「アントンさまだけど……今日、刑が執行されるそうよ。デニスさまが赴かれるみたい」

「そう」

刑の執行。それは以前から決まっていた毒杯を賜るということだ。トロイル国王の命を狙ったことから斬首も免れない所だったのを、リアモス王自ら何もなかったことにして欲しいとデニスに懇願が入ったらしい。

その為、リギシアの王にはそのことは知らされていないようだ。いや、もしかしたら陛下は知っていて、知らないふりをしているのかも知れなかった。

「それにしてもアントンさまは何がしたかったのかしらね?」

母達はアントンがアンナとトロイル国に駆け落ちし、アンナがトロイルの密偵だったことは、私が離婚して出戻って来たときにデニスから話を聞いて知っている。その上、彼らが私を攫い、監禁していたことで罪に問われるだろうと思っていたようだが、そのことでノアへの態度が変わることがなくて良かったと思った。

両親にはアントンが実はリアモス王の実子で、その父親の殺害を企んでいたとは話していないので、アントンがわざわざトロイルへ向かった動機が分からないでいる。

「さあ。私やノアを捨ててしまえるぐらい、トロイルの密偵だったアンナに逆上せあがってしまったんじゃない?」

「アンナにはすっかり騙されたわ。あなたにも悪いことをしたわね。あの人をあなたの側付きになんてしなければ良かった」

「お母さま」

「時々、思うのよ。もしも、私がアンナに気を留めなかったならと。今頃、あなた達は三人仲良く暮らせていたかも知れないって」

母は人を見る目がなかったと反省していた。母が悪いとは思わない。ただ、アンナの方が一枚上手だっただけだ。母が私の為に良かれと思ってしてくれたことが、なかなかない確率で悪い方へ転がってしまっただけだ。

私はそれ以上、母に嘆いて欲しくなかった。

「お母さま。もう過ぎたことですわ」

「ユリカ」

「もう起きてしまったことは取り消せませんから」

「……そうね」

アントンは長いこと実の父親を恨んでいた。その気持ちは簡単に切り替えられるようなものではなかっただろう。

私も何度も母と同じように考えたことがある。もしも、彼が自分達の生活に絆されてくれていたのなら、復讐なんて考える暇があっただろうかと。一時はあの人の妻として側にいた自分に、何か出来ることはなかったのだろうかと。

今日、死に逝く彼を思うとやりきれない気持ちになる。アントンが捕らわれて舅に連行されていく姿を見送った時から、私は自分に苛立っていた。彼が大それたことを考えていることすら気がつかず、その行動を止めることが出来なかった。

彼にとって理解ある妻を演じすぎてしまっていた。仕事に忙しい彼の都合に合わせ過ぎたのだ。もう少し家庭へと気を向かせる努力をしていたのなら、このような悲劇は起こらなかったかもしれない。彼を追い詰めてしまった要因が自分にもあったのではないかと思うと、複雑な思いでいっぱいになった。

アントンは誰のことも信じていなかった。周囲に目に見えない壁を作り、孤軍奮闘していたのだ。可哀相な人だった。

ふと、ため息を漏らすとノアが側に来て手を引き、ある方角に向かって指をさした。

「おかあさま。みて、みてっ」

「ノア。どうしたの?」

「ほらっ。あのくもからひかりがさしてる。まるでてんごくへのかいだんみたいだね」

ノアの指さす方向では雲の隙間から光が差していた。

「きれいだね」

ノアは事情を知らないはずだった。純粋にそう感じたから口にしたのだろう。天国への階段。その言葉を聞いて私は涙が溢れてきた。雲の隙間からカーテンのように広がった光は、アントンが収容されている囚人の塔がある方向へと差しているように見えた。

アントンの刑が執行されたような気がした。孤独な彼の死を悼んで天国から使いが降りてきたのだろうか? 

しばらく光のカーテンはその場に留まり続け、徐々に光の幅を縮めていく。それが消えていくのを、私はノアと手を繋いだまま見つめ続けた。