リンネから大森林の生産力が限界に達しようとしているという話を聞いて数日。

 なにか方法を考えてみるとは言ったものの、いくら考えても有効な対策は出てこなかった。

 リンネの試算によると、元マーカム王国とイドラ帝国の範囲の大森林に住む事ができるエルフさんの数は、おそらく70万人ほどが限界だろうとの事。

 一方でエルフさんの数は100万人ほど。圧倒的に足りていない。

 しかし、森を保ったまま得られる食料を大幅に増やすなんて、そんな都合のいい方法はいくら考えても出てこなかった。

 せめて農地なら、農法や肥料、作物を改良する事で可能かもしれないが、相手は自然なのである。

 一方で人間とエルフの共生を実現するために、大勢の人間の考えを短期間で劇的に変えてしまう方法も、これまた難しい。

 悪意ある方向に変えるのなら、エイナさんに相談したらなにかいい方法を出してくれそうな気がしないでもないが、俺が求めているはそうではなく、奴隷・劣った亜人というエルフさんへの認識を好転させ、対等な仲間に変える方法なのだ。

 なんでもそうだけど、印象を悪くするのは簡単だけど良くするのって難しいよね……。

 あれこれ考えてみても妙案は出ず、思い悩む日々を過ごしていた11月の16日。

 部屋でうんうん考え込んでいた俺の元に、ニナが大慌てで駆け込んできた。

「洋一様、すぐにいらしてください! お会いしたいという方が!」

 そう言って俺の手を引っ張るニナ。めずらしい、ニナがこんなに慌てるなんて何事だろうか?

 そう思いながらついていくと、鉱山の入り口近くに人だかりができている。俺とニナが近付くとサッと割れた人の輪の中に、担架(たんか)に乗せられた一人の小柄なエルフさんが横たわっていた。

 痩(や)せ衰(おとろ)え、傷と汚れでボロボロの体に、ボロボロの服。そして奴隷の首輪をつけている。

 耳が長いのでエルフさんである事には間違いないが、土埃(つちぼこり)に汚れた髪は緑色に見える。金髪の山エルフ、水色の髪の沼エルフとも違う。これはひょっとして、東の大密林に住むという森エルフさんだろうか?

 とっさに鑑定を発動してみると、

 スルクト エルフ 183歳 スキル:採取Lv7 弓術Lv6 状態:疲労(強) 空腹(強) 負傷(中) 瀕死(ひんし) 地位:逃亡奴隷

 と出た。

 困惑する俺に、ニナが事情を説明してくれる。

「3日前に、東方の大森林地帯で倒れているのを発見したそうです。瀕死(ひんし)の状態でしたが、か細い声で『王に……エルフの王の元に連れて行ってください……』と言うので、とにかくここに連れてきたのだそうです」

 ここまで運んできてくれたエルフさん達だろう。周りにいた数人がコクコクと首を縦に振る。

 しかしエルフの王か……。

 個人的にそんなものになった記憶はないが、あえて該当者を探すとなると、やはり俺になるのだろうか?

 今は細かい議論をしている場合ではないので、とにかく話を聞く事にする。

「お探しのエルフの王です。なんのご用ですか?」

 枕元に膝(ひざ)をついてそう語りかけると、スルクトさんはわずかに首を持ち上げる。

「ああ……救世主、様……。おたすけ、ください……東の、ダフラ王国……では、まだ多くの……エルフ達が、残酷な、状態で……働かされて、います……。どうか……どうか……おたすけ、ください……」

 か細く聞きづらい声で、途切れ途切れに発せられる言葉。

 顔を寄せてそれを聞いた俺は、スルクトさんの首を首輪が絞めつけているのに気が付いてギョッとした。

「だれか! 薬師さんを……っ」

 とっさに顔を上げて叫んだが、すぐ目の前に白衣を着た薬師さんと、両手にノミとハンマーを持ったセレスさんが立っている。

 そして、二人共とても苦しそうな表情をしてスルクトさんを見下ろしていた……。

 瞬間、俺の背筋にゾクリと冷たいものが走る。

 そうだ、いくら薬師さんが薬学と医術に長(た)けていても、物理的に首を絞められている状態はどうしようもない。

 この奴隷の首輪は定期的にネジを巻かないと、かろうじて死なない程度まで装着者の首を絞め上げるのだ。

 そしてネジがない状態で首輪を壊す事は、以前セレスさんと研究してみたが不可能との結論が出ている。

 鉄の輪が首に食い込むので、外側からノミとハンマーでカンカンやると輪が変形し、余計に首に食い込んで装着者を苦しめるだけにしかならないのだ。

 ネジの予備は首輪を作った工房に行けば作ってもらえるが、この首輪は多分イドラ帝国よりさらに東にある国で作られたもの。とてもじゃないが今から出向いて間に合う話ではない……。

 薬師さんとセレスさんの二人がただ辛そうに見下ろしているという事実に、俺の心が急速にザワついていく。

 改めてスルクトさんを見ると、首輪に首を絞められているせいで呼吸はごく細く、顔色は悪い。そして食べ物も喉(のど)を通せなかったのだろう、酷(ひど)く痩(や)せ衰(おと)えている。

 文字通り、虫の息という言葉がピッタリくる状態だ。

 途切れ途切れに俺に向かって言葉を発したのが最期の力だったと言うかのように、今はぐったりと地に伏して、意識もない。

 え、これって……。

 もう一度、縋(すが)るような思いで薬師さんとセレスさんを見上げるが、二人共ただ無言で立ち尽くすだけだ。

 薬師さんの握られた手が、セレスさんがノミとハンマーを握る手が、震えるほどに固く握り締められている……。

 それはつまり、なにも打つ手がないという事だ。

 今まさに生命(いのち)の危機に瀕(ひん)している人を目の前にして、俺はなにもする事ができないのだ――。

 気がついた時、俺はスルクトさんの手を握って涙を流していた。

 痩(や)せ細り、カサカサに乾いた枯れ枝のような手。冷たく、強く握ったら折れてしまいそうだ。

 薬師さんが『気休めだが……』と言って、痛み止めを口に含ませてくれる。喉(のど)を通らなくても、口の中の粘膜からわずかずつ吸収されるのだそうだ。

 スルクトさんの体を診(み)た薬師さんが、辛(つら)そうに言葉を発する。

「……おそらく、道中もこうして口内(こうない)から水分と栄養を摂取していたのだろう。水と花の蜜(みつ)を口に含み、ほんの少しでも歩く力を補充しつつ、満足に息もできない苦しい体で歩き続けたのだ。この矢傷(やきず)の痕が逃亡を図った時の物だとすると、50から60日ほど前になるか……」

 薬師さんの言葉が、俺の心を激しくかき乱す。

 そんな地獄のような旅を二ヶ月近く、スルクトさんはたった一つの目的のために続けてきたのだ。

 どうやって知ったのかはわからないが、西方でエルフを保護している場所があると噂を聞いたのだろう。

 そして酷い環境で奴隷として使われている仲間を助けるために、エルフを保護しているエルフの王。つまり俺に助けを求めるべく、文字通り命を削る旅を続けてきたのだ……。

 実際の俺はエルフの王などではないし、森の生産力という問題に直面していて、解放計画も先が見えない状態だ。

 そもそも資金の問題で、一番関係の深い山エルフさん達でさえまだ全員解放できていない。

 とてもじゃないが、森エルフさん達の解放までは手が回らない状態だ。

 ……だが、この状況でそんな事を口にする事はできなかった。

 俺は今、こんな俺を頼って文字通り命がけの旅をしてきたエルフさんの手を握っているのだ。

 そこに過酷な環境にいる仲間達を救う光があると信じて。苦痛に耐え、命を限界まで削って歩き続けた気高(けだか)い勇士の手を握っているのだ。

 その行為が無駄だったなんて言えるはずがない。

「わかった、仲間達は必ず助けるから安心して。なるべく早く、絶対に助けるから……」

 強く握ったら折れてしまいそうなほどに痩(や)せ衰(おとろ)えた手を、できるだけ強く握ってそう言うと、スルクトさんの目から一粒の涙がこぼれ落ちた。

 水も満足に飲めず、唇(くちびる)はカラカラに乾いてひび割れ、皮膚もカサカサになってしまっている体から、貴重な水の一滴が涙となって頬(ほほ)を伝う。

 そして、使命を果たし終えた事に安堵(あんど)したかのように、スルクトさんの手から急速に力が抜けていく。

 もう閉じられた目が開く事もなく。呆然とする俺の手から、スルリと滑り落ちるようにスルクトさんの手が地面に落ちた。

 脈(みゃく)を診た薬師さんが、静かに首を横に振る……。

 ……そのあとの事は記憶がない。

 気がついたときには部屋のベッドに寝かされていて、隣で妹が手を握っていてくれていたのだった……。

大陸暦425年11月16日

現時点での大陸統一進捗度 36.2%(パークレン鉱山所有・旧マーカム王国領並びに旧イドラ帝国領の大森林地帯を領有・旧サイダル王国領の大湿地帯を領有・大陸の西半分を支配するパークレン王国に強い影響力・旧サイダル王国領東部に孤児(こじ)用の土地を確保)

解放されたエルフの総数 77万5140人

内訳 鉱山に13万9562人 大森林のエルフの村4592ヶ所に53万1897人 リステラ商会で保護中の沼エルフ10万3681人(一部は順次大湿地帯に移住中) 保護した孤児2万1053人

資産 所持金 211億6209万(-2013万)

配下

リンネ(エルフの弓士)

ライナ(B級冒険者)

レナ(エルフの織物職人)

セレス(エルフの木工職人)

リステラ(雇われ商会長)

ルクレア(エルフの薬師)

ニナ(パークレン鉱山運営長)

エイナ(パークレン王国国王)