Nobunaga's Bastard

Episode 87: Main Wish Temple of Leeward

織田家にとって、今回の論争の勝利とはまずもって石山本願寺の士気を挫くこと。これは是が非でも達成しなければならない事であり、この点において俺が敗北し、逆に本願寺勢力の士気を高めてしまうようなことがあった時、『腹を切って詫びる』と俺は言っている。

それ以外に、織田家にとって出来る事ならば達成しておきたい勝利条件もいくつか存在する。その中の一つが『叡山に勝利させない事』だ。

父は今回の論争でどう転んだとしても比叡山延暦寺の再建を許すつもりはない。色々と難癖をつけ要求を跳ね除けるつもりであるのだ。だが、どの道跳ね除けるにしても嘘を吐かれたと思われるかこの結果であれば仕方がないと思われるかでは大きく違う。出来る事ならば、叡山の僧は論争で敗れ、その上で織田家が本願寺を降す。という形が望ましい。

「一介の僧侶が殿下に直答を望むなど不敬である!」

「身の程を弁えよ!」

覚恕法親王殿下の周囲にいる何名かが言い返した。その言葉に対しては俺が即座に返す。

「ならば織田家の代表として、某から問おうぞ! 覚恕法親王殿下のご存念はいかばかりか!?」

現状、俺が随風に勝るのは身分以外にはない。論理の構成力も、頭の回転も、知識も知恵も、そして覚悟も、全てが随風には劣る。故に随風が味方をしてくれている以上随風に任せるよりも上策はない。織田家の代表という立場である俺であれば、同じく代表として壇上にいる覚恕法親王殿下とて立場は同じだ。

「どうなされた、まさか殿下ご本人がお答え出来ぬという事はありますまい」

もう一歩押し込む俺。此度の公開討論において叡山勢力の戦略は分かり易いものであった。大将に覚恕法親王殿下を据え、数多くの論客にそれぞれ持論を述べさせる。殿下とて何も話すことが出来ない人形という訳ではないのだろうが、それ以上の論客がいるのであればそれに任せてしまった方が良い。俺とやっていることはそう変わらなかった。ただ、俺の場合は大量の論客を用意することが出来ず、用意出来た自前の論客は随風という無名ながら天下有数の弁舌の申し子であったという事だ。

俺が追い詰めたことにより、覚恕法親王殿下が息を呑み、それからひと言『天意である』と答えた。直後、周囲の論客達が殿下の一言を擁護し、補足し、説明し、そして反論する。だが。

「京都の都を焼く事、寺社領の保護を求め強訴に及びたる事を、天意であるとは不可思議至極!」

言うまでもなく、論の内容を追うまでもなく、そのような苦し紛れの理論が随風に通じる筈が無い。数で押そうとする叡山の論客に対し、沢彦和尚と快川和尚も反論するに至り、大勢は決した。俺はその様子を見ながら視線だけで父の顔を伺う。俺の視線に気が付いた父は僅かに顎を引いて頷き、そして俺は、完全に叡山の論客らが敗北を喫するよりも先に助け舟を出した。

「殿下のご存念はよく分かり申した」

俺の一言を受けると、明らかに叡山の論客らがホッと息をついた。そして随風も軽く頭を下げることで話を終えた。

俺の、そして織田の理想があるように、随風にも此度の公開討論にて、そしてその後の流れにて理想というものがある。隋風の信念によれば、どれだけ堕落したとしても天台の教えは日ノ本に必要であるそうだ。人が堕落したとしても、大乗仏教の教えそのものにカビが生えたわけではない。比叡山の焼き討ちと、仏教勢力全体が時の政権と相争ったという反省をもってして、日ノ本の仏教は再び原点に立ち返るべきである。ただし、そこに武力は必要なく、武力は必要ないが故に比叡山や大坂城の如き要塞は必要ない。決定的に織田家と戦い、そして崩壊するよりも先に屈服するに如かず。だそうだ。そうして、随風は屈服させるべき二つの勢力のうち一つを沈めた。比叡山という要害なき今の天台宗に織田家と戦う力はない。残るは今もって大坂城という要害を有し、そしてこの論争においても今なお織田家に対し引けを取っていない石山本願寺。

「覚恕法親王殿下、並びに文章博士様の御高説素晴らしく、我らが信ずる主の教えにも通じるところがございますな?」

歌い上げるような、伸びやかな声が一座を包んだ。声の主は基督教の論客ロレンソ了斎。視力はほぼなく、目を隠しているのにもかかわらず正確に俺達のいる方向を見据え、微笑んでいる。

通じるところがございますな? という質問、それは、俺達に対しての確認であった。正直に言ってしまえば、仏教と基督教に、通じるところなどない。全くどこにも一つも、完全にないとまでは言い切るまいが、それでも、あくまで仏教という枠組みの中で相争っている者達と比べてしまえばそもそもの根本が異なる。最初の段階で、一神教たる基督教にとって他の神を信奉すること、奉ることは異端であり邪教であるのだ。仏教側の視点に立ってしまえば同じく基督教などというものは邪教に他ならない。最終的な決着は三通りしかないと俺は考えている。一つは同化。神道と仏教は千年の時をかけこれをおこなってきた。ただ、一神教が他の宗教と同化してゆく想像が俺にはつかない。もう一つは棲み分け。互いに互いを格下と、或いは異教徒と見做しながらも更に大きな傘の下で共存する。その場合、更に大きな傘が織田家となる。問題を起こさない限り、織田家はお前達を保護するという確約の下での共存だ。そして最後の一つは全面対決。戦いあって、どちらかが滅びるまで戦争を継続する。最も分かり易く、そして殆どの場合は勝った方も傷つき、負けた方も滅びず、泥沼の争いが延々と続く方法だ。

“どうするおつもりか?”

声に出ていない声が、ロレンソ了斎から出されたような気がした。一つ目の方法を目指すのであれば、それは俺達の生きている間に達成は不可能だ。選択を求められているのは二つめか、或いは三つめ。現状、織田家は、織田弾正忠信長は基督教を迫害していない。にも拘らずそのような質問をしてきたという事は、俺や随風が、心底から基督教を味方と思っていないという事を見抜かれたからに他ならない。

“視えているのか?”

実像の映らないその眼に、俺の考えは読み切られているのだろうか。その上で、そんな質問をしてくるという事はやると言うのなら受けて立つ。自分は負けない。という自負があるのだろうか。この随風を相手に?

対基督教を見据えた論は当然考えて来た。教えの矛盾を突こうと用意してきた質問や追及もある。

信者のみが天国に行けるというのであれば、信者となる前に死んだ赤子や基督教が伝わる以前の日ノ本の民は問答無用で地獄行きであるのか?

自然を神が人間に対して与えた恵みであるとしているが、地震や水害などの自然災害については何をもって恵みと考えるのか?

神の下、人を平等と扱っているようであるがその実奴隷という存在がいる。人と奴隷と、明らかな差異が存在するがそれを平等と言うのは詭弁に他ならないのではないか?

聖書なる経典の中、神という存在は数多くの人を天罰なる理由によって殺している。死したるものの中には赤子や罪なき者達もおり、これを天罰とするのは天魔の所業である。

用意したこれらの武器を使用し、それなりの時間ロレンソ了斎と戦うことも出来るだろう。だが、それでも俺では勝てない。これまでロレンソ了斎は自分が論破されれば即座に首を斬られるという状況においての論争を幾度となく潜り抜けてきており、上記の問いに対しても見事なまでの返答を見せている。逆に仏教ではこのような……と反撃をされてしまう事が大いに予想される。

それでも、随風という男がいれば何とかなるとは思う。この男が論争において人に負けている映像が俺にはどう想像しても浮かんでこない。だが、一方で、ロレンソ了斎に勝つ映像も見えてこない。

「そうは思いませんか? 随風様?」

歌うような声で、ロレンソ了斎が続けた。敵方最も手強きは随風。そう確信している声だった。視線だけで、随風が俺を見る。どうする? と訊かれている。戦えと、俺が命じれば随風は戦うだろう。先程のような質問をした後、更に高みにて論戦を繰り広げるのだろう。その結果がどう出るのかは分からない。

俺は、父の事を見はしなかった。俺に任されているのだ。総大将は父だが此度の戦場大将は俺だ。束の間目を瞑り、そうして息を吐く。沈黙の時間は、せいぜい二秒であったと思う。俺はゆっくりと、首を一往復、横に振った。

「誠に」

今後、織田家と基督教がどのような立場でどのような関係を続けてゆくのかまでは分からない。父や俺が世を去った後に戦うという可能性もあり、案外父が入信することによって完全に取り込むということもなくはなさそうだ。だが、随風が答えたことによって、織田家と基督教との現状における協調路線が確定した。ふと見ると、ロレンソ了斎の後ろでルイス・フロイスが大きなため息を吐いているのが見えた。我々の言葉を全て理解しているとは思えないが、遠い異国の地で布教を続ける海千山千の男だ、随風の手強さを肌で感じていたのだろう。

「叡山の、ひいては天台宗のお考えは分かりましたが、本願寺のお考えは未だ分かりかねますな。浄土真宗の考える絶対他力や悪人正機の考えについて、織田家と戦わずば破門となり、戦わず引かば無間地獄に落ちるとは、いかなる意味でござろうか?」

そうして、他宗派全てを味方に、或いは膝下に組み伏せた織田家は遂に敵本陣へと斬り込んだ。この時点において、織田家は理想にかなり近い形で論争を推移させていたと言える。

「さればお答えいたしましょう。我らが織田家に対決姿勢を見せた頃、織田弾正忠様は我ら石山本願寺に対し莫大な矢銭を続けざまに命じ、他宗の寺社に対しても同様の矢銭を要求しておりました。そして、その矢銭を支払えないと断った宗派の寺を破壊し、禁止するなど、極めて御無体な行為を繰り返しておられました」

答えたのは下間頼廉。隋風とロレンソ了斎。考え得る限り最強の論者二人を向こうに回し、更にその後ろには沢彦和尚や快川和尚らも控えている中での戦い。それでもここまでのやり取りの間に充分覚悟を決めていたのだろう。怖じた風もなければ慌てた風もない。自分は何一つ間違っていないのだという態度は教如や倅の宗巴も同じだ。

「それでも我らはその矢銭を支払い、爪に火を点すような生活の中でも仲間達と耐えて参りました。しかし、弾正忠様は大坂の退去を命じて来られたのです。これは到底耐えられる話ではありませぬ」

「だからと言って、引かば地獄とは何か? 引いたところでそれがなぜ仏教徒としての罪に当たるのでしょうか?」

「大坂城から我らが引かばどうなります? そこに住んでいた十万を超す門徒達は一夜にして家を無くし、新しき家を探すこともままなりませぬ。元より我らは山科の家を焼かれ、住処を奪われ逃げて来た天下の迷い子。住む場所も働き手もなく、多くの門徒が苦しみのうちに死んでゆくことは必定。大坂を守れば、石山本願寺のみならず多くの浄土真宗の門徒達の拠り所が守られます。戦えば往生極楽とは、何も織田家の兵を殺せばと言うている訳ではありませぬ。大坂にいる門徒達が大坂に居続ける事。それが一つの戦いであります。戦うを諦め大坂を失えば、多くの門徒が路頭に迷い苦しみのうちに死にます。それこそ地獄の如し。往生極楽や無間地獄とはそのような意味であったと存じます」

「ものの例えで、往生極楽や無間地獄との言葉を使ったと?」

「軽々しく言葉を操ったことについては、軽率であったと心得ております。ですが分かって頂きたいのは、我らは門徒を死にいざなおうとしたのではなく、守る為に戦っているのだという事」

苦しい言い訳だと思った。だが、一応の理屈は通っている。織田家が仏教勢力に対して無体であると言われて当然なまでの攻撃を仕掛けていることは天下に知れ渡っている。

「大坂はそうかもしれませんが、長島や越前加賀、或いは三河門徒は守る為の戦いであるとは思えませんよ」

一旦は凌いだ。と思われた矢先、今度はロレンソ了斎が踏み込んだ。浄土真宗本願寺派の制御下を離れ、半暴徒化して暴れ回った一向門徒達、彼らの多くは権力者に対しての抵抗が単なる名目となり、実質略奪者の集団として暴れ回っていた。

「それに対しては、我ら坊官の力不足と言わざるを得ませぬ。しかし石山本願寺が門徒に対して『暴れまわって国を亡ぼせ』などと言ったことは無く、争いを収めんという努力を尽くしていたことは事実なのです」

「越前に坊官を送り、彼の地を支配しようと計っていたようですが?」

「支配という言葉には語弊がございます。民を安んじようとしたまでの事」

そもそも下間頼廉という人物は、顕如が門徒達に織田家打倒を呼びかけた時、それに反対した人物だと聞いたことがある。その後も、織田家との戦いには利が無いと、法主や急進派強硬派の坊官を抑え、何とか和議をと奔走してきた。今責められている内容は恐らく、自身が考えてきたことなのだろう。反撃することは出来ず、受け答えも終始防戦一方ではあるものの、下間頼廉はこの論戦において本願寺を完全なる敗者とはすることなく、本願寺としての大義を死守しようとした。敵ながら、その姿は気高く、雄々しかった。

「文章博士はん。あんたはどう思てますのや?」

さしもの下間頼廉も、限界が近いかと思われたその時、教如が俺に聞いた。どう思うとは? と訊き返す。

「ウチらがしたことについてや。了悟法橋はオヤジがしたことを、こないに格好よく取り繕うてくれてはるけどな。理屈やのうて、オヤジは単純に、山科を焼かれて、天台宗からは仏敵呼ばわりされて、それでも信者を助けてやりたい思てるだけやのに、どうしてこんな目に遭わなあかんのや。そう思た筈や。文章博士はん。アンタは、そう考えることが天道に反してると思うか? 間違ってることやと、思うか? 実際、大坂を退去してたら脚の弱い婆さんやら、赤ん坊連れた母親やら、そういう弱い人間から順に死んだ筈や。ウチらは見捨てたらよかったんやろか。あん時見捨ててたら、確かに長島も越前も越中も、あないな人死には出ておらへんやもしれん。だから、ウチらは悪者なんやろか? 単なる阿呆で、屑同然なんやろか?」

敵に対して、何を聞いているのか。今この男の言葉を使い、法主の息子が自分達に深い考えはなかったと認めたぞと言い、それを利用して、下間頼廉が何とか保っていた形勢を一気に崩すべきだ。俺の中の冷静な自分はそう言っていた。一方で、これほど率直な言葉を聞かされた俺は、教如に対して不誠実であることを避けたいとも思った。

敵を叩き潰せと言う自分、それに対して、真心ある言葉には真心を込めて返せと言う自分。どちらが正しいでもなくどちらが大人でもなく、どうすべきかを決めかねていると、遠くで、ケケケケ、と怪鳥のような声が聞こえた。楽しそうに、父が成り行きを見守っている。

「帯刀様」

随風に声をかけられた。

「浄土真宗本願寺派以外は織田の大義を認め、本願寺派とて既に追い込まれております。この後、何があったところで織田家の優勢は変わりませぬ」

「しかし、それではお前が」

折角ここまでお膳立てをしてくれたというのに、そう言いかけた時、随風が珍しく、本当に珍しく微笑んだ。

「失った筈の命で、誠面白きものを見せて頂いておりまする。どうあったところで、恨み言は申しませぬ」

御心のままに、そう言われ、俺は教如を見据えた。