夏季休暇は終わりを告げ、学校が始まった。

由弦にとってはまた毎週、愛理沙の料理を食べることができる日々が始まるのと同時に、長時間学校で拘束され続ける、少し憂鬱な日々の始まりでもある。

休暇開けの土曜日。

およそ一か月ぶりに愛理沙は由弦のマンションへ、ゲームをやりに来た。

今日の愛理沙のチョイスは某配管工とその愉快な仲間たちがレースをする、非常に有名なレースゲームのシリーズだ。

二人でテレビの前に並び、リモコンでキャラクターを操作する。

この手のゲームは宗一郎たちと度々遊んだことがあったため、由弦は少し得意だった。

妙にゲームの才能がある愛理沙にも勝てる自信はあったのだが……

「んっ……っく……」

隣に座っている愛理沙が気になり、集中できなかった。

というのもカーブを曲がるたびに声を出しながら、愛理沙はその方向に体を曲げるのだ。

由弦が座っている位置と反対方向に曲がってくれる時は問題ないが、しかし由弦の方へ体を傾けてくる時は問題だ。

元々隣合うように座っていたためか、愛理沙が体を傾けるたびにその華奢な肩が由弦の体に触れそうになる。

美しい亜麻色の髪がサラサラと動くのだ。

極めつけはその可愛らしい声だ。

本人は気合いを入れているつもりなのかもしれないが、妙に艶っぽいせいで意識してしまう。

「また私の勝ちですね、由弦さん」

「あぁ……そうだな」

「どうしました?」

「いや、少し目が疲れただけだよ」

由弦はそう言ってコントローラーを置いた。

そして大きく伸びをして、床に横たわる。

そして時計の針を確認する。

もうすでに長いことゲームをしているので、疲れているのは事実だ。

もっとも……目の疲れよりも、愛理沙を意識し過ぎたことによる気疲れの方が大きいが。

「大丈夫ですか? 由弦さん」

とはいえ、愛理沙にはその辺りの自覚がない様子だ。

心配そうな表情で由弦の顔を覗き込んできた。

美しい双眸とふっくらとした蠱惑的な唇が目の前に現れ、由弦の心臓が跳ね上がる。

「大丈夫……少し休んだら治る」

由弦はそう言って両手で自分の目を覆った。

疲れた目を庇うような仕草だが、その真意は自分の視界から愛理沙の顔を遮るためである。

この美しい顔を間近で見るのは、少し刺激が強すぎる。

しかし全く自覚がない様子の愛理沙は、そんな由弦の髪に指を絡ませてきた。

柔らかい指の感触を頭髪と頭皮越しに感じる。

余計にドキドキしてしまうが、しかし楽しんでいる様子の愛理沙を邪魔するわけにはいかない。

しばらくされるがままになっていると……

今度は愛理沙の手が自分の頬に伸びてきた。

温かい両手で頬を包み込まれる。

が、さすがにこれにはいろいろと耐えきれなさそうなので由弦はこれ以上のスキンシップをやめさせようとする。

「愛理沙、起き上がって良いかな?」

「あぁ……すみません。夢中になっていました」

由弦はゆっくりと、起き上がった。

そして愛理沙の方を見る。

今更にして自分が大胆なことをしてしまったことに気付いたのか、気まずそうに由弦から視線を逸らし、肌を朱色に染めていた。

そしてチラチラと、由弦へ視線を向けてくる。

(……可愛い)

思わず由弦は生唾を呑んだ。

彼女を押し倒し、組み伏せ、欲望のままに蹂躙したいと……そんな攻撃的な衝動に駆られる。

「ふぅ……」

由弦は大きくため息をつき、その欲望を吐き出した。

そして愛理沙に背を向ける。

それから自宅で飼っている四頭の犬の姿を思い浮かべ、心を落ち着かせる。

………………

…………

……

(よし)

そしてもう一度、愛理沙に向き直る。

すると愛理沙は酷く怯えた表情で、心配そうに、不安そうな声で由弦に尋ねた。

「そ、その……ご不快、だったでしょうか?」

上目遣いで由弦の機嫌を伺ってくる。

由弦はもう一度、四頭の犬を想像した。

ワンワン。

「いや、そういうわけじゃない。むしろ逆というか……」

「……逆、ですか?」

きょとん、とした表情で愛理沙は首を傾げた。

そして視線を由弦の下腹部へと移動させ……

それからトマトのように顔を真っ赤にさせた。

慌てた様子で背中を向け、叫ぶ。

「な、何を考えているんですか!」

「いや……考えさせたのは君というか、何というか……生理現象だし……いや、勿論悪いとは思っているけれど」

本能の方は由弦の理性とは無関係に反応してしまうのだから、仕方がない。

ついでに言えば、今は大分収まってきている。

「ただこれだけははっきりさせて貰うけど、君を傷つける意思はない。……ただ、まあ衝動というものはあるし、俺も人間というか、男なので、その辺の配慮というか、あまり無防備になるのは止めて欲しいなと。勿論、一番気を付けるべきは俺で、君にそういうことを頼むのは道理に反しているのかもしれないが」

由弦がそう言うと、ゆっくりと愛理沙はこちらに体を向かせた。

その真珠のような肌はまだ僅かに赤らんでいる。

「……どこまでなら、良いでしょうか?」

「髪を撫でるのは良いかな……でも、心の準備があるから。一言、言って頂けると」

「気を付けます」

神妙な表情で愛理沙は頷いた。

先ほどとは異なり、由弦との間にかなり距離を取っている。

いきなり距離を離されると、それはそれで傷つく。

もっとも、愛理沙もびっくりしているだけで、由弦のことを嫌いになってはいない……と信じたいところだ。

由弦が若干、落ち込んでいることに愛理沙も気付いたらしい。

彼女は唐突に話題を変えた。

「次週のことなのですが」

「はい」

「今度は私から……お誘いをさせて頂いても良いでしょうか?」

お誘い。

つまりデートの誘いだろう。

普段は総合娯楽施設、プール、夏祭りと基本的に由弦の方から提案をし続けていたため、今度は愛理沙の方から何かを誘うというのは道理に適っている。

「ああ、良いよ。……どこに行くか、決まっているか?」

由弦が尋ねると、愛理沙は頷いた。

「映画館に行ってみたいな、と。……私、行ったことがないので」

斯くして映画館デートが決まった。