ドラゴンに向かって弓を構えているリンネを見て、思わず『なんで?』と言葉が口を突いて出た。

 ドラゴンはどう見ても弓矢でどうこうできる相手ではない。

 羽ばたきによる暴風で大砲が壊れてしまったのなら、ここは一旦引くべきだ。そんな事が分からないリンネじゃないはずなのに……。

 だが、俺の視界に映るリンネはドラゴンに向けて弓を引き絞り、エサのもう半分を食べようと地上に頭を近づけた瞬間を狙って、渾身(こんしん)の一撃を放つのだった――。

 弓を離れた矢は50メートルの距離を一直線に飛び、正確にドラゴンの目を捉(とら)える。

 その瞬間、『キィィン!』と甲高い音が響いて、矢がはじけ飛ぶのが見えた。目に当たったのに、音おかしいだろう。

 だがそんな突っ込みを入れる間もなく、ドラゴンは頭を上げて巨大な咆哮をあげる。

 とっさに『耳をふさげ!』と叫んで妹に覆い被さったが、とても音とは思えない衝撃波が襲いかかってきて、背中をバットで殴られたような衝撃を受けた。

 一瞬意識が飛びかけたが、ギリギリの所で耐える事ができたので、慌てて頭を上げる、

 俺達より近くにいたリンネは大丈夫だろうか? エルフの聴覚は人間よりずっと鋭いはずなのに……。

 ふらつく頭と揺らぐ視界で森の外を見ると、ドラゴンは巨大な胴体をさらに膨らませ、今まさに炎を吐こうとしている所だった。

 対するリンネは……大砲に取り付いて必死にハンドルを回している。

 ――大砲が火を吹いたのと、ドラゴンの口から巨大な炎が吐き出されたのはほとんど同時だった。

 大砲の重い発射音と、炎が森を嘗(な)める暴風のような音が重なって聞こえてくる。

「リンネ!」

 大砲もろとも、リンネが炎の渦に呑み込まれていく…………が次の瞬間、炎は突然勢いをなくして上へ流れ、不意に途切れた。

 目を移すと、ドラゴンの後頭部からパッと花火のように血飛沫(ちしぶき)が舞い、巨体がぐらりと揺れたかと思うと、轟音と共に横倒しになる光景が映る。

 それはまさに、一瞬の出来事だった。

 大砲の弾はドラゴンの口内を直撃して後頭部を撃ち砕いたのだろう。いくらドラゴンが強靭でも、あそこをやられたら生きてはいられるはずがない。

 だがドラゴンを倒した喜びよりも、炎に飲まれたリンネの事が気が気でなく。俺は全速で駆け出してリンネの元へ向かおうとするが、森の木々を激しく焼く炎に阻まれてとても近付けない。

 仕方がないので遠回りをし、岩山方向から回り込んでリンネの元を目指す。

 途中でドラゴンの真横を通る時には薄ら寒い感じがしたが、すぐ後ろをついてくる香織がなにも言わないという事は、もう危険はないのだろう。

 空気が薄いので息が苦しいが、懸命に走る。

 辺りはドラゴンの血と煙の臭い、かすかな硝煙の臭いが混じっていて、よけいに息が苦しく感じられる。

 足元を染める赤い血、行く手に広がる赤い炎。辺りはさながら地獄絵図だ。

 大砲があった場所に近付くと、ドラゴンが吐く炎の直撃を受けたからか木々はほとんど吹き飛ばされていて、逆に炎の勢いは弱かった。

 半分地面に埋まった大砲の土台が、赤々と燃えているくらいだ。

 だが、地面からは立っていても顔がジリジリするくらいの熱気が伝わってくる。

 鉱山のエルフさん達が作ってくれた革の靴を通して地面の熱が足に伝わってきて火傷(やけど)しそうなほどだが、俺は構わずに高熱の坩堝(るつぼ)に踏み込んでいく。

「リンネ! 生きてたら返事をして!」

 ありったけの声でそう叫ぶが、返事はない。

 一縷(いちる)の希望に縋(すが)って大砲の脇に掘った穴を覗き込むと、横穴からわずかに、毛布の端がのぞいていた。

 とっさに手を伸ばし、それを引っ張る。

「熱つっ!」

 毛布にたっぷりと含ませた水は熱湯になっていて、とても素手で触れる温度ではない。

 だが非常事態なので火傷覚悟で毛布を引っ張り出し、穴に飛び込んで横穴を見ると、そこにリンネがうずくまるようにして倒れていた。

「――香織、手伝って!」

 妹の助力を得てリンネを穴から引っ張り上げ、岩山方向へと運ぶ。

 そこには雪があるので、急いでリンネの体を冷やしにかかる。

 雪の上に横たえたリンネは、ぐったりとして意識がない。

 耳から血が流れているのは、間近で受けた咆哮(ほうこう)で鼓膜(こまく)がやられてしまったのだろう。

 そして透き通るように綺麗だった肌は火傷(やけど)で赤く腫れ上がり、右腕の外側は赤黒く焼け焦げている。

 そこ以外は服や髪がわずかに焦げているだけなので、炎の直撃はなんとか防げたらしい。

 横穴と水を含ませた毛布三枚重ねは、リンネをドラゴンの炎から守ってくれたのだ。

 だが、代わりにリンネは蒸し焼きのような状態になってしまったらしい。

 俺が入った時でさえ、穴の中はオーブンか蒸し器のように熱かった。

 薬師さんから預かった特製傷薬を二本開けてリンネの体にかけ、一本を飲ませようとするが、意識がなく飲む事ができなかったので、唇(くちびる)を湿らせるだけに留めておいた。

 薬ビンを口元に持っていった時、縁(ふち)がわずかに曇ったので、どうやら息はあるようだ。

「あの……リンネ先生は大丈夫なのでしょうか……」

 おずおずと発せられた声に顔を上げると、辺りには心配顔のエルフさん達が少しずつ集まりはじめていた。

 恐ろしい光景を前に逃げ散っていてもおかしくなかったのに、リンネはとても慕われているらしい。

「木工ができる人、担架(たんか)を作って! 他の人は急いでドラゴンを解体して、心臓を捜して!」

 俺の大声にエルフさん達は一瞬ビクッとしたが、すぐに事態の重大さを把握したのだろう。一斉に作業に取りかかってくれる。

「お兄ちゃんも、手……」

 妹に言われて右手を見ると、毛布を掴んだ手が赤く腫れていた。俺も火傷をしてしまっていたらしい。

 今までは興奮していたので気付かなかったが、急にズキズキと痛みが襲ってくる。

「お兄ちゃん、じっとしてて」

 妹が手を取って、薬師さん特製傷薬を塗ってくれる。

 余った半量は飲んでみたが、苦くてお世辞にも美味しいと言える味ではなかったものの、痛みは急速に引いていった。

 エルフさん達の中にもケガをした人がいないか調べてみたが、風に吹き飛ばされた時に軽いケガをした人が4人いただけで、重症の人は一人もいなかった。

 一応治療を施していると、はやくも担架が完成してきたので、毛布を敷いてリンネを寝かせる。

 本当はすぐにでも薬師さんに診てもらうべく鉱山に走りたい所だが、素人目に見てもリンネはかなりの重症だ。特製傷薬を二本も使ったのに、意識さえ戻らない。

 だから俺は、じっと待つ選択をした。

 ドラゴンの心臓にあるという赤い珠。本当にそれが秘薬の材料になるのなら、それに賭けてみようと思ったのだ……。

大陸暦422年11月2日

現時点での大陸統一進捗度 2.2%(パークレン鉱山所有・エルフ36万4154人)(パークレン子爵領・エルフの村473ヶ所・住民8万201人)

資産 所持金 16億3278万

配下 リンネ(エルフの弓士) ライナ(B級冒険者) レナ(エルフの織物職人) セレス(エルフの木工職人) リステラ(雇われ店長) ルクレア(エルフの薬師) ニナ(パークレン鉱山運営長)