Muyoku no Seijo wa Okane ni Tokimeku

Talk to me, Brother Leo - The Cartographer - (after)

それから数時間の間に起こったことは、すべてマルセルの想定の範囲外であった。

レオは、裏庭に大きな古布を持ってきて、汚された窓ガラスをその上に並べると――先に汚された二枚も、納屋にしまってあったらしい――、孤児院連中に声を掛け、集合させた。

そして、院中から金槌や木槌を集めてくると、それを彼らに配り、次々にガラスに向かって投げさせたのだ。

「よーしみんな、声出してこーぜー!」

「おー!」

最初は何が何だかわかっていなかったらしい孤児メンバーも、「とにかくガラスを割りまくればいいらしい」という趣旨を理解すると、こぞって乗り気になって、熱狂しながら金槌を投げはじめた。

好きなだけ壊していいだなんて、お祭りのときだってない話だ。

「うおおおおお! 一球入魂!」

「おおっ、一気に砕けた! 十点!」

「今やガラスを切り裂かん! 雷(いかずち)の精霊よ、我に力を!」

「セリフも方角もイッちまってんなあ! 三点!」

ノリのよいハンナ孤児院の子どもたちが、きゃあきゃあ言ってガラスを割りまくるのを、マルセルはただ茫然と見守る。

そうしている内に、ペンキにまみれたガラスはあっという間に大小さまざまな破片になった。

次にレオは、その破片を色ごとに仕分けし、大きすぎるものは金槌を使って砕き、鋭すぎるものはやすりを使って研磨しだした。

やがて、彼の前には、色とりどりのガラス片が、きれいなグラデーションを描きながら山をなしはじめたのである。

そうして、彼が「これ、設計図だから!」と言って突き出してきた小さな黒板を見て、マルセルは目を丸くする。

いびつな破片が集まって、大空に輝く日輪を描き出す、それは――

「……ステンド、グラス?」

教会にはまっていてもおかしくないような、ステンドグラスのデザインに違いなかった。

「おう。光の精霊のシンボルをテーマに取り入れてるんだ。これで思いっきり教会に媚び売ってやんぜ!」

はっはっは、と陽気に笑うレオに、マルセルはただ目を丸くしてしまう。

(ステンドグラスを、つくるの?)

汚されたガラスで?

精霊に捧げる、聖なる装飾品を?

「そんなことって……」

「なあに、光の透過性がどうかなーと気になってたんだけど、このペンキがすげえ安物でさー、水っぽいっつーか、全然遮光性ないんだわ。だから、べったりペンキを塗られたガラスでも、大丈夫! ばっちり!」

「いや、そうでなくて……」

「あ、ハンダづけ? 大丈夫、俺プロ並みだから!」

でも、おまえにもちょっとやらせてやるよ、とにこにこ答える相手との、あまりの会話の噛み合わなさに、マルセルは脱力感を覚えた。

「そうじゃなくて……」

ぼそぼそと呟きながら、同時に、脳裏では納得が広がっていく。

こんな程度では足りない、というレオの言葉。

それに呆れた視線を寄越していたブルーノ。

彼らは窓を汚された初回から、ステンドグラスを作ろうと企んでいたのだ。

うきうきとガラス片を並べ始めたレオに、マルセルはもはや何も言えなくなって、たまたま近くにやってきたアンネやエミーリオに、ぽつんと尋ねた。

「――……みんな、さいしょから、計画してたの?」

「ん? なにが?」

「ステンドグラス」

ぼそっと答えると、エミーリオたちは「んー」と首を傾げた。

「レオ兄ちゃんがなにかしようとしてたのは、知ってたけど。ステンドグラスとは思わなかったよ。ねえ、アンネ?」

「あら、私は気付いてたわよ。最近レオ兄ちゃん、『なんとか教会からのお布施無心を回避する方法はねえか……』ってぶつぶつ言ってたから。あと、ダミアンってやつの父親の商売も調べ上げて、役所に通ってたし」

「え、なんで――……あ、そういうこと!?」

たったそれだけの説明で、エミーリオはぴんと閃くものがあったらしい。

その後も彼らは、「さすがだなあ。そこまで目論んでたのかあ」とか「そりゃレオ兄ちゃんは一石三鳥がモットーだもの」だとか話していたが、呆然としているマルセルに気付くと、ぐりぐりと頭を撫でてきた。

「そっかそっか、マルセルは、こういうレオ兄ちゃんの姿見るの、初めてだもんね。ちょっと、理解が追っつかないよね」

「レオ兄ちゃんはさ、べつにブルーノ兄ちゃんみたいに拳で敵をぶちのめしてくれるわけじゃないけど、ちゃーんと、私たちのこと考えて、反撃してくれるのよ」

「うん。レオ兄ちゃんに任せとけば、たいていのことはうまくいくからさ」

だから、もう大丈夫だよ。

そう告げられて、マルセルはただ目を見開いた。

ちゃんと、考えて、反撃してくれる?

大丈夫?

「ど、どういう、いみ……?」

反撃、というのがよくわからない。

そりゃあ、ダメにされた窓ガラスでステンドグラスを作ろうというのは楽しい思いつきかもしれないが――そして、少なからず、マルセルの罪悪感を軽くしてくれたが――、なぜそれが、反撃ということになるのか。

戸惑っていると、アンネがお姉さんぶった様子で、ぴっと人差し指を立てた。

「いーい、マルセル? 今回窓が汚された時、レオ兄ちゃんが取った行動を思い出してみて?」

「え……」

マルセルは思わぬ質問に目を白黒させながら、必死に記憶を呼び起こす。

そんな大したことはしていないはずだ。

役人から事故証明書をもらって、汚れた窓を取っておいて、今、破片にしている。

(あ、でも、窓が入れかわったとき、ほこらしそうな顔してたから……かえる手配とかも、してくれたのかな?)

改めて思い返すと、そんな気もした。

そういえば、あの新品の窓は、どうやって手配してきたのだろう。貧乏な孤児院の予算で、それも、二回も。

「ええと……ええと……」

答えを探しあぐねていると、せっかちなアンネが、痺れを切らしたように「だからね」と解説を始めた。

「あのね、今回の犯人のダミアンの父親って、なんの商売をしてるか知ってる?」

「え? ええと……たしか、ゆうふくな商人で、だから、いろいろ……」

「そう。その『いろいろ』の中には、保険ビジネスっていうのも含まれるの」

「ほけん?」

耳慣れない言葉に首を傾げると、エミーリオが「大切なもののために、ちょっとずつお金を払っておけば、その大切なものが壊されたりしたときに、見舞い金がもらえるっていうやつだよ」と補足してくれた。

「最近できたばっかりのビジネスなんだけどね、レオ兄ちゃん、窓ガラスは高級だし、この辺りは治安も悪いからって言って、ちょっと小金を稼いだ時に窓を保険に掛けてたわけ」

「そうなんだ……」

まさか一介の孤児が、そんな新しい商売に目をつけて、手を出していたとは。

ただのケチじゃなかったんだ、と素直に頷きかけて、マルセルはふと目を丸くした。

ようやく、話が見えたのだ。

「もしかして……新しい窓って、それで……?」

「そ。三回までは、窓が壊されても、無償で新品に取り換えてくれるの。つまりダミアンのやつは、窓を壊すたびに、自分ちの家業を圧迫してたってわけ。別に、目玉が飛び出す被害額じゃあないけど、そこそこよ。あいつ、父親に相当絞られるんじゃないかしら」

「ま、請求するには、役人の出す事故証明書が必要だったりして、こっちもけっこう大変なんだけどね」

だから、罵られようがずさんな扱いを受けようが、証明書だけをもぎ取ってきていた、というわけだ。

更に、レオの目論見はそれだけではない。

原価ゼロでステンドグラスを作った暁には、それを教会に「寄付」しようというのだ。

プロの作るものに比べれば、もちろんクオリティは落ちるものの、間違いなくガラスを使った品で、しかも「貧乏な子どもたちが、生活よりも信仰を優先して一生懸命つくった」、涙を誘う一品だ。

「これで、数年分のお布施を上回る寄付をしたことになる、ってわけ! あの導師、ちょっとお布施が少なくなると、すぐ子どもを合唱団に入れてツケを負わせようとするけど、そうはさせないっての!」

アンネが得意げに言い切るのを聞いて、マルセルは今度こそ愕然とした。

汚された窓ガラスで聖なる装飾品を作るだけでなく、その実質的費用負担を加害者(ダミアン)の父親に負わせ、しかも、教会からのお布施無心を回避しようとは。

「ま、それだけやってもムカつくはムカつくから、鉄拳制裁自体も、ブルーノ兄ちゃんにしてもらうんだけどねー」

「役割分担。ねー」

アンネたちはにこにこ笑って、不穏な会話を締めくくった。

「……まさか、そんな……」

言葉を失っていると、人手を欲しているらしいレオが「おーい、手伝ってくれよ」と呑気に呼びかけてきた。

「はーい!」

「じゃ、マルセル。ごめんね!」

上機嫌のアンネたちは、さっさとその場を去ってしまう。

どんな表情をしていいのかわからず、マルセルがその場に立ち尽くしていると、ふと顔を上げたレオが声を掛けてきた。

「お、マルセルー! こっちこっち、ちょっと来てみー!」

無邪気に手を振られる。

「…………」

なにかを考える前に、足が動き出していた。

見れば、古布の上には、色とりどりの破片がほとんどきれいに並べ終えられている。

そこに立ち現われたのは、素人目にも美しい、光の精霊の象徴――さんさんと輝く、大きな日輪であった。

みんなが、にこにこしながら、古布の周りにしゃがみこんでいる。

誰もマルセルを責めない。

いや、誰もが、マルセルに向かって、優しい笑みを向けていた。

「な、マルセル。ここの最後のひとかけら、おまえも埋めてみろよ」

「…………」

ほれ、と赤いガラス片を渡されても、マルセルはなにも言えないでいた。

マルセルを追い詰めた、赤い落書き。

それが今、光を跳ね返して、こんなにも美しい。

「…………っ」

「マルセル?」

無言のマルセルを怪訝に思ったらしいレオが、しゃがみ込んだ姿勢から「どうした?」と見上げてくる。

「――……っ、…………あ、の」

言葉が出てこない。

代わりに、目が潤んだ。

なぜ、今涙が出てくるのかがわからない。

ただ、みんなの手を経てつくられたステンドグラスが、涙が出るほどきれいだと、そう思ったのだ。

レオは困ったように頬をかくと、マルセルの腕を引っ張り、「まあまあ座りな」と古布の傍にしゃがませた。

そうして、ぽんぽんと頭を撫でた。

「――あのさあ、マルセル。今回やらかしたダミアンってやつも、俺たちに塩対応した役人もさ、良くも悪くも、『絶対マルセルを傷つけてやろう』って思ってるわけじゃないんだ」

「え……?」

思わず、目を瞬かせる。

話が見えないうえに、ダミアンや役人のそれを、悪意ではないと言い切るレオが、不思議に思えたからだった。

「あいつらはさ、わかんねえんだよ。そんなことされたら、おまえがどんな思いをするか。無関心なんだ。自分のことじゃないからさ」

「…………うん」

「そういうやつらは、残念ながらいっぱいいる。そいつらを、一人ずつ殴り倒してくこともできるよ。でも、俺はそんなことしない。なんでだか、わかるか?」

マルセルは、唇を引き結んで考えた。

最初は、レオが臆病だからなのだと思っていた。

殴られるのが怖くて、面倒くさがりだから、厄介ごとに手を出さないでいるだけなのだと。

でも違う。

きっと――自分では理解の及ばない、深い考えを、この鳶色の瞳の少年は持っているのだ。

たとえば、導師みたいに崇高な平和主義を掲げているからとか、武力ではなく話し合いによって分かり合えると信じているからとか。

「ヒ……ヒーローは、たたかわずして、勝つから……!?」

どきどきしながら答えを口にすると、レオは「あん?」と怪訝そうな顔をした。

「いやいや、普通に手が痛くなるからだよ。俺、痛えの嫌いだもん」

「…………」

マルセルはちょっと遠い目になった。「ソウデスヨネ」と小さく呟く。

そんなマルセルをレオは再び撫でると、

「それにさ」

と言葉を繋いだ。

「ちゃんと自分事にしてやった方が、あいつら、考えるもん。俺たちからしたら、ただの嫌な奴だけど、あいつらだって、自分の仕事とか、家族に対しては一生懸命なわけでさ。人の痛みには無関心でも、自分のせいで家業に損を出したり、やっつけ仕事で出した証明書のせいで商人から恨みを買ったらさ、ちょっとは慌てると思うわけ」

殴られた痛みは他人への恨みしか生まないが、自責の念は、自分を見つめなおす機会をくれる。

だから、そっちの方が、ずっとずっと効果的なのだと、レオは言った。

「あともう一つ。こういうやり方だと、俺たちも得をする! これ、重要な。いいか、マルセル。相手にやり返すまでが反撃じゃねえ。自分が得して幸せになるまでが反撃だ」

忘れんなよ。

そう言ってにかっと笑ったレオは、ほれほれ、とマルセルに破片を嵌め込むよう促した。

「ここ、埋めてみ?」

「…………」

ただ殴られるのを我慢するのではなく。

殴り返すのでもなく。

幸せに、なる。

その言葉は、自分でも気づかないうちにぽっかりと空いていた胸のどこかに、ぴたりと収まった。

小さな手の中で、赤いガラスがきらきらと輝いている。

マルセルは、そっとそれを光にかざすと、ゆっくりと最後の隙間に押し込んだ。

「おー、上手上手。やっぱ、手が小さいと細かい作業がうまいなあ」

誰にでもできる作業だろうに、レオはそんなことを言って褒めてくれる。

恥ずかしくって俯いている、その視界が、涙でゆらりと揺らいだ。

「…………レオにいちゃん」

マルセルは、初めてレオのことを、兄ちゃんと呼んだ。

「たのしいね」

「ん? だろー? 図工ってわくわくするよな! 内職の第一歩だし」

「うん」

楽しい。

きっと、色とりどりのガラスで、大きな日輪を描き出す作業の方が、ガラスを汚したり、人を殴ったりするより、ずっとずっと楽しい。

――見ろよ、マルセルのこんなちっちゃな手で、拳が握れるわけねえだろ?

レオの声がよみがえる。

あれは、けして自分を馬鹿にするための言葉ではなかったのだ。

(この手は、こぶしをにぎるための手なんかじゃない。きれいなものを、生みだす手なんだ)

その時、マルセルは、小さいばかりで弱々しい自らの手を、初めて誇らしいもののように思えた。

「――ねえ、レオ兄ちゃん」

だからマルセルは、その職人の手をきゅっと握りしめ、顔を上げた。

まっすぐにレオを見つめれば、彼は「ん?」と上機嫌に見返してくる。

その視線を受け止めて、マルセルは口を開いた。

「これからも、おしえて。ぼくに、いっぱいいっぱい、いろんなこと、おしえて?」

「おう、任しとき!」

それは、マルセルなりに重大な決意のこもった言葉だったのだが、レオは軽く請け負うと、ぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜてきた。

「早速今度、市場での値切り方を教えてやるよ。明日、一緒に行くか?」

「いく!」

乱された髪が、くすぐったい。マルセルは思わず笑いながら、しかし即答した。

「えー、ずるいー!」

「私たちも一緒よ!」

横で話を聞いていたエミーリオたちが、唇を尖らせながらレオにがばっと抱き着く。

彼はそれを「ちょ、並べたガラス踏むなよ!?」といなし、それから何かを思いついたようにぱっとマルセルに向き直った。

「そうそう、マルセル。俺の指導を仰ぎたくば、一個だけ重要なモットーがあるんだ」

「モットー?」

ことんと首を傾げた新しい弟分に、レオは重々しく頷く。

「ああ。この世のあらゆる学問や事象に横たわる、深遠な真実だ」

そうして、親指でとんとんと胸の辺りを叩くと、

「いいかマルセル、人間、大事なのは『ここ』だ。それだけ忘れんなよ」

と言い切った。

「『ここ』って……ええと、……心臓(ハート)?」

「ばっか、懐だよ懐! 人間の価値は金払いのよさ! 幸せとは金なりってことだ!」

「…………そ……」

マルセルは絶句する。

それってどうなんだろう。

「な?」

しかし、そう笑いかけてくるレオの顔が、あまりに楽しそうで。

その横で輝くステンドグラスが眩しかったものだから。

「そ、そうだね……っ」

マルセルはとりあえず頷いた。

それは、一人の少年が「幸せ」のかけらを小さな手に掴みはじめ、――同時に、盛大に道を踏み外しはじめた日であった。