イリスさんが冒険者になってからなんだかんだで一週間が過ぎた。

最初の三日間は僕が依頼について、それ以降はイリスさん一人に依頼に行かせていたけれど、真面目な性格もあってか順調に成功しているようだ。

依頼の内容はお世辞にも簡単なものとは言えないけれど、日ごとにイリスさんは元気を取り戻している。

だけど、彼女のそんな元気な姿を見ていると、以前いた場所がどれだけ酷い場所だったのかを理解させられてしまう。

一方、僕もイリスさんと同じように依頼を受けていつも通りの日々を送っていたけれど、今日は少し違っていた。

「———あの、僕……なにか問題でも起こしてしまいましたか?」

場所はギルドの上階にある部屋。

僕とリーファが面接を行った場所に、僕はベルセさんに呼び出されていた。

緊張した面持ちで椅子に座っている僕に、先に部屋にいたベルセさんは柔らかい笑みを向けてくる。

「いや、そういうことじゃないんだ。勘違いをさせてすまない」

ことり、と僕の前に紅茶のいれられたカップを差し出してくれるベルセさんは、一週間前よりもこけた顔に笑みを浮かべる。

「カイト君、相談したいことがあるんだが……構わないかな?」

「え? そういうことなら構いませんよ。ベルセさんにはお世話になっていますし」

ギルドの冒険者になる前から親切にしてくれたし、断る理由もない。

彼は安堵したような表情の後に、一転して意を決したような顔になる。

「イリスのことだ」

予想だにしない名前に呆気に取られる。

できるだけ動揺を顔に出さずに、僕はベルセさんに問いかける。

「イリスさんが、どうかしたんですか?」

「彼女は……」

そこまで口にして躊躇するような素振りをみせる。

しかし、ふんぎりがついたのか顔を上げ、真っすぐと僕と目を合わせた彼は続きの言葉を発する。

「私の……娘なんだ」

「……はい?」

……。

……、……。

「すみません。この件は手に負えそうにないので、僕はこれで……!」

「待ってくれ……! 君の他に相談できる者がいないんだ……!」

混乱したまま立ち上がろうとしたが、懇願するようなベルセさんの声を聞いてしまい、帰るに帰れなくなる。

シフとライムを連れてくるべきだった。

こんな込み入った事情、僕だけで考えるのは辛すぎる。

「あの子とは、会うのは十二年ぶりになる」

「……どうして娘だと分かったんですか?」

「母親と瓜二つだったが、何より名前と歳が同じだったから……だな」

だから、イリスさんが少女と呼べる年齢だって分かったのか。

でも、十二年ぶりとはどういうことなのだろうか? それだけ会えない理由があったのだろうか?

「母親の名はソラン。私の妻であるのだが、彼女とは理由があって離れて暮らすことになってしまっていたんだ」

「理由?」

「……エルフ族の古いしきたりというやつでね。まずはそこから話すよ」

カップの紅茶を一気に飲み干した彼は、悲痛な表情のまま過去を話しだす。

「ソランは村長の娘という集落の中でも特別な立場にいるエルフでね。集落での生活を拒み、家出をした先の国で私達は出会った」

出会いについては割愛させてもらうよ、と続けて口にした彼はその時を思い出すように続きを話していく。

「それから人並みの生活を送り、子供も生まれた」

「その子が、イリスさんだと?」

「ああ、そうだ」

ここまで聞く限りは、十二年も離れ離れになるようには思えない。

少なくともベルセさんは奥さんとは仲が悪いように話してはいないし……何があったのだろうか……。

「イリスが生まれてから五年が過ぎた時、私達の元にエルフ族からの使いの者が現れ、ソランと娘のイリスを集落に帰らせるように命じてきたんだ」

「……なぜですか?」

「彼女の故郷であるエルフ族の集落では、エルフと人間との婚姻は認められてはいなかったんだ。なにより、村長の娘であるソランが、人間である私と暮らしていたことに父親である村長は我慢ならなかったようだ」

「だから、奥さんとイリスさんを集落へ連れ戻そうとした、と」

人間とエルフの問題は置いといて、父親の気持ちを考えるのなら、おかしくはない。

だけど、ちょっとやり方が強引すぎるような気もする。

「その時、ベルセさんはどうしたんですか?」

「断ったよ。集落に帰った彼女がどういう扱いをされるのか分かり切っていたからね。」

……扱いって……いや、これは聞かないでおくか。

家出をして、人間と暮らしていたエルフ、それを人間を嫌っているであろう周りのエルフたちがどう思うかだなんて、想像もしなくても分かるからだ。

「だから私は、彼女とイリスを連れて逃げようとしたが……彼女はそれを拒否した」

「え……?」

「集落にいるエルフ達の怒りを買い、私が殺されることを恐れたんだ」

「ちょ、ちょっと待ってください! 集落の人達はそこまでするつもりだったんですか!?」

まさか殺される危険が出てくるなんて、いくらなんでも酷すぎる。

ベルセさんは、苦悩するように額を手で押さえるようにする。

「少なくとも、彼らはエルフ族の中では過激派に位置付けされる人々だったということだよ。他種族の文化を取り込むことは良しとせず、人間を嫌い、軽蔑し、遠ざける―――それがソランの生まれ育った集落の根幹の思想なんだ」

僕がこの国で見てきたエルフや獣人は、人間と仲良くしている人達だったけれど、外ではそんな風に思っている人達がいたことに驚いてしまった。

かろうじて、声を絞り出した僕はベルセさんに話しかける。

「その後、ベルセさんは会おうとしたんですか?」

「勿論していたさ。つい最近までずっとね。その度に集落の者に門前払いをされてね。もう長いことソランにも、イリスにも会うことは叶わなかった」

「まさか、十二年間ずっと?」

「……ああ、それしかできなかったからな」

絶句する僕にベルセさんは困ったように笑う。  

「……だから、あの娘が私の目の前に現れてとても驚いたんだ。最初は見間違いかと思ったけれど、名前とソランの面影を見て……娘だと分かった」

「そう、ですか……」

「私としては普通の面接とばかり思っていたから、驚いてしまってね。正直な話、面接の時はあまり記憶がないんだ」

自身の掌を見つめるベルセさん。

ベルセさんからすれば十年以上前に引き離された娘との再会だもんな……。

「そして、ソランが十年以上も前に亡くなっていることも知った」

「ベルセさん……」

当事者ではない僕には何も口出しすることはできないが、十年、奥さんと娘に会いたくてずっと集落に足を運んでいたベルセさんに、エルフ族の人々は何を思っていたのだろうか。

少なくとも、奥さんが亡くなったことを伝えていなかった時点で―――悪い印象しか抱けない。

「カイト君、勘違いしてはいけない」

静かに憤る僕に気付いたのか、ベルセさんが窘めるように声をかけてくる。

「エルフ族は人間に対して友好的な種族だ。私が話した集落の者は、かつて……人間と亜人が争っていた時代の“恨み”を覚えている者達だ。だから、私の話を聞いてエルフ族に偏見を抱かないで欲しい」

「……分かりました」

そうだな、たしかにその通りだ。

エルフの人達が悪いんじゃない。

ゆっくりと気分を落ち着けた僕は、ベルセさんともう一度向き直る。

「それで、僕はどうすれば? 頼まれれば、イリスさんとの話し合いの場を作ることはできますけど」

「……今更、会わす顔がないというのは本音だ」

「でも、久しぶりに会う家族なんでしょう?」

そう言うと、彼は不安な面持ちで頭を抱える。

「実は、面接の時に両親のことについてそこはかとなく聞いたら、軽蔑してると言われたんだ。その時点で大分、心が折れてしまっているのに、面と向かれて罵倒でもされたら……」

「えーっと……」

「と、とりあえず、君はイリスのことを見ていてくれないか? 私はまだ、心の準備ができていないから……」

「わ、分かりました」

迂闊に顔を会わせて話そう、とは言えないよなぁ。

大変な相談をされてしまったけれど、ベルセさんには恩があるからできるかぎり力になりたい。