My Skills Are Too Strong to Be a Heroine

Witch of War ② Aria vs Maria

はあ~~~、と、魔族マリアは長い嘆息と共に気怠げに脚を組んだ。過ぎ去った熱をあっと言う間に大粒の雪が冷やしていくこの魔雪峰にあっても、その吐息が白くはないことに、改めて彼女が人ではないことを一人思い知る。

「……全く、屈辱だわ。私があの脳ミソ溶岩男に助力を求めることになるなんて。しばらくあの調子で暑苦しく馴れ馴れしく絡まれることになるのよ、この苦痛分かる?」

「まあなんとなく」

それは敵ながら同情せざるを得ない。一瞬の邂逅ではあったけど、できればもう二度と会いたくないぐらいにはさっきの赤い魔族は暑苦しかった。冷ややかな氷を思わせるこの獣飼いとはきっと相性が悪いに違いない。

「しかし、赤熱《しゃくねつ》のニチェ。アレの炎の威力は信頼の置けるものだわ。少年の騎士《ナイト》一人でお荷物のお姫様を守りながら退けるのは難しいでしょう。まあそれ以上に勝機のないのはあなたの方だけど……健気なものね、仲間のために生贄になるなんて」

にこりと少女のように微笑んで見下ろされ、あたしはムッと口を尖らせる。余裕しゃくしゃく、敵を前にしているとは思えない優雅さで歌うように彼女は続けた。

「二人で仲良く死ぬよりは、一人で寂しく死ぬ方が被害は少ないものね? まあどうせみんな死ぬのだけど」

はァーーーーこの女むかつくーーーー!!

ていうかなんでこっちが負けるの前提なの?? 偉そうにしやがってー! まあ一人VS一人と一匹だからぶっちゃけかなりピンチなんだけど! でも頑張ろうとしてる人にわざわざ意地悪言うのやめろし!!

なんて言いたいことは山ほどあるけど、今のあたしの気持ちを端的に言い表すならこうだ。

「……あたしは生きるし、お前が死ね!」

べーっと舌を出して睨んでやると、マリアは眉を釣り上げて微笑んだ。

ぐるる、と頭上から、狼の巨大な喉が唸る。こちとら最近まで普通の女子高生していたので、正直オオカミとか標準サイズでも遭遇したら怖い、むしろ野犬でも命の危機を感じる。

こんな数メートル規模のでっかいやつと一人で戦うなんて無理に決まってるし逃げたいなーって本心では思うんだけど、あたしの中の愛読書《ギフト》に宿る数多の限界挑戦者たちはそれを良しとはしなかった。曰く、壁とは超えるものなのだ。あたしは知らず口の端を上げて妖刀の柄を指でリズム良く叩いていた。ジゼルさんの仕事は多分一級品だ。この残雪は確実に強くなっている。早く試し斬りがしたくてうずうずしてしまって、怖いのはどこかに捨てしてしまった。

そんな場違いに陽気なあたしにマリアは不愉快そうに眉をひそめ、トンと踵で狼の額を小突く。

「何(・)処(・)か(・)は持ち帰って見せしめにしようかと思っていたけど……気が変わったわ。骨も残さず齧り尽くしなさい」

飼い主の命令を受けて忠狼は大きく口を開け吠えた──けど、コンマ1秒より更に短い記録を目指す世界の中では、そんな無駄なモーションはまさしく文字通り命取りだ。

「…………せいっ!」

狼の勇ましい咆哮が切れ目なく悲鳴に移行していく音は、ちょっとした曲目のように鮮やかだった。【俊足】スキルでもって駆け出したあたしはそのまま【居合】スキルを駆使して巨大な狼の前脚、その一本を切り落とす。スパッ、と一振りで骨まで断ち切った、見惚れるような切れ味に思わず目が輝いてしまう。わーすっごいこれ、言っちゃなんだけど脚が大根みたーい! 包丁じゃ大根もまともに切れませんが!

なんて歓喜に慢心することなく、すかさずもう一方の前脚に駆け寄り深く切り込む。その切断面が雪面に落ちるより速く、後方に回り、続け様に後ろ脚の二本も切り落とした。

家庭科のテストで微塵切り・いちょう切り・せん切り三種の切り方を披露した際、温厚な先生に「雨宮さん、これ全部乱切り」と酷評されたあたしにしては、上々の出来だと思う。ちゃんと予定通り、前(・)脚(・)は(・)高(・)く(・)、後(・)脚(・)は(・)低(・)く(・)なるようにカットできた。

つまり、巨大な狼の体はお尻の方に大きく沈み傾くことになり。

「……………!」

その頭に腰掛ける彼女の体もまた、その傾きに合わせて大きく後方にバランスを崩した。

腐っても魔族、気合いで踏ん張り体制を整えようとしたけどさすがに0(・).0(・)2(・)秒(・)以(・)内(・)というのは無理な話だった。全速力で戻り向き合った狼の頭部、そこに微かに光る赤い輝きに向けて、あたしは【早撃ち】スキルでもって回転式拳銃《リボルバー》の一発を迷わず撃ち込んだ。

パキン、と、遥か上空で響いた音と共にキラキラと赤い破片が宙に舞う。

雪煙を上げて崩れ落ちた狼の四肢が、赤く血を滴らせたままもう再生しないことを確認すると、あたしは深く息を吐いた。

──上手くいった。けど大失敗だ。

目の前で伏した狼よろしく、あたしはふらふらと力の入らない膝を折り────そのまま、冷たい雪の上に頬を押し付けてぱったりと倒れた。

「あー…………お弁当を持ってくるんだった」

ピクニックみたいなことを呟きつつ、頰の冷たさに目を閉じる。

スキルの複数種類同時使用、かつ連続使用。その大盤振る舞いの代償は予想以上に大きいものだった。お腹が空いて力が出ない。起き上がろうにも全然力が入らなくてさーっと血の気が引いていった。

状況はシビアなはずなのにお腹からぐーぐーと元気な音を鳴らし、口の端から涎を垂らすあたしの姿はなんとも間抜けだ。ここに高遠くんがいなくて良かったなぁ、いろんな意味で。

「……その鬼神の如き勢いが続けば、と少し肝を冷やしたけれど。制限付きとは何ともお粗末な仕様ね、同情するわ」

いつの間にか狼の巨体から降り、あたしの目の前まで迫っていたらしい獣飼いは、赤い唇で艶っぽく微笑んでいたけど、その目は全く笑っていなかった。お気に入りっぽかったもんなあ、三狼《サブロー》。

「ねえ、どのみち私にまでは手が回らないと分かっていたんでしょう? なのに戦いを挑んだということは──私に殺されるのをやむ無しと享受していたのか、それとも僅かな余力でも殺せると高を括るほど、私を見縊《みくび》っていたのか。どっちかしら?」

「…………後者に決まってる」

精一杯強がって答えた直後、雪の上に投げ出していた手を思い切り靴の底で踏み付けられた。

「……………っあぁ!!」

やばい、折れたかも、ていうか砕けたかも。

魔族の軍服と揃いの黒いブーツは、この前銃弾を弾いた所を見るに靴底に金属か何か仕込んであるみたいで死ぬ程硬かった。一瞬で真っ赤になった手を見て震えが止まらなくなる。これが渋谷先輩の手じゃなくて良かった、と、心底ホッとしてしまう。それを余裕と受け取られたのか潰れた手の上を更にぐりぐりと踏み躙られた。十六年のお気楽だった人生では感じたこともない激痛に、悲鳴も上げられず雪の上で身をよじる。

「……………!!」

「あは、良い顔。天国の双子《きょうだい》やペット達も手を叩いて喜んでるわ、もっと見せてあげてちょうだい。左手だけじゃ可哀想よね、右手もすぐにお揃いにしてあげるから安心してね。ふふ、そうしたらもうお仲間の彼と手を繋ぐことも出来ないわね。ううん、大丈夫よ、無駄な希望が残らないように体の部位、全部残らず潰してあげるから。貴女だったって認識できないぐらいぐちゃぐちゃにしておけば、彼も悲しくないわよね?」

楽しげな声が、全部冗談じゃないのが怖いくらい理解できて、あたしはカタカタと震える奥歯を必死で食いしばった。ぐり、とつま先に力を込められて、耐えきれずに目を閉じる。

「──ねえ、私いま気分が良いの。内容によってはあなたの最期のお願い、聞いてから殺してあげても良いわ」

まるで恋する少女のように可愛らしく、マリアはにこりと微笑む。

人の見た目をしていても、中身は心の無い化け物だ……かつてそう教えてくれた高位魔術師さんの言葉を今更思い出す。ごめんなさい、忠告活かせませんでした……

悔しさに唇を噛むと、口元の雪を掬い冷たさに泣きたくなった。踏まれた手の感覚が無い。

痛い、冷たい、怖くてたまらない。

だけどあたしは憎っくき敵の甘言についつい乗っかってしまう。どうしても叶えたい、この人にしか叶えられない願いというものがあるにはあったので。

「…………あの二人にも、街にも、手ぇ出さないで」

「却下よ」

やっぱ駄目かぁ。

でも大丈夫かな、だって高遠くんはとっても強いし。あたしがいなくなってもきっと。

目の奥から込み上げてきたものをぐっと堪える。涙は凍ると剥がすのが痛いのだ。あ、でも、別にいいのかな。死んじゃったら痛いとかもないし。

それでもなんだかコイツの前でめそめそ泣くのは悔しくて、ぐっと歯を食いしばりながら目を細めていると────

スパッと、野菜でも切るみたいに、狭い視界の中でその魔族は半(・)分(・)になった。

………………。

「…………ぐ、」

グロ映像の前には警告テロップ出してくださーーーーい!!!

あたしは光速で涙を引っ込めると見開いた目を即座に無事な方の手で覆い視界をシャットアウトした。い、一瞬しか見えなかったけどスプラッタ! 血がスプリンクラー! 牛で言えばモツ的なものが切断面からでろでろと!! ほ、放送事故、綺麗な映像を流さなければ。清流の音をBGMにお花畑を連想して精神を落ち着ける。う、うう、しばらくホルモン系の焼肉は食べられなさそう……異世界に焼肉屋さん無いけど……。

突然の出張精肉店にがくがく震えていると、塞がれた視界の端から懐かしい声がする。

「ごめん、遅くなって」

ぽたぽたと手のひらが濡れる。雪じゃなくて、目から勝手に溢れてくるもので。

そっと手を外し見上げた先、真っ赤に濡れた聖剣を携えて息を切らす高遠深也くんは、起き上がれないあたしを見て辛そうに唇を噛んでいた。

「……渋谷先輩は?」

「無事だよ。庇う余裕ないから魔女の所に戻ってもらってる。あの暑苦しい奴には満面の笑みで逃げられちゃったけど……それより雨宮さん、怪我が」

「高遠くん、高遠くんだ。高遠くんだよね」

「あ、はい、高遠です」

三段活用ぽく確認してから、あたしはそっと上がらない腕を伸ばす。高遠くんがおずおずとその手を握ってくれた拍子に、堰を切ったように今まで我慢してた涙がぽろぽろこぼれてくる。熱くって凍りそうにはないんだけど、全然止められなくて困ってしまった。

高遠くんはとてもびっくりしてるみたいだった。あたしはよく泣くけど、いつもわんわんぎゃあぎゃあ泣き喚くので、こんな風に声も無く泣くのはそう言えば物珍しいことかもしれない。

「雨宮さん……」

「こ、こわかっ…………怖かった……」

張っていた虚勢が一気にゆるんで、でももう大丈夫なんだと思うと開きっぱなしの蛇口のように涙は際限なく溢れてきた。

高遠くんは不憫に思ったのか涙を拭おうと指を伸ばしてくれたけど、その指先が血まみれなのを見て、歯痒そうに手を引っ込めた。そして振り返り、どうにも嫌な音を立てながらく(・)っ(・)つ(・)い(・)て(・)いく、さっき自分が両断した敵を睨む。

「……いきなりご挨拶ね。再生するからと言って、痛くないというわけではないのよ」

「当たり前だ。痛がってくれなきゃ俺(・)の気が済まないだろうが」

切断された上半分と下半分を接続し、足元の雪を真っ赤な血溜まりにしながら、魔族マリアはゆっくりと立ち上がる。

こちらに背を向ける高遠くんがどんな顔をしているのかは見えなかったけれど、その声は極寒の雪よりもずっと冷たく、芯から凍えるようだった。