で、では、ペリクレスはこちらに来るのか?」
衛兵隊長はなんとか気を取り直して、気になっている事を尋ねた。
「それは分かりません。が、もしそうなった時に銀嶺の剣姫様がいらっしゃるのといらっしゃらないのでは、大きく状況が違うのはわかりますよね?」
話の筋としては通っている。
それにペリクレスのことだけではない。
現在この町で起こっている騒動についても、協力を求められるのだとすれば、渡りに舟だとも思えた。
「わ、わかった。執政官殿に、お伺いを立ててくるから、ここでしばらく待っていてくれ」
「ありがとうございます!」
髪の短い家政婦(メイド)の少女は、にこりと微笑んだ。
あらためて見てみれば、その隣のもう一人の少女は、退屈そうな表情でスカートの裾を捲り上げてパタパタと顔を仰ぎ、その下から覗くドロワーズが、兵士達の視線を釘付けにしている。
幌の奥の銀嶺の剣姫は、何がそんなに気に食わないのか、むっつりとした表情で髪の短い少女を睨みつけたまま。
暑さのせいか、御者台の上の地虫(バグ)は力尽きたように、突っ伏したままであった。
「そういえば、そいつは地虫(バグ)じゃないのか?」
衛兵隊長はあらためて地虫(バグ)の存在に思い立って、短髪の少女にそう尋ねた。
「まあ、そういう呼び方をする人も居ますね」
すこしムッとしたような表情で少女は応える。
「大丈夫なのか?」
「何がです?」
「地虫は野蛮だと聞いている」
「ああ、そういうこと。ナナちゃんなら問題ないですよ」
「ナナちゃん?」
思わず聞き返した衛兵隊長へ、短髪の少女は、少し恥ずかしそうに身を捩(よじ)るとこう言った。
「うふっ、ボクの彼氏なんです」
その瞬間、突然幌の内側から突き出した巨大な氷柱が、荷車を爆散させた。