学生たちにとっての幸福な時間は、待ち遠しく羨望していた分だけ寂しいことに、過ぎ去るのは一瞬だ。
会長の背を追いながら校内を巡回していると、多くの生徒が会長へ声を掛けてきた。
それは差し入れだったり、歓談であったり、何かしらの不満を口にする。
だが、一様に表情は明るく楽しい時間の中でも出来事であり、生徒たちが文化祭という行事を満喫している事実に変わりはない。
ならば、運営に携わる人間としては喜ばしいことなのだろう。
数歩下がった場所で、幾度と眺めた光景を思い浮かべて思った。
そんな生徒たちの姿と先ほどまで共にいた生徒会面々たちの姿が重なる。
彼らも運営に携わっていたが、同じように輝かしい表情を浮かべていた。
桔梗女学院の生徒会も同じだ。
相対する状況ではあったが、一イベントとして楽しんでいた。
違うことがあるとすれば、組織の中に異物のように混じった人がいることだ。
この状況に溶け込むことができずに、どこか他人事のように傍観している。
文化祭が行われる意味も、存在意義も自分なりにかみ砕いて理解はしているつもりだ。
モノづくり、販売、お金の運用について簡略的に工程を体験できる文化祭というのは、社会に出る前の学生たちには経験しておいて損はない。
それを行事として昇華することで、学生たちの意欲を駆り立てて盛り上げる。
実に捻くれて、冷めた捉え方だと自覚している。
そして、今回の桜祭は十分に成功したと言っても過言ではない。
合同での開催では表立ったトラブルもなく、商店街も上々の盛況で本校もこの時間になっても来場者が途切れることはない。
過去、最高の来場者数なのは間違いない。
その成功の立役者として目の前の柊茜と白石紅葉の名前は資料にも残るはずだ。
会長は謙遜の塊みたいな人だから、成功は皆の努力の結果であり自分の力ではないというだろう。
そして、自尊心の塊であり白石は大々的に胸を張って喜ぶことだろう。
その正反対差が逆にバランスが取れていてプラマイゼロまである。
まあ、胸を張るだけの結果を残せているのだから、否定もなにもない。
白石にとっては、生徒会長への道のりの最高の出だしであることは確かだ。
そして、柊茜の今後の人生においても、この文化祭が大いに加点対象であることも同様である。
なのに、喜ばしいことであるのに、胸の内には嬉しさや楽しさの感情が広がることはない。
あるのは安堵の気持ちだけだ。
問題なく、文化祭も終局まで迎えることができた。
同時に、生徒会役員として、こんな感情だけを抱えていることに申し訳なさも感じていた。
「瀬良の件だが、面と向かってあそこまで私に勝つことを望んでいたと言われるのは、正直嬉しいものだな」
振り返ることなく、目の前の女生徒との華やかな会話を終えると、会長が呟いた。
意外な一面を垣間見たのだが、会長からすれば切磋琢磨する相手が見つかったのだろう。
「自分が努力して、その結果を上回る存在がいるときに人は才能だなんだと逃げ道を作ってもう一度挑むことを辞めるものだ……あれほど勝負を挑んでくるのは彼女だけだ」
「……執着心とも言えますけどね」
もはや、ホラーのレベルに近しい。
今回の文化祭を、瀬良の中では一つの分岐点、一つの踏ん切りとしていたのかもしれないが、会長の一言で心に火が付いたに違いない。
大学生の間も何かと勝負を挑まれるのは覚悟していた方がいいかもしれない。
「そうだな……だが、私には嬉しいものだ」
それでも、会長は嬉しそうな声音で言った。
同学年に並ぶものなしと言われるが故に、肩を並べて共に切磋琢磨できる相手がいない。
今はまだ並ぶことが出来なくても、その背を追い求めて後ろを付いてくる人間がいるのが会長にとっては何より嬉しいのだろう。
価値観とは、個々人で違うからこそ面白い。
否定も肯定もしないのが、本来の人と人の関係性なのではないだろうか。
「文化祭、楽しめたかな?」
個人的な会話をするのが苦手なのか、会長は歩みを止めることなく喧騒の中で問うてきた。
答えを知っていても確認をするかのように淡々と尋ねる。
続けざまに苦笑して、言葉を紡ぐ。
「体育祭で君が言った凄いところを見せるという言葉は叶えられなかったかもしれないが」
「十分凄いですよ……結果が何より証明している」
窓の外の光景を、生徒たちの表情を見れば一目で分かる。
この文化祭が成功していることが。
そして、実行委員だけでなく生徒会を指揮してきた目の前の先輩の存在がどれほど大きな影響力を持っているのかを。
今更謙遜も何もない。
事実だけの言葉を述べると、一息だけついてから考える。
余計な嘘も、意味はない。
会長も、適当な言葉を望んでいない。
「……去年よりは、充実した文化祭でしたよ」
それが、面倒な仕事であれ何であれ、役割を与えられた行事というのは、ただ参加していただけの去年とは違う。
生徒会に加入したから経験できたことだ。
でなければ、俺が自ら運営に参加したいと思う可能性は微塵もない。
断言が出来てしまうあたり、自分の性格を正しく認識できている証拠だ。
「お世辞でも嘘を言わないのが君の美徳だな……」
「嘘を言ってほしいなら、他の言い回しをしたでしょう」
むしろ、最初から「今日は楽しかったな」と言われれば、そうですねと答えていた。
会長の中でも、確信に似た答えがあったからこそ、質問をするように言ったのだろう。
分からないまま、理解できないまま、過ぎ去る時間を過ごしてしまった。
楽しむ友人たちと過ごせば、何か変化があるのかと期待もしたのは確かだ。
正解がない人生という一人のキャラクターを育成するゲームは本当に難しい。
しかも、最善策を提案されても九分九厘嫌そうに顔をしかめること間違いなし。
殺風景な人生に変化を望むのであれば、自分自身の変化が必要なのは重々承知しているのだ。
だが、その答えが、選択肢が浮かんでは消えてを繰り返す。
そんな考えを脳裏に巡らせて巡回をしていると、会長は立ち止まり夕日が差し込み始めた校内から屋上へと視線を巡らせる。
「私もこの文化祭が終われば晴れて一女子生徒に戻る……少しの間、私の思うままに過ごしてみたいものだ」
そう言って、振り返った会長の瞳は優しく、そして少し儚く紅葉色に照らされていた。