Nobunaga's Bastard

Episode Four: Exclusionists, Founding Fathers/Ancient Castle/Chingzhou Castle (Map Available)

「又七面倒くさいことになった」

清洲同盟から一年、俺は古渡城の一室にて頭を抱えていた。

「旗頭は佐久間信盛様、平手久秀様はそれを追認しております。御一門の信実様や信次様もご賛同とのこと。次席家老の柴田勝家様は沈黙を保っております」

「となれば、信清殿も大喜びで動いておられような」

「はい。確かなことは申し上げられませぬが、織田家の分裂を計って動いておることは間違いございません」

「いっそこうなってくると佐久間平手が担ぐ御輿に乗り、御一門衆を味方につけてひと戦起こした方が楽な気持ちすらしてきますな」

神妙な顔で俺に報告した中年差し掛かりの男嘉兵衛の言葉に、その父親である長則が不敵に笑いながら答えた。

「父上はまたそのようなことを、尾張が再び大戦となってしまいます」

父親である長則の言葉に息子の嘉兵衛が困ったような声を出し窘めた。グハハハ、と豪傑の見本のような笑い方をする長則がひとしきり笑ったのち、ふっと真面目な表情を作って俺の方を見た。

「どうなさるので?」

祖父と孫ほども年の差がある家臣が、まず俺がどうしたいかを尋ねて来た。

「長則、織田に乱を起こすことなど俺は望んでいないよ。奇妙丸様に不満もない。帰蝶様も吉乃様も俺に良くして下さっている、ひとまずはお二人と、父上の三名に手紙を送った。斉天大聖殿に頼んだからな。雲に乗るがごとく素早く届けてくれるはず」

父の美濃侵攻に先んじて尾張でのひらがな統一を果たした俺は、その後漢字をも統一すべきと考え奔走した。ひらがなを五十音に統一する動きは、これから文字を覚えなければならない子供達には好評だったが、既に文字を覚え終えた大人達には不評だった。折角覚えたものを使わないとされてしまっては不満を持つのもよく分かる。だが漢字であればこの時代の多くの大人達も使いこなせていない。漢字を簡略化し、武士階級の大人達が誰しも簡単に使いこなせるものにまで落とし込んでやれば大人達も喜ぶだろうと思っての行動だった。

最初は簡単に、一から十、百千万などの漢字を纏め、それから花や鳥、水や山といった比較的画数の少ない漢字を纏めた。母は俺の十倍は漢字を知っており、それらの字を書いてはこういう意味だと俺に教え、文字編纂作業に嬉々として協力してくれた。父は京や大阪から『下学集』と『節用集』という辞書のような物を買って持って来てくれた。その為作業は捗り、そして楽しかった。この動きは新参の家臣連中に喜ばれ、更に、実は漢字があまり得意ではないという層の家臣達にも好評だった。譜代衆で言うと、森という名の家の者達がそうで時々俺や母にこっそりと手習いに来る大人がいた。我が家には元々、身元のよく分からない者が多くやってくるので目立つ事はない。

こうして俺は、まあまあ楽しい遊びを見つけたなと思い日々文字とにらめっこしつつ、最終的には千字程度の識字力を織田家家臣の最低水準にしてやりたいと考えていた。実際、今日までの間に尾張織田家家中の識字率は大いに上がった。

さて、そのように俺が文人化している間に、織田家家中では二つの勢力が生まれていた。

一つは、『帯刀は謀反を起こし、織田家を乗っ取ろうとしている。直ちに討ち取ってしまうべきだ』という勢力。もう一つは『帯刀はあれだけ弁が立ち、人前で啖呵を切れるだけの胆力がある。庶子であることに拘らず織田家の跡継ぎとするべきだ』という勢力。

母からそんな話を聞かされた時、俺ははた迷惑な話だと思った。織田家には既に立派な嫡男がいて、これを押しのけて俺が次の当主になるという事は家中を動乱に巻き込むという事だ。そしてもし本当に争いになれば俺は勝てない。勝てないとはつまり良くて強制出家の上監禁悪くて首を斬られるという事である。

「藤吉郎からは先程殿よりの手紙を預かりました。小牧山城におわす殿は既に返書をしたためられていたそうで、帯刀様からの手紙をお読みになってすぐ、うむと頷きこの手紙を懐中より取り出したとのことです」

「流石父上、話がお早い」

嘉兵衛が取り出した手紙を受け取り、読む。字を変に崩すことなく書く父の字は達筆とは程遠いがその分読みやすい。俺としてはそれが最も良い字だ。

「殿は何と仰せでございますか?」

「俺が信清殿に組して謀反を起こすとは思っていないとのことだ。これまで通り変わらず奇妙丸や茶筅丸、勘八の面倒を見てやってくれと書かれている」

永禄五年から六年にかけて、尾張において一つの内乱が発生した。反乱の主は織田信清。妻は父信長の姉で、一族の中でも独立性の強い人物だった。俺が生まれる前には完全に独立した別家として行動していたようだが、父上が尾張を統一する過程の中で臣従した。俺が知る限りでは、一門衆の中でも別格上位と言ってよい程高い位置に座っていた人物だ。だが、この人物が去年の暮れに反乱を起こし、父の支城である楽田城を奪った。だがこの反乱、始まって間もなく父の猛反撃が始まりあっという間に楽田城は再奪還され、現在信清は居城犬山城を取り囲まれ、家臣の多くも逃亡するか降伏してしまった。

「それが宜しゅうございます」

深々と頷いた嘉兵衛が言い、そして続けた。

「此度のご謀反、殿は知っていて敢えて信清様に乱を起こさせた節がございます。となれば、帯刀様を御当主にというお噂についても、分かっていて我らを泳がせているのやもしれません」

「あえて乱を起こさせた?」

どういうことだと長則が問う。どうしてだろうと俺も思う、嘉兵衛はんん、と軽く喉を鳴らしてから説明を始めた。

「何の為にかと申せば、美濃攻めの為にございます。尾張の国が一丸とならなければ美濃の国一国を奪うことなどとても叶いませぬ。となれば美濃攻めを始めてから内乱が起こるよりも、美濃攻めの準備をしている今こそ不穏分子を叩いておくべきと考えたのではないでしょうか」

言われて、成程なあと感心した。確かに父は信清謀反の後迅速に動き、しかも内乱を意に介さず小牧山城築城を続けた。築城と反乱者の討伐、同時に行なうことが出来るだけの力があったのだ。結果この乱は織田家の内部の脆さよりもむしろ父の強さを内外に知らしめた。父の求心力は却って上がっただろうし、去年林家の領地を没収したように、信清の領地を没収すれば父の直轄領が増え、織田家は強くなる。

「いやいや待て嘉兵衛よ。となると、此度は帯刀様や我らが不穏分子として叩かれてしまうかもしれないではないか」

長則の言葉に、小さくあっと声を漏らしてしまった。本当だどうしよう。

「勿論左様でございます。これは殿による誰が味方であり誰が敵であるかの瀬踏みでございます故」

しかし嘉兵衛は一切慌てず、なればこそ普段通りにしておくべきだと俺を諭した。

「殿は間違いなく、奇妙丸様を後継に望んでおります」

「うん、そう思う」

俺が可愛がられていないとは思わないけれど、奇妙丸は滅茶苦茶可愛がられている。正確には奇妙丸達、吉乃様を生母とする三人は別格に可愛がられている。俺が奇妙丸を押しのけて当主になることを、父は許さないだろう。

「故に今帯刀様は試されております。塙家が帯刀様にとっての後ろ盾となり得る手柄をあげ、父上という武将、某という文官、その他多くの独自の家臣、即ち家臣団を持ち、更に支持基盤としての佐久間様らがおられても、尚弟君を立てる人物であるかどうかを。それでも野心を出さず奇妙丸様を担ぎ上げるのであれば一門衆として取り立て、そうでなければ体よく押し込めにするか、御病気となって頂くかでございましょう」

「……怖いなぁ」

俺が言うと、長則が又豪傑笑いをし、それならば分かり易いと答えた。

「まずは色気を出さずに大人しく文字数字と戯れ、来たる美濃攻めにおいては儂が手柄を上げればよい。得た領地は嘉兵衛が上手く切り盛りし、いつか我ら親子も城持ちとなろうぞ」

「成程単純明快だ」

息子の言葉に怯え、父親の言葉に楽観する。バカ殿丸出しな俺に、親子が笑った。俺は弟から何かを奪うつもりはない。その旨も伝えてある。後は疑われないように直接会って話をすれば良い。よし、何とかなりそうだ。

この性格の似ていない親子は父が松下長則、息子が松下嘉兵衛と言って、元々東の隣国今川家に仕えていた。その後、桶狭間の戦いにて父が今川家の当主義元を討ち取り、今川家は混乱し松下家も明日とて知れぬ状況へと陥った。そんな時に、お前も織田一族の人間であるのだから自前の家臣を持つようになれと父から言われていた俺が声をかけた。

声をかけたとはいっても、まだ十にも満たない俺が諸国に足繫く通って勧誘して回ったわけでは勿論ない。繋ぎを付けてくれたのは父の草履取りをしていた猿顔の小男だ。

その小男は昔小者として松下家に仕えていたことがあったらしく、今川家が大変なことになっている今ならもしかしたらと教えてくれた。俺は松下親子に会いに行かせるのでこの草履取りをちょっと貸して欲しいと父に頼んだ。父は了承し、何度か草履取りに往復してもらった結果僅かな家族、従者と共に引っ越してきた。その際父とも母ともそれぞれ面接をし、晴れて俺が持つ初の家臣となってくれたという訳だ。

「明日早速清洲城へ出かけよう。奇妙丸様達にお会い出来なくともわざわざ出向いたというだけで意味はあるだろう」

俺が言うと二人が頷いた。現在の織田家本城は小牧山城だが、ここは前線基地的な意味合いも強いので父の妻子は呼び寄せられていない。多くはかつての本城清洲城住まいだ。古渡城からは北西に位置し、道のりは多分二里半(十キロ)くらい。一刻(二時間)もあれば着く。馬に乗ればもっと早い。

「例の物も持って行こう。吉乃様が喜んで下さればいいが」

そう言うと、松下親子が頷き、少し笑った。態度も性格もまるで似ていないくせに、こういう時の表情はそっくりだ。

翌朝、俺は日の出と共に馬に乗って古渡城を出た。松下親子は鍛錬と称して小走りで俺の先導をした。体感で半刻(一時間)もかかっていないのではないだろうか。三十そこそこの嘉兵衛はともかく、長則もケロッとした顔で二里半(十キロ)を走り切った。良い運動になりましたなと満足気ですらある。健脚だ。

御免下されと城門前であいさつをし、清洲城に入城する。父が十年間本拠としたこの城は広大な敷地を持ち、石垣と川により周囲を囲まれ、入城する為には必ず橋を渡らなければならない。橋を渡る前、橋を渡った門の前、門を潜って建物内に入る際、それぞれ見張りの門番がいることも、俺の居城古渡城とは比べ物にならない堅固さだ。尾張が攻められ、いよいよもって後がないという時、最後の関門として敵に立ち塞がらんという築城主の意思が感じられた。

「うん、馬鹿なことは考えない方が良いってわかるね」

清洲城の威容と、古渡城の長閑さを比べ、奇妙丸と自分との立場の差を改めて感じた。ことほど左様に俺の立場は弱い。別に拗ねているわけではない。尾張国主の息子というだけで滅茶苦茶ラッキーというものだ。使い方は合っているだろうか?

「吉乃様か、或いは奇妙丸様にお会いしたくまかり越しました」

一介の門番に対しても丁寧に断りを入れて、俺は尾張の御曹司様と、そのご生母様との面会を乞うた。

「腰は常に痛いのではありませぬか?」

「はい、今もって痛うございます」

「座る時には左の尻に体重を乗せ、眠る時にも左を下に眠ってはおりませぬか?」

「少々お待ち下さい……ああ、そのようです」

「では腰を伸ばして下さいませ。座ったままにて結構でございます。指でこのように、腰の骨を持って下さいませ。高さ、前後にズレがございませぬか?」

「……ございますね」

「腰の骨、骨盤なるものが大きく歪んでおりまする。産後の肥立ちの悪さ、御体調が回復なさらないのはそれが大きな理由かと存じます」

清洲城到着から一時間もしないうちに、俺は清洲城本丸の縁側から古渡城辺りを眺めつつ、一人の女性と話をしていた。

「歪みがあるせいで腰や体が痛くなりまする。某、このような物を持参いたしました。少々失礼を致します」

そう言って、控えていた嘉兵衛から一枚の布を受け取った。布といってもそれは麻や絹で出来たものではない、馬の皮で作った腰巻だ。

「まあ、このような物を、帯刀殿は誠に多才でございますね」

「いえ、とんでもございませぬ。母が旅の医者に聞いた話から想像して作っただけの物にて」

俺が言うと女性、生駒吉乃様が笑った。

「帯刀殿がお作りになったのでしたら、それは帯刀殿の才の一つでございましょう」

そう言われると何とも言い返し難く、ありがとうございますと頭を下げると吉乃様がまた笑った。母とは違う、どこかはかなげな笑い方だ。

「このように、腰全体を覆うようにお付け下さい。そうです。如何でしょう?」

「……驚きました。歩く時に痛みが殆どありませぬ」

殆ど、という事はまだあるのか。というか単なる歩行が出来ないくらいに痛いのか、これは大変だ。

「人間の身体が持つ筋肉は十のうちの七つまでもが下半身にあると言われております。床に伏せる時間が長くなればなるほど、下半身の筋肉が落ち、即ち体全体が弱まります。体が弱くなれば些細な風邪が致命傷になってしまいます。お辛いとは存じますが、それをお使いになった上で一歩でも多くお歩きくださいませ。食事ではにく、あ、いえ、何でもございませぬ。米だけに偏らず多くの種類の雑穀や野菜、魚等を召し上がって下さい」

俺がそこまで言うと、吉乃様がニコリと微笑んだ。美人薄命という言葉が嫌になるくらい似合ってしまう色白かつ線の細い美人だ。

「宜しいのですよ。お肉が如何しましたか? お話をお聞かせ下さい」

慈愛に満ちた表情だった。今日も俺が来たと知るや否やすぐに出迎えてくれた。奇妙丸達は手習いの最中で会えないとわざわざ言いに来てくれたのには恐縮しか出来ない。立って歩くことすら大変だというのに。俺は自分の息子の立場を脅かす存在であるというのに。

「されば、本来であれば牛馬の肉、それが無理でも鶏の肉や鶏卵などを食すことが身体に力を取り戻す早道となりまする」

吉乃様は立ち上がった際にフラリと倒れることがしょっちゅうであるという。血が足りていないのだ。足りない血は補わなければならない。獣肉、出来れば肝臓や心臓などを食べて貰いたい。けれど、肉を食うことは禁忌とされている。宗教上の理由でだ。それに牛も馬も鶏も五畜に数えられる生き物であるという事が加えてまずい。宗教上駄目という人間には説得のしようがない。とにかく駄目だという相手の『とにかく』の部分は覆す方法がないからだ。俺は両親がともに『とにかく』という理由に屈しない人間であるから気にせず食べ、旨いことと力が付くことを実感し、結果肉をよく食うようになった。

「それも、本に書いてあったのですか?」

吉乃様も当然子供の頃から肉を食うだなんて悪人のすることだ。と刷り込まれて来ている筈。けれど、嫌悪感などおくびにも出さず、優し気に微笑んだまま聞いてきた。

「は……南蛮の国は肉となる動物を育て食うそうでございます。故に、旨い食べ方、健康に良い食べ方などについても詳しく書かれておりました。曰く、何か一つの食材に偏る事こそ万病の元と。さりながら、牛馬を食べることを無理にお勧めは致しませぬ。もし雉が手に入れば肉一切れでもよいですので召し上がって下さい」

獣肉は禁忌だが、鶏肉や魚肉はよく食べられている。特に鶴なんかは祝いの席には欠かせない食材だ。何故故牛は駄目で鶴は良いのだろうか。馬鹿にするつもりはないが、不可思議だとは思う。

「分かりました。殿にも、鶏肉が手に入ったら食べさせて欲しいとおねだりしてみますね」

そう言った時だけ、母性に溢れた吉乃様の表情が女子のそれになった。おねだりという言い方もそうだけれど、この人はとにかく可愛らしい。父が陥落した理由もよく分かる。

「殿には、帯刀殿が私の身体や奇妙丸達の事を特に気遣ってくれているともお伝えしておきます」

そうして最後に、言うべきことを忘れずに言う。それもこの人の魅力だと思う。俺は今日、ただ遊びに来たと伝えただけで信清の話や家督相続の話など一言もしていない。それでも、分かっているから心配しないで良いと教えてくれた。

「かたじけのうございます」

「こちらこそ、子供達と会わせてあげられなくてごめんなさい」

手習いが忙しくて会わせられない。と言われたがそれは多分嘘だろう。全員が同時に同じ部屋で行う訳でもないだろうし、そうだとしても俺も一緒に手習いをすれば良い。俺より字が書ける大人は少ないのだから俺が教師役をやっても良い。それでも会わせて貰えないという事は、生駒家の上層部か、或いは清洲城を取り仕切っている誰かが俺に疑いの目を向けているという事だ。俺が今日したことも逐一伝えられるだろう。悪意を持って事実を捻じ曲げられた上で父に伝わるかもしれない。それでも、俺は吉乃様に直接自分は貴女方に敵意を持っていませんよと伝えたつもりだ。本人には伝わったと思う。

「又近いうちに伺います。次来た時にはそれを使った感想を聞かせて下さい」

言って、俺は清洲城から暇を乞うた。立ち上がり、見送ろうとする吉乃様をお止めして、さっさと清洲城を出た。

「吉乃様以外の者は終始帯刀様を敵視しておりましたな。いつ槍が伸びてくるか楽しみにしておったのですが」

「そんな修羅場を楽しみにしないでくれ」

長則の言葉にため息交じりに応えると嘉兵衛が『全くです』と同意してくれた。