九空がベッドの正面の壁を指して笑い始めた。

「ククッ、おじさん、変態?」「変態……ってなんで俺が!」「とぼけちゃって。なーんで壁にストッキングが掛かってるのお?どう見ても変態じゃない」「あれ……。お前がくれたやつだけど?捨てたら怒るって」「そうは言ったけど、あんな風に壁に掛けておくなんて……。変態丸出しね。ククッ」「ああ、変態だよ!でも、ただのストッキングなら掛けておくわけないだろ。お前が穿いたやつだからすごいストッキングなわけで、だからそれだけの待遇をしたまでだ」「あら、そう。本当ばかね」「ああ、変態でばかですよ」「素直に認めるところは良いわ。今日はストッキングを穿いてきてないんだけど。素足だから残念ね?」

今日のファッション。短いスカートを穿いている。素足を見せつけながら。

「いや。もっと増えたらそれも困るからいいです」

ひとまず俺は断固拒否した。九空が俺に近づいて来てつま先立ちをすると耳もとに囁いた。2人しかいないのに何をわざわざ囁くのかと思ったら、

「あら、そう?じゃあ……。私のパンツでもあげる?今、穿、い、て、る、や、つ」

十分にそれだけの内容ではあった。その戸惑う提案に瞬間的に悩み始めた。

「本当?」

そうして出てきた答えは、自分でも呆れた。

「うん。本当」

九空がとてもクールに答えた。本当にくれる勢いだ。

「本当だけど、その代償はおじさんの命よ。私のパンツをあげるから……。おじさんは心臓でも取り出して私にちょうだい。そしたら交換してあげる。ストッキングはあげられるけど……。パンツは、なんて言うか。相手構わず誰にでもあげちゃだめじゃない?処女と同じくらい!」

いや、あのー。誰がパンツと命を交換するっていうんですか。ずいぶん乱暴だなこの女。

「待てよ。前はセックスしたら殺すって言わなかった?条件が変わり過ぎじゃないか?処女をあげる代わりに殺すって、前に落とし穴を仕立てただろ?でも、何で今回はパンツだけで命が消えるんだよ」「ばかね、条件は変わるものよ。もう100回死んでも処女はあげないわ。だから、あげるっていう時にもらって死ねばよかったのに」

九空はそう言いながら、またベッドの上にのぼった。腰かける程度ではなく、完全に上りこんで寝転ぶとあくびをした。スカートを穿いてそんな風によじ上るなよ。全部見えるだろ。

「おい。そんな無防備に上ったら……」「何?あ、パンツ?見せてあげたの。そのくらいは見てもいいわ。他の人なら目を抉っただろうけどね。クスッ」

まあ、確かに。銭湯では裸でも平気でくっついてくるやつだったっけ。

「そんなことより、おじさん。私をこんなところに寝させるなんて度胸がいいわね」「あの~、寝ろって言った覚えありませんけど?」「まあ、実はおじさんの匂いがして悪くないわ。生意気なおじさんの匂い。フフッ」

生意気な匂いって一体なんだよ。

「それで、その偽装夫婦っていうのは一体何なの?跪いて泣き泣きお願いすれば聞いてあげることもできるから、ひとまず説明してみて」

跪いて頼まなきゃいけないのはすでに既定事実なのか?そう詰りたいが、おとなしく説明を始めた。

「……だから、失踪した親を探すには助けが必要なんだ」「大したことないわね。新婚夫婦が新居を買う演技なんて簡単すぎて退屈なくらいよ。じゃあ、そろそろ跪いて泣きながらお願いすることだけが残ったわね?」

九空が俺のベッドでごろごろしながらそう答えた。俺は机の椅子に座ったままだ。何であんな風にベッドでごろごろしてるのか。その点についてはわからない。すると、枕をして横向きに寝転がると俺の方を見つめた。あくびをしながら。

「それより……。ベッドに横になったらすごく眠くなってきた」「そう言えば、眠そうな顔だな。また寝れてないのか?」「うん……」「何がそんなに忙しいんだよ」「おじさんのせいよ。変なお願いをするからスケジュールが……。いや!そんなのはどうでもいいわ。それより少し寝るね」「俺のベッドで?」「何?ダメ?」「いや、別にいいけど。だいぶ眠そうだし少しでも寝ておけ」

俺はベッドと机の狭い隙間に下りてベッドの上にある九空の手を握った。

「何するのよ!」「寝るって言うから、手を握ってあげようと思って」

そして、もう片方の手では九空の頭を撫でた。自分で考えてもずいぶん厚かましい。でも、思わずこうしてあげたくなった。無意識に体が動く。

「ねーんねん……」「クスッ。おじさん、相変わらず歌下手すぎ。笑える……!」「思い切って子守唄を歌ったのに鼻で笑うかよ!」「でも、好きよ。気持ちが落ち着く。そこは……認める。今まで……。こんなに気持ちが落ち着くこと……」「ん?」「……ぐぅ……ぐぅ……」

話している途中で寝てしまったら。いや、これは寝てるふりじゃないか?こんなに早く眠りにつくだと?もちろん、相変わらず寝顔は天使そのものだが、明らかにこれは寝ているふりだ。ぐぅぐぅという音も口から出した!そうとか言って、わざわざそれを指摘するつもりはない。さらに、ある瞬間からは本当に眠ってしまったのか、規則的な寝息だけが聞こえてきた。俺はじっとその姿を眺めた。いや、見惚れてしまった。時間が経つのも忘れて。ちょうど1時間ほどが過ぎると、九空は自ら目を覚ました。[黒いボール]での時のように目を激しくこすりながら。

「おじさん……。私、どのくらい寝てた?」「1時間くらい?」「そんなに?」「たった1時間しか寝てないだろ」「それより、おじさん」「ん?」「夫婦のふりだか何だか、明日って言ったわよね?」「ああ」「親が失踪したその娘の気持ちなんてのは全くわからないけど演技はしてあげる。夢でおじさんが跪いたから、それで許してあげるわ。わかった?」

夢の中の俺、ナイスじゃないか!

「それはありがたい。ところで、その、探している気持ちが全くわかんない?絶対に親じゃなくても、大切な人が失踪したら当然緊迫した気持ちになるだろ。涙も出るし」「何で涙が出るのよ」「大切な人の失踪はじっとしていても涙が出てくる状況だから?お前は大切な人がいたことないからわかんないんだよ。本当に大切な相手で、理由もなくその人が失踪したとしたら、いくらお前でも泣きたくなるんじゃないか?」「……よくわかんない」「そっか」「私、5歳の時から泣いた覚えがないの。あくびをするとき以外はね。あ、今も少し泣いちゃった。目をこすり過ぎて」

そうだな。少し涙が出たみたいだな。目をこすり過ぎて。とにかく。あの目からぽろぽろと涙が溢れ出る姿か。確かに想像がつかない。

「ところで、おじさん」「ん?」「私がおじさんの家に来た本当の理由を知ってる?電話でしてもいい話で訪ねてきた理由」「本当の理由?何だよそれ」「ばーか」「え?」「知らないふりをしてるの?それとも、本当にわからない?」「いや、本当にわかんない」

九空がしばし俺を睨みつけた。これは本当にわからない。本当に他の理由があるというのか?気まぐれじゃなくて?ついには背を向けてしまった。何だか怒ったようだ。

「じゃあ、考えてみて。答えがわかったら……」「わかったら?」「私のこうする理由がわかるようになるわ」