肌を撫でる、青白く淡い光。

肌を照らす、強いオレンジ色の光。

海に漂う藻のようにゆらぐ炎と、カップからたちのぼる湯気の向こうに、少年はいた。

いつもは勝ち気な彼であったが、今は静かに目を伏せている。

なんだかいつもよりずっと、大人びて見えた。

今のオッサンであるならば、出会った瞬間に気づいていた事実。

しかし当時のオッサンは、まだ知らずにいる。

マオマオは、ふぅ、ふぅ、と、熱いココアに息を吹きかけてから、ひと口すすった。

ゆっくりと流れる時間に合わせるような口調で、彼はつぶやく。

「マオマオ、ゴブリンに拷問されるために、ここに来たね」

対面に腰掛けていたオッサンももちろん、この時を大切にしていた。

しかし壊してしまうのも構わず、目を見開かずにはおれなかった。

「えっ、拷問されるために……!? なぜ……!?」

「……ライドボーイ・ゼピュロス様のためね」

二の句が継げないオッサン。

しかしマオマオは独り言のように続ける。

そして語られた内容は、今売り出し中のアイドルの、もうひとつの暗黒面……。

ライドボーイ・ゼピュロスは、さらなる女性人気獲得に乗り出していた。

そのために目をつけたのが、モンスター討伐。

『女性の敵』と呼ばれるモンスターのカテゴリーがあるのだが、その中でもっとも弱いゴブリンに標的を定めたのだ。

しかしゴブリンは臆病なので、勇者パーティが現れたと気づくと、巣を捨てて逃げ出すかもしれない。

そこでゼピュロスは、マオマオを先行させることを考えた。

ゴブリンは警戒心も強いので、ひとりきりの少年がノコノコと巣に飛び込んで来たところで、最初は罠かと思って手は出さないだろう。

しかし少年がずっとそこにいれば、据え膳に我慢できなくなって、いつかは襲いかかる……。

そしてゴブリンたちは拷問に夢中になり、勇者パーティが到来しても、気づかない……。

あとは逃げ場を塞げば……。

ヒーローショーのような虐殺の、はじまりはじまり……!

ちなみにゴブリンというのは女子供を捕まえると、巣の見張りもパトロールもなにもかも放っぽりだして、こぞっていたぶるという性質がある。

彼らにとって拷問というのは極上のエンターテインメントなので、誰もが仕事を忘れて夢中になるのだ。

人間を捕まえるのは大変なので、捕らえたらまず脚を折って逃げられないようにする。

そして、そのあとのお楽しみが長く続くよう、何週間もかけてじっくりといたぶる。

人間の泣き叫ぶ悲鳴をドラムロールのようなBGMにし、いつ正気を失うか賭けて楽しむ。

自ら生命を断つことなど、もちろん許さない。

この世に生を受けたことを呪っても足りないほどに苦しめ、嘲笑の渦に包んで、憎き人間の最後の時を祝福するのだ。

……そんな悪評が知れ渡っている存在だからこそ、討伐に成功すれば女性層の支持が得られる。

しかも、いたいけな子供が拷問されている所に駆けつけて、殲滅したとなれば……。

大々的に取り上げられ、評判はうなぎのぼりになるのは明らか……。

ライドボーイ・ゼピュロスは、自分の名を挙げるために……。

まだ幼い少年を、この危険極まりないゴブリンの巣窟に派遣していたのだ……!

マオマオ曰く、数日後にはゼピュロスが大勢の仲間と記者を引き連れて、この遺跡にやって来る手筈になっているという。

それまでに自分はゴブリンに捕まって、拷問を受けていなくてはならないと、彼は他人事のように言い切った。

「マオマオ、拷問。でないとゴブリン、逃げてしまうね」

「マオマオさんの目的はわかりました。しかし……なぜそんな危険な役目を引き受けたのですか!? ゴブリンの拷問は、大人でも気が触れてしまうほどに残酷なんですよ!?」

「マオマオ、丈夫ね。それに……ゼピュロス様のためなら、なんでもするね。だって……」

そして告げられたのは、当時のオッサンが毛先ほどにも気づいていなかった真実。

「だってゼピュロス様、マオマオのこと、女の子として扱ってくれたね」

「えっ」

「やっぱり……ゴルドウルフさんも、マオマオ、男の子だと思ってたね」

「えっ、そんなことは……。いえ、すいません」

「いいね。もう慣れっこね。マオマオ、家族は男だらけで、友達も男ばかり……ずっと男のなかで育ってきたね。だからまわりだけでなく、マオマオも、自分のことを男だと思うようになっていたね、でも……」

その時のことを思い出したかのように、身をよじるマオマオ。

「ゼピュロス様から『レディ』と呼ばれたときは、とっても嬉しかったね。見つめられると、天にも昇る気持ちになったね。ゼピュロス様の、言葉のひとつひとつが……マオマオにとって、初めての贈り物だったね」

恋する乙女のように染まる頬。

言葉の端々に漂う、ふわふわとした幸せな気持ち。

しかしオッサンは、こんなのは間違っていると思った。

「あの、水を差すわけではないのですが……。ゼピュロス様が本当にマオマオさんのことを想っているなら、そもそもこんな目に遭わせたりはしないと思います。愛というのは言葉ではなく行動です。ゼピュロス様のお言葉はたしかに素晴らしいですが……」

「だからマオマオ、ゼピュロス様のために行動してるね! ゼピュロス様のためなら、ゴブリンだってへっちゃらね! ゼピュロス様が助けに来てくれるなら、マオマオ、何日だって拷問に耐えられるね!」

その強い言葉に、オッサンは少年のように輝く瞳のなかに、たしかな少女を見た気がした。

そして、彼女と出会ってから初めての、乙女の微笑も。

「ゼピュロス様の喜びは、マオマオの喜び……! そのためなら生命だって惜しくはないね……! ゼピュロス様のことを考えるだけで、マオマオ……顔がこんなになってしまうね……!」

それは微笑というよりも、異国から来た元気少女に相応しい、満面の笑顔であった。

焚き火の炎すら霞むほどの、太陽のようなまぶしい笑顔。

オッサンは、その笑顔を守りたいと思った。

そして、ここまで健気で、ここまでひたむきな、彼女の恋心も。

しかし、その想いは……。

どちらも、何もかも……。

叶うことはなかった。

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

それから、数日後のこと。

マオマオが再び目を覚ましたのは、『ゴージャスペンション』のベッドの上だった。

包帯に包まれた小さな身体が、死にかけの芋虫のように蠢きはじめる。

隙間からのぞく瞳は、うっすら膜がかかったようになっていて、焦点も定まっていない。

しばらくぼんやりと視線をさまよわせたあと、虚空に向かってつぶやいた。

「……ここ、どこ……?」

「ああ、気がつきましたか。よかった……! 差し入れに行ったら、ゴブリンに火あぶりにされていたので、助けてペンションまで運んだですよ!」

「どうして……」

「えっ?」

「どうして邪魔、したね……。マオマオ、ゼピュロス様のために、我慢してたのに……」

「でも……あのままではマオマオさん、殺されていたんですよ!? ペンションの宿泊客の中に、聖女様がおられたので、なんとか助けていただきましたけど、処置があと少し遅かったら……!」

「こんな所で、寝ているヒマ、ないね……。ゼピュロス様が、来るかも、しれない、ね……。遺跡に、戻る、ね……!」

呻きながらも、尺取り虫のように器用に這いつくばって、ベッドから出ようとするマオマオ。

そばにある開かれた窓から、手っ取り早く出ようとしていたが、ふと、毛むくじゃらな物体と、モフッとぶつかった。

「これは……?」

視界が回復すると、毛玉に埋まったつぶらな瞳とバッチリ目があう。

「ゴルドウルフさん……? それにしては、やけに毛深いね……?」

上半身をそらし、その顔の全貌を確かめようとするマオマオ。

直後、「ぎゃあ!?」という絶叫とともに、包帯まみれの身体をさらにのけぞらせていた。

「くっ、クマっ!? なんでこんな所に、クマがいるね!?」

「落ち着いてくださいマオマオさん、そのクマは怖くありません。この最果て支店でいろいろ手伝ってくれているクマです。マオマオさんがこの店に初めて来たときは冬眠していたんですけど、最近になって目覚めたんです」

目を白黒させているマオマオ。

生気のなかった瞳は、もうすっかり驚きで彩られている。

「ゴブリンたちを倒してくれたのも、リアカーに乗せてここまで引っ張ってくれたのも、そのクマなんですよ」

オッサンの説明に、得意気にゴアーと鳴き返すクマ。

彼が無害であることは、傍らにいるシカ、腕に抱いたウサギ、肩に乗ったリス、頭に乗った小鳥で明らかだった。

「ほら、マオマオさん、動物たちも心配しています。ですから安静にしていてください」

「わ……わかったね」

メルヘンチックな見舞客にすっかり毒気を抜かれたのか、マオマオは驚くほど素直に、ベッドの上で再び横になった。